2 城へ向かう
その一、契約者は違法悪魔の事案を認識した場合、三日以内に悪魔本体。もしくはその契約者を見つける必要がある。
その二、三日以内に見つけられなかった場合。契約者の魂と体は、全て契約した悪魔のものとなる。
その三、契約期間中、契約した悪魔は契約者を保護下に置き、契約者に危害を加える事を禁じる。
その四、契約者が悪魔へ助言、もしくは手助けが必要な場合。ある程度の対価を条件に、悪魔へ助力させる事ができる。但し、過剰な痛みを感じさせる行為を禁じる。
その五、五十年間、「その一」を完遂できた場合。契約者は、望む通りの来世へ転生する事ができる。
「ご主人様、食後の紅茶です」
「うん、有難うサリエル」
朝食後、サリエルは絶妙なタイミングで紅茶を淹れ、そして私へ差し出した。お礼を言いながら紅茶の入ったカップを受け取ると、ほんのり薔薇の花の匂いがした。最近中庭の薔薇が見頃なので、おそらくそこで取った薔薇をお茶にしたのだろう。飲むと口一杯に薔薇の香りが広がる。本当にこの男の入れる紅茶は最高だ。
食べ終えた皿を片付けているレヴィスは、苦笑いをしながら私を見た。
「まさか、あれから三十年も生き続けているとはな。てっきり一年も持たないと思っていたが」
「そう簡単に私が負けると思わないでよ。残りの二十年も生き続けるんだから」
紅茶を飲みながら横目に睨むと、軽く声を出して笑われた。
「……ったく。体はこんなにも熟してるのに、手が出せないなんてな」
「今のセクハラだからね」
「セク……なんだそれ?」
レヴィスは意味が分かっていないのか、やや困惑した様にこちらを見る。その光景を私の隣で立っているサリエルは、表情を変えずにため息だけ吐いた。
私がこの世界に来て、今年で丁度三十年を迎える。
最初こそ、前の世界とのあまりの文化の違いに戸惑ったが、かれこれ三十年も暮らしてると慣れる。悪魔探しも一、二ヶ月に一度ある位で、推理小説やサスペンスものが好きだった私は、少し悪魔達の助力も借りながら、今まで悪魔を期限までに見つける事が出来た。その度に舌打ちをされるが知ったこっちゃない。
結局、契約期間の五十年はまけてもらう事は出来なかった。しかも一番食べ頃、なんて理由で私の見た目は一八歳で止まったままだ。その所為で長年私の姿を見ている街の人間は「魔女」なんて呼んでくる様になった。
だが使用人達は何故か恐れられない。なんでも悪魔は人を欺く力があるそうで、彼らも三十年姿が変わらないのに、街の住民からは「魔女に飼われた可哀想な人間達」なんて言われている。逆だ逆、私が飼われてるんだよ。
「ご主人さま!今日のお出かけのお供は、僕たちだよぉ!」
「ご主人さまを、バカ共から守ってあげるからねー!」
外出用の服を着たフォルとステラが、笑顔でこちらへ駆け寄ってくる。姿も声も可愛い子供なのに、言っている言葉に若干表情を引き攣らせてしまう。
「二人とも、お城の中では良い子にしてるんだよ〜」
「はぁい!」
「はーい!」
元気よく返事をした二人は、早く出かけようとせがみ出す。私は紅茶を一気に飲み干して、外出の準備をする為に立ち上がった。
私の魂と体は、悪魔にとっては極上のご馳走。だがそれだけでなく、私の体液には治癒効果がある。それは悪魔も人間も同じで、怪我や病気、そして呪いの類も私の体液で治ってしまうらしい。自分には全く効果がないのが腹立たしいが。
三十年前この世界にやってきた時、国で一人しかいない王子が病を患っていた。どんな有名な医者も匙を投げ、ただ王子の死を待つだけの状況で、悪魔達は「パトロンも必要だろう」と城に突撃訪問した。
血を飲ませる、なんて言う我々に国王と王妃は顔を引き攣らせていたが、どんどん体が弱っていく王子を見ていられなかったのだろう。こんな素性も分からない人間を許し、王子に自分の血を飲ませる事が出来た。
飲んですぐに病は消え、体も動かせれる様になった元気な王子を見て、国王達はその場で座り込む程に驚いていた。その後私を英雄だの、爵位を与えるだの言っていたが全て断り、私は王族の所有していた別宅の一つを譲り受ける事を望んだ。だってこの世界で家ないし。爵位とか持ってもどうしたらいいか分からないし。
見事に国王と王妃の信頼を勝ち得、そして素晴らしい家を受け取ったまではよかった。……だが、あの病は遺伝した。病を治した王子がやがて国王となり、そして生まれた子供もまた同じ病を発症した。私はその子供の病も血を与え治したのだが、その際に子供に非常に慕われてしまった。
私を慕うようになった子供は、もうすっかり体は健康そのものなのに「また発症するかもしれないので、定期的に体を見てほしい」なんて理由をつけて、病を治した五年前から月に一度、こうして私を城へ呼ぶ。ただ体を見る事は一度もなくその子供、王太子とお茶をして会話をしているのだ。
屋敷まで迎えに来た王室の馬車に乗り、私とフォル、ステラは城へ向かった。城へ着けば殆どの使用人達は心優しいが、ある一定、と言うか貴族出身の使用人達からはとても嫌われている。
まぁそりゃあそうだ。三十年姿形も変わらない、素性も分からない平民風情が、王族に寵愛を受けているのだから。自分達よりも下の立場の人間に従うなど、あり得ないのだろう。
城の長い廊下を、フォルとステラに手を繋がれながら進んでいく。ステラが歩きながらこちらに笑顔で振り向く。
「今日の晩ご飯は、レヴィスが取ってきた魚のソテーだってー!」
「お!レヴィスの魚料理は最高に美味しいからね、楽しみだなぁ」
「だから王子さまと食べるオヤツ、少なめにしなきゃダメだよぉ?」
反対側からフォルが意地悪そうにこちらを見る。……そう言えば、この前の王子とのお茶会で食べすぎて、晩ご飯食べれなくて残そうとしたら、レヴィスに椅子に縛られて無理矢理食べさせられたな。奴は私に、自分が作ったもの以外を食されるのがとことん嫌いだ。何でも「肉質が悪くなる」とか何とか言っていた。私はブランド肉なのか?
