26 屋敷の調査
朝食を取った後、私はレヴィスと共に屋敷内での調査を始めた。
私達の様に、家に帰る事が出来ず伯爵邸に泊まる参加者は多い。伯爵も参加者が退屈しない様に、書斎室や温室などを開放していた。私達は散策をしながら屋敷内にいる参加者や、使用人達と世間話をした。勿論情報収集の為だ。
この狩猟大会は開催されたのは約六十年前、最初は領民の娯楽の為に行った小規模なものだった。だが領土で捕まる動物の体格の良さが噂となり、次第に領外からも参加者が来る程の大きなものとなった。
狩猟で獲れたものによっては王室に献上される事もあり、その功績から子爵家だったハリス家は十五年前に伯爵となった。陞爵しても偉ぶらずに平民の為に働く素晴らしい男。それがヨーゼフ・ハリスという男だと。
「ヨーゼフさんは素晴らしい人だ。あんな領民思いの人はそうそういないよ」
話を聞いていた平民の男は、朗らかにそう答えた。……ここまで、ハリス伯や彼の家族、そして領民の話を聞いても嫌な噂が一つもない。普通なら愚痴の一つや二つあるだろうに。
私は次に、ハリス伯へ大会について確認する事にした。周りがどう褒め称えても、ノイズは狩猟大会とこの領地に反応したのだ。それならば大会の内容や、参加者に何か手がかりがあるかもしれない。部屋を借りた礼もしたいので丁度良いだろう。
伯爵の執務室のドアをノックすると、中から返事が返ってくる。
ドアノブを回して開けると、ハリス伯は執務机に置かれた書類を見ていたのをやめ、こちらに優しく微笑んでくれた。
「ミス・イヴリン。なにか御用かな?」
「お忙しい所申し訳ございません。部屋をお借りしたお礼をまだ伝えていないと思いまして」
「なんだそんな事か。こちらこそ、こんな古い屋敷に留まる事になってしまって申し訳ないね」
ハリス伯は執務机の前のソファに案内した。私はソファに座り、レヴィスはソファの後ろで立っている。
向かいにハリス伯が座り、こちら見て笑いかけた。
「エドガー様が、急に知り合いを連れてくると連絡してくるから、一体誰だと思っていたが……まさか、こんな有名人を連れてくるなんてね」
「し、少々あの方の家とは色々ありまして」
「レントラー夫人の殺人事件だろう?軍も衛兵も手を焼いていたものを解決したものだから、相当彼らに恨まれていると聞いているが?」
「……あ、あはは」
それが自警団にも知れ渡り、危うく殺害の犯人にされる所だったのは言わないでおこう。これ以上彼らに恨まれると何も出来なくなる。
というか、今はそんな事はいい。私はハリス伯へ、今回やこれまでの大会の参加者について質問した。六十年前から行われる伝統のような大会に、興味があるという前触れをしたので特に怪しまれる事はなかった。
……なかった、のだが。ハリス伯は参加者の名前や職業、出身地、どういう獲物を捕らえたまで教えてくれた。それも資料などを見ずにだ。只の平等主義の男だと思っていたが、頭もかなりキレるらしい。
「…………と、この位だろうか?昔と比べて随分《参加者》も増えたから、全て記憶している訳ではないが」
「……教えていただき、ありがとうございます」
「我が《領地》の事を知りたいと言ってくれたんだ、こちらが感謝する所だよ」
「いえ……では、お忙しいでしょうし、私はここで失礼いたします」
嬉しそうに笑うハリス伯にもう一度お礼を伝え、私は執務室から退散した。もうこれ以上の情報を求めれば怪しまれる。
執務室から出た私は、そのままある場所へ向かう為に廊下を早歩きした。後ろから付いてくるレヴィスに声をかけられる。
「主、何処に行くんだ?」
「書斎室。狩猟大会の事についてもっと知りたくて」
「……今、あれほど伯爵から聞いたのに?」
その質問に、私は歩くのを止めて立ち止まった。後ろのレヴィスへ顔を向ける。
