147 逸話を紐解け ②
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「イヴリン」
まだ太陽が顔を出さない、朝と夜の境目。
よく知っている声に、私は寝ていた意識を覚醒させる。
目を開けば、私に覆いかぶさるパトリックがいた。垂れ下がる灰色髪は、私を誰かから隠している。
「パッ、トリック……様?」
「おはようイヴリン、今日も素敵な香りだ」
驚き目を見開けば、彼は妖艶に笑い、美しい碧眼を卑しく細めた。……離れよう、そう思っているのに体が動かない。どうやら、今この時間は彼の思いのままらしい。
「もう四日目だけど、調子はどう?」
そう彼は優しい声色で問いかけた。……パトリックが夢魔の力を持っているのは知っている。だがその力はサリエルによって封じられている筈だ。ここは辺境の屋敷ではなく、警備も厳重な城の中。なのにどうしてここに彼がいる?
だがそれは、まるで別人の様な彼の表情で理解した。私の一喜一憂を待ち望んでいる様に、彼は私の頬を優しく撫でる。その行動と、隠さない挑発的な目線を睨み付けた。
「……まだ四日目だけど?」
そう「名も無き悪魔」へ問い掛ければ、肩をすくめて奴は笑う。
「そんな嫌がらないでよ!ただの暇つぶしだよ」
腕を引っ張られれば、私の上半身は強制的に起き上がる。奴の体が近づけば、微かに燃え切った灰の匂いがした。
「で?この期間で、何か手掛かりでも掴めたかな?」
よほどの暇人なのか、もしくは悠長すぎて心配しているのか。悪魔は首を傾げながら、ここまでの結果を求めている。……監視をしている筈の使用人達は、誰もこの部屋にやって来ない。どうやらパトリックに憑いている悪魔は、使用人以上の力を持っているのだろう。
……なんとなくこの悪魔の正体が分かるが、面倒なので知らないフリをしておこうか。
じっとりとパトリックに憑いた悪魔を見れば、恐る恐る口を開く。
「まだ「可能性」でいいなら……」
「いいや?君が言えば、結果それが真実になる」
「は〜〜ん?意味分かんないけど有難う」
「どういたしまして」
これはまた、随分と私を買い被っている。過剰な期待の前に、果たして何処まで理想通りに出来るだろうか?まだベルフェゴールの結果も聞いていないし、それまではあくまで「可能性」もしくは「仮説」でしかないのだが……このままだと帰らない気がする。致し方ない、少々悪魔の暇つぶしに付き合ってやろう。
まだ思う様に動かない体に嘆きながら、私は悪魔へ寝物語を唱えた。
「ラファエルの行動は全て、私と、ある神父を聖人にする為に行動した事だった」
悪魔は、私を掴んでいた手を離す。空気が冷たいと感じる程に、触れられた手首は熱を持っていた。
「決まった人物を聖人にする為?」
「神父アダリム。六百年前に存在した聖人アダリムの肖像画と同じ顔を持つ男。戦争孤児だった彼を、ラファエルは保護し養父として支援していたの」
その名を口にした途端、部屋の空気が一瞬で変わった。側に燃え盛る炎があるかの様に、吸い込む空気は熱さを持っている。底知れない恐怖が襲い、手は拳を作る。
悪魔はゆっくりと息を吐く。口からは息と共に、まだ端が赤い灰がこぼれ落ちた。……熱を纏う悪魔は、碧眼を鋭く此方へ向ける。
「もしかして、その神父様は聖人と同一人物とか?」
「それは……」
その続きを言う前に、ドアをノック音が耳に届いた。驚きその方向へ顔を向ければ、ドアの向こうからベルフェゴールの声が聞こえる。
「ご主人様、おはようございます。今よろしいでしょうか?」
部屋の状況など、扉の向こうの彼には何も分からないのだろう。どうやら、昨夜頼んだ調査の結果報告の様だ。こんな朝早くに来たのは、私が結果が分かればすぐに教えてほしいと伝えていたからか。
……困った、「名も無き悪魔」の存在を知られていいのか、否か。声の掛け方を悩んでいると、右肩に手が置かれた。
「残念、時間切れだ」
「っ!?」
