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19 幕引き


 顔つきが変わるだけで、同じ顔でもここまで他人の様に見えてしまうのだろうか?

 目の前に座るのは歌姫アイビーの妹、ノエル。鋭い目付きで、先程と違いきつい顔つきをしている。店主の言っていた「不貞腐れていて愛想がない」確かにそれが相応しい姿だ。

 ノエルは、私へ向けてわざとらしくため息を吐いた。


「十二歳の時に両親が事故で亡くなってから、アタシと姉さんは生きていく為に仕事をした。アタシは手先が器用だったから針子として。姉さんは愛嬌が良いし、何より歌の才能があったから酒場で働いた。それでも生活は貧しかったけど、大好きで尊敬する姉さんが側にいてくれるから、それなりに幸せだった」


 当時の事を思い出しているのか、私を睨む表情は変わらないのに口ぶりは穏やかだった。


「ある日、姉さんは偶然、酒場に来た総支配人のヒドラーさんに見出されたの。劇団員は評価によって給料が変わるけれど、有名になれば一生暮らしに困らないお金が手に入る。姉さんは喜んで総支配人の誘いに乗った。アタシも、才能ある姉さんが有名になると信じていた。……けれど、大きな舞台で活躍する演者は、酒場の歌姫には難しかった」

「アイビーさんの事、調べさせて頂きました。劇団員になったのは四年前ですが、歌の才能はあれど演技力の才能がなかった彼女は、貴女が入れ替わる以前は脇役にも選ばれなかったそうですね」

「……ええ。最初こそは楽しそうに稽古に行っていた姉さんも、周りの才能に押し潰されて荒んでいった。アタシは稼ぎが少なくなった姉さんの分も仕事を増やして、家に帰れば病んだ姉さんに八つ当たりをされた」


 皮肉そうに笑いながら、ノエルはゆっくりと目線を落としていく。

 ……どれだけ苦しかっただろう、大好きな姉が変わっていく姿を見るのは。それでも、生活の為に身を粉にして働いていた彼女の生活は。


 ノエルはソファの上で膝を抱き込み、そこへ顔を埋めた。


「三ヶ月前。姉さんは突然、劇団員を辞めて隣町の男爵と結婚すると言い出した。明らかに姉さんの体しか見ていないし、公認された愛人が何人もいる男だった。……アタシは当然、結婚に反対した。でも……でも姉さんが……!」


 彼女は体を震わせ、身体中を一心不乱に爪で掻きむしり始める。自分を落ち着かせる様に何度も深呼吸をしていき、やがて何度目かの深呼吸の後に吐き出すように声を出した。


「アタシの事は、もう妹じゃなくて!生活費を稼いでくるだけの存在しか見てないって!!そう笑うんだもの!!」


 掻きむしった所為で爪に血がこびりつき、それでも辞めずに彼女は自分を傷つける。


「じゃあアタシは、何の為に必死で働いてきたの!?何の為に仕事と家の往復で!遊ぶのもお洒落も我慢して!……っ、姉さんが……いつか舞台の上で笑ってくれると、いつか一緒に幸せになれると、そう夢見て……!」



 言葉を詰まらせ、嗚咽を出しながら泣くノエルを無言で見つめた。今彼女に何の慰めも必要ない。私はそれをする資格もないし、彼女がされる資格もない。どれだけの憎しみだったとしても、ノエルはアイビーを殺したのだから。


「……その時に、悪魔に出会ったんですね?」


 その言葉を投げかけると、ノエルは勢いよく顔を上げてこちらを見つめる。泣き腫らした目だが、背筋が凍える程の猟奇的なものを孕んでいた。


「ええ!その時にアタシの元へ悪魔がやってきてくれたの!!悪魔はアタシに寄り添い憐れんでくれた!契約で姉の歌声と演技力の才能を与えてくれて、対価はアタシじゃなく姉でいいって!!」

「アイビーさんは、それに了承をしたんですか?」

「するわけないでしょ!?体を縛って無理矢理悪魔に食べさせたの!!ああ今でも思い出せる、泣き叫んで拒絶する姉さんの姿!!……あの時にアタシは!ようやくアタシだけの幸せを手に入れたの!!」


 瞳孔を開き、大声で笑いながらノエルは叫んだ。

 それを眺めながら、私は小さくため息を吐く。……悪魔との契約は「同意」がなければ違反になる。今回は契約者はノエルだが、対価となったのはアイビーだ。つまりアイビーも自分が対価となる事に同意をしなくてはならない。だがアイビーは最後まで拒絶し、そして無理矢理対価になった。


