17 二つのノイズ
遠くで鳥の囀りが聞こえ、そして私の頭を優しく撫でる感触がする。
あまりにも心地よいその撫でる手を、私は寝ぼけていたからか無意識に掴んだ。その行動に、手の主は小さく笑う。
「お目覚めですか?ご主人様」
「……うん、おはよう」
目を開くと、そこには手の主、絶世の美女でメイドのケリスがこちらに微笑んでいた。同じベッドの上で寝そべる彼女は、掴んだ手を優しく払いベッドから起き上がる。朝日を浴びて、彼女の美しい裸体が光り輝いて眩しい。
その光景を目を細めて見て、そして次に自分も同じく全裸な事を確認した。シーツで前を隠しながら、私の着替えを取りにクローゼットへ向かうケリスの後ろ姿に、私は起き上がりながら質問を投げかけた。
「ねぇ、何でケリスが私の部屋にいて、しかも全裸なの?」
余裕がある様に声を出しているが、まっっったく!余裕はない。全身から冷や汗をかきながら震えている。
私の質問にケリスは小さく笑い、クローゼットから取ってきた服を持ってくる……あと下着も。
彼女は平然と全裸のまま、ベッドの上に座っている私に、まずは下着を着せていく。いや服着ろよ。
「昨夜、アパートメントでの対価をご主人様から頂いたのですが……私ったら、興奮しすぎて加減を忘れてしまって。ご主人様が疲れで寝てしまわれたので、僭越ながら汚れたお召し物を脱がし、体を清めさせて頂いたのです」
「あー……対価、そうだった」
思い出した。自警団を呼ぶ前に、キャロンの部屋でケリスに第四の契約を使ったのだ。その対価を受け取りに昨夜ケリスが部屋にきて……疲れじゃなくて、血を吸われすぎて倒れたのだ。
「ご安心ください、血を頂く際につけた傷跡は癒しました」
「あ、ありがとう……?」
頬を赤く染めて、恍惚とした表情で見つめてくる美女に、私は顔を引き攣らせながらされるままに下着、その次に服を着せられる。
……いや、でも私の全裸の理由はいいとして。何でケリスも全裸なんだ?……っていうか、何で一緒に寝ていたんだ?
その答えを聞くのは恐ろしすぎて、彼女に真相を聞く事は出来なかった。
◆◆◆
「アイビー、お客さんだよ」
夜の部の為に、部屋で化粧を整えているアタシに総支配人が声をかけた。この忙しい時に一体誰?アタシは苛立ちを抑えながら総支配人へ笑いかける。
「こんな時間に?どなたですか?」
「この前、殿下と一緒に来ていた魔女様だよ。何でも急ぎで話があるらしい」
「……ああ、魔女様ですか」
思わず顔が引き攣ってしまうのを、無理矢理顔を作り笑顔を向ける。
この国で、魔女なんて忌まわしい名で呼ばれているのは、一人しかいない。
辺境の田舎街、そこで王室の屋敷を譲り受けのうのうと暮らしている女。さして美しくもなく、肌も白くもないその女は王太子殿下のお気に入りだ。この前もアタシと殿下の間に入り込んできて本当に邪魔だった。殿下がいなければ唾でも吐いてやるのに。
だが、そんな女にアタシはとある依頼をしている。女は探偵業もしており、未解決だったレントラー公爵家の殺人事件を解決に導いたらしい。レントラー公爵家といえば、この前の劇でも殿下と同行していた側近が、その家の子息だ。
あんな女が殿下と関係を深めているのも、その子息が後ろ盾になっているからだろう。公爵家の事件だって、本当は解決していたのに女の手柄にしたんだ。なんて悍ましい女だ、殿下の隣にふさわしくない。
アタシは女の元へ向かいながら、女が悔しがっている姿を想像して顔を歪ませていく。昼の部で疲れていた体も、そのお陰で軽やかに動いで進んでいく。
あの女がノエルを見つけれる訳が無い。……可愛い可愛い妹を探す為に、有名な辺境の魔女に頼んだのに無理だった。
