153 地獄は笑う
「まさか、国で一番の資産家である貴方が、イヴリンの「おねだり」を聞いてやっているとは。噂通り、随分彼女に入れ込んでいる様ですね」
「ミスター・ランドバーク。私はもう公爵ではないから、堅苦しい言葉遣いは結構。それに私も驚いているよ。犯罪心理学の権威である君が、彼女の為にここまで力を貸すなんて。部下の調べでは「ただの友人」だと聞いていたんだが……」
馬車の中で、ボスと気力のなさそうな豚が向かい合わせで話している。丁寧な言葉達で飾り付けられていても、お互い腹の探り合いをしているのは丸わかりだ。お互いイヴリン様をどう想っているのか聞きたいなら、普通に質問してしまえばいいのに……人間とは面倒だ。
サマエル達から受け取った「あるもの」をこの豚に渡す。その解明が終わった後、豚を連れて教会本部へ向かい、軟禁されている神の子を保護する。それがイヴリン様から請け負った、ボスとダリに与えられた任務だ。
ローガン・ランドバーク。年齢は三十九歳、幼少期にイヴリン様と出会い、犯罪心理学に興味を持ち始める。国立学校を首席で卒業後、法医解剖医として自警団に所属している。その傍ら犯罪心理学の著書や論文を多数執筆。自警団連合が奴の心理学を捜査に採用した所、全体での検挙率が右肩上がりとなった。国はその功績を認め、国立学校の名誉教授としての地位を与えた。
……つまり、イヴリン様に関わったばかりに、変な方向で頭角を現した犠牲者だ。イヴリン様の所為で変な性癖を持ったボスとよく似ている。……なんと言えばいいのか、本当にイヴリン様は他人を変な才能に伸ばすのが上手い。伸ばしっぱなしで責任放棄までしているので、サマエルが言っていた「阿婆擦れ女」もあながち間違っていない。
「では商人殿、早速見せて貰おうか?」
豚の言葉に頷いたボスは、先程サマエルから渡されていた革鞄を差し出した。豚は丁寧に其れを受け取り、鞄の留め具を外して中身を見る。隈のついた豚の目が細くなった。
「話に聞いていた通り、随分と古い骨だな」
渡した鞄の中には、人骨が窮屈に入っている。綺麗に残っているものは少なく、殆どが割れていたりヒビが入ったもの。そして肉片がひとつも残っていない程、年代が古いものだらけだ。
豚はその中から半分ない頭蓋骨を出して、ため息をひとつ溢す。
「……骨は専門外なんだが」
「かといって、君以上に法医学に詳しい人間もいないだろう?」
挑発的なボスの言い方に、豚は薄気味悪い笑みを向けた。その通りらしい。
「俺の家が北区にある。そこに行けば大体の道具が揃っているから、今すぐ向かってほしい」
「分かった。……解剖の道具を、家に置いているのかい?」
ボスも、そしてダリも引き攣った表情で豚を見ると、豚の目元が少し緩む。
「イヴリンは外遊びが苦手でね。彼女との逢瀬は大体、家畜屋で買った動物を家で解剖して、最後に料理にして食べていたんだ。だから家にもちょっとした解剖室を作っている」
「……それは、逢瀬でいいのかい?」
「彼女は華やかなフルコースよりも、やや乱暴な方が好みでね」
豚の返しには、ボスには心当たりしかないので声を詰まらせた。……珍しい。ボスが一本取られている。面白いぞこの豚。
《 153 地獄は笑う 》
この審問会で、彼女が「神業」を見せる事はない。神に与えられた癒しの力は死者には効かない。この審問会の実演として使われるのは死者だ。
世間では「聖女の癒しの力は万物に効く」と広く知れ渡っている。だからこの審問会で力を見せようとしても、死者を蘇らせれない彼女は聖女と認められない。例え悪魔が力を貸したとしても、この教会本部には神の浄化の力を持つアダリムがいるのだ。死者を蘇らせるには相当の力がいる。アダリムのお陰で碌な力しか出ない彼らが、この場で力を存分に振るうのは難しい。
彼女は断罪され、国を騙した魔女として火炙りされる。勝手に裏切られたと勘違いした人間が、彼女に石を投げつける。人としての尊厳も何もかも踏まれて、そうして魂を穢していく。かつてのアダリムの様に、絶望を味わう。……穢れ魂が地獄に堕ちる様を「この世界」で力を振るう事が出来ない主は嘆く……その筈だった。
「貴方がたは、異端者の息子を崇拝していたのです」
彼女の瞳は絶望に染まらず、私を嘲笑う様に見つめている。嘘で塗り固められた言葉達は、周りの人間達を混乱へ導いた。……彼女は、あの魔女はなんと言った?
