81 舌打ち
突然、体が倒れる程の揺れと、耳が可笑しくなりそうな程の爆発音が響く。
男も予想外の出来事だったのか、驚き衝撃で短剣を離してしまった。カラカラと床に落ちる短剣、その一瞬の好機を逃さず、僕は短剣を拾い上げ男から離れた。
辺りに窓も出口も見当たらないが、この大量の死体と自分を連れてきたのだ。必ず隠された出入りできる扉があるだろう。
ゆっくりと此方へ顔を向ける男を、僕は鋭く睨みつけ叫んだ。
「ここからの出口を教えろ!!」
例え男が他の武器を持っていたとしても、足掻いてここから脱出する。命さえあればいい、それさえあれば国は続けていく事が出来る。
僕の命は僕のものじゃない、国のものだ。絶対にここで死ぬ訳にはいかない。
怒声を上げる僕へ、男は虚な目を細めて笑う。そのまま何も武器を持たずに、ゆっくりと此方へ近づいてくるのだ。
……本当に狂っている男だ。こんな男に対して何故か、底知れない恐怖が手を震わせてくる。それが腹立たしくて、何年振りか分からない舌打ちをした。
近づく男から離れようと、再び後ろへ下がった時。……ふと、背中に這うような呻き声が聞こえた。そして、その音がどんどんと此方へ近づいて来ているのが分かった。
直後、部屋の木造の壁が大きな音を出して砕けていく。
砕けた場所から、巨大な化け物が海水と共に現れた。
海水と共に現れた……あれは鮫だ、それもなんて醜い、恐ろしい姿の鮫だろう。
鰭は裂け、肌も薄汚れて不気味だ。普通の鮫よりも大きな目は、充血をしながらギョロギョロと忙しなく動いている。口からは無数の鋭い牙が見えているが、だらしなく口は開き涎が垂れ、それが更に醜さを際立たせていた。
化け物は大きく口を開け、驚愕の表情を向ける男を喰った。ブチブチと肉が千切れる音と、男の断末魔の様な叫び声が部屋に響いている。大量の血飛沫と、千切れた腕が僕の目の前で落ちてくる。
あまりの恐怖で固まっていると、鮫は此方へ目を向けた。
自分も喰われるのではと意識を戻し、先程よりも震える手で短剣を向ける。……だが、鮫は引き千切られた男を別方向へ投げ飛ばした。
高く投げ飛ばされた男につい目を向けると、服の裾を引っ張る感触がした。
再び鮫のいた目の前を見れば……そこには鮫ではなく、イヴリンの屋敷に見習いで働く少年がいた。
少年は此方へ、無邪気な笑顔を向けながら口を開いた。
「王子さま!おむかえに来たよぉ!」
「……君は……どうやって……」
その問いかけに少年は頷き、小さな手は僕の腕を掴んだ。
「ご主人さまが待ってるよ、早く帰ろぉ?」
そう言いながら引っ張ってくるが、穴の開いた場所から見える景色は案の定海だ。それも岸からかなり離れているらしく、とても少年一人では辿り着けないだろう。
だがこの少年がここにいるという事は、もしや他に応援がいるのだろうか?……イヴリンじゃないだろうか?もしそうであれば、彼女にこんな場所を見せる訳にはいかない。
「ね、ねぇ、もしかしてイヴリ……」
少年に掛けた声は、突然の猛烈な眠気によって最後まで言えなかった。
そのまま後ろへ倒れる僕を、誰かが受け止めている。
その誰かは、苛立った様に小さく息を吐いた。
「……契約さえ無ければ、この恨めしい豚を殺せたのに……本当に残念だ」
よかった、少年はイヴリンと一緒ではなかった様だ。何を呟いているのかは聞こえないが、この低い声の男性は誰だろうか?連れてきた近衛兵にも、こんな声の者はいなかった気がするが……。
声の主に、僕はどうやら横抱きをされながら救助されているらしい。
……早くイヴリンに会いたい。そして彼女に少し拗ねてみよう。
