43 手札が足りない
中央区の中でも特に土地単価の高い区域、そこにエドガーの家はあった。
近隣の家よりも大きさはあるが、それでも想像していたものよりも小さい。だがそもそも中央区のこの区域で、年若い男が一軒家を持つ事自体が可笑しいのだが。
家の中も、普段の煌びやかな衣装を着る、あのエドガーの家とは思えないほど質素だった。勿論家具は全て一級品のものだろうが、それでもこう……もっと高そうな壺とか置かれていると思ってた。
エドガーは、ジャケットを玄関近くの椅子に置きながらこちらを向いた。ここまで来るまでの間、巧みな話術でフォルとステラに気に入られたエドガーは、本当に天才だと思い知らされた。三十年前の悪魔達の契約の際にも、彼が側にいたら良かったのに。
「丁度、商談の時に先方から貰った珍しい紅茶があるんだ。家の中は好きに見ていいから、少し待ってて」
「有難うございます」
「じゃあ僕はこっち見るぅ!」
「私はあっちー!」
人様の家に興味津々なのか、フォルとステラはお構いなしに走り回った。慌てて捕まえようとするが、二手に別れられてしまう。どうしたものかと戸惑っていると、エドガーは面白そうに笑った。
二人を探しつつ、私もエドガーの家を見学させてもらう事にした。
広い居間、居間よりも広い執務室、大量の資料や本が置かれた書斎。謎に物凄いいい香りのする風呂場。……一人暮らしの男性なら、もう少し散らかっていてもいいと思うが、私の部屋よりも綺麗じゃないか。
そのまま見回っていると、廊下の奥からステラの声が聞こえた。
「ご主人さまー!来て来てー!」
「ステラ、駄目でしょ人様の家で走り回ったら」
声の聞こえる場所へ向かっていくと、そこは地下に続く階段だった。どうやら階段を降りた先、地下からステラの声が聞こえる様だ。
薄暗い地下の階段を降りていくと、様々な物が置かれた広い地下室にたどり着いた。ステラは地下室の奥で、玩具の剣らしきものを振り上げている。
「見て見てー!こんなのもあるよー!」
「こら!元の場所に戻しなさい」
私は呆れながらステラのいる場所へ向かおうとしたが、ふと側にある箱が視線に入った。
置かれた荷物は埃を被っているのに、最近開けたのかその箱だけは埃が払われていた。……やけに気になる。好きに見ていいと言われていたし、ちょっとくらい自分も人のプライベートを見たい。
私は恐る恐るその箱に触れ、中を覗いてみた。
箱の中には、やけに古い髪飾りや、紙飛行機、紙で作られたメダル、そして古いノート。
どうやら幼少期のエドガーの宝箱の様だ。……あのストーカー男にも、こんな可愛い時代があったのか。今まで保管しているなんて、この宝箱をとても大切にしているのだろう。髪の毛一本分好感度が上がった。
このノートなんて、幼少期のエドガーの絵日記とかじゃないか?そう思い意地悪心に火がついた私は、ページを開いた。
………が、ノートに書かれた内容に、私は驚愕した。
私が固まり黙ってしまったのを見て、ステラが駆け寄り顔を伺う。
だが、私の表情を見たステラは、不思議そうに首を傾げた。
「ご主人さまー?どうしてそんな意地悪な顔してるのー?」
◆◆◆
王に寵愛を受ける魔女。そう彼女は社交界で呼ばれている。
平民の分際で、国王陛下の側室の申し入れを拒否した挙句、息子の王太子までも誑かした卑劣な魔女。
彼女の側には、黒魔術で操られた見目麗しい使用人しかいない。辺境の屋敷を王室から賜っているのも、これ以上黒魔術で操られる者が出ない為にしているのだと。
「馬鹿らしい噂だ」
思わず独り言を呟きながら、私は紅茶の入ったポットとティーカップ、子供達用のミルクピッチャーをトレーに置き居間へ向かう。
紅茶を淹れている間は、キッチンからでも聞こえる程に騒がしい子供達の声が聞こえたが、今はとても静かだ。どうやら彼女はしっかり嗜める事が出来たらしい。
初めて彼女と出会った時、ずっと空いていた心の隙間を埋められた感覚がした。まるで運命の相手を見つけた様に、猛烈に彼女に恋焦がれた。
やや強引に誘った狩猟大会で、何故ここまで彼女を求めるのか確認したかった。……だが「辺境の魔女」と呼ばる恐ろしい娘ではなく、彼女は普通の人間だった。当たり障りのない言葉で笑い、当たり障りのない言葉で驚く。至って普通の、今まで何度も関わった事のある人種。
ただの平凡な娘、それなのにあの漆黒の瞳に見つめられると、身体中が彼女を求める。何故だ?何故私はあの平凡な娘に、こんな気持ちを持ってしまうんだ?
