57 正当な契約
ギデオンのは私の願いを聞き入れ、すぐにヴァドキエル侯爵家へ向かう事になった。だが姪の件もあるので、ギデオンが同行する事が条件だ。その姪が最初に仕掛けたのに。
一緒にいくのだからと、私達の馬車への同乗を誘った。ギデオンは御者がいない馬車、というよりも異常に大きな黒い馬に興味津々そうだ。珍しい反応に思わず見ていると、急にこちらを向いてきたので悲鳴を上げそうになった。
「この馬の品種はなんだ?」
「い、異国の馬でして……私もよく分かっていないのです」
「いい馬だ。触れても構わんか?」
「少しなら……」
どうやら馬が好きな様で、手慣れた手つきで触れている。
馬、と言うかケリスの使い魔は此方をチラチラと見ながら「この男って食べていい感じですかね?」と聞いている気がしたので、全力で首を横に振った所、めちゃくちゃしょぼくれていた。うさぎちゃんで我慢してろ。
馬車に乗ったギデオンは、私の隣に座り指示を聞いているサリエルを見ると、眉間に皺を寄せながら唸った。
「やけに美しい使用人共は、貴様が黒魔術でも使って造ったのか?」
「……私が黒魔術を使えると、信じているんですか?」
「馬鹿げた話だと思っているが……そうでなければ貴様の存在自体の、理由が思いつかん」
ギデオンは腕組みをしながらそう断言した。
そういえばギデオンは、若かりし頃はルドニア軍隊の王室近衛兵だったと、エドガーから受け取った資料に書かれていたな。
近衛兵だったギデオンは、当時王太子だった陛下と共にいた私の姿を間近で見ていたのだろう。そこから三十年見た目が変わらないのだ。そりゃあ理由は思いつかないだろう。
私もせめて二十代前半で止まって欲しかった。だがそう使用人に言った所「背徳感がなくなる」とか言ってきやがった。酷すぎる。
ギデオンは少女のまま姿が止まった私を見ながら、眉間に皺を寄せため息をこぼした。
「実際の所、何歳なんだ貴様は」
「レディーに年齢を聞くのはいかがなものかと」
「私の知っているレディーは、平然と拷問の内容を言ったり、血まみれの指輪を持ってこない」
「……お転婆レディーなんですよ」
「断言して言えるのは、貴様はレディーと呼ばれる年齢ではない事だ」
横でサリエルが、堪えかねたのかものすごい小さな音で吹き出した。必死に無表情を貫いているが、お前後で覚えてろよ。
《 57 正当な契約 》
ヴァドキエル侯爵家に着き馬車を降りると、前回のお茶会で横柄な態度を取っていた使用人がいた。
使用人は此方を見ると、震え真っ青になり下を向いてしまう。侯爵の弟と同じ馬車で来たのもあるだろうが、前と今日では随分な変わり様だ。
ギデオンはその使用人に自分が来た事と、客人がいる事を侯爵へ告げる様頼んでいた。逃げるように去っていく使用人を見て、呆れたように此方へ振り向く。そんな顔で見られましても。
その後応接室へ案内された私達は、侯爵が来るまでソファに座り待っている。
特に話す事もないので全員無言で待っていたが、やがて堪えかねた様にギデオンがため息を吐いた。
「兄上に何をするつもりだ?」
「何もしません。ただ聞きたい事があるだけです」
「私が聞いておく、では駄目なのか?」
「そこまで閣下を信用していません」
「……外見はともかく、中身が全く可愛げがない」
どういう意味だ。思わずギデオンを睨むと奴は意地悪そうに笑った。
腹がったので言い返してやろうと思ったが、その前に外から、主張する様な大きな足音が近づいていた事に気づいた。思わずドアを見ると、同時に勢いよくドアが開いた。
そこにはギデオンと顔立ちが似た、彼よりも背が小さいながら威厳ある中年男性がいた。王室の色である藍色に近い紺色の衣装を見に纏い、ヴァドキエル家の繁栄を物語るように男性の指や首には無数の宝石が付けられている。
男性は私を見るなり、不愉快そうに顔を歪める。
