79 通路が一本道だと、誰が言った?
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契約者と悪魔の取引は、双方が同意すれば変更や新たな契約をする事が出来る。
私はそれを使い、五人の悪魔達と新たに契約を結んだ。
サリエルから受け取った、三十年ぶりに見る羊皮紙。あの一度きりだと思ったが、まさか再び書く事になるとは思わなかった。
……そこに書かれた内容を見て、私は小さくため息を吐く。その態度にサリエルは面白くないのか、眉間に皺を寄せた。
「怖気付きましたか?」
「違う。名前どっちがいいのかと思ったの」
「どちらでもいいです。ご主人様が「署名した」事が重要なので」
どっちでもいいならお前が決めてほしいんだが。どちらにすれば良いか悩んでいると、後ろからレヴィスが抱きついてくる。勢いと抱き締める力が強すぎて、思わず呻き声を上げた。
「うぐっ」
「早く署名しろよ。まさか前みたいに、ここから三日考えるとかないよな?」
「そんな事してたら殿下殺されるでしょ」
「なら早くしてくれよ、俺は今すぐにでもアンタを可愛がりたいんだ」
耳元に囁かれる熱を持ったため息と、ねちっこく下腹部を触ってくるのが気色悪い。お前、それ顔面がいいから許されるんだぞ。
早く離してもらう為にも済まそうと、私は今の自分の名前を署名した。万年筆を動かす私を、レヴィスはご機嫌に顔を頭に擦り寄せながら眺める。まるで猫みたいだ、魚の癖に。
署名が終わると羊皮紙は青い炎に包まれて燃えていく。燃やすなら何で署名させるんだと思うが、これで契約成立らしい。
契約書の燃える青い炎を、五人の悪魔達は各々嬉しそうに見つめている。
「屋敷に帰ったら、ご主人様のお体を清めなければ」
「途中でバテないように、食事も精がつくものにしなきゃな」
「ベッドのシーツも新しいのにしなきゃねぇ」
「いい香りのアロマも焚こうー!」
「ご主人様には、とびっきりの衣装を着ていただかないと!」
今契約したばかりなのに、もう対価を受け取る際の話をしている。どうやら私は綺麗にラッピングをされてから喰われるらしい。案外ロマンチストだな悪魔って。
悪魔達の姿に顔を引き攣らせていると、窓際でその光景を見ていたゲイブと目があった。表情は穏やかなものだが、口元では歯軋りと偶に舌打ちが出ている。……先程から相当怒っている。理由は分からないが、あまり触れないでおこう。
【 79 通路が一本道だと、誰が言った? 】
さて、これで使用人達は言う事を聞く様になったので、ルーク捜索を本格的に行える。
天使と悪魔達がルークの気配を辿ると言っても、契約もしていない人間を、ましてやこの広大な屋敷と土地で見つけるのには時間がかかる。せめてどの辺りなのか目星をつける必要があるだろう。
そう考えていると、丁度その時扉のノックが鳴った。
中に入ってきたのはパトリックで、どうやら頼んでいた見取り図を持ってきてくれた様だ。タイミングがいい所からして、廊下で入る頃合いを見計らっていたのだろう。
パトリックから見取り図を受け取った私は、執務机の前にある来客用のテーブルに広げる。羊皮紙に描かれた見取り図は、保管がしっかりされていたのだろう。数百年経っているのに見えない所も、腐っている所もなかった。
見取り図によれば、屋敷の建てられた土地は横に長方形になっている。真ん中から左側に今いる旧ハリス邸、右側には屋敷と同じ位の広さを持つ庭がある。
そして右端には狩猟大会で蔓延っていた、悪魔達の隠れ家へ繋がっている小屋が描かれていた。あの小屋はこの屋敷ができた当初からのものだったらしい。
私はパトリックが来るまでの間で知った事を、ゲイブの事実以外は包み隠さず離した。
殿下がウリエルの代わりに「生贄」になる。そして陛下と殿下の病が全てウリエルの仕業である真実に、一気に顔が険しくなる。……そう言えば、殿下とパトリックは幼馴染だったか?