でもその答えは、あの老婆をみる目でわかった気がする。
そう考えている内に居間に到着したらしい。トレーを持っているので、一度何処かへ置いて扉を開けようとした。
だがその前に扉は内側に開く。扉の前には美しい子供達が笑顔で出迎えてくれた。
「いい匂いだねぇ!」
「喉かわいたー!」
「お待たせしてすまないね、美味しいクッキーもあるよ」
私がそう伝えると、子供達は嬉しそうに飛び跳ねる。特に子供が好きという訳でもないのに、何故かこの子供達は可愛らしいと思ってしまう。恐らく飛び抜けた容姿のお陰だろうか。
私は部屋の中にいるだろう彼女を見ようと、子供達から目線を逸らし前を向いた。
ソファに腰掛けた彼女は、こちらに気づくと漆黒の瞳で真っ直ぐこちらを見た。……だが可笑しい、先程までの態度とまるで違う。静かにこちらを見ているが、その目つきは何処か冷めた様なものだ。
私はその目線に暫く呆然としてしまったが、すぐに調子を戻し部屋の中へ入る。向かいのソファに座り、テーブルにトレーを置いた。ポットに入った紅茶をティーカップへ注ぎながら、彼女、イヴリンの顔を伺う。
「ミス・イヴリンは紅茶にミルクを入れるかい?それともスト」
「孤児院へ、南区の職業斡旋をしたのはエドガー様ですね?」
私の言葉を止めたその声に、私は変わらずティーカップに紅茶を注いだ。
「孤児院に?私は斡旋業はしていないんだが?」
「では斡旋業者の紹介をしたんでしょう。何にせよ貴方が、神父と南区が関わるきっかけを作った」
「……何を根拠に、そんな馬鹿げた事を言うんだい?」
静かに語られる言葉に、私は用意したティーカップをテーブルの上に置く。子供達はミルクの入ったカップを持ち、主人の表情などお構いなしに嬉しそうに飲んでいる。
私も自分のティーカップを持ちながら、一口飲む。彼女は目線を下に向けて、紅茶に手を付けずに小さくため息を吐いた。
「ジョンソン神父の本棚に置かれていた資料の中に、孤児院の子供達への、仕事の斡旋リストがありました。年代別で何冊もありましたが、その資料の厚みが年々薄くなっている。……その時、前に見た新聞の記事を思い出したんです。我が国は近隣諸国の中では最も栄えた国。他国から来た者がこの国で仕事を得て、永住権を得た事例が多くあると」
まさか女である彼女が、男の様に新聞を読んでいると思わなかった。殆どの年頃の女達は皆、政治や財政など興味を持っていない。
やはり王族に気に入られるだけあって、他の女達とは少し違う様だ。
「……それは私も知っている。他国から来た者は皆、賃金の為に時間外労働も厭わない、頭脳も優秀な者ばかりで、その所為で自国の民に回る職がここ近年で少なくなってきていると」
「その通り。現在は陛下の指示により、他国からの移民の制限などで改善してきていますが……それでも就職先の数は少ないのは事実。一般の平民でも苦労している中、孤児院の子供達に斡旋できる場所も少なくなったのでしょう。だから年々資料の厚みが薄くなっていった」
ようやくティーカップを持ち、彼女は小さな唇を当てて紅茶を飲んだ。その口元が、やけに官能的に見えてしまう。
「それで、孤児院の子供達へ職を斡旋出来ないのが、何故私に関係が?」
彼女に見惚れたのを振り払うように、目を細めながらやや挑発的に言葉を並べると、彼女は気にせず話を続けた。
「そう、通常孤児院では、十五歳になれば自立できる年齢と見なされ、職にありつけようがなかろうが院から出なくてはならない。ですから斡旋する数が減っても、教会には関係ない」
ティーカップをソーサーの上に置いた彼女は、ゆっくりと目線を向けた。
その目線と表情は、どこか嘲笑う様なものだった。思わず生唾を飲んでしまう程に、心臓の音が煩く鳴り響いてしまう。
「あの孤児院、やけに手伝いの人数が多いと思いませんでしたか?それも皆、若い子達ばかり。あの規模の教会と孤児院だけなら、何なら神父とシスターだけで切り盛りできそうなのに」
「…………」
「ジョンソン神父は、子供達に厳しい厳格な人。シスターの話を聞く限りでは、本当の子供の様に孤児院の児童を大切に思っていた人です。そんな人が十五歳になったからと、職にありつけなかった子供を追い出すなんて出来なかった。孤児院の手伝いとして雇い、職が無事に決まるまで衣食住を与えたんです」
