54 手紙
朝、朝食前に父上に呼ばれた僕は、国王の執務室まで早歩きで向かった。朝食時に話せばいいのに、それをしないのは急ぎの用なのだろうと察したからだ。
長い長い廊下、藍色の絨毯の先にはドアノックの付いた扉が見える。扉に付けられたドアノックを叩くと、中から父上の声が聞こえた。それを確認して、僕はゆっくりと扉を開いた。
扉の先には、窓から溢れる眩しい光と、その側で窓の外を眺めている父上がいた。元々は温室の倉庫だったこの場所は、父上が王になった際に改築され執務室となった。
この窓は特殊な作りをしており、外側からは壁の様に見えるが、部屋の中から外の景色、僕とイヴリンが毎月お茶をする温室が見える作りになっている。
そもそもあの温室も、花が好きな父上の為に作られたものなので、公務の合間にも花を眺めていたいからだそうだが……毎月この窓から、イヴリンに鼻の下を伸ばしている僕を見られていると思うと、とても恥ずかしい。
父上は後ろにいる僕へ目線を移すと、普段通り穏やかに微笑みながら、一枚の手紙を差し出した。
貴族が送る便箋とは違い、やや質素なデザインの封筒。……差出人の名前はないが、郵便の消印には、絹のデザインが施されていた。
まさか、そう思い父上を見れば小さく頷いてくれた。
「ルーク。今朝イヴリンから便りが来たよ。ヴァドキエル家での事と、お前に心配を掛けさせてしまった事への謝罪の様だ」
僕は慌てて手紙を受け取り、内容を確認する。
やや癖がある文字で書かれていたのは、僕と父上に対する謝罪と、心配させてしまった事への後悔などか書かれていた。……彼女の字で、僕の名前が書かれている。そんな些細な事が嬉しくて、自分の耳が熱くなっていく。
そんな僕を見て、父上は口に手を添えて小さく笑う。
「手紙の返事、お前も書いてあげなさい。彼女は相当落ち込んでいる様だからね」
「勿論です、父上。すぐに自室に戻り、彼女へ返事を書きます」
手紙を父上に返し、そうと決まれば急いで返事を書くために自室へ戻ろうとした。
僕の心情が読み取れるのか、父上は意地悪そうに笑いながらその姿を見た。
「あまり甘すぎる言葉は書かないように。イヴリンに引かれたくないだろう?」
「も、もう父上は!分かってますよ!」
危ない。父上の予想通り、手紙で精一杯アプローチしようと思っていたので助かった。
僕は頬まで赤くなっていくのを隠すように、軽く会釈をして部屋の扉を開けた。
今日の午前中までに送れば、明日にはイヴリンの元へ届くだろう。彼女が好きだと言っていたシトラスの香水、あの香りを便箋につけてもいいかもしれない。
愛おしい彼女への気持ちで、穏やかな気持ちになっている最中。
扉が閉まる前に隙間から見えた、部屋の中にいる父上はもう意地悪に笑っていなかった。
代わりにその表情は、右手に持つ手紙を愛おしそうに見るものへ変わっていた。
……父上の事を話した時、イヴリンも同じ表情をしていた。
◆◆◆
ヴァドキエル家から送り込まれる暗殺者は、その後一週間たった現在でも続いている。どうやら、あのお嬢ちゃんは相当家族に愛されているらしい。
だが使用人達は、今回の暗殺者の事は全く脅威に考えていない様だ。そりゃあそうだろう、人間は悪魔にとっては、捕食する存在なだけなのだから。
パトリックに教えてもらった際にサリエルがティーカップを落としたのも、暗殺者と気づかずあっさり済ませてしまった事への後悔かららしい。よかったねそれまでの暗殺者諸君。君たちはいい殺され方をした。ラッキーだ。
現在ではやってきた暗殺者達は捕らえられ、私が二週間監禁されていた拷問部屋で、夜な夜な悪魔達に拷問をされている。たまに断末魔の様なものが聞こえるのがそれだろう。最初こそ恐ろしかったが、三日で慣れた。もう子守唄みたいなものだ。
なので、もうそこはいいのだが……一つだけ、困っている事がある。
それは今、私がベッドの上で、後ろからレヴィスに抱きしめられている事が関係している。ちなにここは私の寝室だ。決して私は悪くない。
後ろでやけに色気のある寝息を出しながら、レヴィスは私の首筋に頬を擦り寄せ、呼吸がしづらい程に抱き締めている。
後ろからの感触と、目の前のベッド脇に置かれた、椅子に脱ぎ捨てられた血まみれの使用人服がある。……えっ、全裸じゃないよね?ちゃんと穿いてるよね?
