78 くれてやる
先ほど陛下に速達で連絡を送ったが、応援が来るのは急いでも半日は掛かるだろう。
それに応援が来たとしても、かつての所有者だったハリス伯が、代々探しても見つからなかった「心臓」の在処にいる可能性が高いのだ。人数が増えたとしても、見つけられる可能性も増えるとは思えない。
私はパトリックと使用人達と共に、ゲイブのもとへ向かった。天使が公爵になりすましている事が知れると問題なので、ゲイブが天使である事実はパトリックへ隠している。パトリックが一度も、本物のウィンター公に会った事がなくてよかった。
大広間で近衛兵から情報を聞いているゲイブを見つけると、私は後ろから声を掛けた。
「ウィンター公、お話があります」
「ああ、ミス・イヴリン。一体どうしたんだい?」
「殿下と、ウリエルについてです」
一瞬、ゲイブは目を見開く。
だがすぐにそれは戻り、普段通りの微笑みを向けた。
「執務室に一緒に来てくれるかい?」
「その前に、この屋敷の見取り図などが有れば見せて頂きたいのですが」
「それなら書斎室にノア・ハシリスの直筆のものがあるよ。持って来させようか?」
「いえ、場所さえ教えて頂ければ、パトリック様に頼もうかと」
隣で話を聞いていたパトリックは、平民に指図を受けたのに、特に嫌がりもせず頷いた。自分抜きで話したい事に気づいているのだろう。相変わらず理解が早すぎる。
ゲイブはパトリックに見取り図の場所を伝え、そのまま別れ私達は執務室へ向かった。後ろで五人の悪魔達がゲイブを睨みつけているが、今は構ってられる程余裕はない。
《 78 くれてやる 》
移動中、私はゲイブにウリエルに出会った経緯、そして彼がルークを求め、二人とも「心臓」の場所にいる可能性が高い事を伝えた。
その話を無言で聞いていたゲイブは、全て聞き終わると小さくため息をついた。
執務室の中は、かつてのヨーゼフ・ハリスが使用していた時と全く変わっていなかった。
強いて言うなら、執務机一面に、大量に菓子が置かれている所位だろうか?焼き菓子に飴玉、食べかけのショートケーキまで置かれている。天使って甘党なのか?仕事できるのかこの机?
思わずその光景に顔を引き攣っていると、ゲイブが恥ずかしそうにはにかむ。
「いやぁ、天界では甘いものなんて無いからね。この世界に来て感動したよ」
「有意義な下界生活を過ごされてる様で……」
後ろでレヴィスが小さく舌打ちをした。ゲイブはそれに反応はしないが、此方へ美しい笑みを向ける。
「まず伝えようか、僕がこの領地を手中に収めた理由。それは我が主が、ウリエルの「解放」を望まれたからだ」
「……解放、とは?」
「肉体も魂も消滅し、主の一部となる事さ」
ゲイブはうっとりとした目付きで、色気のあるため息を吐く。
「主」とは「神」の事だろうが……つまりは、完全消滅するという事か?
次にゲイブは、後ろの悪魔達を見つめた。
「この世界で昔、天界と地獄が戦争をしたのは知っているかい?」
「ええ、その話なら昨日使用人に聞きました」
私の言葉に、ゲイブは満足げに頷く。
「なら話は早いね。……ウリエルはその際、自らを生贄としこの世界に洪水を起こそうとした」
「……え?起こそうとした?」
「そう、起こそうとした。全ての生きる者を、完全に死に絶えさせる程のものを。それでこの世界を無に返し、戦争を無理矢理終わらせようとしたんだ。だが主はそれを望まず、命令に背き実行しようとするウリエルを見限った」
「ちょ、ちょっと待ってください!まるでそれだと」
全てを言う前に、サリエルが私とゲイブの前に立ちはだかり、フォルとステラが腰に引っ付く。他の悪魔達も皆、ゲイブを更に睨みつけた。
前に立ったサリエルが、小さく息を吐く。
「神に見限られ、お前達から逃れる為にウリエルはこの地へ逃げたのか」
「その通り。だが大天使としての力は主に見限られ無くなったけどね。……流石に、自己犠牲をしてでも主の為に戦争に勝とうとしたんだ。主も恩赦をかけて、荒地を豊かにする位の力は残したみたいだけど。まぁでも天使の力をほぼ失ってるから、ウリエルが自らを生贄にしても、もう大災害を引き起こす程の力はないね」
焼き菓子を口に運びながら、ゲイブはつまらなさそうに語った。
