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149 逸話を紐解け ④


 想い人が聖女になった。次は友人が聖人アダリムだった。面白くもない冗談だ。

 中央区の人々は身分関係なくその話で持ちきりで、もう誰も想い人を「魔女」だと呼ぶ者はいない。国がどう動こうとも、己の仕事は減る事はなく溜まっていく。だから至って平穏な日々を過ごしているのだが……。


「オイ、次だぞ」

「……嗚呼、じゃあここにしようかな」

 

 不機嫌な声によって意識を戻されれば、私は次の一手をチェス盤へ並べる。その戦略に舌を巻いているのか、声の主は口笛を一度吹いた。


 現在私は、全身に刺青を施した大男の向かいに座り、男が持ち込んだ古びた盤でチェスをしている。本当に、包帯で隠されているのが目元だけでよかった。目元を包帯で隠しても、口元が歪めば大体の機嫌は分かる。大男はもう一度口笛を吹きながら、機嫌良く次の駒を動かした。


「ダンタリオンが、オメーを馬鹿見てェに褒めるワケだ。まるでアイツと打ち合いしてる気みてェになる」


 感心し唸りながら告げる言葉に、後ろで立っているダリは興奮げに鼻息を荒くした。


「その通りですマルファス!ボスはとても賢い豚ですよ!!」

「……嫌な褒め方をどうも」


 大男の名前はマルファス。イヴリンに使える使用人や、後ろの部下ダリと同じ悪魔らしい。かつては彼らよりも立場が上の存在だったそうで、つまり元上司と言った所か。


 数ヶ月前、イヴリンが舞踏会の最中に起こした出来事の後。逃げるように去った彼女を追う為に自分の馬車に乗ると、中には気絶したダリを膝に乗せる彼がいた。驚き叫んだ声に御者が慌てて様子を見にきても、御者にはこの大男が見えない。だが大男が足で床を蹴れば御者にも聞こえる。……もしもイヴリンの話を聞く前であれば、仕事疲れの幻覚や、はたまた幽霊だと思っただろう。


 自身をマルファスと名乗った大男は、この後のイヴリンの行動を逐一報告する代わりに、ダリに暫くイヴリンの手助けをして欲しいと交渉してきた。

 何の為にその必要があるのか、それは全く教えられずに、ただこれを逃せば一生イヴリンに会えないと脅しを掛けてきた。……交渉の結果はご覧の通りだ。どうやら私は好きな女の事になると、長年で培った交渉力は全て意味が無くなるらしい。


 それから今日まで、マルファスは時間を見つけては私の元を訪ね、最近のイヴリンが何をしたのかなど詳しく話をしてくれている。手が寂しいのが気になったのか、数日前からはチェスを供に持ってくる様になった。


 チェスは素晴らしい遊戯だ。頭を使うのもあるが、対戦相手の人となりが分かりやすく出る遊戯だと思う。イヴリンとも何度か手合わせしたが、所々に罠を仕掛け人を誑かす卑しさがあり、随分興奮した。……だがこの男との対戦は、まるで底知れぬ闇。その言葉がふさわしい。


 次の手を考えているのか、顎に手を添えチェス盤を眺めていたマルファスは、ふと何かを思い出した様に口を開いた。


「……そういやァ、オメーはアダリムと親しいんだったか?」

「アダリム?」


 予想外の名前がこの男から出たので驚く。

 だが彼の表情は揶揄うものではなく、とても穏やかなものだ。マルファスは足を組み替えながら、此方へ微笑んだ。



「感謝する、アイツの拠り所になってくれて」



 どうしてこの悪魔が、アダリムの事を気にする?ダリなら何か知っているだろうと後ろを見たが、彼女も困惑した表情で此方を見ていた。

 ならばこの疑問を解決するのは、目の前の悪魔のみだ。私は次の一手を動かす為にチェス盤に手を伸ばしながら、今の言葉の説明を求めようとした。


 その時、ドアノックの音が強く鳴り響いた。どうやら来客が来たらしい。ダリが小走りで玄関の確認をしに行った。


「はい!どなたです、あっ!イヴリン様だ!」

「マルファスいるよね?」

「マルファス?ええいますが……ちょ、ちょっと!?」


 来客の正体はイヴリンだ。彼女はダリの静止も気にせずに、足音からして早歩きで此方へ向かって来ている様だ。彼女はこの家に何度も来ている。案内もなしに私達のいる応接室の扉の前まで来れば、ノックもなしにドアは開かれた。


