47 シスター・フェリチータ
9.20 最後の最後で言葉が1個抜けていましたので、修正しました。
あの人は、会った事もない神を愛していた。
神の為に人生を捧げ、神の為に自分を犠牲にした。
それがどれだけ意味の無い事か、あの人は知っていたのに。
私はそんなあの人を、どうしても許せなかった。
「シスター」
教会で祈りを捧げていると、後ろから少女の声が聞こえた。その声の主を知っているので、私は立ち上がり、声の聞こえた方へ体を向けた。
やはりそこには、闇の様に深い瞳の色をもつ、ミス・イヴリンがいた。
彼女の事は出会う前から知っている。平民で初の白百合勲章を得た少女、イヴリン。人々には「辺境の魔女」と呼ばれる恐ろしい魔女で、黒魔術を使い王族の病を治し、そして取り入った悪女。
あの人はこの少女の事を「魔女」と思っておらず、むしろ天界がこの国へ与えた聖女だと言っていた。いつかお目にかかれたら、是非話をしたいと。……だから私は少女からの聞き取りを、かつてあの人の執務室だった部屋にした。
私は、真っ直ぐこちらを見る少女へ微笑んだ。
「どうされましたか、ミス・イヴリン」
「ジョンソン神父の殺人事件ですが、真実が分かりました」
唐突に告げられたその言葉に、私は手に持っていたネックレスを強く握りしめる。その姿を見たミス・イヴリンは目線を下にした。
「今回の事件の発端は、孤児院の子供達に斡旋される仕事の激減です。我が国では現在、移民受け入れの影響で職にありつけない平民が多くいます。一般の平民も苦労しているのです、孤児となれば更に厳しいでしょう」
淡々と声を出しながら、彼女はゆっくりとこちらへ歩み出す。
私はその場で立ったまま、彼女を見つめた。
「だが神父は、孤児院を出る年齢になっても職を見つけられなかった子供達を、決して見捨てなかった。この孤児院と教会に、やけに若い手伝いが多いのもそれが理由です」
「……おっしゃる通り、神父様は子供達を決して見捨てませんでした。その所為で運営が回らなくなっても、自分名義で借金をしてまで、子供達を守ろうとしていました」
「ですが、それは時間稼ぎの様なものです。事情が事情なだけに、教会本部へ支給の増額を望む事も出来ない。ですから神父は、借地料を払っている商人へ相談した」
先日、やけに孤児の就職について聞くと思っていたが、まさかそんな所まで真相を掴んでしまうとは。腕がいい探偵だと噂には聞いていたが、これ程とは思わなかった。
こちらの表情は気にせず、彼女は小さくため息を吐いた。
「商人は、できる限り求人量が多い斡旋業者を紹介した様ですが……その業者は、南区の仕事も斡旋していた。孤児で身寄りもない子供は、南区の娼婦館や男色館が一番求めている存在です」
彼女は苛立ちを隠せないのか、最後の方は吐き出すように言葉を並べた。魔女と呼ばれている彼女は、噂とは違い随分お優しい性格なのだろう。
「神父が、どうして子供達が南区にいる事を知ったのかは分かりません。ですが、神父は知ってしまったが為に、あの日子供達を助けようと、南区へ行った」
「……ある日、貴族の方がうちにいらしたんです。その方は「娼婦館に売る前に、言い値で買うのでこちらに売ってほしい」と申し出て来ました。その方の話を聞いて、子供達がどんな目にあっているのか知る事になりました」
「ジョンソン神父は斡旋業者へ行き、子供達を奪い返そうとした様ですが……かえって返り討ちにあってしまった」
すぐ目の前までやってきた彼女は、感情を気持ちを必死に耐えているのか、顔が強張っている。それが逆に酷く幼く見えて、つい笑ってしまった。
「神父が殺害された場所、既に死体も血も何もありませんでした。ですが南区の自警団に聞いた所、殺害現場には死体だけで荷物がなかった。彼らは殺害された際に盗られたのだろうと言っていましたが……知り合いに調べてもらった所、どうやら近くにいた死体漁りが盗んでいた様です」
彼女の後ろから小さな足音が聞こえ、音の方向を見れば使用人の子供達がいた。今まで居なかったのに、一体何処から現れたのか分からない。私が驚いている間に、子供達からハンカチに包まれた何かを受け取っていた。
彼女は目の前でそのハンカチを捲ると、ペン先が血で染まった万年筆が現れた。
「死体漁りを見つけ、盗んだ荷物の中からこの万年筆を見つけました。亡くなった神父が、手で握っていた様です。胴軸に持ち主の名前が彫られてるので、買い手が見つからなかったそうで助かりました」
万年筆の胴軸には、あの人の名前が書かれていた。……その万年筆を、私は目を細めて見る。
「荷物の中にはインクも入っていたそうですが、神父は自分の血で「何か」に記入をした。とても急いでいたのか……もしくはもう、探す力もなかったのでしょう」
……そうだ。あの人は事切れる寸前で、震える手でその万年筆を握っていた。
私はそれをただ、静かに見つめていただけだった。
「シスター・フェリチータ。貴女はジョンソン神父と一緒に、この教会と孤児院を長年守っていた。子供達も手伝いも皆、貴女の事を実の母の様だと言っていました」
万年筆を握り締めながら、彼女は何度目かのため息を吐いた。
「……この土地と権利を買った商人が、教会本部から受け取った権利書類上では、この教会と孤児院には、ジョンソン神父だけ派遣されている事になっていました。……「フェリチータ」なんて名前の修道女は、教会本部の職員名簿に存在しなかった」
彼女の吐き出す言葉に、私はただ黙って頷いた。
「ジョンソン神父は南区の出身です。ですが血の滲むような努力の末、中央区の神父になった異例の人物。教会本部の、ジョンソン神父を知る司教に会いました。厳格で、人にも他人にも厳しい神父でしたが、唯一「妹」の話だけは穏やかに笑っていたそうです」
「…………」
「神父が幼い頃、家族で乗っていた荷馬車が事故に遭い、奇跡的に助かった兄と妹。……それが、ジョンソン神父と貴女です」
闇の様な瞳が、私を映している。
私は一度大きく深呼吸をしてから、付けていたウィンプルを外す。あの人と同じ、亜麻色の髪が露わになった。
ミス・イヴリンはその姿を見ても、不愉快そうな表情は変わらない。
「その事件は、今でも南区の自警団では有名な話でした。……崖から落ちたのに、両親は潰れ即死の中、兄は無傷、妹も手の怪我だけだった。……しかし、妹は精神を病み記憶喪失になってしまう」
彼女の瞳が、微かに揺れた気がした。
「……シスター・フェリチータ。貴女は…………本当に、フェリチータですか?」
小さく呟かれたその質問に、その意味に、私は目線を落とす。
そして、首を横に振った。




