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天使の弁解


 

 六百年前。主からある人間の守護を命じられた。


 守護とは、魂が主の元へ帰るまで姿を隠し見守る事。主に役割を与えられた事には幸福でしかない。……だが、同じ創造主でも天使と違い、か細い力しか持たない人間。その守護をわざわざ大天使の私がする。……主のお考えは、浅はかな私には分からなかった。


 しかもその人間は、追放された天使と人間の間に出来た聖人だった。先に生まれた兄と違い、聖人の力を持たない哀れな存在。父親であるウリエルも存在を見限った聖人。それがアダリムだった。……この人間を守護する意味など、何処にあるのだろうか?私は主の命令に初めて疑問、そして不服を持った。


 そんな私の疑問を知らずに、アダリムは逞しく成長していく。

 彼は存在を否定されても、それでも家族の為に国を支えた。



 建国されたばかりの国を狙う戦争で、何人も人を殺した。

 政治を知らない父の為に、彼が代わりに国をおさめた。

 けれども人々は、国の為に命を削る彼を見ず「神業」を持つ父と兄を崇める。



 本当は田畑の土に触れたいのに、アダリムの手は血で赤く染まる。どれだけの負の感情を抱えても、それでも彼の心は穢れなかった。

 いつからだろう?そんなアダリムを美しいと思ったのは。……彼の守護天使も、案外悪くないと思ったのは。




 だがそんな日々は、突然終わりを告げる。

 アダリムの兄ロンギヌスが成長し、聖力が最も高まったある日。ウリエルは罪人の亡骸を城の地下に集め、地に術式を書き始めた。それは主の言葉で、主の災いの片鱗を起こせるもの。


 かつての地獄との戦争で、ウリエルが己を犠牲にしてでも叶えたかった悲願だ。穢れた口から溢れる主への想いは、元天使と思えない程に悍ましい。アダリムが身を粉にしても、ウリエルは何一つ変わっていなかった。


 あの男にあるのは、主への愛だけだ。

 家族愛なんて、この男に求めるのが間違いなのだ。



 もし犠牲になるとすれば、兄ロンギヌスだろう。今回の事も、ウリエルの監視を命じられた天使が既に主へ伝えている筈だ。私はアダリムさえ無事ならどうでもいい。むしろ悪魔に統治された世界など、消えてなくなってしまえばいい。……そんな、楽観的な考えだった。


 アダリムは非常に賢い男だ。父親の不可解な行動に気づいてしまったのだろう。父親が執拗に向かう地下で罪人の亡骸と、地面に血で書かれた主の言葉を読み解いた彼は、急ぎ兄の元へ伝えた。だがロンギヌスは弟の言葉に耳を貸さず、その行動を父へ認められている自分への僻み故だと考えた。



 結局、弟の言葉に耳を貸さなかったロンギヌスは、ウリエルによって生贄となった。

 だが奴の悲願は失敗する。力なきウリエルは気づかず発狂しているが、癒しの天使である私だからこそ気づいた。……地下に用意された死体、血、その汚染が全て浄化されたのだ。無惨な死体があるのに、空気はとても澄んでいた。



 ……一体何が起きたのか?その答えは、背後から現れたアダリムが、ウリエルを剣で貫いた事で知る事となる。



 アダリムは嗚咽を交えながら、愛する父が倒れる様を見届けた。

 多くの血がこぼれ落ちても、澄んだ空気は何も変わらない。

 父の腕の中から落ちる兄を、彼は抱きしめ何度も謝罪していた。



 嗚呼、そうか。だからアダリムは主の言葉を読み解く事が出来たのだ。彼は力のない聖人ではない、主が愛を捧げた結果だ。彼の「正体」に心が震え、彼の名を呼びそうになる唇を噛み締めた。