「エドガー様、突然の訪問で申し訳ございません」

「久しぶり、イヴリン」


 久しく見た、愛おしい暗闇の瞳。初めて出会った時と、何も変わらないその姿。だが顔を見るのは舞踏会ぶりだ。

 イヴリンは私に軽く会釈をすれば、その鋭い目線は向かいの悪魔へ注がれた。


「マルファス、お前に話があるんだけど」


 マルファスが次の一手を考えていた手は降ろされ、鼻をひくつかせながらイヴリンへ顔を向ける。その表情はもう穏やかではない。


「その鼻につく匂い、イオフィエルに会ったのかァ?」

「会った。全部聞いた。……エドガー様、隣失礼しても?」


 私が頷けは、イヴリンは私の隣へ腰を下ろす。……驚いた。普段の彼女であれば私を同席すると思えなかったのだ。その理由は信頼してくれているのか、もしくは力を借りたいのか。


 まぁ、答えはどちらでもいい。

 私はどう足掻いても、この女には弱いのだから。






《 149 逸話を紐解け ④ 》






「六百年前に存在した、今なお聖人として崇められているアダリム・ルドニア。けれどあの時代、もう一人聖人がいた。その男の名前はロンギヌス・ルドニア。ウィリエ……ウリエルとマルダの間に生まれた最初の子供であり、天使と人間の間に生まれた聖人。今も伝説が残る聖人アダリムの神業、これはすべてこの男の話」


 教会で祀られている「聖人アダリム」の伝説は数多く残されている。だがそこに記された彼の姿は定まらずバラバラだ。

 その仮説として、私は最初「聖人アダリムは別に存在する」と考えた。……だがイオフィエルの証言を聞いて、それは間違いだと分かった。


 六百年という長い歳月を使って、彼らの物語は混じったのだ。その証拠に、「アダリムの兄」である「聖人」ロンギヌス。彼を記された文献は一つもない。そして伝説残る「聖人アダリム」は、その伝説通りの男ではなかった。

 

 「聖人アダリム」とは一人の事ではなく、聖人ロンギヌスとアダリムの事だった。


 私が語る真実を、マルファスは静かに聞いていた。

 部屋の開けられた窓から、新聞社の号外を知らせる声が聞こえる。


「天使と人間の間に生まれたロンギヌスには力があった。ウリエルよりも強い力を持った彼は、建国されたばかりのルドニア国に更なる豊穣をもたらした。……けれど次に生まれた「アダリム」は力はなく、ただの人間と何ら変わりなかった。ウリエルが人間との間に子供をつくったのも、全ては自分の願望の為に力を持った子孫を求めていたから。だから力のないアダリムに失望し、自分の子供として扱わなかった」


 天使と人間の子供は、天使と同じ力以上のものを持つ。「この世界」を取り戻す為だけに生きていたウリエルにとって、自分以上の力を持つロンギヌスは最高の存在だった。

 だがアダリムは天使の力を引き継がなかった。……マルファスの言う通り、アダリムが神の子供だったのなら、私の様に治癒以外の力がない様な、そんな偏った存在だった可能性がある。



 パキン、そう何かが割れる音が聞こえる。正体はマルファスが持っていたチェス駒だ。チェス盤に置かれる筈だった戦士は、奴の手の中で砕け落ちた。……小さく、ため息が聞こえる。


