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53 蛇に憑かれる



 

「ヴァドキエル家での事、相当噂になってるぞ」


 開口一番、目の前で優雅にダージリンティーを飲むパトリックは、不貞腐れながらそう伝えた。

 何の連絡もなしに急に来たと思えば、やはりその話か。後ろにいるサリエルから紅茶を受け取り、私は苦笑いをパトリックへ向ける。


「……そんなに、噂になってます?」

「なってる。なりすぎて、うちの家にも記者がきた」


 貴族の家にまで押しかけるとは、なんて命知らずな記者だ。気を紛らわそうと紅茶を一口飲む。うん、今日も最高に美味しい。

 紅茶の美味しさに思わず顔が綻んでいると、パトリックは呆れた表情を浮かべた。


「殿下も、お前を相当心配していたぞ。直接会うか便りでも出しておけよ」

「えぇ、パトリック様が伝えておいてくださいよ。付き人じゃないですか」

「人を使うな、自分が動け」


 吐き出す様な言葉に、私は恨めしそうにパトリックを見つめた。

 やれやれ、どうやらパトリックは機嫌が悪い様だ。おそらくヴァドキエル家へ行くのをこの男に黙っていたからだろう。面倒見が良いのか、それともお節介なのか。




 あのお茶会の時、周りで叫び自分から離れていく令嬢達に困惑していたアリアナは、自分の顔に何かついているのだろうと、側の噴水に姿を写した。

 そして自分の顔の恐ろしい姿を知った彼女は、ショックで失神してしまう。侯爵令嬢が倒れても、悍ましい顔の彼女の元へは、誰も助けには来なかった。


 と、その姿のあまりの滑稽に大笑いしたレヴィスは、私の口を弄っていない反対の指を鳴らす。……すると、アリアナは元の美しい顔に戻った。

 そうして残ったのは、化粧が崩れ、流行のドレスが皺だらけになった令嬢達だけ。



 ……まぁ、つまりは全部、悪魔が作り上げた幻覚だったのだ。



 流石にお茶会も続けるのは困難となり、静かにお開きとなった。

 だがあの時いた令嬢達が、その時の恐怖体験を家族へ、そして家族が職場や友人へ、その友人が……と噂は回っていった。お茶会での事をすっかり忘れたある日の朝、新聞に「辺境の魔女、ヴァドキエル侯爵家の令嬢を呪う」なんて見出しがあった時には叫んでしまったものだ。全部レヴィスなのに。


「ヴァドキエル侯は、お前を捕らえようとした様だ。だがむしろ、白百合勲章を得たお前を、アリアナ嬢が陥れようとしていた事実を、ある令嬢が証言したんだ」


 ある令嬢、とは恐らくあの真っ青になって倒れていた令嬢の事だろう。やはり考えていた通り、あの場面は全て芝居だったか。


「その子、マーサって名前ですかね?」

「よく知ってるな。……で、そのお陰で勲章を与えた王室に、ヴァドキエル家は反逆の罪を問われた。陛下が今回のお前の問題を不問にする事を条件に、反逆の罪は目を瞑るとおっしゃったんだ」


 また陛下に助けられていたのか。パトリックはわざとらしく溜息を吐く。


「お前、使用人をちゃんと従わせろ。どうせ今回もその所為だろう?」

「……すいま、せん」

「…………い、いや……別に謝って欲しい訳じゃ……」


 パトリックの言う通り、全てはレヴィスが悪いが、奴を止めきれなかった自分の責任でもある。貴族へ取引をしてまで助けてくれた陛下に申し訳ない。

 そう思えばどんどん下を向いていく私に、パトリックは何やら慌てている様だ。この男も心配して今日来てくれたのだろう、なんていい男なんだ、童貞の癖に。


「兎に角!お前は暫く大人しくしていろ。ヴァドキエル侯がお前の暗殺を企てている、そんな噂が囁かれている程に緊迫しているんだ」


 後ろで陶器が割れる音がした。恐らくサリエルだろう。

 その音にパトリックは何故か子ウサギの様に震えている。……なんだ?悪魔が怖いのかこの童貞。今更すぎないか?

 サリエルはそんなパトリックの姿は気にせず、割れたティーカップを片付けながらため息を吐いた。


「どうりで、最近不審者が多いと思いました」

「そうなの?」

「ええ、気配も消せない者達ばかりでしたから、てっきり記者か何かだと思いましたが。……申し訳ございません、拷問をせずに済ませていました」

「……一般人にはまだ優しいのは、偉いぞ」

「有難うございます」


 済ませた、という事は侯爵が送ってきた暗殺者達は、既にこの世に居ないのだろう。何してくれちゃってんだ。拷問してどうするんだ?ジョンの仲間を増やしてやるのか?

