88 面倒な男
包丁は、私がヴィルに頬をつねられている間に、パトリックが何かを落としたふりをして回収してくれていた。小さな果物ナイフなので、うまく隠した様だ。本当に有難う、童貞。
しかし、悲しい事にランドバーク子爵は回収できない。
激昂で顔を真っ赤にしながら、ヴィルの姉御は叫び散らかした。
「いい歳した男女が!学び家である学校で抱き合うなんて何をしているの!?」
「す、すいませ」
「しかも貴女は!白百合勲章を得た初めての平民なのよ!?どこへ行っても注目の的なの分かってるのかしら!?」
「申し訳、ございま」
「この前なんて!ヴァドキエル家の令嬢に呪いを掛けたなんて新聞記事も出ていたそうじゃない!!何をどうしたらそうなるのよ!!何で侯爵家に喧嘩売ってるのよ!!」
「あ、あのランドバー」
「私の領土で生活している以上!できる限り庇ってあげるけど!!」
「優し〜〜〜」
「優しくないわよ!!」
これ以上注目されない様に会場の外へ出た私達は、ローガンと共に耳が壊れそうな怒声を浴びている。床に正座で。
人の目がない事をいい事に、姉御は喉の拡声器エンジン全開だ。ローガンは慣れているのか、半目でヴィルを見た。
「姉さん。折角の年越しなんだから、今日くらい説教はやめてくれ」
「ローガン!!貴方はもっと国立学校の教師だという自覚を持ちなさい!!大体ねぇ!!」
あーこりゃ駄目だ。ローガンの馬鹿が火をつけた。この娘は一度火が着くと三時間は説教が終わらない。横目でローガンを見れば、俺悪くないと首を横に振る。いやお前が悪い。
その時、前から苦い表情でパトリックが現れた。足音でヴィルは気づいたのか後ろを向き、次期公爵だと分かれば淑女らしく優雅にお辞儀をする。
「パトリック様、愚弟と愚領民がご迷惑をお掛けいたしました」
「愚弟……」
「愚領民……」
「ランドバーク子爵、申し訳ないがイヴリンを返してくれないか?」
パトリックの言葉にヴィルは目をカッ開き、般若の様な顔を私へ向けた。あっ最悪。
「相手がいながら弟と抱き合ってたの!?」
「これ一生終わんねぇ」
《 88 面倒な男 》
パトリックの言葉で更に説教が熾烈となったが、流石に次期公爵の相手を奪い続ける事に多少の引け目はあったのか、暫くすれば私は説教から解放された。
ちなみにローガンはまだ続く様だ。目が死んでいた、本当にごめん。でも私君の命を使用人から守ったんだよ。うちの使用人だけど。
会場のテーブルに並んだ、豪華な料理を食べようと手を伸ばした所で、やけに上がキラついているので手を引っ込めた。命は大事だね。
それならばせめて飲み物を、と探していると、後ろからパトリックが果物の入ったカクテルを持ってきてくれた。アルコールを持ってくるなんて、やるじゃないか童貞!……と思ったらアルコールは入っていなかった。そりゃそうか学生主催だもんな。
会場の隅で、壁にもたれながらパトリックとカクテルもどきを飲む。会場中央ではノリの良い曲が流れており、皆が楽しそうに踊っていた。その光景を目を細めて見ているものだから、私は苦笑しながら提案する。
「私の事はいいので、踊ってきたら如何です?暇でしょ?」
「お前としか踊らないし、お前といるから暇じゃない」
「では、何か話しませんか?」
「…………お前は、何か話はないのか」
「めんどくせぇ男すぎません?」
「何か言ったか?」
「床の包丁、取ってくれて有難うございました」
「絶対はぐらかしただろ」
ふーやれやれ、本音が出てしまった。しかし、このポンコツ男ぶりは生まれつきだろう。童貞とか鈍感とか関係ない。
……そういえば、パトリックは国立学校の生徒だし、ローガンの授業を受けているのだろうか?あの陰気臭い友人の事だ。生徒に気味悪がられていないだろうか?どうせ今は話す内容がないのだ。面白くはないと思うが聞いてみよう。
「パトリック様、学校ではローガンの評価はどうですか?」
「ランドバーク先生の…?」
「そうです。昔から根暗で陰気臭い友人なので、生徒に恐れられていないかと心配で」
付け加えた言葉に、パトリックは眉間に皺を寄せ始める。
「……先生は医学部担当だから、俺は授業を受けた事がない」
「医学部のご友人から何か聞いたりは?」
「……医学部に、知り合いはいない」
「そうかぁ、じゃあギルベルト様にも聞いてみようかなぁ。友達多そうですし」
私はカクテルを飲み干しながら、この会場にいるであろうギルバートを目で探した。……すると、パトリックからわざとらしいため息が聞こえる。再び彼を見ると、とても難しい顔をしてこちらを見ている。
「何かご不満でも?」
「……俺の…」
「俺の?」
言いかけた所で、黙る。
ので、今度は私が眉間に皺を寄せた。
「パトリック様、言いたい事があるならハッキリ言ってください」
「…………ない」
嘘つけ言え!モジモジするな!女々しいわ!
