22 海の悪魔
エドガー・レントラー。パトリックの叔父で、生娘達を食い物にしていた先代公爵の弟。
だが先代とは、半分しか血の繋がりはないそうだが……その辺りは面倒くさそうなので聞かない。どんな結末であれ、彼は立派な公爵家の人間だ。
パトリックが成人するまでの間、雇われ公爵としてレントラー家の家督を任されているが、本業は商人らしい。何でもこの辺りの店は全て彼がオーナーだそうで、まだ若そうなのに随分と優れた商才を持っている。
「初めて見た時から、何故か君に凄く唆られてね。再び会ったら口説こうと思って、君の事を部下に調べてもらったんだ。まさか家の問題を解決してくれた「辺境の魔女」だと思わなかったよ」
「……そうですか」
さらっと恐ろしい事言ってる。だがここで反応していたらキリがない気がしてきた。
この店も彼の持ち物らしく、おすすめの苺のショートケーキをご馳走してもらっている。ちなみにサリエルとレヴィスは、後ろの席に移動してもらった。丁度エドガーの座る場所の後ろに移動してもらっているが、相手に見えない事をいい事に殺意を込めた目線を向けている。
それを知らないエドガーは、ホットコーヒーを飲みながら微笑んだ。
「ただの平民なら、権力で妻に出来ると思ったんだが……流石に、王の寵愛を受ける君に無茶な手出しは出来ないなぁ」
この時ほど、王と交流があって良かったと思った事はない。爵位はないにしても実家は公爵家。おそらくこの中央区の絶対的な存在。そんな彼に権力を使われたら、平民の私は拒否するのが難しい。私は王に心の中で感謝をしながら、ショートケーキの苺を口の中へ運ぶ。
「私の容姿の物珍しさで惹かれているかもしれませんが、私は誰かの妻になる気はなく……」
「じゃあ君が私に好意を持ってくれれば、相思相愛なら例え王でさえ何も言ってこれないと思ってね」
「聞きたくない所無視するタイプかな?」
「それで、急な話なんだが明日《ハリス伯爵家の領地で、大規模な狩猟大会があるんだけど》良かったら君も来ないかい?」
「……………」
後ろの使用人二人は一度立ち上がるが、やがてゆっくりと再び座る。あの二人にしては不可解な行動に眉を顰めるが、今はそこに注目すべきではない。
エドガーの放った言葉の一部がノイズに聞こえた。恐らく違法悪魔が関わっているのだろうが……今までと違うのは、事件性がある内容ではない事だ。普段なら人が殺されていたり、行方不明の人間がいるなど多少の悪魔の手がかりはあった。だがそれが今回はない。
やや照れ気味で頬を掻きながら、エドガーは話を続けた。
「私は《狩猟》が得意でね、君にいい所を見て欲しくて……もしかしたら、それで私に興味を持ってくれるかもしれないだろう?」
「………そう、ですね」
「勿論二人きりじゃなくて、パトリックも一緒に連れて行くつもりだよ!《毎年大規模に開催しているんだが》貴族平民関係なしに《参加できるから》君も窮屈な思いはしないはずだ」
「……そうです、ね」
「もしも、私にチャンスをくれるなら一緒に《ハリス領》へ来てくれないだろうか?」
「………そうですね」
なんだ、このノイズの掛かり方は?今までここまで細々と掛かった事はない。
私はノイズの掛かった部分を、聞き逃しがない様に集中しているからか返事が適当になってしまった。だがエドガーはそんな私に嬉しそうに笑顔を向ける。
そのまま立ち上がり、知らぬうちに握られていた右手の甲に口付けをされた。あまりの手際の良さに驚き体が震える。
「じゃあ、明日パトリックと迎えに行くよ」
「えっ?」
一体何を言っているんだ?そのままエドガーは名残惜しそうに手を離し、私達の分の伝票も持って店から出て行った。
エドガーは店から出たと同時に、サリエルとレヴィスが背後に禍々しいオーラを出しながらやって来る。彼らはずっと話を聞いていただろうし、エドガーの言っていた「明日迎えに行く」の意味も分かるだろうか?