何とかすっぽんぽん野郎(多分)から体を離そうとするが、全く離れない。
必死で腕の中から逃げようとするが、その前にレヴィスが目を覚ましたのか、大きな欠伸の声が聞こえた。
「んっ……朝か?……もう少し寝させてくれ……疲れてるんだ」
「お早うレヴィス、どうして此処にいるのかな?」
「主、お早う。……いやぁ、昨夜の人間は中々手応えがあった。手と足の指が全部なくなっても、ヴァドキエル家と関わりはないと言い切ったんだ。流石に目玉を抉ったら白状したけどさ」
「へ〜凄い忠誠心だねぇ。……で、どうして此処にいるのかな?」
「主、今日の朝食は何食べたい?」
「鯖のサンドウィッチ食べたい」
「了解」
レヴィスは機嫌良さような口ぶりで、後ろから頭上に口付けを落とした。……いかん、質問をしていたのにうまい事はぐらかされた。私が顔を苦くしていると、後ろから小さく笑い声が聞こえる。そのままレヴィスは私の体を掴み、顔が向き合う様に体を動かした。
灰色目を細くさせ、こちらを可愛がる様に見つめている。取り敢えず下着と、前が全開だがシャツは着ているらしい。よかった少しは恥じらいがあって。
だが前がはだけているので、奴の逞しい上半身は露わになっている。……この前のケリスといい、悪魔は皆いい体をしている。思わず凝視する私へ、レヴィスは視線に気づいたのか、表情は悪魔らしい意地悪なものへ変わっていった。
「……そんなに見てくるなんて。本当に主は変態だな」
「…………」
その通りなので何も言えない。ただ弁解するが、私の変態具合は人並み……よりちょっと高め位だ。そこは認めよう。だがそんな私よりも、お前らの方が遥かな高みにいると思うのだが。
レヴィスはまだ眠たいのか、そこからもぞもぞと動いたと思えば、私の腹に頭を擦り付け腰を抱き締める。やがて規則正しい寝息が聞こえるので、二度寝を始めたのだろう。まるで子供だ。
悪魔にとって、拷問は性行為と同じくらい快感を得るものらしい。暗殺者を記者と勘違いした際は抑えていた様だが……暗殺者、しかも契約者を狙う人間となれば話は別だ。何せ私との契約で、私の保護をする内容があるのだから。
私の保護の為、暗殺者に何をしてもいいという権利を得た五人の悪魔達は、毎晩交代制で屋敷を見回り、そして見つけた暗殺者を己の欲のままに拷問している。毎朝誰かが血塗れなので、楽しそうで何よりだが服は着替えて欲しい。ビビりすぎて漏らしそうになる。
そして悪魔達は、拷問により最高潮に滾った体を持て余しているのだろう。
寝室に掛けられた鍵を無理矢理壊して、毎晩私のベッドに入り込んで発散している。昨日の朝はフォルとステラだった。二人とも口の中に、私の片手を入れたまま寝ていた。おしゃぶりかな?
もはや鍵をつける意味がないし、何をどう発散しているのか本当に知りたくない。やけに最近寝ても疲れが溜まっているのは、その所為だろうが信じたくない。……契約の内容、「触れたらアウト」位厳しく行けばよかった。やってらんねぇぜ。
おそらく昨夜の当番だったレヴィスを見て、私は大きくため息を吐く。
毎晩知らぬ間に好き勝手されているのには腹が立つが。……まぁ、それでも私の為に、ヴァドキエル家の悪事の証拠を集めてくれているのだ。そう思えば少しだけ怒りは収まった。毎晩私を守る為に頑張ってくれているのだ。主としてこれ位許さないと。
……が、腰を抱き締める奴の手が、やがて下に行き腿を執拗に弄ってくる。この悪魔絶対に起きてやがる。絶対に許さねぇ。
私は顔を引き攣らせながら、呟く様に声を漏らす。
「…………ヴァドキエル家、片付けるかぁ」
パトリックに警告される前から、サリエルの話だと不審者が多くなったのは、陛下がヴァドキエル侯に取引を持ちかけた時期から。
……こちらもやり過ぎた仕返しだったが、それでも先にやって来たのはアリアナだ。此処まで恨まれる筋合いがない。
このまま攻撃が終わらないのであれば、私の疲れはどんどん溜まっていく一方なのも癪だ。
私の発した言葉に、狸寝入りをしているレヴィスの口元から、笑いを堪えきれなかったのか息が溢れた。




