48 嘘つき
穏やかな表情で首を横にする彼女は、やがて何かに気づいたのか、目を少し開けてこちらを見た。
「私が妹ではないと、そう質問するという事は……ミス・イヴリン。悪魔を知っていますね?」
「おっしゃる通り。色々あって、契約で違法悪魔を地獄に落とす事を強いられるの」
「あら、それは恐ろしい契約ですね」
美しい悪魔は眉を下げながら、祈りを捧げた祭壇へ体を向けた。
こちらからは背中しか見えなくなったが、小さく息を吐く音が聞こえる。
「この体の持ち主は、事故で死んだ兄を助けてほしいと私に願いました。対価に自分の体と、魂を渡すと」
その記憶を懐かしむ様に、悪魔は優しい声色で語った。
「私はその契約に答え、兄を生き返らせ、その子の魂を喰い体を乗っ取りました。……でも、私は分からなかった。自分を犠牲にしてまで兄を助ける、その自己犠牲が出来る理由が。その価値が、この兄にあるのかと。それは疑問から興味になりました」
「……だから、お前は記憶喪失のフリをして、妹として兄の側にいる事にした」
背中を向けている悪魔は、小さく頷いた。
「ええ、とても面白い人でした。少ない食事をほぼ全て妹に差し出して、自分は朝から晩まで働いて、そして眠らずに神学を勉強していた。毎日毎日その繰り返しで、神を知る私にとっては、その姿は滑稽でした」
「……ジョンソン神父は、自分と妹が助かったのは神の御業だと信じていた。その神に報いろうと、教会の司祭になる為に必死で努力した」
「神ではなく、悪魔と妹の魂のお陰ですのにね」
淡々と告げる私の言葉に、悪魔は肯定し答えていく。
自分が悪魔だと認めたのに、それでも私はこの悪魔が人間の様に見えてならない。……姿形ではなく、もっと違うものが。後ろにいる私の契約した悪魔と、全く違うのだ。
「そして神父となった彼は、南区にお前を置いておくのを拒んだ。だから教会で働かせる事にしたのか」
「最初は手伝いでしたが……何故か近隣の方に、貧乏だからシスター服が買えないと思われてしまって。この修道服を頂いたんです」
「周りからはそう思われるほど、気高く見えたんじゃない?」
「……っふふ……そうだと嬉しいです。でもこの服のお陰で、私は皆からシスターと呼ばれる様になりました」
こちらへ振り向き、はにかみながら悪魔は笑う。
この事件は、神父が孤児院の子供達を思う故に起きたものだと思っていた。だがそれはこの事件の一部でしかなく……本当はもっと複雑、様々な人間の思惑が絡まったものだった。
もう夕刻なのだろう、赤く染まったステンドグラスは、私も悪魔も染め上げていく。
「……あの日、返り討ちに会い路地裏で倒れている神父へ、お前は契約を申し出た。子供達を助けてやるとでも言ったの?」
「そう、子供達を助ける事を対価にしました。神父様は、今まで悪魔に騙されていたのを酷く悔しく、憎らしそうな表情をしていました。……そして自分の血をインクに使い、万年筆で契約書に署名されました。でも、私ったらつい楽しんでしまって……人を殺める事を契約書で禁止されていたのに、業者の方々を皆殺してしまったんです。久しぶりの殺しだもの、しょうがないわよね」
今までの穏やかな表情のシスターと違い、悪魔は嘲笑うようにこちらへ目を細めて語る。私はそんな悪魔を見て、目線を落としながら乾いた笑い声を上げた。
「そうか、そんな理由だったのか。私はお前を、お優しく見過ぎてたみたいだ。……てっきり、長年過ごした神父に情が移って、斡旋業者へ敵討ちをしたのかと思った」
「…………あら、悪魔をよくご存知ない?」
「よく知ってるよ。でもお前は今までの悪魔と違う」
私の知っている「悪魔」と呼ばれる化け物は、皆私を喰おうと襲いかかって来た。己の事のみを考え、人間を家畜のようにしか見ない。現に私の契約する悪魔達も、契約上私に従っているだけで、それがなければ世話など焼かないだろう。
後ろにいる悪魔二人の目線を感じて、私は小さく息を吐いた。
「教会の神父が、売春蔓延る南区で殺害された。その内容はとても衝撃的なもの……だが実際に載せられた新聞の記事は、とても小さなものだった。何故ならそれ以上に衝撃的な記事が、新聞の一面を占めていたから」