 恐ろしいサリエルの発言は聞かなかった事にして、私は咳払いをした。


「まぁ、最近は違法悪魔の気配もありませんし……屋敷で大人しくしています」

「そうしろ。不本意だが、お前にはこの屋敷の中が一番安全だ」


 パトリックは疲れた様に溜息を吐きながら、立ち上がり屋敷から出ていく様だ。私は馬車まで見送ろうとしたが、それに気付いたのか手で払われる。見送りはいいか、優しいな童貞。



 そのまま応接室から出ようと、彼はドアノブに触れた所で何故か立ち止まった。何か他にも用があるのかと首を傾げるが、パトリックは後ろ姿のまま声を出す。




「お前、最近俺が出る夢を見てたりしないか?」

「え?」


 


 パトリックの言葉に、私は驚き後ろ姿の彼を見つめた。

 どうしてそれを知っている?何故それを聞く?


 彼の真意は分からないが、ここで真実を言う必要性もないだろう。はいそうです、ベッドの上でちちくり合っていました。実に童貞らしい手付きでしたよ!……なんて言えるわけがない。違う意味でそう質問して来ているのであれば、私は今度こそ不敬罪で牢屋に入れられる。


「いえ、見ていませんが?」

「……そうか」


 私が否定すれば、パトリックは静かな声でそう言った。他にも何か質問されると思っていたが、彼はドアノブを回し、応接室から出て行ってしまう。


 パトリックの意味不明な質問と、その行動に呆然としている私だったが。

 後ろにいたサリエルは、興味がないのか食器を片付けていた。……パトリックが出た後、私はそんな悪魔へ確認をする。


「ねぇ、今のって遠回しに……誘われてる?」

「はっ倒しますよ」

「すいません冗談です」










◆◆◆







 やはり、イヴリンは夢の事を何も知らなかった。

 俺があんな夢を見たのも、両親や狩猟大会の事で彼女と関わる機会が多かったからだ。特に親しい令嬢もいない俺は、恥ずかしいが性欲の吐口として彼女を使ってしまったのだろう。


 今回は狩猟大会でのお礼と、ヴァドキエル家の警告の為に屋敷へ来たが、彼女の後ろにへばり付く様にいるあの悪魔を見ると、あの舞踏会での出来事を思い出してしまう。



 あの悪魔、サリエルはあの時、俺の首を本気で折ろうとしていた。

 美しい男がどんどん異形の姿になっていくにつれて、意識は遠のいていく。圧倒的な力に只々恐れ、生まれて初めて死を近くに感じた。


 悪魔という生き物は、スザンナの姿を見ているので恐ろしいと分かってはいたが、それでも目の前の男は次元が違った。胃の中を吐き出しそうな程の恐怖で、俺ははしたなく体を震え上がらせた。

 意識が遠のく中で、ぼやける奴は誰かに呼ばれ……そこから記憶がない。次に起きた時には、俺は中庭のベンチで座っていたのだ。……正直、あの執事との出来事も幻だったのかもしれない。




 だがその騒動があってから、俺はイヴリンの夢を見なくなった。


 見なくなったというよりも、夢の中で寝静まる彼女の元へ向かおうとする度に、後ろから無数の蛇が絡み叶わないのだ。

 






「あ!童貞だぁ!ご主人さまに会いにきたのー?」

「童貞だぁ!」


 正面から無邪気な子供の声が聞こえる。無礼極まりないその呼び方をする子供へ、俺は目を細めて睨みつけた。


「おい、見習い二人。その呼び方やめろ」

「じゃあインキュバスもどきって呼べばいいのぉ?」

「インキュバスに失礼だよー!ふふふー!」


 金髪の美しい幼い子供。フォルとステラは、にやけた顔をしながらこちらへ近づく。………だが、二人とも急にその足を止めた。

 いつもならそのまま抱きつくなり、服を引っ張ったりするのに。どうしたのだと子供達の表情を伺う。



 子供達二人は、見た事がない程に表情を削り捨てて、こちらを凝視していた。

 やがて、少女の方がゆっくりと口を開いた。





「………ねぇ、何で蛇がそんなにもへばり付いているの?」







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