51 謝罪で許されない
突然、寝ている私の顔に、刺さる様な冷たい風が当たる。
恐らく換気の為に開けている窓から、秋の肌寒い風が入り込んできたのだろう。もうすぐ暖炉を使う準備をしなくては。
窓を閉めるのも面倒なので、私は風に当たらない様に、寝る体制を変えようと体を動かす。……だがそれは、何かに胴体を拘束されていて出来ない。そういえば、フローラルな香りがする。あとなんか、胴体にやけに柔らかいものが当たっている。
私はすぐに目を開けて、唯一動く頭を動かし自分の胴体を見た。
予想通り、亜麻色髪の絶世の美女が、私の胴体に体を絡ませ寝息を立てている。あまりの美しさに、女の私でも凝視してしまう。
昨晩、私はしっかり寝巻きを着て寝た筈だが、何故か美女も私も全裸だ。ちょっと状況が理解できない。
私が引き攣った表情で彼女を見ていると、視線に気付いたのか彼女はゆっくりと目を開けた。
美しい碧眼はこちらの目線に気づき、世の男共が生唾を飲む程の微笑みを見せてくる。
「お早うございます、ご主人様」
「お早うケリス。何で此処にいるのかな?」
「昨夜は冷えましたので、ご主人様が寒がっておられるのではと、私とても心配でつい……」
「そうか〜人肌で温めようとしてくれたのか〜」
「はい!とっっっても素晴らしい夜でしたわ!」
昨夜の事を思い出したのか、段々鼻息が荒くなっている。だらし無く口から垂れる涎が、私の胸に落ちてきた。汚い。
私はそんなケリスへ、眉を下げながらうんうんと頷いた。
「そうかそうか〜それはしょうがないな〜〜…………って言うと思ったか!!このド変態メイドが!!!」
ケリスは暫く、寝室を出禁にした。
《 51 謝罪で許されない 》
違法悪魔も暫くは出ていないので、特にする事がない私は、居間で優雅に本を読んでいる。早速ケリスに掃除をしてもらったので、居間では今年初の暖炉を付けた。パチパチと音が鳴る暖炉は趣があっていい。
私が暖炉の火を見ながらご機嫌でいると、サリエルは淹れたてのジンジャーティーを側のテーブルに置いた。だがそれだけではなく、隣には紐で縛られた手紙の束を添えている。
「ご主人様、今日届いた手紙です」
「うん、ありがとうサリエル」
この世界では通信機器がないので、連絡手段は手紙のみだ。だが私に届く手紙は、殆どが新聞記者からの取材のオファーや、嫌がらせの類のものばかりである。やれやれ、人気者はつらいね。
なので毎日サリエルが届いた手紙を確認し、必要なものだけを私に届けてくれる。この前のケリスの様に中身を開ける事はしない。ちゃんと相手のプライバシーは守ってくれる。多分。
私は手紙の紐を解き、差出人を軽く確認していく。
「えーっとぉ?王室からの今月の管理代の案内に、エドガー様からと、あと殿下………と、うん?この紋章どこのだ?」
「ヴァドキエル侯爵家の紋章です」
「ヴァドキエル?何でまたあの家から……」
上質な封筒を開け、中身を見るとお茶会の招待だった。どうやら先日の勲章式での無礼を詫びたいらしい。……嫌な予感しかない。
引き攣る私の表情に、暖炉の前でトランプゲームをしていたフォルとステラが寄ってきた。
「おちゃ会、行くのぉ?」
「行くのー?」
「行きたくないけど、高位の貴族からのお誘いは断れないしなぁ……しかし、ヴァドキエルか……」
ヴァドキエル家は、かつてルークとアリアナの婚約関係を、莫大な慰謝料を王室に払い解消している。不治の病に罹り死にかけていた王太子の妻など、ヴァドキエル侯は許せなかったそうだ。
