150 向かう先は
イヴリンを手に入れられると思っていた。あの父親の様に我慢をせず、公然と愛を囁けると思っていた。
だが結局、イヴリンは他の男のものになってしまう。……それが悔しくて、情けなくて。気づけば彼女に会わずに部屋に引きこもっていた。
どうして、今更聖人が現れるんだ?
どうして、イヴリンは僕を見てくれないんだ?
……この答えなんて、もう知っている。けれどそれを理解すればするほど、僕は彼女に会うのが怖くなった。……今度こそ、あの口から拒絶の言葉が解き放たれる気がした。
暫く人払いをした筈なのに、部屋の外が騒がしい。声を張り上げているのはよく知った声で、その持ち主はどんどん近づいている。
「公爵様!殿下は今誰ともお会いにならないと!」
「一刻も早くお伝えする必要があるんだ!退け!!」
使用人の静止も虚しく、暫くすれば部屋の扉が勢いよく開かれた。扉の向こうにはやはりパトリックがいる。透き通る様な碧眼が、ベッドで蹲っていた僕を真っ直ぐ見据えた。
「パトリック……」
「殿下!此方を見てください!」
一歩を大きく此方へ来たと思えば、パトリックはある新聞記事を差し出す。そこにはイヴリンの「神業」が全て虚偽である事。彼女が教会の思想に反する異端者である事が詳細に書かれていた。その記事を読めば読む程、巫山戯た内容に怒りで手が拳をつくる。
僕の表情を見て、パトリックも大きく頷いた。
「この記事が国民の間で出回っています。一刻も早く王令を出して鎮めなければ、この記事を信じた者が何をしてくるか分からない。イヴリンの身が危険です」
「王令……父上は今、伏せっておられる」
「貴方は次期王です。現国王の代わりに貴方が王令を出せばいい」
そうだ、僕と父上は彼女に癒しを受けた本人なのだから、僕が王令を出せば誰も反論は出来ないだろう。イヴリンを助けるにはそれしかない。
……でも、助けてどうなる?
僕の元に来てくれないのに。
「例え僕がイヴリンを救っても、彼女は僕のものにはならない……」
「……殿下?」
駄目だ。呟いてしまえば、言葉が溢れる様に出てきてしまう。真っ直ぐな瞳に耐えかねて、僕は視界を手で覆った。
「イヴリンが聖女だろうが、異端者だろうが……彼女は僕のものにはならない。僕はこんなにも愛しているのに、彼女は僕を子供の様に思っている」
どれだけ彼女を見ていたと思っている?……もうずっと分かっていた。イヴリンが僕を庇護の相手だと思っている事など。只の愛する男の子供、それが僕だ。
舞踏会の時、父上の代わりに僕が怪我をしても、きっと彼女は冷静に場所を移して癒していただろう。父上でなければ、彼女はあそこまで取り乱さなかった。
ラファエル枢機卿の言う通りだ。イヴリンは、僕よりも父上を愛している。僕は父上の息子でなければ、きっと彼女と話す事も、救われる事もなかっただろう。
「イヴリンが傷つくのは嫌だ……でも、イヴリンが誰かのものになるのは、もっと嫌だ。……それなら、いっその事」
死んでしまえばいい。
そう声に出す前に手が掴まれ、頬に激痛が襲った。体はよろけベッドに沈む。
何が起こったのか?それはパトリックの荒々しい息継ぎと姿で理解した。
手が掴まれた事で、視界に光が差し込む。彼の表情がよく見える。その表情は、見た事がない位に怒りを孕んでいた。……呼吸を落ち着けて、口が開かれる。
「呆れた、まるでイヴリンを玩具の様に思っている。お前の気持ちなんて、所詮その程度だったんだな」
手が離された。倒れた体に記事を投げつければ、パトリックは扉へ向かい歩き出す。
「確かに俺も同じで、イヴリンが俺のものになればいいと思っている。あいつが俺を愛してくれる。そんな未来が、喉から手が出る程に欲しい」
普段とは違う砕けた声で、僕に吐き出していく。
