10 青年
エウリュアレーと二人で向かうと、イヴリンは私とダリを会場に残して去ってしまった。本当は着いて行きたかったが、気を遣っての行為だと彼女の表情で理解した。
故に、二人が帰ってくるまで無鉄砲なダリを監視しつつ、貴人達の欲深い光景でも眺めていようかと……………思って、いたのだが。
「……なんだ、アレは」
「えぇ!知らないんですか!?海の王レヴィアタンですよ!!」
「私が言いたいのはそういう意味じゃない」
突然、会場で大きな揺れと衝撃が起こった。氷山にでも当たったのかと慌てたが、甲板に出てれば巨大な化け物がいた。
この大型船よりも巨大な、恐ろしい化け物。唸る声は心臓を握りつぶす様で、その瞳は自分が塵なのだと思わせてくれる。
その長い胴体を船に巻き付ければ、漸く現実だと分かった鉄も人も悲鳴を上げた。
唖然とその生き物を見ているが、隣のダリは化け物ではなく周りを見回していた。この状況で何をしているのかと問う前に、彼女は頭を抱えて叫ぶ。
「これは窮地ですね!協力者が見当たりません!!」
「協力者?」
「はい!協力者です!イヴリン様を地獄から連れ出すと、ダリは今度こそサマエル達に殺される可能性がありましたので!!一刻も早く、ここから逃げましょうボス!」
ダリはそう叫べば、私の手を掴んで逃げようと足を進める。イヴリン達がまだ戻っていない、だから指示に反して立ち止まろうとした。だが男の私を引き摺る程の強さで引っ張られてしまう。
私は慌ててダリへ声を荒げた。
「ダリ!逃げるのは良いが、イヴリン達と一緒に……ッ!?」
声を出した途中、突然身体を捻り潰される様な、強烈な痛みが襲った。無意識に化け物へ顔を向ける。
……つい今まで、船を襲っていた化け物は姿を消していた。
周りは、突然消えた化け物へ混乱し、そして己が無事な事に安堵している。
急に、手を引っ張る力が消えた。逃げる意味がなくなったと判断したのか?私は海から目の前のダリへ目線を戻した。
だが、目の前には男がいた。
男はダリの首を強く掴み、天高く上げていた。
「よぉ、ダンタリオン。何でアンタとクソ商人が、主がいる船にいるんだ?……嗚呼いや、いいよ。全部知ってる」
背の高い、短い茶髪の男。その男には見覚えがあった、よく知った男だった。そう……よく知っている。
だが、今目の前にいる男は、知らない男だ。
「アンタだろ、主を地獄から攫ったの」
男は、穏やかな声でダリに問いかけた。だが首を絞められ、苦しむダリには返事が出来ない事は分かっている筈だ。なのに男は、窘める様に更に首を絞め上げた。
痙攣し口から唾液を溢すダリへ、男は再び声を掛けた。
「俺が、主を手に入れる為にどれだけ耐えたと思う?どれだけ理性を抑えて、どれだけ従順になって、どれだけ丁寧に扱ったと思う?」
声は次第に吐き出すものへと変わり、その声に反応して海波が激しく揺れる。
「やっと堕ちたんだよ。やっと俺達がいなきゃ何も出来ない、ただの豚になろうとしてたんだ。地獄で生きる為に、あの高慢女が足開いて媚びるようになったんだ。だからもうすぐだった。もうすぐ……イヴリンは下界も来世も全部諦めた、地獄で俺達に喘いで媚びる、ただの豚に……」
男は、ゆっくりと私へ顔を向けた。
灰色の瞳が、怒りで歪んでいるのだけは分かった。
「よくも滅茶苦茶にしてくれたな!!」
憎しみに塗れた、怒声と共に。海波が船を襲う。再び訪れた恐怖に、抗いようもない絶望に人々は息を呑んだ。
突然。後ろから強く何かに押される。
それは、背中から私の胸へ貫通する。……これは水だ。水が私の体を刺している。
ただの水の所為で、私の心臓は止まったのだ。
《 10 青年 》
「一体何が起こってるのよ!!」
聖人に支えられたシェリーは、この状況に混乱し叫んでいる。美しく着飾ったドレスは汚れ、葡萄色の巻き髪も、叫びながら頭を掻き毟る為に美しさはなくなった。
聖人はそんなシェリーを傷つけまいと、揺れにより落ちる障害物から身を挺して守っているので、此方など視界に入っていない。……好機だ。今は聖人やら何やらに構っている場合じゃない。レヴィスをどうにかして止めなくては。
私は気合いでサリエルの胸から離れ、何か言いたげな奴へ向けて命令した。
「サリエル。聖人様は後にして、レヴィスを止めに行こう」
私の命令が不満なのか、サリエルは眉間に皺を寄せる。が、最後には長いため息を吐けば、私の頭から手を離し、あっという間に横抱きした。
眉間に皺は寄せたまま、奴は美しい顔を近づける。
「そうですね。事情も分かりましたし、後はエウリュアレーに任せます」
「……エウリュアレー、お前の所為で隣でくたばってるんだけど」
「…………」
「おい無言になるな」
サリエルが、心底面倒臭そうな表情で何かを唱えた。
すると貫通した隣の部屋から痺れる電気の音と、勢いよく起き上がる音、そして悲痛で雄々しい叫び声が聞こえた。かわいそう。