だがそのゲイブの言葉により、私はある仮定が頭を掠めた。それも最悪な仮定だ。
その所為で生唾を飲み込む私へ、ゲイブは不気味に笑いかける。
「ウリエルは主に見放された事を受け入れられず、その狂信から「これは主から授かりし試練なのだ」と思い込んだ。自分の心臓では駄目なら、自分の血を引き継いだ子供の中で、大災害を引き起こす程の力がある者の心臓を使えばいい。天使が誰も味方しなくても、自分と人間がまぐわい子供を作ればいい。……そうウリエルは考え、より人間が集まる様に国を作ったのさ」
「馬鹿馬鹿しい、そんな人間など産まれる筈がない」
「主もそうお考えだったからこそ、天使を遣わせ見守っているだけだったよ。まぁウリエルもそれに気づいて、まぐわい子供を作ったのは最初だけ。それ以降は良さそうな自分の子孫に力を分け与えて、潜在的に持っている力を呼び起こそうとしてたみたいだ。大体は皆耐えきれずに死んだみたいだけど」
つらつらと軽く語るゲイブの言葉が、私の掠めた仮定を確信と変えていく。
私は拳に力を込めながら、震える唇で声を出す。
「……ウリエルは、最近だと何時、子孫へ力を分け与えたの?」
その質問に、天使は小さく笑った。
「本当に賢い……君が思っている通りだ。現ルドニア王と王太子殿下は、ウリエルにより力を分け与えられた為に、体が耐えきれず崩れていった。……ウリエルを監視していた仲間から「癒しの聖女が現れた」と聞いた時、人間で多少聖力を持つ奴はいるし、今回もそうだと思って適当に話を流してたけど……もっと詳しく話を聞けばよかった。そうしたらこんなに君に会うのが遅れる事もなかったのに」
耳に入り込む言葉が、私の呼吸を浅くさせていく。
ゲイブはその光景を面白そうに観察しながら、再び口を開いた。
「大洪水を引き起こす際には、天使の力を持つ者の心臓だけじゃない。術を掛ける場所は数多の負と涙が塗れた、汚染された土地でなければならない。……この地では長年悪魔が人間を殺していたけれど、悪魔は基本私利私欲に塗れた存在。ここにいる上位悪魔なら多少は知恵もあるだろうけど、この地に蔓延っていたのは下位ばかりの害虫達。そんな奴らが、領主を手玉に取り、狩る為に害虫同士が協力するなんてあり得ると思う?」
「……ウリエルが、悪魔達に知恵を与えた」
「恐らくウリエルは、殿下が君のお陰で体を治し、その結果天使の力に耐えきり「自分の代わりになる存在」になるのだと、少ない力で予言したんだろう。予言の通りになる様に、陛下にも力を与え君に治させ、より産まれてくる殿下が「器」に近づくようにしたのかな?……まぁつまりは、君達はまんまとウリエルの掌で転がされていたって事だ。僕もこの事態を主が教えてくれなかったら、こんな大事になっているのにも気づかなかった。主は愛おしい人間を守るために、ウリエルを解放する事にしたんだ」
プツリ、そう小さく音が出た。どうやら唇を噛みすぎて切れてしまったらしい。口の中に鉄の味が広がっていき、悔しさで顔が歪んでいく。
疑問に思っていた。どうしてウリエルがルークを「心臓」の場所へ連れて行きたいのか、この大地に数百年王族が来なかったなんてあり得ないと。
しかしその疑問は、気づくのが遅すぎたのだ。もっと早く、早く気付くべきだった。その所為で私は、この地に来た時からウリエルの望む通りに事を運んでしまった。
方舟の「心臓」は、文字通りウリエルの「心臓」だったのだ。
だがそれは、ウリエルではなくルークものへ変わってしまう。
「早く、殿下を助けないと……」
溢した独り言に、腰に引っ付いていたフォルとステラが、上目遣いで首を傾げる。
「なんでぇ?どうでも良いよぉ、王子さまがどうなってもぉ」
「ご主人さまじゃないもーん」
レヴィス、ケリスも二人の言葉に頷いた。
「たかが天使もどきの豚の力。万が一生贄によって大災害が起きても、この世界の統治権を持っている「あの方」が止めるさ。……まぁ、最初から天使に踊らされていたのは虫唾が走るが……でもそれで生意気なクソガキが一人消えるんだ、最高だろ?」
「そのウリエルという天使、統治された事で「あの方」がこの世界で力を使える様になった事を忘れているのかしら?それとも少ない可能性に掛けているのか……狂信者って恐ろしいわね」