彼女が慌てている姿を想像して、僕は小さく笑った。
◆◆◆
娘の使用人達が、皆悪魔だという事実は分かっているつもりでいた。
執事の男には舞踏会でその鱗片を見せつけられたのだ。あの美しい顔の裏に、皆恐ろしい素顔を隠しているのだと。
「…………だが、これは隠しすぎだろう」
天気は曇り、海は嵐のように大荒れの状態。その中心には巨大な竜がいる。口から炎を出し、息を忘れるほどの恐ろしい姿。……あの竜は、先程の娘の言葉からして料理人らしい。自分の見ている光景が信じられない。
殿下の乗せられている船ごと燃やすものだから慌てたが、どうやらもう一人の見習いが救出した様だ。海から急に不気味な鮫が現れた時は心臓が止まったし、牙まみれの口の中から殿下が出された時は気を失いそうになった。
「殿下!!!」
娘は口から出された殿下を抱きとめ、激しい勢いで揺らしている。その所為で意識がないのに、殿下は顔をどんどん真っ青にさせていった。
鮫の姿から人型に戻った少年見習いは、俺の隣にいる少女見習いに手を振った。その表情は清々しい程の笑顔だ。
「ステラー!やっぱり敵の腕と足まずかったよぉ!」
「やっぱり天使はたべれないかーざんねーん」
見習い二人の話している内容は無視して、俺は殿下と娘の側へ駆け寄った。あのまま娘に揺らされたままでは、殿下は一生意識が戻らなくなるかもしれない。
「イヴリン、殿下を此方に寄越せ。屋敷は崩れたが馬車は無事だから、そこで休ませよう」
俺の提案に、殿下を揺らすのを止めて此方を向く。だが、まさか娘が泣いていると思わなかった俺は、娘の見た事もない萎れた表情に驚いた。
抱きしめる殿下からゆっくりと離れ、娘は涙を浮かべたまま頷いた。
「わ、わかりました……パトリック様、お願いします」
「……分かった」
……妙だ、殿下が救えて喜ぶ筈なのに、腹立たしくてならない。娘の表情が殿下を想っての事だと理解すればする程、今までなかった感情が芽生えてくる。
恐らく、自分が一番側にいた殿下の近くに、この娘がいる事が許せないのだろうか?殿下と俺の間にある絶対的な信頼関係を、この娘が崩していく事が恐ろしいのだろうか?
だが、それは今考える事ではない。俺は殿下を背負い、馬車のある旧ハリス邸へと歩き出した。
娘も当然付いてくると思ったが、それはあの執事の所為で止められる。
「ご主人様、早く屋敷に帰りましょう」
「……せめて、殿下がちゃんと無事かどうか確かめさせてよ」
執事は後ろから娘に擦り寄り、普段とは全く違う艶かしい表情で、娘の首筋に口付けを落とした。娘はそれを酷く不愉快そうにしながらも、素直に受け入れている。
まるで蛇の様に絡まる執事は、美しい赤目を此方へ一瞬向けた。
ブチリ、そう頭で音が鳴った。
此方に見せつける様に娘と戯れるあの執事を、殺したいとさえ思った。
「……意味が分からない」
初めての感情に、その感情の意味の答えが見つからない。
……俺が一番にすべき事は、次期王を介抱する事だ。
俺は今、それよりも何をしようとしている?
何を求めようとしているんだ?
誰にも気づかれない様に、俺は小さく舌打ちをした。
〜ちまちま自己紹介〜
ルーク・ウィリエ・ルドニア 年齢15歳//身長160後半
⇨ルドニア国の王太子。10歳の時に父親と同じ不治の病に罹った所を、イヴリンによって助けられた。心優しい青年だが、腹黒い所もある。イヴリンに好意を抱いているのは隠さないし、例え彼女が自分の事をどうと思っていなくても、彼女が伴侶にならない未来を考えていない。
好きな食べ物はハンバーグ、嫌いな食べ物はなし