「…………」
「「教会支部が何者かに襲撃され、派遣されていた聖職者全員が首を切られ殺害された」ほとんどの新聞記事は、その事件を一面に載せていた。世間では反教会派が起こした事件だと言われているし、今回の事件とは関係ないと思っていたけど。……でもよくよく考えたら、孤児院は多く存在する。そこから出て、職がない子供達が路頭に迷い苦しんでいるなんて、私は今まで聞いた事がなかった」
嘲笑う様にこちらを見つめていた悪魔は、どんどん顔をこわばらせていく。
「神父に子供達の職業難を相談された商人は、自分の分野外だった為にある教会支部を訪ねたらしい。この小さな孤児院でここまで苦しんでいるのだから、もっと大きな孤児院はどうしているのか確認する為に。……その時に支部から紹介されたのが、あの斡旋業者だった。神父が殺害された時、あの厳格な男が欲に塗れるなど考えられなかった商人は、この事件を調べ教会支部の闇を知った。それに関わってしまった商人は自身に火の粉が襲う前に、莫大な寄付金を献上しこの教会と孤児院、そして自分の犯した罪を洗い流した」
エドガーが言っていた「神を崇拝するだけでは、慈善活動は出来ない」という言葉。それは教会を皮肉めいて言った言葉だった。
彼に頼んだのは、中央区にある他の孤児院の調査だった。職業問題はどの孤児院でも問題されている中、規則上では十五歳を越えれば追い出す事にはなっている。だが神に仕える教会が、今の情勢を問題視しないのが可笑しいと思ったのだ。
結果、やはり教会は適齢期になった子供達を、一部身売り業者へ売っていた。なんなら気に入った子供を愛人として飼う聖職者も存在した。エドガーから渡された資料は、とても見るに堪えない内容で吐き気がしたものだ。
私は目の前の悪魔を見つめた。彼女の表情に、思わず手が強く握られていく。
「神父と契約し、お前は南区の斡旋業……いや、身売り業者を襲撃した。そして身売り業者の詰所にある情報で、教会支部の闇を知る事になった。………最初はお前も、神父との契約に忠実だったのかもしれない。でもその真実を知って、お前は「人を殺すな」という契約に違反をした」
遠くから、子供達の笑い声が聞こえる。
私はその明るい声に、ゆっくりと目を閉じた。
「……ねぇ、本当にあの日、ジョンソン神父はお前を憎んでたの?」
夕日で赤く染まった悪魔は、暫くすると妖艶な笑みを向けた。
「それ以外、何を言うっていうの?」
私は、美しいシスターへ向けて、小さく舌打ちをした。
そのまま後ろを向き、壁に寄りかかっていたフォルとステラを見る。こちらの目線に気づくと、二人とも可愛らしい笑顔を向けた。
「フォル、ステラ。見つけたよ」
「はぁい!ご主人さま!」
「はーい!ご主人さまー!」
先程聞こえた子供達の明るい声の様に、二人は嬉しそうにシスターへ向かっていく。その姿を見て、彼女はようやく正体に気づいたのか、驚いた表情を二人へ向けた。
フォルとステラはシスターの前で立ち止まると、彼女の顔を見上げて笑いかける。
「可哀想な子だ。どれだけ自分を犠牲にしても、天国なんて行けないのに」
「さぁ地獄に戻りなさい。そして「あの方」の靴を舐め、服従を誓うの」
下品に顔を歪ませる二人に、その屈辱的な言葉にシスターは目を大きく開いた。
だが、次には大声で笑い出す。
シスターは、私に鋭い目線を向けた。
「ミス・イヴリン!貴女は聖女なんかじゃない!!貴女は」
全てを告げる前に、彼女の首は床に落ちる。
切れた首から、血の代わりに大量のムカデが噴き出していき、やがて苦しみ青い炎を出して燃えていった。
その炎は、やがて彼女の体全てを包み込んでいく。
「うわぁ!汚い!」
「ご主人さまが噛まれちゃう!早く燃えろー!」
フォルとステラは顔を歪ませながら、足でムカデを潰し炎へ投げ込んでいく。
その光景を眺めていた私は、ふと自分の手が濡れているのが分かった。
強く握りしめていた手からは、爪で肌に傷がつき、赤い血が滴っていた。