 私は後ろにいるケリスへ目線を向けた。ゆっくりと頷くケリスはノエルへ近づこうとするが、首を横に数回ふって止めた。止められたケリスは怪訝そうな表情を向けるが、まだノエルには聞く事があるのだ。


「ノエルさん、キャロンさんとは最近会いましたか?」


 ケリスは私の問いかけに困惑した表情だが、ノエルは違った。それまで猟奇的に笑い声を上げていたのに、急にしおらしくなる。


「そういえば貴女、キャロンに会いに行ってたわね?キャロンはアタシの唯一の友達で、この前貴女が王太子殿下と観に来た舞台に、あの子も招待していたの。その内サプライズで、あの舞台に立っていたのはアタシだったってネタばらしするつもり!きっと驚いて、喜んでくれるわ!憧れの殿下とお話した話を、キャロンに伝えなくちゃ!」


 彼女のその言葉を聞いて、私は全ての仮説が正しかった事を悟った。嬉しそうに未来を語るノエルへ、真実を告げる為に静かに口を開く。


「キャロンさんは殺害されています。……死体を解剖した医師によれば、おそらく二日前、あの舞台が終わった後すぐに」

「…………え?」

「キャロンさんの部屋には、誰かをもてなす為のティーカップがテーブルに置かれていた。その人物に背中を何度も刺されながらも、必死に部屋から逃げようとしていた。……でも、結局は扉を開ける前に致命傷を受けて亡くなった」

「…………嘘……嘘でしょ、そんな……そんな事!!」




 ノエルは真っ青になりながら、首を横に何度も振る。


 キャロンの死体は何度も刺されていた。同じ年代の女性が、例え武器を持っていたとしても無傷はあり得ない。

 それにノエルは姉を対価にしてまで歌姫になろうとしたのだ。そんな彼女が怪我をする可能性のある事はしないだろう。もし誰か別の人間に代わりに殺害を依頼しても、キャロンが紅茶を入れて招く事はしないはずだ。


 だが、一人だけいる。

 それは友人の今の雇用主で、そう不躾な態度を取れない相手が。





 ……その時、彼女の後ろ。部屋の扉がゆっくりと開き始めた。


 やがて扉が全て開くと、奥に人影が見える。身長の割には痩せた体付きの男性で、穏やかな表情でこちらを見ていた。


 ノエルは扉の開く音で気付き、化粧が崩れた顔で後ろを向いた。そして目線を向けた先にいた男性へ、目を大きく開き驚く。



「………ヒドラー……さん……?」

「アイビー。駄目じゃないか、もうすぐ舞台が始まるのにそんな顔じゃあ」


 優しく諭す様にノエルに声を掛けた総支配人、マーカス・ヒドラーは、泣き腫らしたノエルの頬に手を触れようとした。

 ……でも、それは私が彼女を自分の元へ引っ張った事により、未遂に終わる。


 触れる事が叶わなかった手を見つめて、そして次には私を見た。その表情はノエルに向けていた穏やかなものではなく、怒りで顔が歪んでいた。


「この薄気味悪い魔女が!!汚い手でアイビーに触れるな!!」

「汚い手?それは自分の事でしょう、ヒドラーさん」


 引っ張り私の後ろへと追いやったノエルは、今まで見た事もないヒドラーの表情に怯え、そして全ての合致がしたのか、ヒドラーへ語りかける。


「……ヒドラーさんが、キャロンを殺したの?」


 ノエルの震えた言葉に、ヒドラーは何も答えない。


 だが、まるで愛撫するようにノエルを見るヒドラーに、肯定であると分かったのだろう。怒りと恐怖で、ノエルは震えながら浅い呼吸をし始めた。ヒドラーの底知れぬ恐ろしさに、私もつい舌打ちをする。


「どう見ても違法悪魔と関係があるのに、キャロンの事では一切ノイズが掛からなかった。……当たり前だ、悪魔は関わっていない。()()()()()()()()()()()()()()


 ヒドラーは歪んだ顔をこちらへ向けて、ジャケット裏に隠し持っていた短剣を右手に持った。その短剣は柄から抜かれると、やけに黒く錆びた跡がついている。おそらくキャロンを殺害したものだろう。


