16 契約の落とし穴
アパートメントで見つかった死体は、キャロンのものだった。背中に鋭利なもので刺された跡が幾つもあり、キャロンは犯人から逃げる為に扉まで行った所で、背中から心臓を抉られたのが致命傷となり、命を落とした。
死体を見つけた後すぐに自警団や軍に連絡をしたが、私が辺境の魔女と呼ばれる存在だと気づくと異様に質問攻めにあった。どうやら私が犯人なのではと疑っていた様だ。……まぁ、最終的にはそれを知った陛下により、私は無事に釈放をされたのだが。
「あー……王室に借りを作ってしまった」
「ご主人さま大丈夫ぅ?肩もみもみするぅ?」
「頭なでなでするー?」
食後の紅茶を飲みながらボヤく私に、フォルとステラが心配そうに駆け寄る。フォルは肩を揉み、ステラは椅子に座る私に背伸びをして頭を撫でてくれる。なんて癒しの子達なのだ、こんな可愛くて優しいのに、私の事お肉としか思ってないんだぜ?
一気飲みして空いたカップに、隣にいたサリエルが新しい紅茶をポットから注ぐ。落ち込んでいる私の表情を見ても、無表情のままだが、長年側にいる私にはわかる。めっちゃ呆れている。
「死体を見つけて、律儀に連絡なんてするからです。そのまま放っておけば良かったのに」
「いや、流石にそれは死んだ子が可哀想でしょ?」
「……でもその所為で、王室に借りを作ってしまったではないですか。どうするんですか、クソ王子と番になれとでも言われたら?ご主人様が大好きなこの屋敷に、住めなくなりますが?」
「クソ王子……」
確かに、今まで王室に助けてもらった事は多いが、今回は殺人事件の疑いを権力で晴らして貰ったのだ。そこまでの借り、どう返せばいいのか分からない。
返せと言われる前に何かを贈ればいいのか、それとも音沙汰がない事を祈ればいいのか……兎に角、厄介な事には変わりない。私は背もたれに深く掛けながら考え、そしてある提案を思いついた。
「……あー……まぁ、正室や側室は嫌だけど、愛人位なら迷惑掛からなそうだし、なってもいいかな?」
王太子、というか人と婚姻するのは、時の流れも違うので遠慮したいが……愛人、その立場なら私でも何とかこなせるかもしれない。
要は体の関係だけだろう?目を瞑っていれば終わる任務だ。それにルークの顔は嫌いじゃない。もしも本当にサリエルの言った通りの事を国王に命令されるのなら、打開案として提案してもいいかもしれない。「王か王太子の愛人」と言われてるのが本当になるので癪ではあるが。
なんて思って言葉にしたら、隣で何かが割れる音がした。その音に反応したフォルとステラは、急に離れて食堂から出ていく。二人の態度に呆気に取られていると、横から歯軋りの音が聞こえた。音が止むと、今度は声が聞こえる。
「……何を言っているんだ、君は」
「えっ?」
地を這う様な声が隣から聞こえる。……恐る恐る隣を見ると、青筋を立てながらこちらを睨んでいるサリエルがいた、彼の足元を見ると、紅茶の入っていたポットが粉々になっている。さっきの割れる音はこれだったか。
「サ、サリエ」
「愛人になってもいいだと?そんな簡単にあの人間へ、その体を明け渡すのか?」
私が座っている椅子の背もたれに手を添え、サリエルはゆっくりと顔を近づけてくる。普段の礼儀正しさもない、表情も豊かになった彼は睨みつける。
思わず後ろへ逃げようとしたが、その前に背もたれに添えていない手で腕を掴まれる。腕に触れるサリエルの手の感触は、まるで鱗がついている様に冷たく滑らかだ。
「君の魂も、体も全部僕のものだ。僕が君を見つけ、僕が崩れた体を丁寧に戻してやったんだ」
赤い目の瞳孔が細くなり、まるで獲物の様に自分を見てくる。どんどんと近づくサリエルの顔に、私は顔を逸らす事ができずに見つめている。逸せないのではなく、体が動かないのだが。