彼女の側で美味しそうにクッキーを食べていた子供達は、主の何かを察したのか、無言で立ち上がり部屋から出ていった。
彼女と二人きりになった私は、目の前の彼女から目線を逸らせなかった。
「教会本部には出て行かせたと言って、実際は匿い守っていた。どんどん人数は膨れ上がりますが、本部は孤児の数で予算を決める。少ない予算で経営が回らなくなり、やがて土地を借りている貴方への借地料が滞った。……神父に事情を聞いた貴方は、職業斡旋をする業者を紹介したんです。養う数が減れば解決する問題でしたから」
ソファから立ち上がり、ゆっくりとこちらへ向かう彼女の目線は、狩猟大会で老婆に見せていた目線と同じものだった。
心臓の音が彼女にも聴こえてしまいそうだ。彼女がこちらへ近づく度に、自分の呼吸がどんどん荒くなっていくのが分かる。
「おそらく、貴方は自分の紹介した斡旋業者が、南区の職も斡旋していると知らなかったんでしょう。ですから神父が南区で殺害されたのを記事で見た時、貴方は自分の失態をようやく知る事になった。もしや、自分の所為で神父は南区の問題に巻き込まれ、殺されたのでは?と。……だから貴方は、教会と孤児院を買い取り、自分の不利になる情報を破棄したんです」
触れられそうな程に近づいた彼女は、私の持っていたカップを取り上げテーブルに置く。
何の障害も無くなったのをいい事に、ソファに座る私に覆いかぶさった。だがそこまで近づいても触れる事はなく、触れさせてもくれない。
「執務机を破棄したのは教会本部じゃない。エドガー様ですよね?」
「……っ」
「私の調査を側で見たいと言ったのも、私を家に誘ったのも。私に気づかれる前に口止めをする為だったんでしょうけど……いいですよ、黙っててあげても?私の「お願い」聞いてくれればですけど」
「お、お願い……?」
うまく呼吸ができず、視界がぼやけていく私へ。彼女は耳元で「お願い」を教えてくれた。
全てを告げ終わり、私がその内容に驚いていると……彼女はまるでそれ以上の解決策はない様に、妖艶に微笑む。
見た目は十代後半の娘。私よりも随分幼い彼女の目線と表情、そして愚弄する仕草に。どうしてこんなにも興奮するのだろうか?何故こんなにも待ち望んでいた様に、懐かしい歓喜が襲うんだろうか?
彼女に嘲笑う様に見られる度に、長年の飢えは潤い出す。無慈悲なまでの挑発的な言葉に、吐く息は熱を帯びていく。それが彼女へ欲情しているのだと、ようやく理解した。
やっと私に触れる彼女の手は、頬をゆっくりと撫でていく。
堪えきれなくなった私はその手を掴み、はしたなく頬擦りをした。
「……君の言う通りに、明日までに用意する」
「ええ、お願いします」
満足げに微笑む彼女は、頬擦りをされている手を抜こうとするが、それは私が強く握りしめる事で叶わなかった。
彼女は怪訝そうな表情でこちらを見るが、私は熱を帯びた息を、彼女の手に当てた。
「だが、流石にこの「お願い」を聞いたら、私だけ負担が多いんじゃないか?平等にいこうミス・イヴリン」
「……弱みを握られている癖に、平等も何もないのでは?」
「別に私は、君に今回の事を漏らされてもいいんだ。……ただ君の言葉と、私の言葉。どっちを中央区の人間は信じるんだろうね?」
「…………」
彼女は口止めをする為にここへ呼んだと思っているが、そうではない。ただ単純に彼女と話したかっただけだ。……それ以上も、とは少し思っていたが。
だからこの取引は成立しない。彼女の出した手札は全て正解だが、証拠を全て破棄した今ではゴミのような手札だ。彼女の様に、あの本棚の資料の厚みだけでここまで真実に近づく者もいないだろう。
どんどん引き攣った表情を見せる彼女に、私は反対の手で彼女の腰を自分の元へ抱き寄せた。ソファに座る私へ馬乗りになった彼女は、険しい表情になっていく。そんな彼女を見て、背中を襲う背徳感が堪らない。
「駄目じゃあないか、ミス・イヴリン。商人を相手にするなら、もっと手札を増やさないと」
私は体を近づけ、彼女の耳元である要望を伝えた。
その言葉に彼女は大きく目を見開き、やがて更に表情を険しくさせていく。まるで貶されている様なその表情に、欲情し蕩けた目線を向けながら、私は握っていた手に口付けをした。
ああ、もっとそんな目で見てほしい。
本当に彼女は運命の人だ、私をこんなにも満たしてくれるのだから。




