157 結末まであと少し
「まさか「あの方」が不自由なく這入れる器があるとはなぁ。大体力使ったら、器が爆ぜるのに」
「このクソの先祖と交わった悪魔、おそらく……」
突然聞こえる、見知った悪魔達の声。急に覚醒した意識と共に、灰色と赤の瞳が此方を伺っている。
驚き離れようとしても、後ろは壁なので身動きが出来ない。灰色目が鋭くなり、俺の顔横に手を置いた。近づく体からは、少し潮の匂いがした。
「お目覚めになりました?」
「り、料理人……?」
「……お、よかった。元に戻ってるな。もうアンタに頭を下げるのは勘弁してほしい」
俺の反応に安堵したのか、料理人の目元は緩くなる。元に戻るとはどういう意味だ?この状況は何だ?何を答えれば良いのか戸惑えば、次に赤目執事が此方を睨みつけ、料理人とは反対側の壁に手を置く。随分前に襲われた時を思い出してしまい、体が硬ってしまう。
「お前、僕の「封印」を自力で解いただろう?先日の舞踏会で」
「は?」
「夢の中での無意識ではなく、現実世界で力を使った。火事場の馬鹿力か知らないが、その所為で「あの方」がお前の存在を知った。そしてこの世界での「器」としてお前を使った」
「……「あの方」……?」
呆けた声に苛立っているのか、どんどん眼光が鋭くなる。恐怖に目を逸らせば、今いる場所が教会本部の聖堂なのだと気づいた。何か催しをしていたのか、中央には判決者の椅子、そしてまだちらほらと聖職者達がいた。
何故ここにいる?俺は、殿下に「王令」を出すように願い出ていた筈だ。でもそれが難しい事を悟り、何とかイヴリンを助ける手立てがないのか探し回っていた。
……そうだ、その後からだ。城から出た途端、急に眠気に襲われた。寝不足なのか最近よく起きる症状で、医師からは「爵位を得たばかり故の精神的なもの」と診断されていた。……だが、この執事は「器」だと言っている。それではまるで……否、今この件を考える暇はない。俺は二人の悪魔へ顔を向けた。
「イヴリンは何処だ?」
彼らがここに居るのであれば、イヴリンも近くにいるだろう。今彼女は偽りの聖女として広く知れ渡ってしまった。俺で何かできる事があれば教えて欲しい。俺の事を考えたり、男二人に壁に追い詰められている場合ではないのだ。
俺の質問に執事は聞く耳を持たずに睨みつけているが、料理人は鼻で笑う。壁に付けていない方の手で、奴はとある場所を指さす。
「主ならほら、あそこ」
示された場所、ここから一番遠い長椅子の端近く。そこにイヴリンがいた。相変わらずの高慢そうな表情で、長椅子に座る聖職者へ何か伝えている。後ろには残りの悪魔達と、俺の弟までいた。……一体何をしているのか?それは俺達の前を通り過ぎる神父の話し声で理解した。
「恐ろしい女だ。まさか聖人アダリムを穢す事で勝利を得るとは」
「今回の審問会には箝口令が出されたが、本当にそれで良いのだろうか」
「まさか、聖人アダリムの生まれ変わりの神父も……あの魔女と同じで、神に背いて力を得たのか?」
「俺達は、一体何を崇拝していたんだ……」
◆◆◆
判決者は、聖職者達は。私の問いに答える事はなかった。そちらが先に証拠を出せと言ってきたのに、なんとも無様な事だ。
彼らは私を裁く事は出来ず、この審問会では箝口令が出され幕を下ろした。つまりは事実上の、私の勝利で終わったのだ。
結末を終えた舞台へ皆が去る中、ラファエルだけは座り止まっている。私はローガンへ感謝を伝えた後、奴の前まで歩みを進めた。
目の前で立ち止まれば、ゆっくりと口を開く。
「お前、結構馬鹿だよね」
顔を下げていても、奴の憎しみ溢れた歯軋りの音は聞こえた。だが怒りを持っているのは私も同じだ。……呆れた。本当にこの天使は頭が悪い。
「色々話は聞いた。お前の大義名分は神父様に、神の愛……まぁ言うなら幸福を与える為だろうけど、間違いだよ。お前が持っている神への復讐とか、それ以前の問題でね」
「……何が分かる」
「むしろ何故分からなかったの?お前、六百年も何をしていたの?アダリムの何を見ていたの?」
突然、ラファエルは激昂した表情で私の胸ぐらを掴んだ。後ろで悪魔や、ルディが止めようとするが、それには私が手を上げて周りを宥める。
