25 飼い主
伯爵家で用意された部屋の窓から、私は外の豪雨と雷を見つめた。
狩猟大会はこの豪雨で中止となり、帰ろうにも馬車を走らせるのも難しい。家の近いものはそのまま帰ったが、私やエドガーの様な遠くから来た参加者は、皆伯爵家のご好意で屋敷に泊まる事になった。……レヴィスの使い魔で屋敷に伝言を送ったが、無事に届いているだろうか?
そんな事を考えている間に、就寝の準備を整えたレヴィスがこちらへ穏やかな声を出す。
「主、そろそろ寝よう。明日も早いんだろ?」
ジャケットとネクタイを外しながら、レヴィスは先にベッドの上に寝転がり手招きする。
……絶世の美男が、着崩しはだけた姿で自分を待っている。これがこの世界に来る前なら、頬を赤く染め恥ずかしがりながら男の腕の中へ向かっただろう。だが今では捕食者の罠に自ら入る様なものだ。
私は窓にもたれ掛かり、腕組みをしてレヴィスを見つめる。
「レヴィス、隣に部屋用意してもらったよね?」
「ああ、使用人の俺にも伯爵は優しい人だな」
「そこにはちゃんとベッドもあるよね?」
「ここと全く同じものがな」
私は忙しなく指を動かし、必死に表情筋を動かして笑顔をレヴィスへ向けた。
「じゃあ、何で一緒に寝ようとしてるの?」
「この領地と大会に対して、違法悪魔の反応がしたんだ。襲われでもしたら大変だろ?契約で俺は、主を守る必要があるんだし」
「………」
ごもっともな回答で言ってくれる。さっきから獲物を見る様な目線を向けている癖に。
《 25 飼い主 》
ここ最近、やけに娘が人間に好かれている。今の国王だけだった時は良かった。だが最近はその子供が積極的になり、しまいには公爵家のガキ供にまで好かれている。
それに触発されたのか、他の悪魔達も娘への独占欲が強くなっていった。今までのサリエルならどれだけ怒りが込み上げたとしても、契約の穴をついて娘に手を出す事はなかったのだ。気味が悪い蛇の舌で娘の口を嬲る奴に、血管が何本も切れる音がした。
随分昔に見たある文献では「レヴィアタンは嫉妬を司る悪魔」と書かれていた。……人間にしては、よく俺を知っているものだ。
腕の中で娘が動き始め、眠たそうに目を擦りながらこちらを見る。思わず喉が鳴ってしまうが、娘は全く気にせずに大きな欠伸をした。……三十年前は少しの接触でも顔が赤くなっていたのに……今でも少しは、恥じらいを持ってくれても良いだろう?
「おはよう、主。昨日と変わらず外は大雨だ」
「……そう……違法悪魔の手がかりを見つけなきゃ」
「って言っても、何も手がかりがないんだろ?」
その言葉に、娘は眉間に皺を寄せながら起き上がる。夫人の寝巻きを借りたそうだが、やや大きいのか肩がズレて肌が露わになっている。……契約の中に、同意なしに性交渉はいつでも有りとか入れて貰えば良かった。最高な魂と体は、食欲も唆るが性欲も唆る。
「……一応、あるにはあるから、今日の夜にでも見に行くつもり」
「もしかして、あの庭にあった小屋か?」
「そう。でもその前に伯爵邸にいるんだから、屋敷の中を散策して何かないか確認する。狩猟大会を開催してるのは伯爵家だから、なにかあるかもしれない」
あと二日で違法悪魔か契約者を見つけなければならないのに、随分と悠長な事だ。それでも三十年間見つけ続けているのだから、やはり頭は悪くないのだろうが。
その時、部屋のドアをノックする音が鳴る。娘は怪訝そうな表情で俺を見つめ「隠れて」と言い放った。俺はため息を吐きながら指を鳴らして姿を消す。
それを確認した娘は、ドアを開けて来訪者を確認する。ドアの外にはあの褐色の男がおり、中にいる娘の姿を見て目を大きく開く。
