154 口が軽い
普段なら耳障りな程に聞こえる外の声が、やけに今日は静かだ。皆聖堂に集まっているのだろう。何せ、一度認定された聖女の虚偽疑惑が浮上したのだから。
軟禁された部屋の窓から見えるのは、敷地の端にある聖堂だ。中の様子など見れやしないが、此処からでも緊張感は伝わってくる。窓枠を強く掴んで、苛立ちため息を吐いた。
「随分と勝手だな。お嬢ちゃんを聖女に仕立て上げたのは此方の癖に」
皆分かっている。彼女自身は聖女を望んでいなかった事くらい。けれど規則は変わらない。聖女ではないのであれば、聖女を偽った罪人として扱われる。教会本部が認定した、その罪さえも彼女に押し付けて、そうしてこの宗教は続いていく。
彼女は言った。「無様に対抗しろ」と。何をさせるつもりなのか聞いても、いずれ迎えに行くとだけ伝えて去って行った。……そうして今の現状だ。どうしたらいい?
軟禁状態の俺が出来る事などある訳もなく、祈りを捧げる相手などもういない。外側に護衛の張り付いている唯一の出口を一瞥し、出来る事に苦笑いをした。
「俺が兵隊さんに敵うわけもねーし……いや、いっちょ聖人っぽく振る舞ってみるか?」
此処にいても意味はない。迎えに来ないなら、自分から行ってしまえばいい。そう己を鼓舞しながら、窓から離れ扉へ向かう。
が、その時扉の向こうが騒がしくなる。何かに向かって叫ぶ男達の声と、苦しみ悶えながら倒れたのか、扉にもたれる音。
何が起きたのだと立ち止まれば、やがて扉は外側から開かれる。開けられた扉から、ずるりと部屋の中へ二人の男が倒れ込んできた。
唖然と見るその男達の胴体に、手入れのされた革靴が押し当てられ、そしてため息。
「前来た時と、部屋の場所が違う……本当に天使は用心深い」
「お、お前は……」
息苦しそうに正装のタイを緩める、薄紫の髪を持つ青年。イヴリンと共にいた使用人だ。奴は俺の顔を見るなり、黄緑色の瞳を鋭くさせた。額には汗がついている。
「あまり此方に来ないで頂けますか?貴方の匂いで、今にも吐きそうなんです」
「えっ」
近づこうとした足を勢いよく止める。衝撃的な言葉に固まるも、青年は険しい表情のまま、扉を開けた状態で廊下へ戻り歩き出す。……どうやらついて来い、と言っているらしい。何故だ?
「お、おい!一体何処に行くんだ!?」
「取り敢えずは、辺境にある屋敷に行きます」
辺境の屋敷とは、イヴリンが長く住んでいた屋敷の事だろう。俺を逃がしてくれる事は有難いが、理由は何だ?躊躇い部屋に出るのを戸惑えば、青年から舌打ちが聞こえた。
「早くしてください。貴方には人質としての仕事があるんですから」
「人質……?」
「ご主人様が万が一敗北した際の、交渉の為の人質です」
そうか、今イヴリンは審問会を受けている。その判決で己が聖女ではないと断言されてしまえば、重い罰になる事は間違いない。教会本部はルドニア国内にあるが、この敷地内では国の権限が効かない。ひょっとしたら、聖女偽装で処刑になるかもしれない。そんな万が一の際に交渉手段、つまりは人質として俺を使うのか。
漸く理解した俺へ、青年は再び舌打ちをしながら歩みを進めた。……その時、小さく愚痴を溢す。
「全く……血が繋がっているとは思えない程、頭が弱い」
「え?」
言うつもりではなかったのだろう。青年は溢れた愚痴に我に返ったと思えば、その次は何もなかったかの様に進んでいく。
血が繋がっている、その言葉が頭の中で繰り返される。言葉の意味を知る為に、青年を追いかけ部屋から出た。
「待ってくれ!血が繋がってるって、俺と誰だ!?」
「…………」
「お、おーい!!俺と誰が!血が繋がってるんだ!!」
「………………」
「おいゴラァ紫頭!お前絶対に聞こえてるだろ!?無視すんじゃねぇ!!」
見境なく思いっきり叫んだ。しかし無反応。腹が立ち奴を止めようとしたその時、青年の歩く前から大きな声量が聞こえる。
「あーー!!ベルフェゴール、クソマズ神父見つけたんですね!流石覗き見の達人です!!」
「ダリ、その言い方やめてください」
美しい金髪の美女、確か前に教会で倒れた気狂い女だ。ふんふんと鼻息荒く、声高々と張り上げ、指を此方にさしながらやって来ている。しかも後ろにはエドガーまでいると来た。何故此処にいるのか混乱する中、ベルフェゴールは不満げな表情を彼女に向ける。
「待ちくたびれたので、先に行動していました。予定ではもっと早い筈では?」
「すいません!骨の調査をするガリガリ豚が、北区へ行きたいと抜かしてきて!」
「その豚は?」
「サマエル達と聖堂に行っています!」
「成果は?」
「完璧です!!」