「そうなると、俺達が探すのは「心臓」ではなく「儀式が行われる場所」という事か?」
「その通りです。ウィンター公、その儀式は何処でも出来る訳じゃないですよね?」
窓際でこちらを、もう隠す事なく睨みつけているウィンター公へ声をかけると、彼は苛立ちを抑える様にため息を吐いた。
「儀式は、汚染された場所と天使の心臓が有れば何処でも出来るんだ。……だが、もしも僕がウリエルなら、この土地で一番汚染された場所で行う」
「一番汚染された場所……」
この領地で行われた狩猟大会。長年その参加者が悪魔達の喰い物にされていた。となれば一番汚染された場所は森だろうか?……いや、何かを忘れている気がする。
私は再び見取り図を見た。記載されている部屋の名前も至って普通、特に隠し部屋のありそうな場所もない。……だが、この見取り図を見ていると、妙に違和感がする。
私がその違和感の正体を考えていると、隣で見取り図をずっと眺めていたパトリックが、独り言の様に呟いた。
「改めて見ると、この屋敷は面白い造りになっているな」
「え?」
「ここの土地は横に長い作りになっているのに、右半分が庭で左半分が屋敷の作りになっている。最初の持ち主の趣味もあったかもしれないが、普通なら土地の中央に屋敷を作る筈じゃないか?お前の屋敷だってそうだろう?」
「……そう、ですが」
「屋敷はその持ち主の権力を象徴する。正面玄関が庭方面にあるから、庭に植えられている薔薇を見せたかったのかもしれないが……中央に屋敷を作って、中庭を設ければいい。わざわざ屋敷を土地の左に寄せ小さくしてまで、右側に集中して広大な庭を作る理由が分からない」
「…………」
パトリックの何気ない疑問を聞いて、私はある事を思い出した。
あの狩猟大会の時、広い庭の奥の小屋に興味を唆られた時。私はドロシー・ハリスに何かを告げられたのだ。
パトリックの撃った銃声によって最後まで聞く事は出来なかったが、その後の狩猟大会の真実により、ドロシーが言っていたのは悪魔の隠れ家の事だと思っていた。子供の悪魔なので、つい口が滑ってしまったのだと。
……でも、そうではなかったら?
そもそも何故、あの小屋が隠れ家の入り口なんだ?
何故悪魔の隠れ家の入り口に、十字架が付けられているんだ?
「……違う、中央に建てなかったんじゃない。建てれなかったんだ」
小さな私の呟きに、皆困惑した様な表情だ。
私はゲイブに顔を向けて、見取り図を指差す。
「ウィンター公。……ウリエルが逃亡する際に使った「方舟」は、どれ位の大きさですか?」
「はぁ?そんなの聞いて何………」
呆れた様に声を出していたゲイブの表情が変わった。そして勢いよく此方へ向かってきたと思えば、見取り図を見て何かを確認している。
暫くすると、私へ驚愕の表情を向けた。
「……まさか、そんな」
どうやらゲイブは気づいたらしい。顔色が変わる天使を見ていた他の者達は、皆首を傾げている。先程からずっと後ろにくっ付いているレヴィスが、体を擦り寄せながら此方を見た。
「なぁ主、屋敷の場所がどうしたんだ?」
「レヴィスは可笑しいと思わなかった?狩猟大会で蔓延っていた違法悪魔達の隠れ家が、何故十字架の付けられた小屋なのか。十字架って神への宗教的印でしょ?」
「そりゃあ確かにそうだが……あの騙されてたハリス伯は、長年人間が狩られてたのを知っていたんだろ?せめて安らかに眠れとでも思って、十字架を付けたんじゃ無いのか?」
「それなら隠れ家の部屋の中につけるでしょ。隠れ家の手前の手前、地下通路の入り口に付ける事はないよ」
レヴィスは益々分からなくなったのか、不機嫌そうに口を尖らせている。
だが話を聞いていたパトリックが、考え込む様に顔を俯かせながら口を開いた。
「……あの小屋は、そもそも悪魔の隠れ家の入り口のつもりで作ったのでは無い。という事か?」
流石パトリック、頭の回転が速い。私は彼へ微笑んだ。
テーブルに置かれているノア・ハシリスの直筆、建設当初の見取り図を指さす。庭の端に、あの小屋が描かれていた。
「あの小屋は、この屋敷が建てられた時からあります。ですが悪魔達の隠れ家が作られたのは六十年前からでしょう。……小屋に地下通路を作り、屋敷の外にある隠れ家に繋がるようにした。私も今までそう思っていました。……でもそれは考えてみれば不思議だ。あの小屋の地下に隠れ家を作っているなら気にならない。でも何故、小屋の下に地下通路を作って、屋敷の外にある隠れ家と繋げる、なんて面倒な事をしたんでしょう?獲物を喰う場所だけなら、狩猟大会が開かれている森に隠れ家を作るだけでいい。屋敷と繋げる通路なんて必要ない。まるで何かを屋敷内へ運搬する為みたいだ」
