49 「時々。彼女が妹ではなく、私の崇拝する神に見えてならないんだ」
兄が聖職者として有るまじき場所で殺害され、それで精神を病み自ら命を絶った。
シスター・フェリチータの最後は、その様に世間に処理された。
だが世間はそんな悲劇よりも、教会支部が南区の身売り業者に適齢期の子供達を差し出し、賄賂を受け取っていた事実に夢中だ。どうやらジョンソン神父は、身売り業者へ行く前に自警団にこの事を告発していたそうだ。彼は、敵地へ突撃するだけのバカではなかったらしい。
勿論、その告発も半信半疑に捉えられていた様だが、支部の聖職者が襲われた事で本格的に調査が入ったらしい。なんとも皮肉な話だ、まさか悪魔のお陰なんて。
だが、今回も無事に三日以内に事件を解決した。屋敷に帰ると毎度の事ながら、使用人達に舌打ちを何度もされたが気にしない。ピーマンだけ生活も無事に終止符を打つ事が出来たし、私の人生は明るい!
…………と、言いたい所だが、現在私はエドガーの家の前にいる。夜中にこっそり抜け出して来たのでお供もいない。ベッドの上にさも寝ている様に飾り立てもしたし、なんなら入ってこれない様に鍵を掛けたので、早朝に帰れば使用人達にもバレる事もないだろう。完璧なプランだ。……何故こんな真似をしているのかと言うと、理由がある。
事件が終わった後、悩んだ末にエドガー・レントラーの記憶を消すのを止めにした。悪魔達へは「対価は今回の件を黙秘する事だけになった」と伝えた。もちろん嘘だ。
三十年現れる事がなかった天使の存在や、狩猟大会の時の様な集団で行動する悪魔達など、この先悪魔達だけでなく、情報を持つ人間にも力を借りる必要だと考えたのだ。南区での事はマルファスに聞けばいいが、中央区は他の区と違い情勢が変わりやすい。そんな時にエドガーの存在は大きいと確信した。
しかもエドガーは悪魔と違い交渉が効く。悪魔だと第四の対価は向こうしか決定権がないが、エドガーはその点、対価の期日を伸ばしたりある程度の融通は効く。しかも中央区の事なら一日で調べ上げ集めてくれるのだ。極め付けには一個ではなく複数個、しかも新しい事が分かれば更に情報をくれる。なんて素晴らしいんだ。
これからは情報系はエドガー、物理系は悪魔達にしてもいいかもしれない。悪魔達にバレたら只で済まされないだろうが、人生危ない橋を渡るのも必要だ。
「……まぁ、対価の内容は凄いけど」
足舐めさせて欲しいって、舐めてどうするんだ?それで興奮するのかあの男は?
長年悪魔と生活しているので、人間の性癖には寛容だと思っていたが。あの派手な男からそんな言葉が出ると思わなかった。マイルドな方だと思ったが結構ハードだった。好意を寄せられているので面倒だが、そこは今夜バッサリ決着をつけようと思う。
だがそれでも、馬車が揺れる程に舌しゃぶって来たり、朝起きたら全裸でベッドにいたり、何度も意識を飛ばす程に弄ってきたり、朝起こすついでに体の匂いやら舐めてきたりしない。足を舐める?可愛いもんだそれで何個も情報くれるなら!
一応、エドガーには速達で連絡をしたので、私が来る事は知っている筈だ。……なんだろう、男の家に一人で来るなんて、今までお供が必ずいたので気恥ずかしい。
だがここまで来て帰る選択はないので、私は恐る恐るドアノックを鳴らした。やがてドアの向こうで足音が聞こえ、重厚なドアはゆっくりと開いた。
ドアの向こうから、珍しくシンプルな白のシャツを着たエドガーが現れた。
エドガーはこちらに気づくと、柔らかい笑みを向ける。
「こんばんは。ミス・イヴリン」
「夜分遅くに申し訳ございません、エドガー様」
「丁度ホットミルクが出来た所だよ。寒かっただろう、中へお入り」
言われるままに家の中へ入ると、前にも案内された応接室へ連れて行かれる。応接室のテーブルには、まだ湯気が出ているマグカップと、側にやけに高そうな蜂蜜が置かれている。サリエルは絶対に買ってくれないやつだこれ。
私はソファに腰掛けると、エドガーも前と同じく向かいに座る……と思ったら横に座ってきた。やけに距離が近いので、彼特有の香水の匂いがする。
「あの、距離が近いのですが」
「孤児院の件だが。シスターがあんな事になって、子供達も手伝いも皆悲しんでいたよ」
「おっと二度目の無視かな?」
「兄妹の墓は、子供達の希望で教会の敷地内に置く事にしたよ。毎日彼らに挨拶をしたいからだそうだ。……案外、あの神父は厳しいから嫌われていると思っていたんだけどね」
「……………そう、ですか」
返すいい言葉が見つからず、私はテーブルに置かれていたマグカップを取り、暖かいホットミルクを口に含んだ。それを見たエドガーは、蜂蜜の入った瓶を開けてスプーンを差し出した。
