36 怒りの矛先
愛おしい女性、イヴリンが白百合勲章を得る。
そう父上から聞いた時、僕は自分の事の様に嬉しかった。
勿論その勲章を得るに値した事件は、聞くのも恐ろしい内容で彼女を心配したが……それでも怪我もなく見事に解決してみせたのだ。本当に僕の好きな人は凄い。
勲章式が無事終了し、次は舞踏会だ。平民であるイヴリンは舞踏会に出席するのは初めてだろうから、僕が側で彼女を助けたい。ダンスを踊れない彼女と、誰にも見られないホールの端で一曲踊りたい。今日の主役のイヴリンが、誰かに誘われてしまう前に声をかけなくては。
「ルーク」
「おばあ様、どうされましたか?」
イヴリンの元へ向かおうとした際、横からおばあ様に声を掛けられた。体が弱り車椅子で移動するおばあ様は、僕に優しく微笑んだ。
「私も久しぶりにイヴリンと話したいわ。一緒に連れて行ってくれないかしら?」
「勿論ですおばあ様。一緒にイヴリンへお祝いの言葉を伝えましょう」
「……アレキサンダー、貴方も一緒にどう?」
おばあ様は父上にも声を掛けたが、父上はその誘いに苦笑いを浮かべた。
「勲章授与で話はしたから大丈夫です。……それにこれ以上イヴリンを独占すると、ルークが嫉妬しそうだ」
「父上!」
慌てて声を荒げる僕に、父上もおばあ様も小さく笑った。
……確かに、イヴリンに好意を持っている事は隠していないし、最近は彼女にも態度で示す様にしている。だがそれを家族に指摘されると恥ずかしい。赤くなった頬を自覚しつつ、僕は咳払いをしてからおばあ様の車椅子を引いた。
今日の彼女は美しい深紅のドレスだ。遠目からでも目立つその姿のお陰で早く見つける事が出来た。久しぶりに彼女と会話が出来る喜びで、顔に嬉しさが出てしまっていたが……彼女の側にいる令嬢の姿を見て、僕は声を掛けるのを戸惑った。
五年前まで僕の婚約者だった令嬢、アリアナ・ヴァドキエル。由緒正しいヴァドキエル侯爵家の次女で、家柄と次期王妃に相応しい身のこなしを評価され、僕が八歳の時に婚約関係を結んだ。
仲は良かったと思う。少なくとも病に罹るまでは、彼女が将来の妻だと思っていたし、彼女に目一杯優しくした。……だが、病に罹り体が骨と皮だけの姿になっていく僕を見て、彼女と彼女の家は僕を見限り、父上に直談判して婚約を解消した。
その行為は正しい事だし、しょうがないと思う。……でも、裏切られた様な悲しみだけは今でも癒えない。
だが僕は結局、父上とおばあ様に呼ばれたイヴリンにより命を救われたのだが。
あの時僕を助けてくれた彼女の慈悲深い表情は、今も鮮明に覚えている。
「ルーク、大丈夫?」
おばあ様は僕を心配そうに見つめた。……正直、アリアナとは関わりたくないが、彼女の目線と態度からしてイヴリンを侮辱しているのだろう。僕は深呼吸を何度もしてから、おばあ様に微笑んだ。
「大丈夫です、イヴリンの所に行きましょう」
◆◆◆
舞踏会への参加を、最ッッッ高!!……の理由で行かなくても良くなる筈だったのに。
濃い紫の正装を着こなすパトリックは、鋭い目線をアリアナへ向けている。普段は童貞童貞と私や悪魔達に揶揄われているが、彼はレントラー公爵家の次期当主で、王太子殿下の側近も兼任している最高位の存在だ。
それに対して侯爵家といえど女で家督を引き継がないアリアナは、突然現れた次期公爵に怯えている。そんな彼女にパトリックは更に険しい表情を向けた。
「アリアナ嬢、ミス・イヴリンはレントラー家の恩人だ。彼女を侮辱する事は、我が公爵家を侮辱する事と同じだぞ」
よく言うよ、初めの頃私を売女呼ばわりした癖に。
アリアナは怯えすぎて、声を出せずに口をパクパクと動かしている。彼女もこうなったのは己の所為だ。私の為に催された式典会場中央で、陰口ではなく真正面から侮辱したのだ。周りの来賓も平民への差別はあるだろうが、表立っていう事を恐れ黙っていたのに……前々から思っていたが、アリアナは身分と礼儀作法は一級品だが、それ以外は幼すぎる。