「あのクソ天使が豚共を集めた国をつくったのも、全ては「大洪水を起こせる程の心臓」欲しさだった。ロンギヌスは完全な聖人、しかも「生贄」に相応しい相当な力の持ち主だったが、アダリムは……オメーみたいに癒しの力もなけりゃア、兄みたいな豊穣の力もない。ただあったのは魔のみに効く「浄化」のみ。その辺の下級悪魔なら、触れるだけで浄化されちまう様な力だが……悪魔以外にはなンの意味もねェし、天使でも「神の子」だと気づける奴はそう多くない。ましてや神に見放され、ゴミみてェな力しか残っていないウリエルが気付くことはないだろなァ」

「神からの指示でウリエルを監視していたイオフィエルも、アダリムが神の子だとは気づいていなかったよ」


 イオフィエルは私を「癒しの聖女」だと言っていた。私の存在を三十年前から知っていながら接触をしてこなかったのは、それ程にまで「神の子供」とは人間と変わらない存在なのだろう。もしかしたらガブリエルも、私の姿が変わっていれば、例えサリエルが天使の術を使おうが気付かなかったかもしれない。本人である私だって、ガブリエルが来なければ自分の事など知らなかった。


 吐き出す様に伝えるマルファスと、次にテーブルに置かれたチェス盤を見た。此方の話へ夢中になっているエドガーは、もうこの試合を放棄しているのだろう。私は少し考えてから、一つ駒を進ませる。


「何にせよ、ウリエルは二人の息子を平等に扱わなかった。ロンギヌスは「生贄」になる事を知らずに父親に愛され育ち、アダリムは父親に認められようと、建国されたばかりのルドニア領土拡大の為に戦争へ参加したり。政を知らない父親の代わりに、民を飢えさせない為に奔走していた」


 天使は神のみの命令に従う生き物だ。そんな生き方しかしなかったウリエルが、今日まで続く大国を作り出す才能など持ちえない。それにもっと早く気づくべきだった。


 イオフィエルが生き生きと語った、父親の為に身を捧げた聖人アダリム。彼の生き様は凄まじいものだった。少数の民族から建国されたルドニアは四方から狙われており、荒地に豊穣をもたらすウリエルやロンギヌスの神業は何処の国も求めた。それを自ら戦に赴いてまで止めていたのはアダリムだ。日々やってくる敵襲に耐え、時には敵の拠点へ盗みに入り食糧を得る。政治を知らない王の為に、彼が代わりに国をおさめた。

 稀有な力はなくとも……あの時代に彼は、立派な「聖人」だった。



 だが結局、アダリムが認められる事は永遠になかった。



「ある日、アダリムはロンギヌスへ母親を連れて父親から逃げる様に伝えた。恐らく、ウリエルの陰謀に気付いたんだと思う。アダリムは兄と母を助けようとした」

「結局助けれなかったけどな」


 乾いた笑い声をあげながら、マルファスは駒を動かす。

 

「ロンギヌスはアダリムの言葉を信じなかった。その結果ウリエルに心臓を抉り取られてオシマイ。ロンギヌスは生贄の肉に成り下がった」

「けれどルドニアは続いているし、この世界で大洪水が起きた記述はない。目撃したイオフィエルが言うには、儀式が失敗に終わったと。お前が言う様に、聖人として相当な力を持っていたロンギヌスの心臓なら「大洪水」は起こせるはず……ならどうしてそうならなかったのか?それはイオフィエルも分からなかった」


 次の駒を動かせば、(キング)は逃げ場を失った。


「ここからは私の推測だけど、ウリエルがロンギヌスを生贄にした時、おそらくその場にはアダリムがいた。神の子供であるアダリムが受け継いだのは「浄化の力」……儀式には力を持つ者の心臓と、そして汚染された土壌が必要。彼は儀式の場を「浄化」してしまった。だからウリエルは失敗したんでしょ?」


