85 とりあえず、栞を挟みましょう
僕が他国の敵兵に誘拐された事件は、全て無かった事として処理されるらしい。
それが最善だろう、次期王が公務中に誘拐されたなんて公になれば、護衛にあたっていた近衛兵は皆死刑だ。
そもそも、僕がイヴリンに会いたくて勝手に抜け出したのが悪い、彼らは何も悪くない。幸運な事に敵兵の船も、領地で起きた災害の所為で海に沈んでいる。後は皆黙ってしまえば、証拠は何もないのだ。
それよりも突然起きた、旧ハリス領地での災害の処理だ。あの後現地で指示を出してから、パトリックと共に城に戻り処理に追われている。父上の助言も借りながら、なんとかこれ以上の被害が出ない方法を予算内で決める事が出来た。
旧ハリス領地から戻って数日、僕もパトリックも全く寝ていない。疲労はあるが、それ以上に処理が山積みだったのだ。
ようやく全ての処理が終わった所で、パトリックから大きなため息が溢れた。彼らしくないその行為に、思わず笑ってしまう。だがパトリックの方は無意識だったらしく、少し頬を赤くして目線を下げた。
「……申し訳ございません」
「ここまで全然寝てないんだから、しょうがないよ」
城に帰ってから一睡もしていないのだ。流石の彼も疲れているだろう。これ以上は処理するものもないし、今日はお互い休む為にも解散しよう。
そう思い彼へ話そうとしたが、再び顔を向けると、パトリックはこちらを真剣な表情で見ていた。どうしたのだと首を傾げるが、彼からは何の言葉もない。
……暫く、その表情で僕を見つめていたが、やがて深呼吸を何回もして、口をゆっくりと開く。
「今度、国立学校にて年越しパーティーが開かれるのはご存知でしょうか?」
「そりゃあ、毎年の事だから知っているけど……それが何か?」
「今年はパートナーで、ミス・イヴリンを誘いました。……彼女も、応じてくれています」
パトリックから語られる言葉に、うまく反応が出来なかった。
ただ、彼が僕にそれを告げる意味は、今までのイヴリンに向けていた目線や言葉でなんとなく察していた。
何も声が出せない僕に、パトリックは碧眼を真っ直ぐ此方へ向けている。
「………俺は、イヴリンが好きです」
どうした、早く当たり障りのない言葉を言え。
普段通りに温厚に、笑顔を見せてやれ。
僕は次期王だ。こんな事で素を出す必要はない。
嗚呼、駄目だ。こんな顔じゃあ、イヴリンに見せれない。
《 85 とりあえず、栞を挟みましょう 》
現在、私は自室のベッドの上で、物凄い機嫌の良いレヴィスさんにパン粥を食べさせられている。
最高にパン粥は美味いが、せめて自分で食べるのであーんしないで欲しい。無理矢理口に突っ込むな。痛いわ。
レヴィスさんはパン粥を口にぐいぐい突っ込みながら、美しい顔を微笑ませる。
「昨日はいっぱい頑張ったから、今日はゆっくりしような」
「ねぇ、私昨日何を頑張ったの」
「主は今日も可愛いな」
「おい話聞いてるか?」
「全く、主はどれだけ俺を夢中にさせるんだ?監禁するぞ?」
「ちょっと言ってる意味分かんねぇな」
駄目だ、この悪魔話通じねぇ。
だがこんな調子なのはレヴィスだけでなく、他の使用人悪魔達も同じ状態なのだ。
フォルとステラはベッドによじ登り腰に纏わりついており、まるで子犬だ。ケリスは屋敷の掃除をしているのだろうが、この部屋からも聞こえる程の大声で鼻歌を歌いながらしている。もはや鼻歌のレベルではない。サリエルは側で薬草茶を淹れてくれている。無表情だが周囲に花畑が見える、これが一番怖い。
勝手に抜け出して、男の家で寝泊まりしていたのに。何故か悪魔達は上機嫌……何故だ?普段なら縄で縛られたり、ジョンのいる地下牢に監禁したりするのに。
「……何故皆、怒らないんだ……?」
「ご主人さまぁ、この前はいじわるしてごめんねぇ」
「ごめんねーご主人さまー」
腰に纏わりつくフォルとステラが、潤んだ瞳で上目遣いしながら謝罪をしている。よし、可愛い許す。
パン粥をスプーンで掬い差し出すレヴィスは、私へ頬を赤めらせ、恍惚とした表情を見せた。
「最高だったな……もう主人が可愛くて可愛くて…………旨くて」
「おい待て最後なんだ」
「ご主人さま、すっっっごく美味しかったぁ……」
「さいっこーだったー……」
何なんだこのうっとり顔の三人は。馬車の中で喰われた時の事か?……駄目だ、恐らくその後色々あったのだろうが、久しぶりの酒で記憶が吹っ飛んでいる様だ。
そもそもどうやって戻ってきた?エドガー様と東区のリストランテで食事をしてから、一体何があった?貴族出身のエドガーに何しちゃった?詫びの菓子で許される程度か?