流石にアリアナが可哀想になってきたので、私は番犬と化しているパトリックの服の裾を摘んだ。それには彼も驚きこちらを見るが、見つめ合う様な形となったからか、やや耳が赤い。やめて夢を思い出して恥ずかしくなってくる。
「あの、アリアナ様のおっしゃった通り、高位の方と同じ色のドレスなのはちょっと……」
「気にする必要はない。お前は名誉ある白百合勲章を得たんだ。どんな色のドレスだろうと、お前を侮辱する理由にならないし、俺が許さない」
後ろで口笛が聞こえた。思わずそちらへ向けば、再び口笛を鳴らすレヴィスと、やや感心した様にパトリックを見るフォルとステラ、そしてケリスがいる。だがサリエルだけは無表情だった。
周りもまさか、レントラー家が助けに入ると思わなかったのか、皆こちらを見ながらヒソヒソと小声で話している。
……まずい、これは非常にまずい。このままでは次期公爵も誑かしたとか噂されそうだ。ルークも私への好意を全く隠さなくなったので、街に出る度に令嬢達に殺気を向けられているのに、最優良物件であるパトリックの噂まで広まってみろ、私は一生表を歩けなくなる。
後ろの悪魔達に助けを頼むのもいいが、絶対にろくな事にならない。何でも物理攻撃で済まそうとするので、もしかしたらこの会場が血の海になるかもしれない。絶対に駄目だそれは。
番犬パトリックと、ビビるアリアナをどう処理しようか頭を悩ませていると、どこからか車椅子のタイヤの音と、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。
「騒がしいけれど、どうしたのかしら?」
去年会った時よりも、更に嗄れた声で私を呼ぶ。声の方へ向けば、そこにはルークと、彼のひく車椅子には美しい銀髪を持つ老婆がいた。だが私も、そしてアリアナやパトリック、他の周りの来賓達は深く頭を下げる。
クリスティーン・ウィリエ・ルドニア。この国の王太后で、現国王の母親だ。
深緑の瞳を細めながら、王太后は穏やかな表情を向ける。
「久しぶりねイヴリン。平民で初の白百合勲章おめでとう」
「有難うございます、王太后様」
「感謝するのは私達の方よ。貴女のおかげで、ハリス伯爵家の非道な行為を世間に公表出来たわ。白百合勲章だけじゃ足らない位よ」
王太后の言葉でアリアナは、持っていた扇子を音が鳴るほどに強く握りしめた。どうやら王太后は何があったのかお見通しらしい。アリアナの行動を無視して、王太后は一度手を叩き、閃いた様に顔を明るくさせた。
「そうだ!ルークの婚約者になるのはどうかしら?平民出身の王太子妃は今まで居なかったけれど……白百合勲章を得る程の優秀な貴女なら、きっと妃もこなせるわ」
「お、おばあ様!!」
ここまで黙っていたルークは、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして王太后へ叫ぶ。恐ろしい提案をする王太后に、私は慌てて首を横に振った。
「わ、私は誰かの妻になる気はなく!!」
「うちの孫、アレキサンダーのいい所しか引き継いでいないから、素晴らしい夫になると思うのだけれど?」
「確かにそれはその通りです………じゃなくて!そもそも妻になる気がなくて!!」
「孫も貴女を望んでいる様だし……私、ひ孫を早く見たいわぁ」
「おっとぉ?一人の世界にいらっしゃいますかね王太后様〜?」
全く話を聞かずに妄想を繰り広げる王太后に、茹で蛸の様に真っ赤になり無言のルーク。まさか王太后がルークと私の婚姻を望んでいると思わなかったのか、話を盗み聞きしていた来賓達は騒ぎ出す。
そんな中で、アリアナだけは頭を下げたまま、握っていた扇子を折った。