……なんて貴族様に言えるわけないので、私は優しく諭す事にした。
「私に話せない事なんですか?……パトリック様とは、貴族と平民ですが仲良くさせて頂けてると思っていたのに……私の思い込みだったんですね」
「…………」
眉を下げて、哀愁漂わせた表情で細々と話す。これぞ三十年で培った女の顔。どうだ可哀想だろう?罪悪感で苛まれるだろう?案の定奴は無言になる。よしよし。
だが、目線をチラリとパトリックへ向けると、先程までの難しい表情が更に険しくなっていた。てっきり慌てていると思ったのに。
彼はそのまま、小さく口を開く。
「……癖に」
「え?」
次の瞬間、思いっきり両肩を掴まれた。驚きと勢いで後ろにもつれそうになるが、パトリックの強い掴みで何とか倒れる事はない。
一体何なんだ!?思わず顔を顰め、窘めようとしたが……それよりも早く、奴は声を荒げた。
「仲良くしてると思っているなら!!他人行儀はやめろ!!」
「えっ」
「同じ貴族のローガン先生とは、もっと砕けて話してる癖に!俺には全く……俺にもあんな笑顔で……ああもう!!」
「…………あぁー?……」
成程、先程ローガンが耳打ちで伝えようとしていた事がわかった。それと同時に、友人が笑いを堪えている理由もわかった。
そりゃあ笑うわ。この目の前の男は、私が子爵家出身のローガンと親しくしていたのに嫉妬したのだ。それでいて、自分にも同じように接していないのは何故かと言っている。……馬鹿か?知り合ってたった半年で、次期公爵のお前と、貴族出身でも爵位を得る事がない子爵次男で、しかも三十年来の友と同等にできる訳ないだろ。
まぁ、ローガンと比べなければ、頭の回転が早くて、多少のおふざけにも乗ってくれて、悪魔の事も話せるパトリックは好ましいと思っている。最近は敬語だが、多少砕けて話せる様になった。偏屈な私にしては凄い進歩だ。
だが違うんだよ童貞、嫉妬して比べる相手が違うんだ。半年と三十年は無理だ。それにお前私の事好きだろ、友人ローガンみたいに接しろなんて無理だ。もし私がローガンの立場だったら、子供の可愛い嫉妬だと、同じ様に笑っていただろう。
いやぁ、恋とは人を盲目にさせる。地位があって、顔がいい男にここまで求められるのは、女冥利に尽きるとは思うが。
恥ずかしそうに顔を赤くするパトリックへ……否、面倒な童貞男へ。私は顔を引き攣らせた。
「いや……三十年来の友人相手に、嫉妬しないでくださいよ……」
「っ〜〜〜〜〜〜!!!」
勢いで言ってしまったことが恥ずかしいのか、パトリックは掴んだ肩を前後ろに激しく揺らす。おっと、また失言してしまった。
天井が、やけにキラキラしているね。レヴィス落ち着いてね。
あ〜〜早く年越してくれ〜〜。