「君がそんな簡単に純潔を捨てれるなら、僕が貰う。あんな赤子同然の人間に、僕のものを汚されてたまるか」
もうすぐ唇が触れてしまうまでの距離で、サリエルは変わらず睨み続けている。
ふと唇に触れるねっとりとした感触は、よく見ればサリエルの長い舌だった。先が蛇の様に裂けているその舌は、唇を弄ぶ様に舐めている。
「僕は契約は守る。……だから、早くその美味そうな口を開けて、僕を受け入れると言え」
「………ぐ、」
これはやってしまった。めちゃくちゃに怒っている。まさかサリエルがそこまで純潔に拘っているとは思わなかった。いや、もしかしたら独占欲が強いのかもしれないが。
契約で守られている、危害を加える事を禁じられているとはいえ、私が受け入れたものは「危害」ではなくなる。今もサリエルは受け入れて貰おうと、私を恐怖で支配しようとしているのだ。
悪魔達は皆、今までお互いに牽制し合いながらも、理性的に契約を守ってくれていた。……だが、ここまでサリエルに怒りを向けられた事はない。今日の死体を見た時だって、今ほど恐れを感じなかった。
目の前に美しく、恐ろしい表情を向ける悪魔がいる。だがやけに冷静な私は、無言で彼を見つめた。
………もういっそ、サリエルに処女を奪って貰った方がいいか?三十年も守っていたのだ、私だって少なからず性欲はある。こんなに求められているのであれば、もう女冥利に尽きるのでは?
悪魔が初めての相手なのはやや不安だが……でも絶対サリエルなら痛くない。これは確実に断言できる。
「………い、痛くしない?」
私の苦笑いの問いかけに、サリエルは目を大きく開いた。だがそれも直ぐに再び険しいものに変わるが、何だが眉間の皺がさっきよりも多い気がする。
「しない。絶対にしない」
「すごい断言してくるじゃん……」
「僕がこれまで、どれだけの人間と契約して、どれだけ女の欲を満たしたと思ってるんだ」
「そんな威張って言う事じゃないよそれ……」
私は呆れながらため息を吐く。少しだけ怒りが収まった様だが、今度は興奮しているのか息が荒い。屋敷中の掃除を走って終わらせたケリスと同じくらい荒い。
それは恐らく、次に私が言う言葉を察しているからだろう。まさかそこまで興奮してくれるとは、体の一部をくれてやるとかじゃないし、悪魔も性交ではお腹は満たされないと思うが?
もしや、性交も舌ベロベロと同じ様なものか?……はぁ、全く、悪魔が求めるものが分からない。
興奮しているサリエルに、若干引き気味になりながら。
私は再度ため息を吐いて、ゆっくりと声を出す。
「私はサリエルを受け入れむぐっ!?」
「危ないなぁ。危うく淫乱に、主が好き勝手される所だった」
私の受け入れる言葉は、急に後ろから口を無理矢理塞がれる事で、最後まで言う前に途中で終わってしまった。
塞がれたまま驚いて後ろを見ると、そこには穏やかな笑顔を向けるレヴィスがいる。ついでにその後ろにはフォルとステラも。何なら険しい表情を向けるケリスも。
「サリエル、お前抜け駆けは良くないな?最初の頃に約束してただろ?」
「……………チッ」
サリエルは物凄い舌打ちを鳴らしながら私から離れる。ケリスは険しい表情のまま、持っていたハンカチで私の唇とその周りを拭い始める。
「痛い痛い痛い!!!」
「ご主人様に、いやらしい蛇の匂いがついてしまう!!!」
フォルとステラは、可愛らしく頬を膨らませながらサリエルの体を叩いている。どうやら自分達だけではサリエルを止める事は不可能と思い、他の悪魔を呼んできた様だ。
私はそのまま、レヴィスに笑顔で「馬鹿主」と叱責された。
レヴィスにお叱りを受けている際、サリエルは元の無表情に戻っていたが、目線だけはやけに獣じみていた。