 けれど、私が耐えた唇の代わりに、狂った天使がアダリムを呼んだ。

 同時に、私の視界は闇に飲まれていく。



 ……再び目が光を灯した時、そこには鴉の悪魔がいた。

 悪魔は自身の目玉を抉り、息たえたアダリムを抱きしめるロンギヌスへ差し出す。





 ロンギヌスは、震える手でその目玉を受け取った。








  《 天使の弁解 》







 教会本部では、偽りの聖女だと記載した号外の情報源を辿る為に、聖職者達が奔走していた。騒がしい外とは違い、私の執務室は随分と静かなものだ。

 テーブルに置かれたティーカップを持ち、ここまでの話で乾いた喉を潤す。




「追放された者だとしても、ウリエルはまだ天使。神聖な力でどれだけ傷つけられようとも、私達は生き続ける。……神の使者ウリエルを、神に愛された人間が殺す事は出来ない」


 向かいに座るガブリエルは、無表情で私を見据え頷いた。突然現れた彼は、六百年前の真偽を確かめに来たらしい。おそらくイオフィエルが話してしまったのだろう。


 神に最も愛された天使、ガブリエル。神の愛し子を番にする権利を与えられた、選ばれし天使。そんな彼は苛立っているのか、指を忙しなく動かしている。


「儀式の失敗を、ウリエルはアダリムの所為だと勘違いした。激昂した奴は、アダリムを殺したんだろう?」

「……ええ、そうです」


 少し、彼の眉間に皺が寄せられる。それは疑問故だろう。


「じゃあ何でアダリムは主の元へ行かず、今蘇っているんだ?僕達は人間を蘇らせる事なんて出来ない。もしかして、まだ息があったの?……いや、それでもアダリムが六百年間も生き続けるのは理に反してる」


 独り言の様に可能性を呟いていくガブリエルだったが、やがて答えを見つけたらしい。裏切りに呼吸は浅くなり、無表情が怒りの表情へ変わっていく。……随分前に、ガブリエルは同じ表情をした事があった。彼が尊敬していた熾天使が、堕落し堕天使となった時だ。



「……悪魔と契約したのか」



 掠れたその声に、私は首を横に振った。



「いいえ、契約したのはロンギヌスです。……聖人である彼は、自身の目玉と引き換えに弟を蘇らせました。その内容は「いつか平和になったこの世界で、弟に幸福な人生を与えて欲しい」と」


 その答えは意外だったのか、ガブリエルの目が開かれる。


「……だから君は天界に帰らず、再び蘇ったアダリムの為に教会を立ち上げたのか」

「ええ、ロンギヌスの考える「幸福」は分かりませんでしたが、アダリムが正当に評価されない「この世界」は間違いだと考えました。ですからアダリムがいつ戻ってきても、正当な評価で受け入れられる様に教会を作りました」

「正当な評価?聖人ロンギヌスの逸話を混ぜる癖に?」

「私はありのままのアダリムを語り継がせた筈でしたが……何故かアダリムは「神業」を持っていた聖人となっていた。悪魔と契約した事で、存在が忘れられてしまったロンギヌスを、人間達は微かに覚えていたのでしょう。それがアダリムと混じって伝えられてしまった。……人間達は「神業」に執着していますから」


 ロンギヌスはただ目玉を与えたのではなく、契約した悪魔と交換したのだ。悪魔の一部を体に入れたロンギヌスは体が変質し、聖人でも人間でもなくなった。存在は不可思議なものとなり、人間達は「聖人ロンギヌス」を忘れてしまった。

 だがロンギヌスを忘れてしまっても、彼の起こした伝説は人間達に微かに残っている。その微かな記憶の吐口となったのが「聖人アダリム」だった。……故に、今日まで人々に崇拝される聖人アダリムは混じり合い、姿が定まらない。


 

 張り詰めた空気が、少し緩んでいく。また裏切りを受ける恐怖が消えたからだろう。疲れた様に長いため息を吐きながら、背もたれに深く腰を埋めた。……それでもまだ疑問は残る様で、私を見つめる目は険しい。