 神父アダリムと聖人アダリム。もしも彼らが同一人物であるならば。……あの神父は、自分の知らない内に私の使用人達を支配していた。故に神より受け継がれた「浄化」の力は、聖人達の様に意識を持ち力を出すのではなく、本人も気づかぬ無意識のもの。アダリムが兄を助けようと儀式場へ足を踏み入れ、そして無意識にその場を浄化した可能性。それが失敗理由としては一番辻褄があっている。



 ……そう、神父アダリムと聖人アダリムの同一人物の可能性。それ程までに理解したからこそ、私には解明できない謎がある。


 狭いチェス盤の上で、身動きが出来ない王を指で倒した。



「マルファス、お前は「ラファエルは一度だって守護する相手を変えていない」と言った。そして六百年前の聖人アダリムの肖像画には、神父アダリムと瓜二つの人間が描かれていた。イオフィエルから語られた六百年前の証言、そしてお前の証言からして、六百年前の聖人アダリムは「神の子」だったと考える他ない。……そして全てを纏めてしまえば「聖人アダリムと神父様は、同一人物だ」と考えるのが妥当だ」


 淡々と告げる言葉に、マルファスは口角を緩く上げる。

 隣から静かにため息が聞こえた。それはエドガーから出たものだ。


「けれどこの「妥当」はあり得ない。何せ、聖人アダリムは六百年も前の人物だ。人間が六百年も生き続ける事は出来ない。仮に私の様に異形の力によって時を止められている、そう考えたとしても、あの神父様に聖人アダリムだった記憶がない。ならば、誰かが記憶を消した?何故?……いやそれよりも、最も分からない所がある。………何故「今」彼を聖人にしようとする?私と添い遂げさせる為とも考えたけれど……それは違う、そう気付いたのは神父様に教えられた、ラファエル枢機卿が彼に伝えた言葉だった」



 そう、ラファエルが神父様に告げた言葉。

 その言葉が、全てを語っていた。






「三十年前、「神の子供」である私はこの世界へ来た。神から受け継いだ「穢れなき体」と「癒しの力」を持った私は、ルドニアの王族を癒しその力を見せしめた。悪魔の起こした事件を解決していき、その結果私は国に認められ勲章を得た。そして神は、私へ天使の番を差し出して、天界で私を迎える事を望んでいる」




『愛を、再び向ければいい』

『……愛?』

『聖堂で、そう枢機卿が言っていたんだよ。確か、神はもう愛を向けていないとか、だから向ければいいって……』



 


「……私は、アダリムが求めたものを全て手に入れた。かつて彼を否定したウリエルの子孫に認められ……そして神は、()()()()()()()()()




 窓の外では、多くの人々が騒がしく声を荒げていた。エドガーが不審に思い、立ち上がり窓の側へ向かおうとする。だがそれを拒む様に、部屋のドアが突然開いた。

 開けたのはダリだ。奴は珍しく真剣な表情で此方を見ており、右手には号外が握りしめられている。



「ボス!今すぐにイヴリン様を国外へ逃す必要があります!」

「逃すって、君は何を言って……」

「これを見てください!」


 困惑するエドガーへ向けて、ダリは握りしめていた号外を差し出した。

 そこには私の顔写真が大きく載せられており、記事のタイトルはこう書かれていた。

 

 


《 辺境の聖女、全ての神業は偽り 》





 

 そう、神の愛を向けさせるなら……相手を消してしまえばいい。





 神の子供は、二人もいらない。








 私はその記事を見て、声を出して笑った。


 「逃げる!?そんなつまらない事を私がするとでも?それよりも私は聞きたいの、この壮大な物語の、隠された()()を!」


 テーブルの上に片足を置き、向かいの悪魔へ顔を近づけた。

 そして悪魔へ囁き、暴いてやるのだ。……奴がずっと隠していた、悪魔らしくない行動全ての、そのきっかけを。



「お前、何を望んでいるの?……それは、お前が契約したっていう、マルダ・ルドニアと関係あるんでしょ?」





 此方を見つめる悪魔は、どうやら愛想を忘れた様だ。




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