「………ウィリエが……聖人アダリムが、異端者?」
呟く様に出した声は、耳に届いているらしい。魔女は此方へ目を細めた。
「ええそうです。彼らは私と同じ、道を踏み外した異端。……この世界に聖者など、神に愛された存在など居なかったのです」
「っ!!!」
背中から、ガラスのヒビ割れる音が聞こえる。込み上げる魔女への思いが、呼吸を上手くさせてくれない。天使として相応しくない表情を隠す様に、私は己の顔を手で覆う。その姿を傷心したものだと勘違いした周りの聖職者達は、魔女へ向けて怒声を浴びせた。
「ふざけるな!尊き建国王ウィリエと、聖人アダリムが異端者だと!?」
「老婆の戯言だけで証拠になると思っているのか!!」
その声はやがて広がり、魔女は聖堂中の聖職者達から怒りを向けられた。だが魔女は彼らの怒声を全く気にせずに、涼しい表情で彼らを見ている。
木槌が叩かれた。判決者は聖職者達へ注意を促す。再び静まり返った聖堂で、判決者の咳払いが響いた。
「ミス・イヴリン。貴女が言いたい事はよく理解しました。……愚かにも、国父と聖者を陥れたい様ですが、先程貴女が言った旧ハリス領地の話では証拠が不十分です。……国父ウィリエと、聖人アダリムが本当に異端者なのであれば、決定的な証拠を提示しなさい」
そう、判決者のいう通りだ。魔女が証拠として出しているものは、旧ハリス領地で行われた狩猟大会の話だ。確かにあの事件では裏にウィリエの存在もあったが、その事実を知る者は限られているし、話したとて誰も信じるものではない。
彼らが求めているものは「六百年前に存在したウィリエとアダリムが、異端者だった」事の証拠だ。六百年後の今に、そんな証拠は何処にもない。
「文献でも、当時に描かれた絵でもいい。貴女の言葉が事実なら、二人が異端者であった証拠が何処かにある筈です。……私はそんなもの、見た事もありませんが」
判決者の皮肉な言葉に、何処かで笑い声が聞こえる。ここに居るのは聖人アダリムを崇拝し、己を捧げた人間達だけだ。彼ら以上に「聖人アダリム」を知る者はいないだろう。そんな彼らが異端者である事実を知らないのならば、この世の何処を探してもそんな証拠はない。
無言で此方を見る魔女へ、判決者は勝ち誇った表情をして見せる。
「どうやら、証拠はない様ですね?……であれば、もういいでしょう。この聖堂に、貴女が「聖女」に相応しいと思う聖職者はもういない」
何処かで慌てた声が聞こえた。どうやらまだこの女を、聖女だと思い込んでいる者がいるのだろう。だが判決者は、最後の木槌を鳴らす為に手を挙げる。その姿に、私は椅子に倒れる様に座り込んだ。……漸く、長い憎しみから解放される。手を顔から離して、安堵のため息を溢す。
だがその後、耳に届くのは木槌の音ではなく、聖堂の扉が強く開かれる音だった。
突如に襲う背筋の震えに、勢いよく顔を上げる。
「嗚呼……証拠とは、文献や絵でないと駄目だったかな?」
地獄で焼かれた人間達の、灰の匂いがする。
この震えの、その正体を知っている。
「それは困った。愛しの魔女様を助けようと急いでやって来たのに、持って来ているものと言えば、只の実物しかない。判決者殿、それでもいいかな?」
判決者はその声の主に驚き、その名を口にする。
「レ、レントラー公爵様!?一体何故、貴方様が……」
「其れは勿論、陰謀から魔女様を助ける為に決まっているだろう?……特にあの辺りからね」
碧眼の瞳が歪み、指し示す指の先には私がいる。
「さぁ、魔女裁判はまだ終わらせないよ。これからが面白いんじゃないか。……ねぇ、魔女様?」
地獄の主の声掛けに、魔女は笑った。