笑顔で報告する気狂い女に、ベルフェゴールは納得した様に頷いた。……言っている意味が分からない。唖然と美しい者達の会話を聞いていると、エドガーから揶揄う様に笑い声が聞こえる。
「軟禁されたって聞いたから、随分とやつれているんじゃないかと思ったけど……よかった、元気そうだね神父様」
「お前、何でこんな所に」
「イヴリンに頼まれて、ちょっと色々手伝っているんだ」
「頼まれたって……」
おい商人様、ちょっと頼まれてこんな所まで来たのか?いくら寄付者筆頭だとしても、今この場面を見られればタダじゃ済まないだろ。本当にこの男、惚れた女には弱すぎる。目の前の恋愛能男に顔を引き攣らせていると、ベルフェゴールと話していた気狂い女が此方へ目線を向ける。
「そういえば疑問だったのですが、このクソマズ神父とイヴリン様って、どっちが上なんです?」
「上?」
「……ダリ、黙ってください」
意味不明な言葉に、ベルフェゴールの表情が一気に険しいものへ戻る。だがそんな事は気にしない性格なのか、ダリは俺の質問に答えてくれた。
「ほら!貴方とイヴリン様って血が繋がっているじゃないですか!?だからどっちが上なのか気になって!見た目を考えれば貴方が兄でしょうけど、イヴリン様と貴方は生きた世界が違うので、時の流れも違うかもしれないでしょう!?」
「「えっ」」
同時に声を出したのはエドガーだ。お互い唖然とした表情で顔を見て、再びダリへ目線を戻す。……彼女の後ろで、ベルフェゴールが疲れた様に額に手を置き項垂れていた。
恐る恐る、必死に顔を取り繕ってダリへ質問を投げかける。
「あの、ダリさん……その言葉を聞くと、まるで俺とお嬢ちゃんが……「きょうだい」みたいだよ?」
震える声で問いかければ、彼女は目を大きく開き、ギョロギョロと目を動かし始めた。目が泳ぎすぎている。
暫くすれば、大声で叫んだ。
「何でもないです!!決して!イヴリン様と貴方が肉親とか!何も言ってないです!!」
「いやもう言ってるんだよ」
◆◆◆
誰が最初に言ったか、誰が其れを呼んだかは分からない。
「其れ」は悪魔なのかも、神が造ったのかも分からない。
けれど其れは、其れ自身が「地獄」と呼ばれる。……そう、只の絶望だ。
其れはパトリック・レントラーの顔で此方を一瞥した後、すぐに視線は判決者へと向けられた。同じく扉から聖堂へと入ってきたサマエルから、革鞄を受け取り中身を見せる。
「判決者殿、此方をご覧頂いても?」
「な、何を……ッ!?」
そう中身を向けられた判決者、そして周辺の傍観者達から悲鳴が聞こえた。一体何がある?その答えは、其れが鞄の中身を手に持った時に理解した。
「先程、ルドニア城の隠し地下が発見された。その地下には異国の様な言葉が書かれた魔法陣と、大量の人骨も発見された。人数は……余程暇人でない限りは、数えようと思わないだろうね」
手に持っていたのは骨だ。此方へも向けられた鞄の中には、他にいくつも詰め込まれていた。判決者は混乱した表情で口を開く。
「ルドニア城の地下!?一体、どうしてそんな所に」
「その人骨を著名な先生に調べてもらった所、すべて六百年前の建国時代の骨で間違いないないそうだよ」
「著名な先生……?」
復唱した言葉と共に、扉にはまた人影が此方へやって来た。漆黒の髪と瞳、金刺繍で彩られた正装を着こなす男。その男が現れた途端、再び聖堂は混乱に包まれる。……男は虚無に笑った。
「お初にお目にかかる。と言っても皆ご存知だろうが、俺の名はローガン・ランドバーク。田舎街を領土にしている、ランドバーク子爵の弟だ。普段は北区自警団にて犯罪心理捜査と解剖解析を担当。ついでに国立学校で法医解剖を教えている」
「ドクター・ランドバーク!?貴方程の方が、この骨の解析をされたんですか!?」
「其処の魔女様と俺が知り合いな事位、貴殿達なら知っているだろう?あんなにも俺の家に西区自警団やら、ここの捜査隊を寄越したんだ」
嫌味とも取れる言葉に、聖職者達は心当たりがあるのか声をつぐんだ。ドクターはその姿に鼻で笑い、そして中央にいる魔女の元へ歩みを進める。
「遅くなって悪かった。俺が来るまでの間、彼らに何かされなかった?」
魔女へ向ける表情は穏やかなもので、魔女も彼には心を許しているのか、目元が緩くなっている。
「遅いよ、来ないかと思ったじゃん」
「失礼な、俺の魔女様が危険に晒されているんだ。来るに決まってるだろう?」
「あら、魔女様でいいの?」
「嗚呼すまない。俺の、愛しのハニーか」
「よろしい、頼れるダーリン」
五人分の歯軋りが聞こえた。
長すぎてしまうので、いったんここで次回です。