「王室の穀潰しが、弟を誑かしてまで私に何の用だ?」
「お初にお目にかかります、ヴァドキエル侯」
フォーレン・ヴァドキエル。現在のヴァドキエル侯爵家の当主で、若かりし頃は剣豪として名を馳せた存在だ。代々この家の人間は軍や自警団に所属しており、当主はルドニア軍隊の総大将を任されている。
この国の秩序を守る、ルドニアの番犬とも呼ばれる存在。目の前の男が当主となった途端、軍人の士気は一気に上がり、その結果隣国との戦争を終結に導いた。……圧倒的な統率力を持つ軍神。そうルークは言っていた。
ヴァドキエル侯は一度舌打ちをした後、私の向かいに座る。弟の時よりも息が詰まりそうなその目線に私は苦笑いをしながら、後ろに立つサリエルから指輪の入った紙袋を受け取った。
怪訝そうにそれを見つめる侯爵と私の前にあるテーブルへ、その紙袋をひっくり返し中身の指輪を出す。
「ここ二週間ほど、私を狙い屋敷に忍び込んで来た暗殺者が付けていた指輪です。全て中央区自警団の紋章が付けられています。……マイク・ベイカー。侯爵様が援助を取りやめたブラウン家の一族の者で、私の首と引き換えに援助を再開させようと目論んでいた様です」
一気に表情が険しくなったヴァドキエル侯は、隣に座る弟ギデオンを睨んだ。
ギデオンは真っ直ぐ侯爵を見て、深く頷いた。……その姿を見て、侯爵は小さくため息を出す。
「……我が家を、脅しに来たのか?」
「いいえ。……ただこの暗殺者達には、どうも可笑しい所がある」
テーブルに置かれた、血のこびり付いた指輪に触れながら、私は話を続けた。
「例え暗殺を行おうとした団員が、知識が浅くマイク・ベイカーの言葉を信じたとしても。どれだけ団長に忠誠心があったとしても、どれだけ私が憎かろうとも。……それでも、自警団である人間が、殺人を誇り高い行為だと思うでしょうか?」
「何が言いたい」
此方を睨みつけるヴァドキエル侯へ微笑む。侯爵は一層睨みを強くさせて、文句でも言おうとした様だが……それは応接室の外、廊下が騒がしくなった事で声に出す事は出来なかった。
ギデオンが様子を見ようと立ち上がりドアを開けようとしたが、それは外側から開けられた事で無駄となった。
ドアの向こうには、レヴィスが先程の震えていた使用人を拘束した状態で、眠たそうに欠伸をしながら立っていた。使用人は顔を真っ赤にしながら暴れているが、レヴィスの拘束から逃れられない様だ。
ギデオンはレヴィスの不敬極まりない行動に、怒りで腰に付けられた剣を抜くが、レヴィスはそれを無視して私へ穏やかな表情を向けた。
「主、見つけたよ」
「うん、ありがとうレヴィス」
レヴィスの言葉に頷いて、私は後ろにいたサリエルへ顔を向ける。
サリエルは静かに頷きながら、捕らえられた使用人の元へ歩き出した。
「私を狙った団員達は、皆閣下に対して忠誠心を示していました。ですがそれだけじゃない。私を殺す事が、まるで閣下を助ける唯一の手段の様に言っていた。殺さずとも、私を脅せばいい。私に危害を加えればいい。……でもそれを超えて、殺すべきだと言った。まるで洗脳の様に」
近づくサリエルへ剣を向けたギデオンだったが、向ける前にその剣は二つに割れてしまう。急に割れた剣に驚いていたギデオンだったが、その間にサリエルは使用人の目の前に立った。
使用人は目の前のサリエルに、先程と同じように震えている。恐怖のあまり呼吸は浅く、只々目の前の上位悪魔を見つめるだけだった。
サリエルはその表情を見つめ、革の手袋を外していく。
「そこで私は中央区自警団に向かった際、探知能力に優れている使用人と別行動をし、彼に団員を見てもらいました。結果、全ての団員に、認識低下の術が掛けられていました。その痕跡を探ってもらった結果、術をかけたのはヴァドキエル家の使用人だった」
「貴様、先程から何を言っているんだ!?術だの洗脳だの馬鹿馬鹿しい!!兄上!こんな女の戯言はもういいでしょう!?」