 そのまま一歩ずつ、一歩ずつ此方へ近づく。


「ああ、本当に目障りな魔女だ。三十年前も今も、なんの努力もしていないのに王や王太子に気に入られて!それでは飽き足らずに、私のアイビーまで汚そうとする!!」


 空中で短剣を振り回しながら、青筋を立てて此方を睨む。


「あのキャロンっていう娘もそうだ!!劇を見てアイビーの真相に気づいて、偽るのは止めるよう説得したいから会わせてくれだと!?アイビーは生まれ変わったんだ!!そんな事も分からない馬鹿な娘が、何をするか分かったものじゃない!!」

「……だから、殺したと?」

「当たり前だろう!?生まれ変わり進化を遂げた歌姫の妨げになる!アイビーに会わせてやると言ったら簡単に部屋に入れてくれたよ!馬鹿な娘だったが、痛みで泣き叫ぶ姿を見ていると、まるで私が劇の殺人鬼役の様で、最高に楽しかったなぁ!!」



 ……駄目だ、この男は狂っている。人を殺した事を、さも舞台上の事の様に伝えている。説得が出来るかも知れない、そう思ったが無理そうだ。私は後ろにいるケリスを見た。


「ケリス!!」


 ケリスは声に反応して、ヒドラーから守ろうと足を進めた。その時、後ろで庇っていたノエルが突然ヒドラーの元へ走り出した。手には彼女が付けていた、先が鋭利な髪飾りを持っていた。


「よくもキャロンを!!」

「待って!!」


 静止する声に耳を向けず、ノエルはヒドラーの左目に髪飾りを突き刺していた。

 激痛で唇を噛みながら、ヒドラーは呻き声をあげてよろける。やがてノエルへ向ける目が憎しみへ変わったのを見て、私は慌てて彼女を救おうと手を差し伸べた。


 だがその手は、ケリスによって捕まれてしまい叶わなかった。


「っ!!……この……恩知らずの淫女が!!!」



 憎しみは殺意を向けた表情となり、ヒドラーは持っていた短剣をノエルへ向けて振りかざした。その光景を、ノエルは他人事の様に呆然と見つめる。駆け寄りたいがケリスに掴まれた腕がびくともしない。

 ケリスを見れば、冷めた目線で此方を向いているだけだった。




「ノエル!!」





 呆然と立つノエルへ叫ぶと、彼女はゆっくりと此方を向いた。




 彼女は、美しい涙を頬に垂らしながら、笑っていた。



「ただ、ただアタシは……幸せにな」



 全てを言う前に、ノエルの首から血が噴き出した。


 噴き出る血は私の顔にかかり、そして奥にいた獣の様な男の笑う顔と、歯にも掛かる。


 その時、漸く動いたケリスは一瞬でヒドラーの前へ行くと、その獣の左目に刺さっていた髪飾りを抜き、反対の右目へ突き刺した。ノエルの時よりも強く深く刺さる髪飾りに、ヒドラーは痙攣をしながら床に倒れる。


「ノエル!!」


 自由になった私はノエルの元へ駆け寄るが、既に息を引き取っていた。



 ケリスは痙攣するヒドラーの首を掴み、締め殺そうと力を強くしていく。

 怒りが込み上げそうになるのを抑え、私は大きく息を吸った。



「ケリス待って」

「……ご主人様?」


 首の力をそのままにしながら、ケリスは不思議そうに顔だけ此方を見る。私はノエルを抱きながら彼女を見つめ、首を横に振った。


「その男は、私達が裁く相手じゃない」

「………………」

「もう、違法悪魔と契約したノエルは死んだ。……私達の仕事は終わったの」


 私の言葉に、ケリスは小さくため息を吐きながら首を掴む手を離した。

 手についた血を、倒れているヒドラーの服で拭い、それが終わるとメイド服の裾を軽く持ち上げた。


「かしこまりました。ご主人様」





 私は、自分の腕の中で静かに眠るノエルを見た。まるで眠っている様に見えるが、首は深く切られており、今にも胴体から取れてしまいそうな程だ。……すでに命が途絶えた人間を、癒す事は出来ない。


 ノエルを優しく床の上で寝かせると、私は次にヒドラーの元へ向かった。釣り上げられた魚の様に全身を痙攣させている彼の手を掴み、持っていた短剣で自分の手を切る。


「ご主人様!?」


 ケリスは慌てているが、私は彼女に答えなかった。切った事により垂れる血を、私はヒドラーの口元へ垂れ流す。


 男の唇に私の血が当たるのを見届けながら、呟く様に声を出した。



「……死んで終わりなんて、そんな幕引きさせない」






次回で歌姫編は最後です。

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