82 最低で滑稽な行為
燃え盛る炎の中、僕は腐った人間の上を歩いていく。
歩いた先に待ち受けていたのは、かつて友だった男。腕と脚は捥げ上位の悪魔に喰われたのだ。
かろうじて呼吸をしているが、それもあと少しで途絶えるのだろう。男もそれが分かっているのか、壁にもたれながら、ただ消滅を待っていた。
僕は男の前で立ち止まり、小さく呟いた。
「どうやら君の悲願は、叶わなかったみたいだね」
声に反応して、ゆっくりとウリエルは顔を上げた。その表情は酷く虚で……僕の知っていた、あの勇敢な天使の面影は何処にも無かった。
彼は震える唇を動かし、絞り出す様に声を出した。
「……ガブリ……エル……」
「昔の君は、こんな馬鹿げた事を考える人じゃなかったのに。随分と無様な姿だ」
「主の……試練……だ」
「いいや違う、主は君に試練を与えていない。君には何の期待もしていない」
最後の言葉で、正気を失っていた目に怒りが浮かび上がる。僕はその滑稽な姿にため息を吐いて、床に敷き詰められた屍の顔面を、苛立ちを抑える為に踏み潰した。
「神の創造した人間を殺し続け、弄り続けたんだ。……それでも、主は信じ続けていたけど……でも君は「禁忌」に触れた。だから主は、君を完全に見限る事にしたんだ」
ウリエルの目の前で手を翳せば、主の光と共に短剣が現れる。
錆びれもない銀の短剣の柄を掴み、彼の目の前にしゃがんだ。
ウリエルは目を大きく開き、僕の言葉の意味を知る。
なんて馬鹿な天使なのだろう。
僕の存在を早くから気づいていて、僕が彼女を気にかけていたのにも気づいていたのに。
「……あの……悪魔と契約、した……人間は……」
「さよならウリエル。……我が友よ」
僕は、ウリエルの心臓を突き刺した。
友は、炎に消えた。
◆◆◆
あの後、意識を失っていたルークは、ケリスの治癒によって目を覚ました。
自分が昨夜、約束を破った為にこうなったのだ。どんな罰でも受け入れようと思っていたが、ルークは「自分にも責任がある」と笑って許してくれた。
だが約束を破った事は事実なので、今度お忍びの中央区の訪問に、私も付いてきて欲しいと命令される。まぁつまりはお忍びデートだ。後ろでケリスの歯軋りが五月蝿かったが、断る理由が思いつかないし、今回の件では此方が悪いのだ。従うしかないのだよ。だから歯軋りを止めろ馬鹿メイド。
方舟は炎で灰となり、海へ沈んでいく。炎の煙で香る強烈な匂いは、恐らく焼かれた死体の匂いだろう。……結局、全員を家族の元へ帰す事は出来なさそうだ。
完全に沈んだ所で、レヴィスが海から岸へ歩いて来た。海から出てきたのに体も服も濡れていない。レヴィスは邪魔そうに前髪を掻き上げた。
「嗚呼もう、最悪だ!腐った人間の匂いが付いた気がする」
顔を顰めながら鼻を動かすレヴィスに、フォルとステラは顔を膨らませながら駆け寄り、奴の腰あたりをバシバシと叩いている。
「もぉ!僕がたすけなかったら、王子さま丸焦げだったよぉ!」
「レヴィスのばかー!」
「はぁ?別に焦げようがどうなろうが、後で治せばいいだろ?」
「丸焦げ王子さま見つけるの面倒臭いよぉ!」
「面倒だよー!」
……まぁ、色々言いたい気持ちはあるが、ルークを無事に救出する事が出来たので良しとしよう。レヴィスがあんな目立っちゃったお陰で、サリエルが舌打ちをしながら周りの人間の記憶を消しているが、それは後で存分に怒られるがいい。私は知らん。
レヴィス達の姿を遠目から見ていると、誰かに後ろから肩を掴まれる。振り向くとそこには、先程から状況確認やら事後処理で奔走しているパトリックがいた。
「城からの応援が来た。後の事は任せて、お前は家に戻れ」
「え……でも殿下は」
「殿下も城に戻って頂きたいが、旧ハリス領地で起きた災害の確認をされたいそうだ。俺やウィンター公と共に残って、状況と国からの支援の確認をする」
……あんな事があったのに、ちゃんと王太子としての役割を行おうとしている。ルークは本当に、私の知らない間に成長をしている。十五歳で今回の公務は早過ぎるのでは、なんて思っていた自分が馬鹿らしい。
天使は先程から見ていないが、恐らく神に頼まれた仕事でもしているのだろうか?あの天使は、今回の目的の為だけにウィンター公に成りすましているとは思えない。……それに、奴は本当にルークとウリエルを出会わせる事だけに、今回の訪問を提案したのか?今回の騒動は、ウリエルを始末する以外の、何かがある様に思えてしまう。