言葉が出ない程に、言葉にできない程の怒りを抱えているのだろう。荒々しい呼吸が肌に何度もあたっても、奴は罵倒する事はなかった。私はそんな奴へため息を吐く。
……だが、奴の表情は一瞬で崩れ、胸ぐらを掴む手は緩む。次には迷子の子供の様に周りを見て、何かを探していた。意味不明な行動に眉を顰めたが、その答えは忙しない足音で理解した。
開けられていた聖堂の扉、出ていく聖職者達とは反対に進む男。周りはその男の存在に驚くが、男は気にせず体を動かし聖堂中を見ている。どうやら人を探している様だ。
やがてその頭と、紫の目は此方へ向けられた。
「あ!いたお嬢ちゃ……ラファエル枢機卿何してんの!?」
アダリムは私へ顔を綻ばせ、そして私とラファエルの状況に気づけば慌てて駆けつける。……ついこの前まで私を警戒した表情で見ていた筈だが、今のアダリムは私へ安堵の表情を向けている。……おいまた言ったなダンタリオン。後で覚えてろよ。
突然の「脅威」の登場に、私の後ろにいる悪魔達も、ついでにパトリックに詰め寄るサリエルとレヴィスからも禍々しいものを感じる。もう何度目か分からないため息を吐いて、此方へ向かってくる神父様をじっとり見る。
「神父様、どうしてここに?うちの使用人達が迎えに行っていた筈ですが」
「いや、あいつらも一緒に来てもらおうとしたんだけど、二人に触ったら急に倒れちまって……だからエドガーに頼んで来た馬車で休ませて、ここには俺だけ来たんだ」
なんという事だ、こいつ的確に急所を攻撃している。顔を引きつらせれば、アダリムは不満なのか眉をひそめた。
「なんだよその顔!お前が火炙りにされそうって!慌てて…………駆けつけたら、もう終わってて、なんでか養父と喧嘩してた。なんで?」
「遅いからです。お疲れ様でした帰ってください」
「おい待てよ!さてはこれ喧嘩じゃないな!?どうせ口の上手い嬢ちゃんが煽ったんだろ!?すいません枢機卿、この子クソガキですけど、良い子ではないんですけど、ここは俺に免じて許してやってください」
「すごい煽ってくるじゃん」
もう緩んでいた胸ぐらの手を、アダリムはそっと離して謝罪している。何となく分かってはいたが、この男は私が審問にかけられた、本当の理由を知らないのだ。随分と呑気な事だが、面倒そうだしそれでいいのかもしれない。
自由になった体で背伸びをして、私はアダリムへ顔を向けた。
「神父様、ラファエル枢機卿は貴方を幸福にしたい為に、貴方を聖人アダリムに仕立て上げたみたいですよ」
「えっ?」
ラファエルの体が大きく揺れた。驚くアダリムへ言葉を続ける。
「全部全部、貴方へ「幸福」を与える為なんですって。親に捨てられ戦争孤児になって、立派な神父様になっても其れで差別される貴方の為に。皆に認めて貰う為にやった事ですって。……ま、失敗しましたけど」
「……俺の、ため?」
真実はもっと悲惨なものだが、彼には偽りを伝えるべきだろう。過去の記憶がないのであれば、そのままでいるのがいい。
アダリムは己が聖人にしたてられた理由を知り、見開いた目をラファエルに向けた。
「……ラファエル枢機卿、俺の「幸福」のにこんな事を起こしたんです?皆に認めてもらう為に?親に捨てられた俺が、もう差別されない為に?」
ラファエルは言葉を発さない。それを肯定とみたアダリムは、己の口元に手を添える。……が、それはすぐに無駄となり、大きな笑い声をあげた。
聖堂に響くアダリムの笑い声に、ラファエルは驚き顔を向ける。きっと、奴には何故笑っているのか理解できないのだろう。
「あははは!そりゃそうか、俺「神業」なんて持ってないし!……全く、本当に……本当に、貴方は分かってない。俺の幸福の為?そんなのもう大丈夫です、俺は最初から……貴方に見つけてもらったあの日から、不幸なんかじゃない」
アダリムは笑いすぎて目に涙を浮かべながら、穏やかな表情でラファエルの手を握る。
溢れるほどに大きな目をアダリムへ向けた奴は、ようやく理解する。自分が何を間違えていたのかを。
「俺は、貴方がいれば幸せなんです。………義父さん」
……本当に、この天使は馬鹿だ。
この男は、神の愛などいらない。
六百年前も、今も。この男は家族の愛を欲しかっただけなのに。その家族は、今では自身なのに。
この神父は、もう不幸ではない。