148 逸話を紐解け ③
高位貴族の住まいとして相応しい、贅沢で塗り固められた広い屋敷。主人の用意が出来るまで待つ様にと、案内された応接室も華やかなものだった。
屋敷のメイドが淹れてくれた紅茶を受け取るが、匂いだけで高品質のものだと分かる。口に含めばウバの様な味わいで、思わず顔が綻ぶ美味しさだ。魔女だった頃にはこんな紅茶は出て来なかっただろう。少しだけ聖女の恩恵を受けた気がする。
もう一口飲もうとカップに唇を近づけたが、それは遠くから聞こえた慌ただしい声でお預けとなる。
近づく声と足音、すぐに応接室の扉が強く開かれた。
ドアの向こうには、この屋敷の主人ゲイブ・ウィンターが息を切らして立っていた。大分焦っていたのか、シャツのボタンをかけ間違えている。
「お久しぶりです、ウィンター公」
「イヴリン!!!」
私の後ろに悪魔達が居るのも気にせず、ゲイブは飛びかかる様に私に抱きついた。腿に顔を擦り付けて、子供の様に咽び泣いている。私も悪魔達も、あまりの無様さに顔を引き攣らせた。
「まだ三十年も探さなきゃいけないかと思った!!逃げるのはいいけど場所教えてよ!!」
「今回此方に来ましたのは、少々協力して欲しい事がありまして」
「無視しないでよ!!!」
「紅茶美味しいので、この茶葉下さい」
「いいよ!!!」
よし、茶葉は確保したぜ!主人が聖女に大泣きしながら足にしがみ付いているのだ。彼の使用人達はその姿に真っ青になりながら、しかし公爵である主人を止める事はできない。最終的には責任逃れの為か、逃げる様に応接室から後にしていた。……いいのか公爵様、プライドってもんはないのか?……うん、使用人が居なくなった途端、スリスリの速度が上がった。関係なしか。
何だか犬っころの様に見えて来た。最近やけに神経を使う事が多いので、例えその相手が妄想癖天使だったとしても、可愛さ全振りしてくる行動は癒される。もうね、今ならオッサンが可愛さ全振りしても癒されちゃうよ。
カップを持たない手は空いているので、柔らかそうな深緑の髪を撫でてみる。おお、サリエルの絹の様なものと違って、ふわふわの綿毛みたい。撫でられるのが気持ちいのか、ゲイブは目を細めてうっとりしている。
「ウィンター公、協力して欲しい事なのですが」
「嫌だ、ガブリエルって呼んでよ」
「……ガブリエル、協力して欲しいんだけど」
「勿論、何でも言って!」
この甘え具合、恐らく私が初めてガブリエルを求めたからだろう。神に命令されるのが生きがいである天使にとって、私は神の次に生きがいの存在なのだろうか?この天使も番にしようとしなければ最高のパトロンなのだが……おっと、後ろでビキビキバキバキ聞こえる。早く要件を伝えないと面倒な事になりそうだ。
「前に言ってたよね「神はウリエルに、天使を遣わせ見守っていた」って。その天使って誰?今すぐに呼べる?」
「イオフィエルの事?呼べるけど……何で?」
「六百年前のウリエルとその周辺について、ちょっと聞きたい事があるの」
私の返答にガブリエルは怪訝な表情をしていたが、それよりも頼られた事が勝ったらしい。足から名残惜しそうに離れれば、ガブリエルは己の前に手を翳した。
奴が手を翳した途端、後ろの悪魔全員から盛大な舌打ちが聞こえる。どうしてそんな態度を取るのか、その疑問はガブリエルが翳した手の先から、眩い光が現れた事で消え去ってしまった。
どこか懐かしい光、その光と共に短剣が現れる。
恐らく銀製の短剣だ。紋章の描かれた短剣は、まだ穢れを知らずに美しい輝きを放っている。ガブリエルはその剣を掴むと、勢いよく床に刺す。直後、ガブリエルは私に顔を向けた。
「眩しいから目瞑ってて」
「ん?」
その言葉通り。短剣に傷つけられた床から、目が焼ける程の閃光が襲い掛かった。
目を瞑るだけでは庇いきれず、両手を使って顔を隠す。
暫くしてから、まず最初に耳に聞こえたのは鳥の羽音だ。
その次には誰かの呼吸音と、草木と果物の香り。
「何だね、ガブリエル。君が僕を呼ぶなんて珍しいじゃないか」
羽音と共に聞こえたのは、凛とした女性の声だ。革靴の音が何度も響くので、部屋中を周り歩いている気がする。
「緊急事態なんだ。少し時間貰えるよね?」
ガブリエルの高圧的な声に、その女性は呆れた様にため息を放った。
「別に構わないが……自分よりも上位の天使を呼びつけたのに、何だいその態度は……しかも、下等種の匂いがする…………ん?この人間は……?」