「ミルクに入れるとおいしいよ」
「……有難うございます」
受け取ったスプーンで蜂蜜をすくい、ホットミルクに入れ再び飲む。……なんだこれは、旨すぎる。ここまで甘い蜂蜜は知らない。絶対高いぞこれは。私の興奮が表情で見て取れたのだろう。エドガーは目を細めた。
「神父の執務机だが。破棄する前に机の中の資料を確認していたら、その中に彼の日記があったんだ」
「え、見たんですか?」
「勿論見たさ。でも殆ど子供達の内容ばかりで、つまらなかったよ」
あまりにも爽やかに言ってくるものだから「あっそうなんですね」とか声に出しそうになった。
エドガーも自分のマグカップを持ちながら、小さく息を吐いた。
「……ただ、ある一文だけは面白いと思ったよ。なんだっけな……ああ、思い出した」
その日記の内容を聞いた時。
私はやはり、あの悪魔に嘘を吐かれていたのだと笑ってしまった。
「……嘘つきめ」
「ミス・イヴリン?」
「いいえ何でもありません。独り言です」
エドガーに話しても意味はない。私は残りのホットミルクを飲み干しテーブルに置く。高級蜂蜜の美味しさで忘れそうになっていたが、華やかな男と世間話をしに来た訳ではない。
「エドガー様。依頼の対価を差し出す前に、お伝えする事があります」
この男はこのまま世間話をして、私が多少なりとも好意を持ってから「それ」に及ぼうと思っている様だが。過去にそれで令嬢を虜にしてきたとしても、性欲はあれど恋愛脳はない私には通用しない。そもそも派手な男はタイプではない。あとストーカーマゾ男もタイプではない。
エドガーは一瞬だけ瞳が揺らんだが、すぐにいつも通りの穏やかな表情に戻った。
「なんだい?」
「私はこの先、エドガー様に調べてほしい事があれば今回の様に願い出ます。ですが、あくまでそれは取引です。それ以上でも以下でもありません」
「……つまり、私とは取引だけの関係で、好意を寄せる事はないと?」
「そうです」
私が頷いたのを見て、エドガーは不満そうな表情になる。
そりゃあそうだろう、要約すれば、お前とは心がない体だけの関係だと言っているのだ。
平民である私が、貴族出身のエドガーにこんな事を言うのはあり得ない。普通なら妻になれと言われれば、力のない平民は喜んで体を差し上げる位なのだ。
わざわざ昼間ではなく、夜中に男の家に一人で来た意中の女に、この様な事を言われると思わなかったのか、エドガーは暫く無言で私を見つめたままだ。
まぁこれでエドガーが怒り、今後取引がなくなったとしてもそれは致し方ない。むしろ好意を無くしてくれれば悪魔達は穏やかになってくれる。この所為で中央区の店に出禁になるかもしれないが、その時はその時だ。人生なんとかなる。
無言だったエドガーは、考えが纏まったのか真顔でこちらを見る。
「分かった、君と相思相愛になるのは諦めよう」
そう納得した様に言えば、エドガーは急に足を掴んだ。私は突然の事で対処が出来ず、そのままソファに倒れ込んでしまう。
慌ててエドガーを見れば、彼はニヤリと笑った。
「それならば、君を金で買おう」
「えっ、か、買う?」
意味不明な言葉に、倒れ込みながら言葉を繰り返す私へ。
エドガーは足を撫でながら色気ある表情を見せた。
「君は王室に飼われた、いわば愛玩動物の様なものだろう?」
「あいっ!?」
「箱庭の屋敷で、王室から屋敷の管理代として金銭を得る。王室に呼ばれれば、君は尻尾を振りながら飼い主へ会いにいくんだ。それの何処が愛玩動物じゃないと?」
その通り過ぎて何も言えない。だがあまりにも屈辱的な言葉だらけで、自分の顔がどんどん険しいものになっていくのが分かる。
エドガーはそんな私を見て、頬を赤く染めただらしない表情を見せながら、小さく息を吐く。
「なら私は、王室から君を買い取る。その為に更に事業を成長させて、王室も頷くしかない程に権力をつければいい。心は奪えなくても、体を奪えれば後はどうとでもなる」
「…………」
靴を丁寧に脱がされ、履いていたガーターベルトも慣れた手付きで外していく。夢の中の童貞野郎には到底真似できないものだ。多分現実でも無理だろう、破いてきそう。
しかし「買う」と来たか。なんと恐ろしい男だろう、だが野心があるのは嫌いじゃない。もしかしたら近い将来、本当にそうなってしまうのかもしれない。
そうなったら私は、この男を毎日貶したり足を舐めさせたりする羽目になるのか?そんな性癖は全くないし、悪魔達もそれを許すとは思えないが。
