159 錆びれる
区切りがいいのでここまでにしていますが、大分短いです。申し訳ございません……。
廊下から聞こえる、忙しない足音。ベッドから起き上がった俺は、もうじき開かれるだろう部屋の扉を見つめた。
予想通り扉はノックもなしに開け放たれ、向こうには焦りを隠せない好きな人がいる。相当慌てて来たのだろう、ドレスは皺だらけで、髪なんて後ろがハネている。だが愛らしいのは変わらない。
『アレキサンダー殿下!!体調が可笑しいと聞きまし………ん?』
『おはようイヴリン、今日もお前は元気だな』
ベッドの上で、血色の良い表情で笑う俺に、イヴリンは呆然と俺を見る。夜色の瞳に吸い込まれそうだ。
『え、あれ?あ……おはようござ、います?』
『今日は野鳥を狩りに行こうと思うんだけど、いいかな?』
『……やっ……あの……体調……?』
暫く呆然としていたが、俺の姿と近くにいた付き人の表情で察したらしい。彼女はその場で座り込み、長いため息。そんな彼女も魅力的だと思う。俺も大分末期だな。
『……騙しましたね?』
ジロリと此方を見る彼女へ、顎に手を添え、少し考えてから答える。
『騙してない。朝起こしにきた使用人に「ベッドから起き上がれない」って言っただけ』
『城の使用人からは「今にも倒れそうな真っ青な表情で「起き上がれない」と言われてた」と聞いているんですがね!?』
『俺の周りは心配性だからな』
『絶対に演技しましたよね!?』
『王子じゃなかったら、演者になれてたかもな』
『開き直らないでください!!』
イヴリンは、まるで猫みたいにシャーシャーと文句を言っている。俺は笑いながらベッドから降り、彼女の元へ歩みを進めた。
目の前で立ち止まれば、彼女を立ち上がらせる為に手を差し出す。
『だってお前、最近全然来ないじゃないか。探偵業が忙しいのかと思ったら……北区で知り合った子供と、図書館に入り浸ってるって?』
『え、何故それを』
『フォーレンに頼んで調べてもらった』
『次期ルドニア総大将に何させてるんですか』
手を取りながら、彼女は俺に呆れた表情を向ける。
……調べもするさ。お前が俺以上に優先する事なんて、気になって仕方がないんだ。ひょっとしたら懸想してる奴がいるんじゃないかって、変な心配までしてしまう。自分が情けない。
立ち上がったイヴリンは、俺へ目線を向ける。だが見ているのは目ではなく、別の部分の様だ。何処を見ているのかわからず問いかけようとすれば、その前に答えが呟かれる。
『髪、随分伸びましたね』
『ん?ああ、確かに伸びたな』
確かに数年前の、抜け落ち軋んだ髪から随分と整った。もうすぐ肩に付きそうな髪を摘んで見せる。
『せっかくだし、髪伸ばそうかな?』
巫山戯るように笑いながら、調子のいい事を言ってみる。きっと彼女の事だから鼻で笑うか、もしくは「私に聞くな」とか言いそうだ。そんな予想を頭の中で考えながら、彼女の反応を確認する。
……けれど予想に反して、イヴリンは俺の言葉にゆっくりと頷いた。
『髪の長い……その、ア……アレクも、素敵だと思います』
昼間の暖かな光を浴びても、分かる程に頬を赤くして。彼女の夜空色の目が俺を見つめる。
込み上げる高揚感と、幸福が一気に押し寄せた。……繋がれている手に、どちらのものか分からない汗が滲みる。
「アレク」
声が聞こえる。聞き慣れたもので、それでいて私に夢を与える声だ。
ゆっくりと目を開ければ、すぐ近くに人影が見えた。誰が来たなんてもう分かる。私はまだ見えない顔に向かって微笑んで、寝起きの掠れた声を出す。
「やぁ、随分遅かったじゃないか」
言葉では窘めていても、それは仕方がない事だ。彼女は私を助ける為に人々の前で癒しの力を使った。その結果、聖女認定を受けてしまったのだ。
怪我は治った。だがその頃から体調が芳しくない。医者に見せても健康そのものなのに、体が衰えていくのが実感できる。今では殆どの公務をルークに任せて、部屋で寝ている事が殆どだ。……まるで、ルシエールの時と同じだ。
息を吸えば、鉄錆の匂いがする。もしや、彼女は怪我をしているのだろうか?鉛の様な体を動かして、手を影の元へ向かわせる。
手に誘われるように、影が動く。
漸く影は、その姿を露わにした。……彼女の姿を。
それは、確かに彼女だ。
だが私は、恐怖で唇を震わせた。
「…………お前は、イヴリンじゃない」
その言葉に「彼女の顔」は目を大きくさせた。
だがすぐに軽蔑したものへ変わり、私へ唾を吐く。
「あーあ。本当に君は腹が立つな。王子様は全然気づかなかったのに」
目線を下げながら嘲笑う、その存在の言葉に背中が凍る。
更に重たくなる鉛の体をゆっくり動かし、体を起こす。可笑しい、部屋に付き人も護衛もいない。周りへ助けを呼ぼうにも、声が上手く出ない。
存在は私へ目を細め、そして足元を見ろと言わんばかりに頭を下げる。……私は、その通りベッド下を見た。
鉄錆の匂いが濃くなった。
床には血溜まりと、私と同じ銀髪が見えた。それが誰かなんて、すぐに分かる。
「ルーク……」
小さく掠れた声が、息子の名を呼ぶ。
彼女の顔をもつ存在は、血で錆びれた短剣を持っていた。