「ねぇ、あの人明日なんで迎えに来るの?」
そう質問すると、二人は大きくため息を吐いた。
◆◆◆
知らない間に、デートの様なものに誘われ快諾していたらしい。家に帰ると話を聞いたケリス、フォルとステラが笑顔で「あの家潰そう」と言われた。この前はパトリックにあんなにも懐いて童貞童貞言っていたのに、ちょっとの色恋沙汰でなんて薄情な悪魔達だ。
使用人達は新しい依頼に喜んでいいのか、主人を手にかけようとする新たな存在と、関わってしまう今回の任務を憎むべきなのか複雑な気持ちらしい。多分、私が三十年間処女なのも、この悪魔達の異常な執着が原因だろうな。
三十年、つまり三十歳過ぎても処女か……童貞だと魔法使いと言われていたが、処女の場合は何だろう?魔女か?だから魔女って言われてるのか?
皆を宥めた後、明日から伯爵領で違法悪魔探しの為にも早めに寝る事にした。お供はまたサリエルでいいかな?何やかんや、貴族と関わる事が多そうだ。
部屋で眠りについて暫く、ベッドに何かが入り込む感覚がある。気のせいだろうと寝返りを打つが、それでも感覚が離れない。
何か、変な感触だ。身体中を弄られる様な、気持ち悪い感触。……もう朝なのだろうか?フォルとステラが起こす時に脅かそうと、寝具に入ってきたのかな?
私は目を少し開き、窓を見るがまだ夜だった。あれ、おかしいな?じゃあこの何とも言えない感覚はなんだ?寝ぼけたままの目で、私は体をずらして自分の上を見た。
月明かりに照らされて、明るい茶髪と灰色の目が見えた。
「お、ようやく起きたのか主」
「………………レ、ヴィス」
何かを吐きそうになった。その位吃驚した。ベッドで寝ている私に覆いかぶさるレヴィスは、普段と変わらない穏やかな表情で見つめてくる。お巡りさん不審者です。
私の表情を見て吹き出したレヴィスは、そのまま顔を近づけていく。先ほどから感じていた感触は、どうやら彼が何かをしていたらしい。何かは知りたくない。
「なぁ、ご主人様におねだりしていいか?」
「お、おねだり?」
とんでもない美形が、低い声で耳元に声を出してくる。他の悪魔達と違い、この男は自分の魅せ方を熟知している。あまりの色気っぷりに、私は顔を引き攣らせてしまう。
「そんな顔するなよ、別に取って食おうとしてないんだから」
「夜中にベッドに潜り込む奴に言われても」
「弄ってただけだぞ?」
「いや食いかけてるじゃん」
わざとらしくため息を吐いたレヴィスは、私からゆっくり離れた。そのままベッドの上に胡座をかく彼は、やや困ったように笑う。
「明日のお供、俺にしてくれ」
その言葉に、私は体を強ばらせた。起き上がり彼の正面で座り、恐る恐る声を出す。
「……何で」
「いい加減、半年も違法悪魔探しのお供をしてないからな。いい子で待てするのも飽きた」
そう言いながら首を傾げるレヴィスは、美しい顔をこちらへ向けている。
……彼は、他の悪魔達とは違う。
性格とか、そういうものじゃない。単に「相性」の問題だ。
それも悪いとかじゃない、良すぎるのだ。
「ちゃんと「抑える」から」
「…………」
「何なら契約を追加してもいいぞ?」
「………いや、いいよ。……今回はレヴィスに来てもらう」
流石に半年間も特定の悪魔から離れるのは、契約違反じゃないにしてもフェアではない。私が絞り出すように出した声に、レヴィスは穏やかに微笑んだ。
この屋敷の使用人で、料理担当のレヴィス。使用人達中で、一番穏やかな青年。
レヴィス。よく知られている彼の別の名は……海の悪魔、レヴィアタンだ。




