72 再びあの大地へ
世界で最も繁栄した大国、ルドニア国。
国の始まりは数百年前、ある一人の男が現れた事で始まる。
男の名前はウィリエ・ルドニア。
荒れた大地と、そこに住む民族の貧しさに心を痛めたウィリエは、神業で土地を豊穣させ民族人へ恩恵を与えた。
その神業に感動した民族人達は、男を自分達の長とし崇拝する。
やがて豊かな大地となったその場所へ、ウィリエは新しい国を立ち上げる。それがルドニア国の始まりだ。
馬車の窓から見える景色は、数ヶ月前の時と変わらない。青い海に美しい草花、そしてそこで働く領民の姿。
この馬車の中の、不機嫌ですと言わんばかりの使用人達の歯軋りの音が無ければもっと最高なのに。さっきからギリギリうざってぇ。五人分だからもう地獄だ。
ちなみに、何で今回は五人もお供がいるかだって?天使が何をしでかして来るか分からないので、万全の対策を、との事らしい。お陰で朝はルークに吃驚された。パトリックは呆れていた。
しかもルークと同じ馬車に乗ろうとしたら、使用人に引き摺られてしまい叶わなかった。お前ら、お付きのパトリックがいなかったら殿下ボッチで馬車に乗る所だったんだぞ?目的地まで二時間かかる馬車の道をボッチだぞ?
私は皆の歯軋りに負けじのため息を吐きながら、じっとりとした目でうるせぇ悪魔共を見つめた。
「ねぇ、この前から悪かったって謝ってるじゃん。いい加減機嫌直してよ」
その言葉にはサリエルが、異常なほどに冷たい目線を向けてきた。ちなみに歯軋りは止めない。
「自ら天使の元へ行こうとする尻軽女が、あんな軽く謝っただけで怒りが収まるとでも?せめて「尻軽阿婆擦れで申し訳ございませんでした。卑しい私に罰をお与えください」位言ったらどうです?」
「言うわけねーだろ脳筋悪魔」
気づいたら私の体はサリエルの腕の中だった。思いっきり頭を掴まれている、痛い。
フォルとステラは向かいから此方へやって来れば、困った様な顔をしながらドレス越しに足を撫で回してくる。
「この足ちょん切ればいいかなぁ?そしたらもう僕達がいないと移動できなくなるよねぇ」
「でもフォル、それしたら「けーやくいはん」だよー」
私の癒しがえげつねぇ事を言っている。
思わず想像して、その恐怖に怯えていると、左側から腿を鷲掴みする大人の手が現れた。
見なくても分かる、この左側からの熱気。今にも火を吹きそうなレヴィスさんだ。顔の左だけ焼けちゃう。
「そんな事しなくても、主に猿轡させればいいんじゃないか?この何でもハイハイ言う口が悪いんだよ」
「素晴らしい考えだわ!猿轡で声が出せないご主人様……出てくる涎を全部舐め取って差し上げたいわ!最高!!」
おいレヴィス、ド変態メイドが反応しちゃったじゃないか。どうしてくれるんだよ。
何とかサリエルの手を頭から離すが、後ろから体を絞め潰しそうな勢いで抱きつかれてしまう。最近どうしたお前、クールキャラは何処に行ったんだよ?
足元ではフォルとステラが契約違反にならない切り方を考えているし、左腿は腫れそうな勢いでレヴィスにバシバシ叩かれている。目の前には今にも襲いかかりそうなケリスが、鼻息荒く顔を近づけている。
あー面倒くさい。早く二十年経ってくれないだろうか。
《 72 再びあの大地へ 》
旧ハリス邸は、あの事件から死体だけ片付けそのまま使う予定らしい。絶対幽霊出るとか噂されそうな気がするが、あの屋敷の見事な薔薇が消えないでくれるのは嬉しい。
屋敷の門へ馬車が停まると、中の使用人達が開ける前に外から扉が開かれた。
扉の先には案の定、ゲイブがいい笑顔で出迎えてくれている。
「やぁミス・イヴリン。今日は来てくれて有難う!周りの害虫達も元気かい?」
最悪だ。この天使初っ端から喧嘩ふっかけてきた。折角この馬車移動の間に宥めたのに。
レヴィスが馬車から下りながら、公爵相手に顔を歪め睨んだ。
「舞踏会ぶりですね公爵様。申し訳ございませんがご主人様は馬車移動でお疲れなので、その気色悪い顔を見せないで頂けると嬉しいです」
「やぁ久しぶりだねレヴィア……いやレヴィス君かな?主の事を思っての事なら、魚臭さを強い香水で隠している君こそ離れた方がいいんじゃないかな?臭いよ?」
うっわぁ、レヴィスが一番気にしてる事を言いやがった。えげつねぇ。
流石にレヴィスも、この場で公爵を殺す事は得策ではないと思っているのか、必死に口から火を出すのを抑えている。えらい!えらいぞレヴィス!!後でいっぱい撫で撫でしてやるからな!!頼むから耐えてくれよ!!