だが解消された数日後、王室に呼ばれた私がルークの病を治した事により、その慰謝料は大損となってしまう。余計な大金を王室に支払い、王太子と信頼関係を築いていたアリアナを無理矢理説得し解消させたものが全て無駄となり、その全ての責任は私にあると恨んでいる。
勲章式のアリアナの態度も、恋焦がれる王太子に好意を持たれている私を憎んでいるからだろう。あの家の人間、本当に理不尽すぎる。
だが私だって、ルークの治癒があそこまで遅くなったのには理由がある。当時存命だった王妃が、私がルークを診るのを拒んでいたのだ。陛下も王太后も説得したが聞く耳も持たず、私でなくとも他国の有名な神官などが治してくれると信じていた。
……いや、信じたかったのかもしれない。王太后に好かれ、夫でもある陛下とも仲の良かった私の存在を、これ以上大きくしたくなかったのだろう。
だが陛下も王太后も、唯一の王位継承者を王妃のわがままで亡くす訳にはいかない。最終的には王権が使われ、部屋の外で発狂した王妃の声を聞きながら、私はルークに血を飲ませ助けた。
ルークがどんどん元気になっていく中、王妃は逆にどんどんやつれていき、そして最後には原因不明の発作で亡くなった。私も使用人達も手を出していないが、世間では私が呪い殺したのではと囁かれている。いい迷惑だ。
私は再び手紙へ目線を移し、小さくため息を吐いた。
「まぁ、貴族のお嬢ちゃん一人ならどうとでもなるか」
私はヴァドキエル家へ返事を書く為に、サリエルに便箋を頼もうと手紙から目線を外した。
だが既に、テーブルに返信用の便箋と封筒が置かれている。
サリエルは、涼しい顔をして空のティーカップに紅茶を注いでいた。
一週間後。私は今日のお供であるレヴィスと共に、馬車でヴァドキエル家へ向かっている。
窓に広がる中央区の騒がしい街並みも、貴族専用区に近づくに連れて静かになっていく。
が、今はそこじゃない。
後ろから締め付けられる様な強い腕と、耳元に聞こえるやけに色気のある吐息。甘い匂い。……私は引き攣る顔をどうにか抑え込みながら、後ろから抱きつき擦り寄るレヴィスを見た。
「レヴィスさんや、そろそろ離してくれないか?」
「んー?」
甘えた様な声を出しながら、逆に更に体を擦り付けてくる。擦り寄る度に、チリチリと首に当たる奴の髪がくすぐったい。
それを分かっているのだろう、レヴィスは首に小さく息を吹きかける。思わず鳥肌と、体がねじれた。
「この前は爬虫類の匂いで、その次は獣の匂い……主、俺が嫉妬深いの知ってるだろ?そんな匂い纏わせて、俺にどうされたいんだ?」
「ねぇ契約の内容覚えてる?ねぇ覚えてる?」
「危害じゃないだろ?浮気者のご主人様を叱ってるんだよ」
確かに生命は脅かされていない。だが貞操は脅かされている。
どうやら狩猟大会で付けた自分の匂いが、知らぬ内に上書きされている事に苛立っているらしい。相変わらず嫉妬深い迷惑彼氏だ。
回された腕は更に強くなり、思わず苦しさで悶える。レヴィスは耳元に息を吹きかける様に囁いた。
「主、俺に言う事あるだろ?」
腹に来る低い声に、私は引き攣る顔を抑え込む事ができなくなった。何も無いですって言いたい。
今はまだ後ろから抱きついて囁くだけだが、目的地に着くまでまだ時間がある。絶対にこの野蛮悪魔はこれだけで終わらない。契約違反にならないギリギリを攻めてくるだろう。本当に性格が悪い。
この密室でどうにも出来ない私に、レヴィスは小さく笑いながら再び耳元に囁いた。
「ほら。早く俺に謝って、上書きしてくださいって、可愛くおねだりしろよ」
…………今度から、レヴィスと馬車で二人きりになる際、逃げれる様に馬車の窓を開けよう。