彼の言葉はまるで刃物の様だ、そう思った。
「だがそれは俺の願望だ。もしもイヴリンが他の奴を愛しても、俺はあいつの為に何でもする」
「……どうして」
扉が開けば、今まで逸らしていた光が見える。パトリックは此方を一度振り向いて、眉間に皺を寄せた表情を見せた。
「イヴリンが誰のものでも、俺はずっとあいつが好きだから」
只それだけだ、そう言い残してパトリックは部屋から出ていった。
扉はそのまま、開けられている。
「なぁ主、本当に行くのかよ?」
馬車の中、レヴィスは色気あるため息を吐いた。暫くは皆それぞれ別の指示を出しているので、今は私とレヴィスしかいない。窓の景色を見ていた私は、そんな奴へ顔を向ける。
「このまま逃げればいいだろ、狂った天使の相手なんざしなくても、他国でまた違法悪魔を見つければいい」
「レヴィス、いつもの自信は何処いったの?ここ以上に違法悪魔がいる国は珍しいから、離れたくないって今まで必死に我慢してたのに」
「状況が変わった。アンタが心配なんだよ」
不貞腐れた表情で、私の腕を掴む。そのまま甘える様に引っ張られるので受け入れれば、あっという間に奴の腕の中だ。本当に手は早い悪魔だ。
背の高いレヴィスに抱きしめられると、まるで包み込まれている感覚だ。甘い香水の匂いがして、思わず鼻を胸に擦り付ける。今度は大きなため息が聞こえた。
「主はそうやって、可愛い事を…………あー……クソ……」
「嫌だった?」
「大好きって思った」
「悪いけど気持ちには応えられないね」
「口付けしていい?」
「話聞いてた?」
窒息しそうな程に抱きしめられた。思いっきり胸板を何度も叩く事で漸く離れる。ゼーハーゼーハー肩で呼吸をする私へ、レヴィスは意地悪そうに笑う。
「俺達は契約で主を守るけど、心までは守れない。……アンタ、結構強いフリして弱いからさ。これ以上は耐えきれないかと思って」
どうやら先ほどの答えらしい。まさか悪魔がそんな事を考えているとは思わず目を見開けば、レヴィスは小さく笑い声を上げて、私の頭を撫でる。
「主を愛してる俺のためにも、もう少し自分を大切にしてくれない?」
「……こんないい使用人を持って、私は幸せな主だなー」
「耳赤い、照れ隠しするなよ」
「……………」
「ほら都合が悪くなるとダンマリした。そんな所が堪らなく可愛い」
図星すぎるので何も言えない。そのままレヴィスの胸の中に顔を埋め続ける。奴は撫で続けるのを止めないで、顔を耳元に近づけた。
「イヴリン、俺と……」
甘い声が囁かれる。
だが、それ以上の言葉は消えた。
「お楽しみ中悪いけど、失礼するよ」
「あー!レヴィス何してるのー!!」
唐突に聞こえる声二つ、勢いよく顔を上げてその方向へ見れば、馬車の向かいの席にはフォルとステラがいた。どうやら指示を終えて戻ってきたらしい。
軽々と私をレヴィスから引き離せば、今度はフォルの腕の中に閉じ込められる。子供フォルの時と同じ、ひだまりの香りがした。
レヴィスの物凄い舌打ちの音が聞こえるが、フォルとステラはニヒルに笑うだけ。……サリエルとレヴィス程ではないにしろ、今にも喧嘩しそうな空気だ。止めに入る為に顔を上げるが、それと同時に馬車は止まった。どうやら着いたらしい。
私は立ち上がり、三人へ向けて手を叩く。
「さぁ、行くよ」
三人は私の声掛けに反応して頷く。
私は何度か深呼吸をして、心を落ち着かせて馬車の握りを掴み開けた。
目の前の教会の門、そこには見覚えのある灰色髪の青年がいた。
自警団服を着た青年は、此方へ不安げな表情で駆け寄る。久しぶりの再会で驚く私へ、青年は手を差し出した。
「お久しぶりです、聖女様」
「……お久しぶりです、ルディ様」
名前を呼ばれたルディは、眩しい笑顔を私へ向けた。