まぁいい、そんな未来の事を考えても致し方ない。恋愛事情は更に変な方向へ行ってしまったが、それよりもこの男が与えてくれる情報の方が今は大事だ。先ほどの発言に怒らずそう言ってくるのだから、この先もいい取引が出来そうだ。大分アブノーマルだが。
私は、自分の足を今にも喰わんとする男の頬を足で叩いた。
それには驚いた表情を見せたエドガーだったが、私は嘲笑う様に彼を見た。
「この変態め」
吐き出すようなその言葉と行動に、やがてエドガーは、嬉しそうに頬を更に赤くした。
その後、私の足ふやけてない?という程に愚弄された。
最初こそ恥ずかしさが勝ったが、やがて慣れてきたので、ホットミルクをおかわりして飲んだり、本を借りて読んだりしていた。だが逆にそれが更に興奮させる事になった様だ。私が思っている以上に、被虐性癖とは奥深いものだったらしい。いい勉強になった。
愚弄された後は横抱きされ、甲斐甲斐しく風呂場で足を洗われた。更にはまた高そうなボティオイルを塗られ、マッサージまでされた。私は何処ぞの姫か?うちの使用人ですらそんな事しないぞ?ケリスなんて馬の油は肌に良いとか言って、体を擦り付けようとしてくる。いやお前ロバだろ。
そんなこんなで、夜中だった空は少しずつ明るくなっていく。
流石にそろそろ屋敷に帰らなくては、朝起こしに来るフォルとステラに気づかれてしまう。エドガーは朝食も誘ってくれたが、断るとあっさり引いてくれた。かつてのルークよ、これが大人だ。
エドガーの家から出ると、朝も早いので中央区なのに人がまばらだ。この時間なら、早朝出勤の平民向けの相乗り馬車が多くいるだろう。私は大きく背伸びをしてから、馬車乗り場へ向かおうと歩み始める。
「お早うございます、ご主人様」
…………きっと寝不足で耳が可笑しくなったのだろう。こんな所に奴がいる訳がないのだ。私は声の聞こえた方向を見ずに、反対側の道を進もうと歩き出そうとした。
が、今度は後ろから頭を鷲掴みされた。ミシミシ鳴ってる。
「僕の声聞こえていますよね?無視ですか?」
「サ………サリエル………」
鷲掴みされた手で無理やり後ろを向かされると、やはり幻覚ではなくサリエルがいた。普段の無表情は何処へやら、虫ケラでも見るような目線で、青筋を立てた彼がいる。サリエルはわざとらしくため息を吐いた。
「申し訳ございません。ご主人様がこんなにも阿婆擦れ尻軽女だと分かっていれば、僕達も出来る事があったのに」
「……な、何を…」
「レヴィスに数週間分の食材の準備を。ケリスには監禁部屋の掃除を。フォルとステラにはご主人様用の首輪の準備を指示しています」
今までない程に饒舌なサリエルと、恐ろしい言葉にどんどん顔から血の気が無くなっていく。えっ監禁部屋?もしかしてあの地下の拷問部屋の事かな?
そのまま私は頭を掴まれたまま、近くに停められていた屋敷の馬車に乗せられた。いや投げ入れられた。やぁお馬さん元気?ごめんね今度うさぎ肉をあげるって言ってたけど、それ何時になるかわかんねぇや。
サリエルが馬車の扉を閉めると、馬車は御者もなしに勝手に進んでいく。進む馬車の中で壊れた様に震える私を見て、奴は下品そうに顔を歪ませながら、自分の手袋を丁寧に外していく。
「屋敷に着くまでのおよそ一時間。その間、クソガキに触られた箇所を僕に上書きされるか、もしくは今からクソガキの元へ戻り、僕に嬲り殺される姿を見るか……ご主人様、どちらがよろしいですか?」
「どっちも地獄」
「あ?」
「いえ何でも」
どっちも私に救いがない。思わず「三番あります?」とか言いたい。このまま差し出された条件を無視すればいいのだろうが、その後の二十年が恐ろしい。いや契約には何も引っかかってなくない?とも言いたいが、確実にそれを言うと何も悪くないエドガーが殺される。あの旨すぎる蜂蜜が一生食べれなくなる。
私は悔しさと恐怖で口を噛み締めながら、何を選ぶのか分かっている目の前の悪魔の、興奮した荒い息を聞きながら。……私は絞り出す様に声を出した。
「す、好きにしやがれ……」
「ご主人様、ちゃんと命令してくださらないと」
「………だから……その……」
「ええ、早く言ってください」
どんどん顔を近づける美しい悪魔に、私は自棄になりながら口を大きく開いた。
「ああもう!!さっさと上書きしろや!!!」
そう叫んだすぐに、凍えるように冷たい唇が私の唇と合わさった。口付けはしていないんだが?と文句でも言ってやりたいが、これ以上奴を刺激させるのも怖いので止めた。
私はそのまま、馬車が屋敷に着くまで、この脳筋淫乱悪魔に強烈に上書きをされた。
なぁサリエルくん。馬車を揺らす位はもうやめようぜ?馬が可哀想だろ?
孤児院編はこれにて終了です。
日記に書かれた言葉とは、一体どんな言葉だったのでしょうかね?