私が唸りながら考えていると、サリエルが目の前に薬草茶を差し出してくれる。漢方みたいなものだろうか?いつもの紅茶には及ばないが良い匂いだ。……うん?そういえば何故紅茶じゃないの?
「ご主人様、どうぞお飲みください」
「あ、ありがとう……?」
そう言えば、私の部屋はこんな甘ったるい匂いがしたか?
何故私は、破廉恥ネグリジェを着ている?
何故、ベッドシーツが新しいものにされている?
…………うん?着替えているだと?
服を着替えたという事は、昨夜服のポケットに入れていた財布が見つかった可能性がある。
私は慌てて腰にくっつく二人を離し、クローゼットに掛けられた服を確認しようとベッドから降りた。
「んぎゃっ!?」
だが、ベッドから降りた途端、私の体は力が入らずに床に倒れる。立ちあがろうにも、まるで生まれたての子鹿の様に震えてしまう。
何故力が出ない……いや!今はそれよりも財布だ!金だ!!せめてポケットにあるかだけでも分かれば、後は皆がいなくなった後に隠せばいい!!
私が倒れた事で慌ててフォルとステラが駆け寄り、労わるように腰を触れてくる。
「ご主人さま大丈夫ぅ!?」
「何かひつよーならもってくるよー!」
「ふ、ふく………ふく………」
必死にクローゼットへ手を伸ばすが、それを阻止する様に目の前にサリエルが現れた。
奴はしゃがみ、使用人服の内ポケットから年季の入った革財布を出した。あっれぇ?見た事あるお財布だなぁ?………私のじゃねーか!!
「な、何故!?おおお前がッ……それを!?」
震えながら出した私の叫びに、サリエルは首を傾げた。
「どうでも良いでしょう?これはもう、ご主人様には必要ないのですから」
取り返そうと必死に起きあがろうとしたが、サリエルの持っていた私の財布は、突然飛んできた炎によって包まれてしまう。財布は革で燃えにくい筈なのに、炎は一瞬で中身もろとも消し炭にしてくれた。
パラパラとサリエルの手から落ちる炭に、衝撃と絶望で言葉が出ない。そのまま呆然としていると、突然後ろから掴まれ体が宙に浮いた。後ろから甘い香水の匂いと、色気のあるため息が聞こえる。
「こら、まだパン粥食べてないだろ」
呆れた表情のレヴィスは、そのまま再び私をベッドの上に強制的に移動させた。なぁ、今の炎ってお前だよな?楽しかったか私のお金を灰にして?
ベッドの上に座れば、待ち構えていたフォルとステラが寝具を被せてくる。そのまま両側に座り甘えるように擦り付いてきた。可愛い。
しかしそんな事より、私の金だ。あの財布が見つかったという事は横領がバレたらしい。最悪だ、私の自由に出来る金は今後一切ないだろう。東区の苺パフェ食べに行きたかったのに。
再びパン粥を口に突っ込まれていると、部屋の扉がノックも無しに勢いよく開いた。開いた先には掃除道具を持ったケリスがおり、私を見つけると凄まじい鼻息と共に突進してくる。
「おはようございますご主人様!屋敷の掃除が終わりましたので、ご主人様の匂いを嗅ぎにまいりましたわ!」
「掃除お疲れ様、どうしてそうなった」
「嗚呼、ご主人様ッ!昨夜の様にいやらしい甘い声で!私の名前を呼んでくださっても宜しいのですよ!?」
「頭大丈夫か馬鹿メイド」
「ああんもう!つれないんですから!昨夜はあんな事した仲ですのにぃん!」
腰をくねらせる変態メイドに、私は顔を引き攣らせ鳥肌が立つ。
それと同時に、昨夜どんな事があったのか、どうして怒り心頭の筈の悪魔達がここまで機嫌がいいのかを……完全に理解した。
私は体を震わせながら、周りにいる悪魔達へ大声で叫んだ。
「け、契約違反じゃん!」
「いいえ、ご主人様が自ら僕達に願ってきたんです」
「そうだな、帰ってきた主がドレスをたくし上げて「卑しい私に罰ください」っておねだりしてきたんだぞ?……そんな事されたら、そりゃあ犯すしかないだろ?喰うしかないだろ?」
「すっごくかわいかったよぉ!」
「すごーくこーふんしたよー!」
「ええ!ええ!昨夜私達は、最高の時間を過ごせましたわ!思い描いた通りの方法で!むしろ想像以上でしたわ!」
皆各々嬉しそうに教えてくれるが、全く記憶がない。
まさか、最近悪魔達の性欲を受け止めすぎて、私は本当に淫乱になってしまったのか?そんな欲が酒で解放されてしまったのか?
………いや、私は今すぐに確認する事がある。吐き出す言葉の緊張から大きく深呼吸をした後に、私は悪魔達へ深刻な表情を向けた。
「……私、処女喪失できたの?」
重大な質問に、悪魔達はそれぞれ別の方向を見た。
……あっ、これ絶対に誰が奪うか喧嘩して、結局出来なかったやつだ。馬鹿すぎる。
「ノアの方舟編」はこれにて一応終了です。
次回は聖夜の小話挟んでからの「年越し編」です。