そのまま三人で歩いていると、もうすぐ王太子が待っているであろう温室に着く手前で、背の高い貴族男性が反対側から歩いてきた。灰色の美しい長髪を纏めた、この世界では珍しくない碧眼の瞳。今の見た目の私よりも、少し年上の男性。こちらに気づくと美しい顔を一気に険しくさせていく。
彼はパトリック・レントラー。この国の公爵家の長男で、王太子の側近をしている。王太子とは幼馴染らしいが、初めて会った時から何故か、私は彼に物凄い嫌われている。そのまま何事もなく横を通り過ぎたかったが、パトリックは目の前で立ち止まる。
「貴様、また殿下と密会しに来たのか」
「……い、いや、密会じゃなくて呼ばれている、のですが……」
「呼ばれて断らないんだ、密会と同じだろう。平民が安易と会えるお方じゃないんだぞ」
平民がこの国の王太子に呼ばれて、拒否できると思っているのかこの男は?やや呆れた様な表情をしているのに気づいたのか、彼は大きく舌打ちをして更に睨みつける。
「王族を誑かす、薄汚い売女が」
毎度の事ながら辛辣すぎる。私何かしたか?と問いたいが、きっと平民だからだろう。よかった三十年前に爵位貰わなくて、月に一度だからいいが、毎度言われていたら殴り飛ばしてた。取り敢えず身分は上なのでお辞儀をしてその場を後にしようとしたが、フォルとステラに握られていた両手が強く握られ、思わず顔を顰める。
どうしたのだと二人を見ると、目線を鋭くさせパトリックを睨んでいた。まだ十歳にも満たない子供の目線とは思えない程、恐ろしい程の殺意に背筋が震えた。それは彼も同じだった様で、あまりの恐ろしい目線に、やや慌てた様子で後ろに数歩下がっている。
あ、これはいかん。この二人は彼を殺してしまう。使用人の行いは主人の責任。慌てて二人を宥めようと声を出そうとしたが、その前に後ろから足音が聞こえた。
「イヴリン」
この世界での私の名前、それを囁く様に、とても優しく呼ばれる。
落ち着いた男性の声、その声の主を見たパトリックは焦った様子で頭を下げた。その声を知っている私は、後ろを振り向き姿を見た。
長い銀色の髪、深い紫の瞳を持つ、三、四十代程の男性。この国の王族のみが着る事を許される藍色の正装をしており、こちらへ慈愛に満ちた表情を向けている。私も、やや無理矢理フォルとステラも。パトリックと同じ様に頭を下げた。
「国王陛下」
「何度も昔の様に「アレク」と呼んでほしいと言っているだろう?今日は息子に会いに来てくれたのか?」
そう優しく話しかけてくれる彼。現ルドニア国王、アレキサンダー・ウィリエ・ルドニア。
三十年前、私が病から助けた王子だ。あれから大分経つのに、私を恩人として、そして友として接してくれている。賢王と呼ばれるまでになった彼は、先代より更に国を磐石とさせて行った。
当時彼は、あんまりにも私を慕ってくれるので、仲を勘違いした先代国王が側室を勧めて来た時もあった。あの時は焦ったなぁ、この世界で生まれてもいない、しかも平民の私が王子様の側室など出来るわけがないと何度も辞退した。……だがそんな彼も、今は妻を持ち子供もいる。
「流石に、国王陛下を愛称で呼ぶのは……」
「君と私の仲だろう?息子とは大層仲がいいらしいじゃないか。妬けてしまうよ」
「……そ、そんな事は」
そりゃあ大分昔は彼を友と思って接していたし、今も昔も変わらない美貌に惚れ惚れしたものだ。
だが、どれだけ好きでも、悪魔と契約した私は彼の隣にいれない。私よりも小さかった彼が成長し私を追い抜き、年齢を重ねた見た目になるにつれて。私は少しずつ距離を置いていった。
少しずつ離れて、お茶会への招待もなくなって暫く。まさか彼の子供も同じ病になってしまうとは思わなかった。お陰で折角離れたと思った城にも、こうして通う事になり陛下とも顔を合わせる事になってしまった。
陛下は私の隣にいたパトリックを見た。
「パトリック、王室の恩人にそう詰め寄るんじゃない」
「……申し訳ございません」
流石に国王陛下の言葉には従うしかないのか、パトリックは悔しそうな表情で私を見ると「謝罪する」となんか上から目線で謝られた。おい謝罪がなってない頭下げろ。
その様子をやや苦笑して見た後、陛下は私へ顔を向けた。
「イヴリン。息子が首を長くして待っている。早く行ってあげなさい」