まぁそれでも、平民の私がここに居ても、パトリックの様に働けるわけでもないのだ。私はパトリックに提案された事に素直に頷く。
だがパトリックは、そんな私を真顔で見つめている。……一体どうしたのだ?そう思っていたが、彼は躊躇う様に口を開いた。
「今回は、お前の使用人達に助けられた。だが……何故あの悪魔達は、殿下を助けたんだ?違法悪魔と、お前を守る以外では力を使わないと思っていたが」
「…………えっ、と」
「お前、あの悪魔達と何を約束した?」
……本当に、本当にこの男は聡い。アーサーや、あのローガンよりも聡い。私が三十年で知り合った人間の中で、一番聡いかもしれない。
どんどん険しい表情になっているのも、私を心配しての事だろう。……ガキンチョに心配されるとは、情けないものだ。だが、何故かそれが嬉しいと思ってしまう。あーやれやれ、自分が思っているよりこのガキンチョを好んでいるらしい。何歳差だよ?ふざけんな。
真実を話そうか悩んでいると、記憶の改ざんを終わらせたサリエルが、革手袋を付けながら此方へやって来た。表情は普段通り無表情だったが、パトリックが側にいると分かれば、やや口端が引き攣った。
「ご主人様、屋敷に帰りましょう。今日はやる事が多いのですから、時間も惜しいです」
「分かってるって、じゃあ馬車の準備しておいてよ」
「ケリスがもう済ませていますし、荷物も馬車に詰め終わっています」
流石ケリス、仕事が早過ぎる。
悪魔達のあまりの急かす態度に思わず、小さくため息を吐いた。
それを聞いたサリエルは、眉間に一瞬皺を寄せる。
「ご主人様、まさか逃げるなんて言わないですよね?僕達は契約を守り、クソ王子を助けたんですから」
「……だから、分かってるって」
「なら早く、そんな使えない悪魔もどきと話してないで、馬車に乗ってください」
あまりの急かし様と、自分を心配してくれているパトリックへの侮辱に腹が立った。主として、馬鹿悪魔に説教でもしてやろうと正面に立ち、睨み付け様としたが……それは突然、横から強く腕を掴む痛みで叶わなかった。
先程までフォルやステラと仲睦まじく話していたレヴィスが、小綺麗な顔を下品に歪ませて此方を見ている。あまりのその顔付きに、何年振りかの悪魔への恐怖が押し寄せた。
レヴィスは掴んだ腕を口元に寄せ、唇を当てる様に囁く。
「なぁ、俺達も主には優しくしたいんだ。主だって痛くて泣くより、気持ち良くて泣く方がいいだろ?」
出来る限り優しく囁いてくれているが、興奮で鼻息が荒くなっている。それは他の悪魔達も同じで、皆対価に胸を躍らせている様だ。本当に趣味が悪い悪魔達だ。
対価は対価だ、逃げるつもりもない。むしろ三十年間この状況にならなかった事を褒めたい位だ。……あーでも、この悪魔共をこのまま調子良くさせるのも腹が立つな。何かないか?この脳筋悪魔達の鼻をへし折る行為は………………
…………嗚呼、そうだ。良い事を思いついた。
◆◆◆
この悪魔達が、契約や自分達の得以外で動くとは思えない。それは散々イヴリンから聞いた話で知っていたし、俺もその通りだと思っている。
だが今回は、その悪魔達が率先して殿下を救った。……絶対に裏がある、その真相をイヴリンへ聞こうとするが、彼女の代わりに悪魔達に教えられた。
……イヴリンは、殿下を助ける為に自分を犠牲にしたのだ。
それも悪魔達の興奮具合からして、悍ましい程の犠牲を対価にしたのだろう。
悪魔達に急かされ、混乱の真っ只中で公務をする殿下の代わりに、彼女を見送る為に馬車の前まで付いて行った。普段なら舌打ちの一つや二つ鳴りそうだが、悪魔達は余程機嫌が良いのか何もなかった。
巨大な黒い馬が引く馬車に、悪魔達は和気藹々と話しながら乗り込んでいく。その機嫌の良い理由が、目の前の彼女の犠牲の上だと思うほど、胸糞が悪く歯軋りが出てしまう。
そんな俺を見て、イヴリンは普段通り意地悪そうに笑う。
「まさか、あのパトリック様が私の為にこんなに怒ってくれるなんて。数ヶ月前は思いもしませんでした」
「……出会って最初の俺は、お前が殿下を誑かす卑しい女だと信じていたからな」
「あながち間違いじゃないですけど」
そう言って乾いた笑い声を出すイヴリンは、悪魔が待つ、薄暗い馬車の入り口を背にして俺を見つめた。どこか、澄んだ表情だからだろう。先程の言葉を否定したいが、その声が喉から出る事はなかった。
イヴリンは、ゆっくりと口を開いた。
