75 男
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一言で感想を言うなら「お見事」が相応しいだろう。
領民達に囲まれ相手をするルークは、次期国王として立派に努めを果たした。
貴族の統治を反対する領民達も、最後には「殿下の決められた方なら」と認めてしまったのだ。恐ろしい掌握力だ。
本当に十五歳か?中学三年生がこんな事できていいのか?
「僕の甥っ子は、人間を誑し込むのがとても上手いみたいだね」
領民に囲まれているルークを離れた場所で見ていると、隣にゲイブがやって来る。此方へ微笑んでくれている様だが、私はそのまま目線を変えずに口だけ動かす。
「人の上に立つ素質がある、という言い方が正しいかと」
「そうとも言うね。どっちも同じだけど」
おっと危ない、私の右手が天使さんを殴りたいと疼いている。
やはり、天界では喧嘩上等をスローガンにしてるんだな。同じ喧嘩上等でも、欲望に忠実で、お馬鹿さんな悪魔達の方がよっほど好感が持てる。
これ以上話すと、悪魔達がちょっかいを出してきそうだ。私はじっとりとゲイブを見た。
「ウィンター公も、こんな所にいないで領民へ挨拶をされては?」
「そんな事しなくても、彼らは僕の言う事は素直に聞いてくれるよ」
「……そうですか」
天使も悪魔と同じ、人を欺いたり洗脳する力があるのだろうか?それならばルークが来なくとも、領民を洗脳し統治出来ると思うのだが。
そう思っているのが筒抜けなのだろう。ゲイブの方を見れば、目を細め挑発する様に此方を見ている。本当に腹の底が分からない天使だ。
「理由を教えたらつまらないだろう?」
「……旧ハリス邸にある、方舟の心臓の事ですか?」
「なんだ、そこまで知っていたのか」
「馬車の中で、殿下に教えて頂きました」
方舟の心臓、まさか本当に名前の通り臓器ではない筈。
となれば舟に必要な舵……いや、そんな簡単なものではない。「心臓」とまで言うのだから、もっと特別なものだろう。
だが分かった事もある。それは話しぶりからして、この天使が心臓を見つける為に旧ハリス領地を引き受けた事だろう。……殿下から聞いた、ウィリエ・ルドニア、そしてノア・ハシリスの話。
「ウィンター公、もしかし……うぎゃ!?」
この天使に確認する事がある。そう思い口を開こうとしたが、その前に自分の体、脇に手を入れられ、足が浮く程に持ち上げられた。俗に言う「たかいたかーい」だ。
「ご主人様、鳩臭いので向こうに行きましょう」
持ち上げているのはサリエルだ。流石にお付きの平民が、五人も使用人を連れて行くのは可笑し過ぎるので(殿下でも十人居ないのに)中心地への訪問にはサリエル、フォルとステラが同行している。
フォルとステラは顔を膨らませながらゲイブを睨んでいるが、サリエルはもう殺る目をしている。やめろ。よっほど心配なのだろうが、まず平民が公爵にそんな目を向けていい筈がない。
先程の私の叫び声は殿下達には聞こえていない様だ。なんと幸運な事か。
サリエルはそのまま私を腕に乗せ、目の前のゲイブを睨みつける。その細腕に何故私を乗せれる?
「お前が何を企んでいるのか知らないが、ご主人様に手を出すなら容赦しない」
「忌まわしい鳩め、さっさと天に帰っちゃえ!」
「その小さな鳩の脳ミソじゃあ、私達の言葉は理解できないかなー?」
おい、フォルにステラ。どこでそんな煽りを覚えた?お母さんは心配だよ?