「君の考えは分かった。神の愛し子が悪魔の手に渡ったのは……いや、僕はそれに関しては何も言えない。……で、話は理解したけど。どうして今はイヴリンを陥れようとしてるの?君がわざわざ聖女にしたのに」


 ガブリエルは気だるげにティーカップを手に取り、すっかり冷めてしまった紅茶を飲む。彼が手土産だと持ってきた茶葉は、可愛らしい華やかな香りのものだった。口に入れるものに何の拘りもなかった彼が、随分と彼女に影響された様だ。


 そんな彼の純粋さに笑い、ティーカップの淵に触れる。

 



「愛を、向けたいんです」

「愛?」




 呟かれる言葉に頷いた。



「そう、愛です。……三十一年前、アダリムは「この世界」へ戻ってきてくれた。傷まみれの体ではなく、傷ひとつない幼子の姿。かつての記憶を封印されて、自分がアダリムという名以外何も覚えていない。私は彼の養父となり、いつか「聖人アダリム」としての幸福を与えようと思っていました。……でも、アダリムが私の元へ戻ってくれた時、ウリエルがルドニア王太子に掛けた「呪い」を癒した人間が現れた」

「……それは」

「その人間は主と同じ清らかな体を持ち、そして万物を癒す力を持った人間だった。王は人間に辺境の屋敷を与え、人間と契約した五人の害虫はその屋敷に住んだ。人間は主に与えられた体を持ちながら、害虫や他の人間達を誑かし、やがてその人間は「魔女」と呼ばれる様になった。人間達は魔女に怯えながら、それでいて心では魔女の存在を神格化させていった」


 触れていたティーカップが割れる。中に入っていた紅茶がこぼれ落ち、純白のテーブルクロスを汚していった。


「……そんな魔女の元へ、主に番になる事を命じられた天使が現れた。魔女はアダリムと同じ神の子で、主は魔女を求めていると……求めて……」



 気づけば手には拳を作っていた。

 気づけば拳は、テーブルを強く叩いていた。



「あの魔女は!アダリムが求めたものを何の努力もなく!全て持っていた!!崇拝される「力」も!王からの信頼も!自分を愛する者さえも!!アダリムには何も与えなかった癖に、主はあの魔女に「幸福」を与えていた!!!」



 どれだけ舞台を用意しても、もう神はアダリムを愛していなかった。

 その愛は魔女へ、ルシファー(明けの明星)へ向いていた。



 ……そんな事、許さない。

 主への愛は、アダリムに向いていなくてはならない。



 幸福になど、させやしない。






「悪魔に魂を売った魔女ではなく、主への愛は清らかな魂を持つアダリムに与えられるべきです!きっと主は、あの魔女の本性をご理解されていない!清らかな体に隠された貧しい卑しさを出してやれば、きっと主はアダリムを見てくださる!!」


 魔女の本性を見せれば、きっと神はアダリムへ愛を向ける。幸福を与えてくれる。

 その為には、あの魔女を堕ちる所まで堕して、本性を露わにさせればいい。聖女だと持て囃された魔女を、底の底まで堕とせばいい。幾ら力があろうが、屈強な精神を持っていようが、結局は傷つく人間なのだから。



 ずっと耐えていた言葉を、漸く口に吐き出す事が出来た。きっと話を聞いたガブリエルは、自身の番への愛故に怒り狂うだろう。

 だがいくら彼が狂おうとも、この混乱はもう止まらない。怒りに狂ったガブリエルが、私に手を出すのは当たり前だ。当然その権利があるし、私はそれを受け入れる。





 だが予想に反して、ガブリエルは一向に胸ぐらを掴まない。

 

 ……ふと、顔を彼へ向ける。





 目の前の天使は、美しい深緑を歪めていた。





「……違う、それは違うよラファエル。君の其れは、アダリムへの為でも、なんでもない」




 風に乗る様に、囁く声が耳に届いた。





「君の其れは………主への復讐だ」





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