当たり前の様な声色に、その美しい笑顔に肌が粟立つ。
ゲイブは菓子を口に含みながら、悪魔達の態度を見て鼻で笑った。
「主が望まれたのは「ウリエルの解放」だ。確かに害虫達の通り、殿下がどうなろうが知った事じゃない。むしろ彼がウリエルと行動を共にしているのであれば、術か呪かで今まで姿を消していたウリエルが、殿下を辿ればすぐに見つかるから有難いが……ああ、でもやっぱり術は成功して欲しい。この地は一度、悪魔も一緒に洗い流されるべきだね」
「鳩のお望み通りにはならないよぉだ!」
「この世界は「あの方」のもの!何かあったらすぐに止めてくれるもんねーだ!」
普段通りに繰り広げられる会話に、悪魔達の柔らかい表情。
……そりゃあそうだ。ルークがどうなろうと、この悪魔達は私と、私と結んだ契約以外は興味がない。飼われた私に近づく豚が消える、それだけの話だ。痛くも痒くもないだろう。
だが私は違う。ルークが危険な目に遭うなど耐えられない。この世界の事を教えてくれた、私の初恋の男の子供で、私の友であり息子の様な存在なのだ。……他の人間なら放っておいたかもしれない。だがルークは駄目だ。
恐怖で浅い呼吸をする私の唇を、冷たい指で優しく触れる感触が襲う。
切れた唇から滴る血を絡め取り、サリエルは長い舌で舐め取った。
「ご主人様、よかったじゃないですか。好意を寄せていたクソ王子が死ねば、もう振る言葉を考えなくて良いんですから」
サリエルの優しい声が決定的だった。
奴の胸倉を掴み、私は吐き出すように声を出す。
「殿下の場所を見つけるのと、殿下を助けるのを手伝って」
怒りを含んだその声と行動に、受けたサリエルは目を見開く。だが次第にそれは戻り、普段通りの無表情ながら、嘲笑う様に乾いた笑い声を出した。
「僕達は違法悪魔関係の時と、ご主人様の身が危ぶまれる時しか力を使いません。それはわかっていらっしゃるでしょう?」
「知ってる。だから頼んでる」
やがてサリエルの顔は、声色と同じく嘲笑うものへ変わった。
「馬鹿馬鹿しい、僕の所有物に欲情する豚を助ける?損しかない事をする訳ないだろう。……それとも何だ?手助けをする代わりに、僕達に一晩、その魅力的な体を好きにさせてくれるのか?好きに犯しながら好きな場所を喰わせてくれるのか?」
「…………」
「君は何時だって高慢で、自分の事しか考えない。……そんな君が、他人の為にそんな屈辱を受けれると?出来ないだろう?」
サリエルは早口で罵倒し、胸倉を掴んだ手を強く握り引き寄せた。嘲笑う奴は、私の頬を反対の手で撫でる。まるで子供を諭す様に、私が肯定するのを待っている様に。
私は何度も深呼吸をして、震える手を必死に抑える。
そして小さく、でもはっきりと悪魔達に伝わる様に囁いた。
「…………いいよ、くれてやる」
サリエルの、悪魔達の嘲笑う表情が、その言葉で一瞬で削ぎ落とされる。
私は震える手を自分の胸に当て、再び声を出した。
「私を一度くれてやる。犯そうが何しようがどうでもいい。血も肉も全て、骨までしゃぶり尽くしてくれていい」
語られる言葉に、悪魔達は釘付けになっている。私の与える対価の内容に、皆各々反応を示した。
何処からか生唾を飲み込む音が聞こえた。
何処からか興奮した荒い呼吸が聞こえた。
何処からか喘ぐ声が聞こえた。
何処からか、舌打ちの音が聞こえた。
「殿下を見つける、殿下を助ける。……それだけでお前らが三十年間欲しがった豚を好きに喰えるんだ。安いだろ?」
五人の悪魔の表情が、これ以上ない程に歪んでいった。
嗚呼なんて滑稽な、惨めな悪魔達だろう。
〜ちまちま自己紹介〜
レヴィス(レヴィアタン)外見年齢28歳//身長190後半
⇨海の支配者として名高い上位悪魔。基本的にはいいお兄ちゃん。フォルやステラに一番優しい。めちゃくちゃ美味しそうな匂いに釣られて来たら、毛嫌いしていたサリエルが史上最高に好みの人間を治してた。海水や水を操り攻撃する。腕っ節も悪くはないが、サリエルには負ける。料理は元々好きだったが、凝るようになったのはイヴリンに作るようになってから。
⇨本来の姿は巨大な竜。人の姿になるのが一番上手いので完璧に化けているが、キレると体から海水が出てしまう。
⇨好きな部位は腕。嫌いな部位は目玉(イヴリン除く)