「パトリック様。……私は屋敷に帰ったら、後ろの悪魔達に小綺麗にされて、とびっきりの服を着せられて……それで、犯され喰われるみたいです」
「…………そうだな」
「死んでもまた蘇らせてくれるでしょうし。痛みもなく、気持ち良くしてくれるみたいですよ」
「………………そうか」
争いようがない未来に、俺は手に力が入っていく。
どうして彼女は、そうなる前に俺に相談してくれなかったのだろう。……否、どうして俺は、彼女を助けてやれなかったのだろう。
なんとなく、自分が入れない溝がある事は知っていた。だからこそ見取り図を取りに行って、話が終わるのを廊下で待っていた。……だが、今は過去の俺の行動に後悔しかない。
今の俺の顔は、随分と滑稽なものだろう。顔を隠す様に下を向こうとするが、その行為はイヴリンの手が頬に触れる事によって叶わなかった。
再び見た彼女は、あの時と同じく妖艶な笑みを溢していた。久しぶり見るその表情に、心臓は煩く呼吸が浅くなっていく。
「パトリック様は、私が知っている人間の中で一番賢く、理解が早い人です。……だから私がこの先も永遠に、貴方や殿下達の想いに応えないのは分かっていますね?」
「は…………」
「その上で、私に一度だけ。後ろの悪魔達を愚弄する機会をくれませんか?」
小声で語られる言葉は甘く、頬に触れた手は、後ろの悪魔達に見えない様に、ゆっくりと唇に添わされていく。
……何を言っているのか、分かりたくない。それに自分の気持ちを、自分以外の人間が……ましてや彼女が答えを見つけていたなんて、分かりたくない。
答えを俺に教えた上で、俺の想いには応えないと言うのだ。使うだけ使って捨てようとする、この悪女が憎らしくて堪らない。
「お、俺は……」
「パトリック様貴族ですし、別に嫌なら断ってくれていいですからね」
無邪気にそう伝えるこの魔女にとって、俺は替えの効く駒の様な存在なのだ。
嗚呼なんて憎らしい、なのに何故こうも……求められた事が嬉しいのだろう。
耐える表情が肯定と取られたのか、妖艶な魔女は俺に口付けをした。深く唇が繋がる度に、彼女の背後から獣の唸り声が聞こえる。
俺は見せつける様に彼女を抱きしめ、慣れない口付けに必死に応えた。
どう息継ぎをすれば良いのか分からず、苦しさで脳が溶けそうだ。……暫くしてようやく離れた彼女の唇は、俺の表情を見て弧を描いた。
「へぇ、夢の中よりもお上手ですね」
「……夢……って……」
その時、薄暗い馬車の中から、何本かの手が出てきた。
幼い子供の手や、汗が滴る手、筋が見える手。様々な手たちはイヴリンを後ろから掴む。彼女が顔を歪ませているので、かなり強い力なのだろう。
無数の掴んでいる、怒りをもった手を見て。
彼女は声を出して、狂ったように大笑いした。
「小綺麗にして飾り付けて喰うだの!気持ち良くしてやるだぁ!?馬鹿馬鹿しいんだよ!!」
初めて見た彼女の激昂した表情に、囃し立てる罵声に。目が離せない。
「私の事を肉としか思っていない奴らだったのに、三十年で随分と人間らしい事を言う様になったな!?化け物は化け物らしく喰ってろこの馬鹿共!!お優しい豚が焚き付けてやったんだかッ」
それ以上の言葉は、蛇の皮膚を持った手がイヴリンの首を締めた事で、無理矢理止められてしまった。
手の持ち主は、暗い馬車の中でも分かる赤い目の瞳孔を細くし、怒りで荒々しく呼吸をしている。その恐ろしい目つきに、俺は恐怖で歯が震えてしまう。
彼女の首を絞めたまま、その手はイヴリンを暗闇の馬車の中へ招き入れた。
馬車の中へ彼女を入れると、扉は強く締まり、御者の居ない馬車は進んで行く。
どんどん離れていく馬車を見つめながら、俺は小さくため息を吐いた。
……あの最悪で、滑稽で痴女染みた口付けは、一生忘れられないだろう。
それに、一度で終わらせるつもりなんて、俺は微塵もないのだ。
〜ちまちま自己紹介〜
パトリック・レントラー 年齢19歳//身長170後半
⇨レントラー公爵家次期当主。物凄い堅物真面目で有名だったが、イヴリンと出会ってから柔らかくなったらしい。両親が起こした不祥事を受け止め、次期当主として立派になろうと日々努力している。この作品の中で唯一の病んでない登場人物かもしれない。夢魔の血を持っているが、本人の意思ではなく無意識でしか力を使えない。(現在サリエルくんにより、力を封印されている)
好きな食べ物はグラタン、嫌いな食べ物はピーマン