ギデオンが激昂しながらヴァドキエル侯に叫んでいるが、侯爵はそれを無視して私を鋭く見た。兄が私に何も言い返さない事に、ギデオンは驚いた表情向けている。
その直後、ギデオンの後ろから叫び声が聞こえる。
それは先程の捕らえられた使用人からのもので、ギデオンは慌ててサリエル達の方を見た。
だが、ギデオンは使用人の姿を見て、目を大きく開き固まった。
私はその姿を見ないまま、睨みつけるヴァドキエル侯へ笑う。
「ヴァドキエル侯爵家、我が国の軍事を任された厳格ある番犬。圧倒的な統率力を誇る軍神。……ですが、それは契約により受けた恩恵」
私は嘲笑う様に顔を歪ませ、小さく息を吐いた。
「ヴァドキエル侯。貴方は娘の為に私を罪に問おうとした訳じゃない。あのお茶会の惨事を見て、自分と同じ契約者という存在に恐れたから、私を亡き者にしようとした。しかし、それはマーサ・ブラウンの証言で逆に王室から反逆罪を問われてしまう。……そこで貴方は、自分の弟の自警団を使う事にした。「魔女の味方をした」「魔女の首を持って来なければ支援の再開はない」そう言いブラウン家の支援を切った。そのブラウン家から支援を受けていたマイク・ベイカーが聞けば「魔女の首を差し出せばいい」そう思わせる様に」
パトリックからマーサの事を聞いた際、私は礼儀として彼女に手紙を送った。
返ってきた返事には、私への謝罪と、それ以上にヴァドキエル家に言われた事などが事細かく書かれていた。……おそらく、私から王室に進言してほしいのだろう。
「ベイカーの言葉だけで、団長である弟に鍛えられた団員が堕ちるとは思わなかった貴方は、そこの使用人を使い、駄目押しで自警団に術を掛けた。……自分は何も手を触れずに、団員の忠誠心の結果、魔女は暗殺されてしまう。それが貴方の望んだ結果だった」
鋭くこちらを見るヴァドキエル侯は、感情が抑えられないのか唇を噛んでいる。何も言葉を返さないという事は、私の仮説は全て正しかったらしい。
この計画は、全て緻密に練られたものだ。ベイカーが必ず団員を唆す様に仕向ける言葉選び。そして団員へかける術。まさに軍神でなければ、ここまで計画通りにはならなかっただろう。……まぁ、私がまさか、五人の悪魔と契約しているのは予想外だっただろうが。
その時、後ろから耳をつん裂く様な叫び声が聞こえた。その声に反応し、ようやく私は後ろにいる使用人へ振り返った。
顔の一部の肌を剥がされ、そこからは血や肉ではなく蛆虫が溢れている使用人は、こちらに向かいもう一度叫んだ。
「《血肉しか取り柄の無い豚が!!お前を殺してやる!!!》」
私へ向けたその威嚇に、サリエルとレヴィスはピクリと一度震えた。異変に気づいた使用人は、怒りで真っ赤になっていた顔を一気に色白くさせていく。
後ろから拘束していたレヴィスは、使用人の口の中に手を突っ込み無理矢理口を開かせた。
「俺の主に下品な事を言うなよ、思わずその口から裂きたくなる」
「皮をもっと剥ごう、そうしたらそんな下品な言葉も出せなくなるだろう」
地を這うような声を出すレヴィスとサリエルに、私は呆れて言葉も出ない。
だがその時、テーブルを強く叩く音が聞こえた。
音の鳴る方向を見れば、ヴァドキエル侯が強く噛みすぎて唇から血が滴りながらも、こちらへ今にも襲い掛かりそうな形相で睨んでいる。
「その使用人を離せ」
怒りを抑えながら、荒い息を必死で落ち着けながら侯爵は静かに告げた。
軍神と呼ばれる男の怒りに、声は静まり彼の息遣いと、使用人の荒い呼吸だけが響く。
私はヴァドキエル侯をまっすぐ見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「ヴァドキエル侯。……貴方は、あの使用人と契約していますね?」
私の質問に、侯爵は大きく息を吐いた。