電気ショックで目が覚めたエウリュアレーは、子鹿の様に足を震わせながら立ち上がる。自分の状況をよく分かっていないのか、此方へ呆然とした表情を向けた。
「えっ、え、え……わ、私……は」
「エウリュアレー。僕はご主人様と共に少し出る。それまで聖人の相手をしてくれ」
「サマエ……」
「お前の様な底辺上級が相手するのは骨が折れるだろうが、何とかしろ。出来ないなら死ね」
「し…死ね……?」
「嗚呼、あと剣を回収して僕に渡してほしい。出来なかったら僕がお前を殺す」
指示も要望も辛辣すぎる。捲し立てられる暴言に、寝起きのエウリュアレーがポカンとしてしまった。……心配になってきた。こんな心優しそうなエウリュアレーが、今まで上級も倒してきた聖人と渡り合えるのか?サリエルも同じ気持ちなのか無表情で……舌打ちしてた。心配じゃなくて苛立ちだった。
サリエルが私へ顔を向ける。多分先に聖人を相手したい、とかそんな感じか?……厄災レヴィスが心配すぎるが、エウリュアレーを見殺しするのも引ける。っていうかお前の息子だろ?エウリュアレーと行くからお前が相手しろよ、私から離れろ。
サリエルの引っ付き具合に呆れていたその時、何処からか革靴の足音が聞こえた。
音の方へ顔を向ければ、立ち上がったエウリュアレーの後ろから、誰かが此方へ向かって来ている。
それはシェリーと同じ葡萄色の髪、素朴そうな見た目の青年。最初にシェリーと挨拶した際に、後ろに付き添っていた青年だ。
青年は、突然の登場で驚くエウリュアレーの側で立ち止まる。朗らかに笑いながら、口を開いた。
「坊や、ここは私に任せて。お前はご主人様と共に、暴れん坊を止めに行きな」
青年から発せられたその声は、大人びた幼児の声だった。その声の持ち主をよく知っているので私も、そしてエウリュアレーも驚愕する。
青年は、隣の妹を見つめた。
「お前もまだまだだね。まさか肉親を見抜けないなんて」
「姉様!!!」
青年は闇を纏う。闇が消えた後には、青年ではなくステラがいた。
ステラはエウリュアレーに笑いかけた後、私とサリエルをまっすぐ見据える。
「坊や。お前の願いの通り、剣は奪ってやる。……まぁ、相手をする前に殺してしまうかもしれないが……いいだろう?」
「…………」
ステラは目を細め、サリエルを試す様に挑発的な言葉を並べていく。……少し、私の肩を掴んでいた手が強くなった。
「……かまわない。殺せ」
呟く様に。小さな声で答えを吐き出したサリエルへ、ステラは満足げに頷く。
その姿を見てすぐ、サリエルは私を横抱きしたまま、逃げる様に部屋から出た。
部屋から出たサリエルは、レヴィスの元へ向かう為に歩みを進めていく。
特に何も言わないので、私も黙っていた。色々気になる事は多かったが、別に聞いたとしても私には何の意味もない。故に黙っていたのだが……暫くすると、奴は小さく息を吐く。
「子の事、聞かないんですか?」
「興味ない」
まぁ若干興味はあるが……こんな脳筋サリエルでも、途方もない日々を生き続けた存在なのだ。妻の一人や二人、子供だっていてもおかしくない。そう思っての答えだった。
サリエルは予想外の答えだったのか、やや目を開いて驚いている。……が、すぐに戻って何度目かのため息。私の考えに気づいている様だ。
「僕がまだ熾天使だった頃。神に「ある世界」に聖人を与える様に命じられたんです。……だから、僕は」
「その世界の人間と関係を持った、って事?」
「はい……適当な娘達と関係を持ち、唯一生まれた子供に、僕は自分の剣を与えました。この先「あの世界」で神の栄光を語り継がせる為に。……ですが、まさかステラ達を襲っていたとは想像もしていませんでした。もう天寿を全うし、天に還っているだろうと」
確か、聖人の証言では「村人達に騙された」だったか?
仮説として挙げられるなら。強大な熾天使の力を持った聖人は、天使である父に習い「ある世界」での英雄となろうとした。……が、結局はその世界の人間達に良い様に扱われてしまった。という事か。………で、この世界でも貴族のお嬢さんに良い様に扱われていると……可哀想に思えてきた。顔が引き攣る。
「よかったの?息子ステラに殺されるんじゃないの?」
「かまいません。自分の行いの結果ですから」
「……ふーん、ならいいけど」
嘘だな、そう自分に言い聞かせているだけだ。どうやらサリエルにも、親心ってものは存在するらしい。
私がステラとエウリュアレーに命じれば、聖人は殺される事はないのかもしれない。……だが、彼女達の憎しみを止める理由もない。だから私は何もせず、運命に従う。
サリエルの首に手を回す。ビクリと震え立ち止まる奴の、耳元へ優しく声を呟く。
「息子に会えてよかったね」
言葉にもう一度震え、固まる。……だが暫くすれば、サリエルが甘える様に頬を擦り付けた。
「……はい」
パソコンが動かなくなり、スマホでポチポチ執筆したので、改行とか変な感じになっていたらすいません……今から新しいパソコン買いに行くぜ!!