嘲笑うように唱える言葉に、今度はケリスが反応した。
「……狩猟大会で狩った人間は、悪魔に食べられるだけではなかった。という事ですか?」
ケリスの言葉で、ようやく他の悪魔達も気づいたのか、目を開き驚いた表情に変わる。
私はもう一度見取り図の、薔薇園をさしながら口を開いた。
「おそらくあの小屋は元々、この屋敷から「ある場所」に行けるように作られたものだった。その地下通路を改築して作られたのが、屋敷の外にある悪魔の隠れ家。ウリエルに知恵を授かり協力関係だった悪魔達は、森で捕らえた人間を隠れ家で喰い、地下通路を使って「ある場所」へ集めた。全ては「数多の負と涙で汚染された場所」を作る為に。……だからあの小屋には十字架が掛けられている。ウリエルにとってその場所は「神の試練の為の、聖域へ繋がる入り口」だったから」
私の話を聞き終えたサリエルは、無表情で舌打ちを溢し、見取り図に触れた。
「ウリエルが方舟で逃げたのは、それが必要だったから。汚染された「土地」ではなくていい、汚染された「場所」があればいいという事ですか」
「その通り。恐らく私の仮説が正しければ、あの小屋には隠れ家へ通じる以外の通路が存在する。そして恐らく、その場所には……っ!?」
その時、突然床が大きく揺れた。
私は最後まで言葉を発する事が出来ず、皆も驚きながらよろける。
大きな揺れに物は落ちていき、立つ事も難しい程の大きな地震だ。
この世界で地震なんて三十年なかった。この世界の技術と背景からして、地震対策のされた建物などないだろう。あまりにも久しぶりの感覚と屋敷の崩れる振動で、私は思わず小さく叫んで倒れそうになる。それを支えたのはレヴィスだった。
「主!掴まってろ!!」
「え!?ちょ、ちょっと待っ……パトリック!!」
抱きしめるレヴィスの腕の力が強くなり、その直後潮の匂いと爆発音が近くで鳴り響く。驚いて音の鳴った方向を見れば、先程まで窓のあった執務室の壁一面が丸々なくなっている。
どうやらそこから外に出ようとしているらしい。私は慌てて隣にいたパトリックの襟元を思いっきり掴んだ。
「うぐッッッ!!」
物凄い苦しそうな声が聞こえるが、離したら悪魔達はパトリックを放って逃げてしまうだろう。そんな事はさせない!
私がパトリックを掴んでいる事に気づいたレヴィスは、大きく舌打ちをしながらパトリックを引き寄せ小脇に抱えた。
「本当にお優しいご主人様で良かったな!クソガキ!!」
「んなっ!?貴様!!俺をクソガッ……うわぁあああああ!!」
レヴィスの暴言に怒りの表情を向けたパトリックだったが、自分達を抱えたまま、執務室のあった二階から飛び降りられたので、真っ青にしながら叫んでいた。
ちなみにこの世界での二階とは、日本の家で言えば四階に匹敵する程に高い。無論私も叫んだ。失禁しそうになった。
無事に屋敷から脱出し、今は屋敷の外、海岸にいる。
後ろを振り向けば崩れかけた屋敷と、そこから叫びながら出てくる近衛兵や屋敷の使用人達が見える。どうやら皆無事な様だ。
「ご主人様!!!」
同じく脱出したケリス、フォルとステラが駆け寄り、締め付けるように抱きしめられる。フォルとステラはまだ優しいが、馬鹿メイドは容赦ないし、腹が立つ程の豊満な胸が苦しい。
「お怪我はありませんか!?どこか痛い所などありませんか!?」
「ご主人さまぁ!怖かったねぇ!」
「怖かったよー!」
「く、くるしっ」
特に締め付けられている脇腹から、鳴ってはいけない音が聴こえる。
必死に三人から離れようとしていると、早歩きでやって来た無表情なサリエルが引っぺがしてくれた。
「おいお前達、ご主人様を殺す気か」
全くの正論の言葉に、ケリス達は可愛らしく顔を膨らませて不貞腐れている。その表情にサリエルは鼻で笑った後、屋敷の前、広大な海を見ながら口を開いた。
「先程の地響は、どうやら「アレ」が出てきた所為の様です」
サリエルが目線を向ける海、そこには一隻の大きな船が浮かんでいた。
炭の様な木で出来た、巨大な古船。帆は見当たらず、動力が何なのかも分からない。
ルドニア国は軍事力に優れ、国の船は全て鉄で出来ている。木で出来た巨大な船など持っていない。
知らぬ間に脱出していたゲイブが、目の前の光景を見て小さくため息を吐いた。
「……まさか、再びお目にかかれるとはね」
ゲイブは懐かしそうに、その方舟を見た。