「す、すまない、まだ寝ていたかな?」
「お早うございますエドガー様。こんな姿で申し訳ございません」
こんな姿、というのは娘の寝巻き姿だろう。娘は平然と話しかけているが、年若い娘が男に寝巻き姿を見せるなどあり得ない。男は柔らかい曲線が見えている寝巻き姿に、頬を赤くして凝視している。……思わず、歯軋りをしてしまった。その音に反応して男は部屋の中を見回す。
「……誰かいるのか?」
「いえ、私一人です。何か御用ですかエドガー様」
「あ、いや……実は大雨の影響で、まだ馬車を動かせなさそうなんだ。伯爵も雨が収まるまでは屋敷で過ごしてほしいと言ってくれてね」
「……という事は、今夜も伯爵家に泊まる事になりますね」
少し考える様に顎に手を添える娘に、頬が赤いままの男は、娘の体を見ながら目を細めた。
「……それで、もし君が良かったら今夜の夕食、一緒に食べないか?……君の事、噂じゃなくて直接知りたいと思ってね」
「夕食?勿論構いませんが、昨日は皆部屋で取っていますよね?場所はどこで?」
「……私の、部屋とか……どうかな?」
「えっ」
流石にその返答は考えていなかったのか、娘は目を大きく開け、珍しく頬を赤くしている。………その姿を見て、俺は血管が切れる音が聴こえながら娘の側に向かった。姿が見えていない娘と男は、こちらに何の反応もなく会話を続けている。
それをいい事に、俺は後ろから娘に抱きつく。姿だけ消しているので、後ろから抱きつかれる感触に娘は大きく震えた。何も分かっていない男は首を傾げる。
「ミス・イヴリン?」
「い、いいえお気になさらず……えっと、夕食ですが流石に二人きりはちょっと……」
「それなら、君の従者も一緒にどうかな?それなら二人きりではないだろう?」
「……そ、それでも流石に」
抱きつきながら、手を這わせて行くと娘は耳が赤くなっていく。必死に目の前の男に悟られまいと声を押し殺す娘を見て、少しずつ怒りが収まって行くのを感じた。
赤い耳に唇を近づけ、息を吐いてやると唇を噛んで耐え始める。俺はそんな可哀想な娘に、再び息を吐き出すように小声で命令した。
「断らなかったら、どうなるか分かってるよな?」
男にも微かに声が聞こえたのだろう、どんどん怪訝そうになる表情の男へ、娘は荒く息を吐いてから睨みつけた。
「申し訳ございません!!失礼します!!」
「ミス・イヴリン!?」
驚く男を無視して、娘は部屋のドアを大きな音を出して閉じた。
閉じたすぐに顔を後ろに向け、見えない俺に怒りを表情を向けるが、顔が赤いので何の威嚇にもなっていない。
「レヴィス!!」
俺の名前を強く言い放つ娘に、俺は指を鳴らして姿を見せる。もうすぐで唇が合わさりそうな程の至近距離でも、娘は表情を変えずに見つめているので面白くない。この前のサリエルの様に娘の唇を舌で舐ってやると、流石にそれには表情を保つ事が出来ずに、娘は目を大きく開く。
その表情に笑いながら、あやす様に主に声をかけた。
「ちゃんと断れて偉いぞ、主」
「……本当に嫉妬深いな」
「当たり前だろ?アンタは俺の所有物なんだから」
主と呼んでいても、下僕の様に従っていても。契約でそうしているだけで、この娘は俺達に大切に飼われているただの人間だ。そんな大切な大切な人間が、乳臭いガキのご機嫌を取るなんて腸が煮えくり返る。
「飼い主以外に尻尾振るなんて、俺が許すと思ったのか?」
耳元でそう伝えてやると、娘は引き攣った表情を向けた。
そうして、小さな声で「今に見てろ」と言ってのけるのだ。……本当に、この人間は飼い主に噛み付く。
まぁ、そんな噛みつく娘が、いつか俺に汚され食われた時、どんな表情を見せてくれるか楽しみだが。