ゲイブは一瞬口端を歪ませたが、すぐに元の飄々とした笑みを浮かべた。
「これだから害虫共は嫌いなんだ。彼女を奪ったのは君達の方なのに、さも当然の様に自分達のものだと主張する」
「天に召されるのを嫌がった、その時点でもう悪魔のものだ。……それにご主人様は、お前達天使には荷が重い。何千人と相手したが、こんなにも性に奔放で淫乱な契約者は初めてだ」
「そうだそうだぁ!ご主人さまは悪魔五人も相手してるへんたいなんだぞぉ!」
「このサリエルと!あのレヴィスをまんぞくさせてるんだぞー!」
よし、屋敷に戻ったらこの三人を殴ろう。いやもう全員殴ろう。サンドバックだ。
ゲイブも三人の発言には呆れているのか、小さくため息を吐いている。どうしよう一番常識人に見えてきちゃった。
おまけに近くで聞いていたらしい領民の何人かは、私を見て「淫乱……」とか「五人を相手……」とボソボソ呟いている。違う、違うんだ奥さん方!アンタ達も私の立場になりゃあ分かる!
「わ、私ちょっと海の方見てくる!」
こういう時は逃げるが勝ちだ。私は暴れてサリエルから離れる事に成功すれば、そのまま早歩きで街に近い海へ向かった。
後ろで静止する声が聞こえるが知った事か、人の性事情をベラベラと喋りやがって!私だって今度ローガンとか閣下に喋ってやる!散々やられたえっぐいプレイまで全部喋ってやるんだからな!!
方舟が漂着したと言われるだけあって、この領土は殆どの場所が海に面している。
領民の住まう中心地でも、数分歩けばすぐに砂浜と海が現れる。流石に冬に海に入る者はいないのか、人の気配は私以外誰もいない様だ。
レディたるもの、砂浜の上に座るわけにはいかない。そのまま海と砂浜の境目をゆっくりと歩いていく。……私が前に住んでいた世界にも、同じように海はあったがこれ程美しくなかった。
舞踏会で出会った天使は、私を三十年探していたと言っていった。今回の旧ハリス領地の件と関係があるのだろうか?わざわざ殿下を連れてくる理由とは何だ?
それに、再びハリス邸へ来て感じたこの既視感。
城や国立学校と同じ建築家が作ったから、そう言われれば納得できるが……何処か他で、あの建築と似たものを見た気がする。それは一体何処だっただろうか?
その時、突然後ろから気配を感じた。
サリエルやフォルとステラ、天使でもない。ふわりと香るタールの匂い。
後ろを振り向けば、そこには今朝の黒髪の男がいた。
長い黒髪、汚れた白い布を巻きつけた服装の男。
サファイヤの様な美しい瞳を此方に真っ直ぐ向けている。
私は、その男が腰に巻いている帯を見て目を見開く。
「イヴリン!!」
その時、後ろからルークの声と此方へ走ってくる砂利の足音が聞こえた。
どうやら先程の静止の声は彼だった様だ。必死の形相でやって来れば、到着した否や私を守る様に抱きしめた。
「誰だ、一体イヴリンに何の用だ?」
全速力で来たのか、ルークは肩で呼吸をしながら男を睨んでいる。男のみずぼらしい身なりから、物取りとでも思ったのだろうか?……だが、それよりも驚いたのは、ルークがこの男が見えている事実だ。
ルークは男を睨みつけているが、やがて私と同じく帯に気づいたらしい。睨みつける形相は、驚きの表情へ変わっていく。
「どうして、王の紋章を……」
男が付けているのはただの帯だ。だがそこに刺繍されている柄は王の紋章、戴冠式で次期王が身に纏う衣装と同じ柄だ。
ルドニア国の戴冠式は王族しか参列が出来ない。しかも王の紋章は、決して表に出す事を禁じられた特別な柄だ。私だって、戴冠式に出席できない私の為に、こっそりアレクが見せてくれたからこそ知っているのだ。
平民、いや貴族でさえもその柄を知っている筈がない。
なのに何故この男はそれを身に纏っている?何故その柄を知っている?
それはルークも同じ様で、驚きすぎて固まってしまっている様だ。
そんな私達を見て、男は小さく白い息を吐いた。
それは彼が生きていると、今目の前にいると理解できるものだった。
「私は、私が望んだ相手にしか姿を見せない」
掠れた声で語りかけ、男は顔色を変えずに此方へ近づく。
ルークはその異様さに震えているが、私を更にきつく抱きしめ守ってくれた。
波音が止み、静寂した中で男は再び口を開く。
「私はウリエル。私の血を引き継いだ者が、ここへ来るのをずっと待っていた」
男は、ルークを見ていた。