耳元に聞こえた欺く声。部屋の外にいるベルフェゴールにも微かに聞こえたのか、返事をする前にドアは強く開けられる。
力強く部屋の中に入るなり、ベルフェゴールは険しい表情で周りを見回す。ここまで気配に気づけなかったのだ。只者ではない存在がいたと理解したのだろう。
漸く体が自由に動かせる様になったので、私はゆっくりベッドから立ち上がり、気配を辿る奴の元へ向かった。
「こんな時間に来たって事は、調べ物は終わったの?」
まるで何もなかったかの様に、首を傾げてベルフェゴールへ問いかける。奴は怪訝そうな表情を浮かべていたが、最後には疲れた様に色気あるため息を吐いた。
「ええ、終わりました。……「聖人アダリム」の姿が記された文献。全て確認しました」
そう、ベルフェゴールに頼んだ調査とは、数多存在する「聖人アダリム」の姿を記した文献の確認だ。私の考えが正しければ、それによってある「結果」が導き出される。
「で、どうだった?」
近くのソファへ座りながら、挑発的に奴を見据える。ベルフェゴールはやや眉を顰めながらも、左手に持っていた数枚の資料を差し出した。私はその資料を受け取り、書かれている内容へ目線を向けた。
「ご主人様のおっしゃる通りでした。肖像画が出る前、文献で記されていた聖人アダリムの容姿は様々に記されていましたが……その記載を個人ではなく、複数の人物として考えれば。随分と簡単に纏める事が出来ました」
差し出された資料の内容は、この国に存在する古い文献の記録。その中でも「聖人アダリムの姿」を記したものだ。書かれている内容を読み、そして無意識に口角が上がっていく。
「肖像画に描かれた聖人アダリムの姿は、「焦茶色の髪と紫の目。大柄な男」神父アダリムと同じ姿で、今まで発見された文献にも数多くその姿は記されている。……けれど、肖像画が発見されるまでの長い年月、教会の象徴である聖人アダリムの姿が定まっていなかったのは、その文献の情報のバラつきが原因だった」
ある伝承では「茶褐色の髪」と伝えられ、ある文献では「黄昏の髪」記されている。体格も大柄と記されていると思えば、別の文献では細身だと記される。六百年前の建国期の話だから、そうやって有耶無耶な情報しかないのかも知れないが……それでも、これじゃあまるで別人の事を書いている様だ。
そう、本当に別人の事を書いているのだ。
「数多の「聖人アダリム」の姿が記載された部分。ここから肖像画に書かれた容姿と同じ内容を取り払えば……残ったものは殆ど同じ内容。つまり「もう一人の聖人」が出来上がる」
どうして聖人アダリムの容姿が定まらなかったのか。
どうして神父様が、ラファエルに「ミカエル」と呼ばれていたのか。
「ラファエルにとって、神父様は「ミカエル」であり「聖人アダリム」ではなかった。……ラファエルの言葉だけを取れば、聖人は別に存在する」
全ての証言と記録が、別の聖人を示唆している。……だが、まだ私が仮説も立てられない謎は多い。
私は立ち上がり窓へ目線を向けた。漸く顔を出した太陽が、この国の街並みと遠くにそびえる教会を照らす。
さぁ、鍵は手に入れた。
後はその鍵を見せびらかし、当事者達へ話を聞き出していけばいい。
私は後ろを振り返る。なんとなく察した、顔が引き攣るベルフェゴールへ可愛らしい笑顔を向けた。
「ベルフェゴール、今日もデートしよ?」
「……………悪魔遣いが荒い」
「知るか働け詐欺悪魔」
思いっきり唇を噛まれた。その際の奇声で、血相変えて他の悪魔もやって来てしまった。
デートから計画変更、団体行動になった。
早朝、まだ他の団員がいないこの時間に、詰所にある訓練場で個人訓練を行う。それが僕の日課であり、まだ一人にしか知られていない秘密の時間でもある。
気づかれれば同僚達に、訓練のしすぎだと心配されてしまうだろう。だが僕は自警団になってまだ一年の新参者だ。恥ずかしながら、自分よりも数年は早く入団した同僚達に少しでも追い付きたい気持ちが勝ってしまう。
