8 不貞
息を荒くして、手を舐めるメイドを私は無表情で見つめた。ゆっくりと繋がれた手を取ると、メイドは名残惜しそうに眉を下げる。
「スザンナ!!お前が母上を殺したのか!?」
パトリックは怒りで顔を歪めながら、スザンナと呼ばれたメイドの元へ向かおうとした。
だがその前にスザンナは、パトリックに向かって軽く手を払う様な仕草をした。その仕草で向かおうと立ち上がった彼は、不可思議な力に押されソファへ再び座る。急な感覚に、彼は驚きの表情を自分の体へ向けた。
スザンナは、そんな彼へ向けて無邪気に微笑む。
「坊っちゃま、邪魔をしないでくださいね」
私はスザンナを見つめた。先程のおどおどとしていた態度とは全く違い、こちらへ微笑む姿は、妖艶な印象を受ける。……それに手を触れずにパトリックを止めた姿。大きくため息を吐きながら相手を見た。
「……完全に体を乗っ取ってるって事は、契約で、スザンナの体を乗っ取ったの?」
「契約を知っていらっしゃるという事は、やはりイヴリン様も悪魔と契約していらっしゃるんですね?どうりで同種の匂いがすると思いました」
スザンナは自分の胸に手を当て、嘲笑うようにこちらを見た。
「この体の娘、大層この家に恨みを持っていたのです。「レントラー公と、公爵家を潰してほしい」それがこの娘の願い。私はそれを受け入れ公爵様の精神を壊し、そして譲り受けた体で、この屋敷のメイドになり奥様を殺しました」
悪魔は人を騙し欺く。だから夫人の侍女など、悪魔達は容易くその立場になる事ができる。私はパトリックを庇う為に彼の前へ立つ。
「どうして元凶の公爵様は生かしておいて、夫人を殺したの?」
「……ああ、奥様は「別の契約」で殺す必要があったのです」
……「別の契約」その相手も、その理由も私は知っている。
「……アルバートの母親」
スザンナは目を開きながら嬉しそうに両手を叩いた。静まり返った部屋にその叩く音だけが響く。
「素晴らしい!!その通りです。あの硝子職人の母親は、奥様の死を私に望みました。その訳は…………ふふっ!真面目な坊っちゃまが、知らない方がいいかもしれません」
下品ににやけるスザンナに、パトリックは睨みつけながらもう一度立ちあがった。そのまま私の肩を掴んで自分の後ろに追いやり、スザンナの前に立つ。どうやら守ろうとしてくれているらしい。身分差別が激しいパトリックがそんな事をすると思わず、目を大きく開いた。
「何故、アルバートの母親は母上の死を望んだんだ?」
睨みつけるパトリックに、スザンナは口元に手を添えながらにやけ続ける。……私はパトリックの背中に触れて、もう何度目か分からないため息を吐いた。あまり言いたくはないが、母親を殺した悪魔に告げられるより良いだろう。
「……アルバートと夫人は、男女の関係だったんです」
後ろから聞こえた私の言葉に、パトリックは体を一回震わせた。表情は見えないが、代わりに前にいたスザンナは顔をもっと歪め始める。
「ええ!ええそうです!奥様はあろう事に坊っちゃまよりも年下の少年と!坊ちゃまと半分も血が繋がった少年と愛し合ったのです!それを見た母親はそれはもう……嗚呼、嗚呼いいですね坊っちゃま!その顔!あの母親と一緒です!惨めですねぇ!?尊敬していた両親がまさか、とんだ阿婆擦れだったなんてお可哀想に!!」
挑発的に言葉を放つスザンナに、パトリックは何も言わずに下を向いていた。無理もない。父親だけではなく母親も不貞を行っていたのだから。
スザンナはゆっくりと近づいて、パトリックの顔を覗き込む。
「もしよろしければ、私がその憎しみのお手伝いをしましょうか?公爵様の意識を戻して、そして奥様を蘇らせて、皆纏めて嬲り殺しましょう?私ならそれが出来ます。私は坊っちゃまのお心のままに動きます。契約があれば決して裏切りません。……それに、今回の契約なら特別に、坊っちゃまからは対価を取りません」
覗き込んだ顔が、ゆっくりと後ろにいる私へ向けられる。スザンナの眼球は右左で歪な方向へ向き、口から涎のついた舌を出した。
「後ろの娘をください!貴族が命令すれば、平民を思いのままに動かせますでしょう!?この娘は本当にいい匂い!最初お会いした時から食べたくて食べたくて食べたくて!!体が震えるのを止められなかったんです!!契約している悪魔に取られる前に!この娘を骨をしゃぶるまで食い散らかしたい!!!」
スザンナはパトリックにもたれ掛かるように抱きつき、右手は私へ触れようと伸ばした。ひどい異臭がする。今まで体の中に隠していたこの悪魔の匂いだろう。
あともう少しで私の口先に触れようとしたが、結局その手は届く事はなかった。
「ふざけるな!!!俺は父上達とは違う!!」
スザンナの体を引き剥がし、そのまま私を抱き込んだ。力強い腕だが、小さく震えている。
「俺は自分の為に、他人を駒のように使わない!!自分の欲のために使わない!!人の上に立つ貴族として!領民を守り盾となる為に、俺は生きているんだ!!」
きつく抱き込み自分を守るパトリックは、曇りもない真っ直ぐな目だった。
スザンナは後ろに下がり、自分の誘惑に耐え切ったパトリックへ怒りの表情を向ける。
……私は、パトリックの事を勘違いしていた。思わず苦笑いして、心を落ち着けるために深呼吸をする。
そして、ずっと赤い瞳でこちらを見ていた、私の悪魔へ声をかけた。
悪魔は相変わらず無表情で、付けていた革袋を外した。
「サリエル、悪魔を見つけたよ」
「はい、ご主人様」
パトリックは、急にサリエルに話しかけた私に、驚いた表情を向ける。
だが、その直後スザンナの叫び声が聞こえた。その方向を見れば、先程まで後ろ奥にいたサリエルが、スザンナの胸に手を刺している。
スザンナの胸から、腐った血が溢れ床にボタボタと落ちていった。
パトリックは今起きている光景に驚き、声を出せずにした。
サリエルは変わらぬ表情で、ゆっくりとスザンナへ語りかけた。
「二重契約は規則違反だ。……地獄で、あの方に罰を受けろ」
口から腐った血を出しながら、スザンナはサリエルの赤い瞳を見た。……暫くして、それは驚愕の表情になった。
「……お、お前………サ、サマエ……………」
全てを言う前に、サリエルは心臓に刺した手を抜く。そのまま倒れたスザンナは、身体中から青色の炎を出し燃えていった。
抜き取った手の中には、まだ動く心臓の塊が握られている。
サリエルは顔を近づけ匂いをかいたが、少し眉を顰めたと思えば心臓を炎の中へ投げ込む。匂いを吐き出すようにため息を溢した。
「なんて不味そうな」
全てを見ていたパトリックは唖然としているのか、抱きしめる体が緩んだので私は離れた。ハンカチで手を拭い、革袋を付け直すサリエルの前へ行く。
「今日もきっちりと、三日間で見つけれたね」
微笑みながらサリエルへ告げると、彼は無表情だった顔を歪め、そして目線を横に舌打ちをした。