どうやら悪魔達は姿眩ましをしている様で、女性には姿が見えなくなっているらしい。確かにそれが一番面倒にはならないだろう。姿が見えなくなっているだけなので、何かあれば助けてくれる筈だ。
女性は匂いに怪訝そうにしながらも、周りを歩く足音が目の前で止まる。……恐る恐る、両手を離し目を開いた。
予想通り目の前にいたのは、耳が見える程に短い黒髪の女性。ややつりあがった目は眩い黄金色。芸術的な褐色の肌を彩るのは、細部に至るまで純白で統一された正装だ。紳士正装だが、それが中世的な彼女の美しさを引き立たせている。……羽音が聞こえたと思ったが、どうやら翼は消してしまった様だ。
女性の顔面が想像以上の至近距離で、驚き後ろに下がってしまう。女性は私をじっと見つめていたが、やがて見つめる目は大きく開かれた。
「君は確か……ルドニアの王を癒した聖女じゃないか。……なぁガブリエル!まさか君は「愛し子様」が見つからないからって、この清らかな魂を持つ人間で欲を発散しているのかい!?見損なったね!!」
そういえば、この天使は私がアレクを癒したのを見ていたんだったか?仲間の天使に呼ばれたので来てみれば、まさか人間の私がいると思わず驚き、そして勘違いをしているらしい。……前にマルファスが「身内の気配を嗅ぎ分けれる者は多くない」と言っていたのは真実の様だ。
ガブリエルは短剣を光とともにしまいながら、慌てて私と女性の間に入り込み、強く己の胸の中へ閉じ込めた。
「違うよイオフィエル!あんまり僕の番に近づかないでくれる!?」
「……番?」
ガブリエルの怒声に少々後ろに下がったイオフィエルは、引っかかる言葉を復唱しながら、抱きつかれる私を目を細めて見る。
そして再びガブリエルを見て……………次の瞬間、首が折れるんじゃないかって位に、勢いよく顔を私に向けた。イオフィエルの興奮した鼻息は、離れた私の髪を揺らしている。つまり大興奮している。
「君の番って事は、まさかこの人げ……いやこのお方はッ!主の愛し子様かね!?」
「そうだよ!彼女が君に話があるって言うから呼んだんだ。光栄でしょ?」
「い、いい愛し子様が!?この僕に!?あ、ああああ〜〜〜!!!この上ない幸せ!誉れ!!今なら羽を捥がれても飛べる気がする!!」
大袈裟に膝から崩れたイオフィエルは、天下高く上げた手を震わせながら大感激している。つい今まで気高き天使様のイメージそのままだったのに、どうして皆テンションを上げて落としてくるんだ。
再び首が捥げそうな勢いと共に、イオフィエルは黄金色の瞳に熱を持ち、私を恍惚な表情で見つめた。
「嗚呼麗しの愛し子様!お会いするのを心待ちにしておりました!僕は智天使イオフィエルと申します!」
「おっ、おお……どうぞ宜しく……えっと、イオフィエルさん?いきなり呼んじゃって、なんかごめんね……?」
「敬称など恐れ多い!僕は崇高なる貴女様の下僕!どうぞその可愛らしいお口で「イオフィエル」とお呼びください!!」
「ウ、ウン……」
どうしよう、ここに来て最高にキャラが濃い天使が来ちゃった。空回りしてる宝塚みたいな天使が来ちゃった。姿を隠す悪魔達からケッ!みたいな唾吐く声が聞こえる。やめろって、自分にヅカ要素がないからって僻むなよ。
まぁ、空回り天使の性格はどうでもいいか。肝心なのは私の質問の答えを知っているか否かだ。私はくっつくガブリエルを手で払い、膝が痛そうなイオフィエルへ目線を向ける。
「じゃあ、イオフィエル?ちょっと六百年前の、ルドニアの建国当初の話を聞きたいんだけどいいかな?っていうか覚えてる?」
「勿論です愛し子様!主よりウリエルの監視を命じられてから早六百年!ウリエルがこの地に降り立った頃から解放された時まで!全ての事柄はこのイオフィエルの頭にあります!!」
傅く姿で私を見上げるイオフィエルは、己の胸に手を置き意気揚々と答えた。
まさか六百年分完璧に覚えているとは、どうやら最高の証人、そして当事者を呼び出す事が出来たらしい。此方へ輝く瞳を見せつける天使へ、私は最初の質問……全ての始まりから問う事にした。
神父様が聖人に飾り立てられた時から、そして「聖人が二人存在した」可能性が浮上した時から。私が解けない疑問と、私が出した「仮説」を裏づける為に。
「じゃあ一つ目。……ウリエルは、マルダとの間に子供が何人いた?」
その想定外の質問に、ガブリエルは目を見開き驚く。……だがイオフィエルは、私へ笑顔を向けながら教えてくれた。
「何だそんな事でしたか!ウリエルと人間マルダの間の子供は二人です!兄の方はロンギヌス、弟の方はアダリムと呼ばれておりました!」