次にゲイブは、同じく睨みつけるケリスを見る。流石に絶世の美女には天使も何も言うまい。ケリスもそう思っているのか、高圧的にゲイブを見つめるだけだ。
しかしこの天使は、予想に反して笑顔でケリスを見つめ、馬車を引いていたケリスの使い魔を指差す。
「この馬車を引く馬は君の種馬か?」
「ゲイブ様お久しぶりです!殿下が向こうでお待ちですから行きましょう!はい!行きましょうね!!」
嗚呼神よ、どうしてこんな天使を生み出したのですか?
それとも天使は皆、喧嘩ふっかけてくる人種なのですか?
天国って実は穏やかさ全くない感じですか?喧嘩上等とかスローガンにしてます?
私は馬車を颯爽と下り、ゲイブの腕を掴んで屋敷の玄関で待っているルークとパトリックの元へ向かった。公爵に失礼な言葉と行動だろうが、この土地が再び血の海になるよりはいい。
されるままに引き摺られるゲイブは、どこか嬉しそうな声で話しかけてきた。
「ミス・イヴリンはせっかちだなぁ、もう少し君の使用人達に挨拶したかったのに」
私に引っ張られるのが嬉しいのだろうか?はにかんだ笑顔を向けてくる。お前がしたのは挨拶じゃなくて嫌味だろ。しかもモラハラとかいう類のやつ。
そのままゲイブをエスコート(引き摺るとも言う)した私を見て、こちらに気づいたルークは困惑した表情で駆け寄ってきた。
「イ、イヴリン……随分仲が良さそうだけど、流石にそのエスコートは酷くないかい?」
「お気になさらないでください殿下、僕は何とも思っていませんので」
「お、叔父上がそうおっしゃるならいいんですが……」
ルークはやや引き攣りながら、私とゲイブを交互に見ている。
その後ろにいるパトリックは、口パクで「バカ」と言っている様だ。……なぁ童貞、この公爵天使だって言ったら信じてくれるか?
ゲイブは私から離れ崩れた身なりを整えると、ジャケットの内ポケットから古い鍵を出す。
鍵を玄関の鍵穴に差し込み回せば、ガチャリと大きな音が鳴った。
「この屋敷はウィンター家の別宅にしようと思いまして、雇った使用人は昼ごろに到着予定です。……ああ、ちゃんと屋敷の掃除は昨日済ませておりますので、ご心配なく。殿下の護衛達も、ミス・イヴリンの使用人達の部屋も用意しています」
ゲイブはそう言いながら玄関の扉をゆっくりと開く。
開かれた扉から屋敷の中へ入ると、ルークは屋敷の室内を見て目を輝かせた。
「叔父上がこの屋敷を残すと言ったのには驚きましたが……叔父上!もしかしてこの屋敷は、あのハシリスが設計したものですか!?」
「ハシリス?」
ルークが珍しく年相応、少年の様にはしゃいでいる。
聞き慣れない言葉を繰り返すと、ちゃっかり隣にいるパトリックが怪訝そうな顔を向けた。
「ノア・ハシリス。我が国の建築技術の向上に貢献した、有名な建築家だ。国立学校やルドニア城、その他様々な建造物は皆彼が設計したものだ」
「へぇ、そんな人がいるんですね」
「ハシリスなんて、子供でも知ってるぞ」
ちょっと知らない位で馬鹿呼ばわりするとは、ルークが居なければ「そんな勉強ばっかしてるから童貞なんですよ」とか言ってやりたい。夢の中じゃあ好き勝手してくれちゃった癖に、現実だとちっとも可愛くない。
そんな私達の姿を見て、ゲイブは小さく笑いながら話を続けた。
「殿下のおっしゃる通り、この屋敷はノア・ハシリスが設計したものです。しかも彼が最後に手がけた作品で、彼の最高傑作と言ってもいい。百年前の戦乱でも、戦地だったこの地で焼ける事なく残った奇跡の建造物です」
確かに屋敷をしっかり見れば、柱には城と同じ彫刻が彫られていたり、どこか懐かしい感じがする……気がする。駄目だ芸術はよく分からない。
しかしルークはその建築家が好きなのだろう、眩い笑顔で床や壁に触れている。最早この後の公務もそっちのけで触り続けるかもしれない。
そのままルークを見ていたが、その視界に入り込むようにゲイブが突然目の前に立った。驚いている内に、彼は私の手に触れる。
「君は、ハシリスがこの屋敷をなんと呼んでいたか知っているかい?」
「えっ」
いや、ハシリスを知らなかった私にそれを聞くか?隣のパトリックに聞いてくれよ。
答えを聞こうと、パトリックに目線を向けようとしたその時、後ろから革靴の足音が聞こえた。
「……「方舟」です」
その見知った声に振り返れば、やはりそこにはサリエルがいた。
普段通りの無表情で、後ろから私に触れているゲイブの手を払った。
サリエルの言葉に、ゲイブは目を開いて驚いているので正解なのだろう。
払われた手をブラブラと揺らしながら、やがて奴は驚いた表情から、嘲笑うものへ変えた。
そんな表情を見たサリエルは、面倒臭そうにため息を吐いた。
…………ねぇサリエルくん、方舟って何ですかって聞いたら駄目?
ノアの方舟編が始まります。