そう世間に尾鰭を付けて伝えれば、皆アタシ、美しい歌姫に同情して、魔女を非難するだろう。そうなれば公爵家も見限り女を捨てて、殿下は可哀想なアタシを見てくれる。この美しい歌姫を見て、やがて欲してしまうだろう。
「ああ、駄目よ私。今は、可哀想な女の表情でいなきゃ」
聞こえない様に小声で言い聞かせながら、アタシは女が待っている部屋へ向かった。平静を装い扉をノックすると、中から女の声が聞こえる。
扉を開けると中には女と、女のお供の使用人がいた。美しい亜麻色の髪の美女、アタシの今の顔より数倍も美しいその使用人は、こちらを睨みつけている。思わず肩を震わせて、逸らすようにソファに座る女を見た。
女……魔女は、アタシに穏やかに笑っている。てっきり、ノエルを見つけれなかったから悔しそうな表情をしていると思ったが。
「アイビーさん。申し訳ございませんが、妹さんは見つけれませんでした」
だが魔女が放つ言葉は、最高に望んでいたものだった。待ちに待った大舞台、アタシは絶望的な表情を魔女へ向けて、崩れる様に床に座り込む。肩を揺らし、笑い声を嗚咽に変える。
「そんな!!!貴女なら見つけられると思ったのに!!!どうして!?貴女は有名な探偵でしょう!?私を騙したの!?」
泣きながら崩れるアタシは、悲痛な声をあげながら魔女を非難した。醜い魔女に騙された可哀想なお姫様、それが今のアタシ。
嗚呼なんて可哀想なアタシなんだろう!?誰がどう見ても皆アタシに同情するだろう!!駄目、まだ笑っては駄目!!もう少し待ってね、あともう少しで、王子様が同情してやって来てくれるから!!愛してくれるから!!だってそうなる様にお願いしたんだもの!!
だが、そんなアタシを見ても魔女は笑ったままだった。
魔女はそのまま、小さくため息を出す。
「……最初、貴女の歌声と妹さんの事でノイズがかって聞こえたので、てっきりこの二つは関係があると思っていました」
魔女はソファに深く腰掛け、天井を見ながら深呼吸をする。この魔女は一体何を言っているのだ?もしや悔しすぎて、頭がおかしくなったのだろうか?
だがそんなアタシの心情に反して、魔女は話を続ける。
「でも違う、この二つは全く別だった。貴女の歌声は、悪魔の事案によるノイズ。……でも、妹さんの話は違う。だっておかしいでしょ?貴女以外の人が妹のノエルさんの事を話しても、ノイズにならないんですから。しかも「妹を探してほしい」その内容だけしか反応しない。……じゃあどうしてノイズが聞こえるんでしょうね?」
……待て、今この魔女は「悪魔」と言った。何故その存在を知ってる?
アタシは泣く演技を止めて、目の前の魔女をもう一度見た。
魔女は、穏やかに笑ってなんていなかった。
嘲笑うように笑っていたのだ。
「そう考えた時に、ふと思い出したんです。……ノイズの音は、悪魔の事案と、契約者を狙わない為のマーキング。他の悪魔が契約した人間を、狙わない様、他の悪魔との契約を邪魔しない様にする為のもの。これが本来の使い方。三十年も前者でしか反応してこなかったので、すっかり忘れていました」
ゆっくりと立ち上がった魔女は、アタシの元へ一歩一歩近づいてく。
「貴女はもう居ない妹を私に探させた。「妹を探して」は私を陥れる為の言葉だった。だから貴女がノエルの捜索を願う時にはノイズがかかったんです。私が悪魔達と取り決めた契約には、自身の身の保護の内容がある。そこに引っかかったんでしょう。……いやぁ、本当に便利に見えて、面倒なノイズだ」
アタシの目の前にたどり着いた魔女は、恐怖で震える私の頬に手を添えた。
そして、やけに美しく嘲笑って見せるのだ。
「そうですよね?アイビーさん………じゃなくて、ノエルさん?」