「そう、あれほど覚えているのが可笑しい。名前だけなら分かる、でも参加者の職業や出身地、そんなものは大会の為に覚える必要はない。覚えすぎているの」
「……伯爵の記憶力がいいだけじゃないか?」
「参加者の名前は、参加名簿に書かれているから分かる。でも職業や出身地は時間を掛けて調べる必要がある。私の様に飛び入りで参加する人もいるだろうし、ハリス伯が全てを調べるのも時間がない」
再び私は歩き出しながら、レヴィスヘ話を続けた。
「この大会へ来た時、一番最初に驚いたのは参加者の人数……それとあまりの平等具合。平民と貴族があそこまで穏やかに会話をするなんて、中央区でも他の場所でもあり得ない。最初は領主の人柄あってだと思ったけど、そうじゃない」
「じゃあなんだ?」
「……悪魔は人を欺く。レヴィス達が三十年間見た目が変わらないのを、私以外の人間が気にしていないのと同じ。あの穏やかに話していた、おそらく平民の方は人間の皮を被った悪魔。欺いて相手から情報を抜き出し、全てをハリス伯へ伝えていた可能性もある」
「……つまり、悪魔は一人じゃないと?」
「この仮説が、正しいのであれば」
書斎室へ着くと、部屋には貴族平民も関係なく人がごった返していた。おそらく暇を潰すのに本を読む人が多いのだろう。……だが厄介だ、私の仮説が正しければこの中に何人も悪魔がいる事になる。
流石にこの場で狩猟大会の歴史を調べていたら、伯爵へ話を聞いていたのも重なって悪魔に勘づかれる可能性がある。
……時間を置いて再び来よう、そう思い書斎室を出て廊下を再び歩き出そうとした際、後ろから車椅子のタイヤの音が聴こえた。
後ろを振り向けば、そこにはハリス伯の母であるミザリ・ハリスがいる。大分高齢に見えるが、どうやらお供もなしにここまで自力で車椅子を動かしてきたらしい。
ミザリは虚な瞳でこちらを見ると、ゆっくりと口を開いた。
「獣は、この屋敷を恐れて、近づいてくる事はないの」
「……えっ?」
小さく、ゆっくりとそう声を出したミザリは、足にかけていたブランケットを捲り、その下に隠していた様に持っていた、一冊の本を持つ。
震える手でその本をこちらに差し出して来たので、慌てて受け取った。すでに背表紙がボロボロの、かなり年季の経っている本。そこには『ハリス領地記録』と手書きで書かれていた。
「こ、これは」
「義母さん!良かったぁここにいたのね!」
ミザリへ声をかけたが、その直後、前から慌てた様子でマーシャがこちらへ向かってくる。私は咄嗟に本を背中に隠した。
マーシャはミザリの肩に触れ、ここまで必死に探していたのか息が荒い。こちらに気づくと恥ずかしそうに笑った。
「イヴリンさん!ごめんなさいね義母が何かしなかった?この人認知症があって、こうやって勝手にどこかに一人で行ってはお客様に迷惑を掛けていて……」
「いえ、ミザリ様が一人でおられたので、心配で声を掛けただけです」
「そう、ご迷惑を掛けていない様で良かったわ。……さぁ、義母さん行きましょう」
マーシャは無言になったミザリへ、優しく声をかけながら車椅子を引いて行った。
二人が見えなくなった所で、私はミザリから託された本を再び見る。
中身は見ていないが、おそらくこれは私の求めていた資料だ。……でも、何故ミザリが私にこれを渡したのだろう?
私は、受け取った本を開いて内容を見た。
…………中の内容を見て、私は固まった。
「主?」
後ろから心配して声を掛けたレヴィスに、私は暫くしてからゆっくりと顔を向ける。
その表情は、おそらく怒りの表情になっているだろう。一回深呼吸をしてから、私は悪魔を睨みつけた。
「レヴィス、私を欺いたな?」
その言葉に、レヴィスは目を大きく開き驚いてから…………私へ、微笑んだ。