今日も今日とて朝訓練を終わらせれば、汗臭い体を清潔にする為に詰所のシャワールームへ向かう。外廊下を歩く最中、耳に届く小鳥の鳴き声に顔をあげれば、すぐ近くの教会本部が視界に入った。
……つい、自然にその名が口から溢れた。
「……聖女、イヴリン様」
かつて、僕はルーク王太子殿下の付き人だった事がある。僕の実家は代々王を支える仕事を担っており、僕は王太子となった殿下を支え、そのまま生涯あの方に仕える筈だった。
だが、その将来はたった一人の少女に出会い、激しく狂ってしまう。
あの日、僕は殿下に「イヴリンを紹介したい」とはにかんだ表情で告げられた。殿下がよく話してくれる少女。僕も気になってはいたので二つ返事で受けた。
長い長い廊下を過ぎ、そして漸く連れて行かれた温室には、既に中央の椅子に彼女がいた。
焦茶色の髪、漆黒の瞳を持つ、魔女と名高い少女。
彼女の瞳が僕を映した時、僕の体は可笑しくなった。……身体中の血が沸き、喉の渇きが治らない。遠くからでも香る媚薬の様な匂い、柔らかい肌。全てが僕を夢中にさせて、彼女を欲した。
それからは、まるで地獄の様な日々だった。彼女の首筋に噛み付きたい気持ちを必死に耐えて、地味なドレスを剥ごうとする手を血が滲みながら止めて。イヴリンへ嫌われない様に愛想良く接した。
けれどそんな事を続けていると、心がどんどん擦り切れていく。体が彼女を求める気持ちなど、こんな卑しい感情など家族に言う事は出来ない。それにイヴリンは殿下の想い人だ。本能のままに動いてしまえば、我が公爵家は相当な罰を受けるだろう。
どうしたらいい?
このまま僕は、永遠にこの地獄で生きて行かなくてはならないのか?
そう人生に絶望した時、ノーツ団長に出会った。
「随分と感傷に浸っているね、ルディ」
「うわっ!?」
突然の声に驚き、体を大きく震わせ叫んでしまった。声の主はその姿に声を押し殺して笑う。誰の声なのかは当然知っているので、勢いよくその人物へ振り向き敬礼した。
「ノーツ団長!おはようございます!!」
思った通り、後ろにはランギス・ノーツ団長がいた。黄昏色の美しい髪を靡かせて、笑いを抑える様に口元を隠している。
ランギス・ノーツ。自警団に入った頃は親の居ない平民だったが、細身の体から繰り出されるとは思えない剣の腕前と、あのヴァドキエル侯も唸らせる程の先導力を持った才能ある人物。その力を買われ、ノーツ枢機卿は自分の養子にしてまで支援している。
「見ていた先は教会……もしかして、聖女様の事を考えていたのかな?」
「……あ、えっと……」
図星なので、目線を下に向け吃ってしまう。そんな僕へノーツ団長は再び、今度は品よく小さく笑った。
「聖女イヴリンの護衛、君に任せようと思っている」
「え!?」
予想外の言葉に顔を上げれば、ノーツ団長は穏やかな表情で僕を見ている。自分の心臓の音が煩い、団長へ聞こえてしまわないだろうか?
聖女様の護衛、それは西区の自警団にとって光栄この上ない任務だ。生きた聖人の護衛、崇拝する存在を守れる誉れ。そんな重大な任務を、まだ新人である僕に任せるなんてあり得ない。
それに……彼女を護衛するという事は、側にいなくてはならない。それがどれだけ地獄なのか、僕は嫌と言う程知っている。
「ぼ、僕より……もっと……ふさわしい方が……」
嗚呼駄目だ。ちゃんと団長へお伝えしたいのに、あの時の地獄と、彼女の匂いを思い出して体が震えてしまう。
「……僕は……僕は、聖女様を……」
「ルディ・レントラー」
包み込む様な声、震える手に触れる暖かな手。その温もりに当たれば、自然と震えが収まっていく。涙が出そうな僕の表情に、団長は優しく微笑んでくれた。……耳元で小さく、声が囁く。
「君だから、この任務を任せたいんだ」
「ノーツ、団長」
絶望しかなかったあの時、僕を救ってくれた声。己の地獄を吐き出した僕へ、新しい道を作ってくれた恩人。
その人が僕を信頼して、僕に任せてくれている。
僕を見つめる表情は、まるで聖人の様な神々しい姿だ。
……そうだ、もう僕はあの頃の僕じゃない。もしかしたらあの地獄の様な経験は、聖女様が僕に与えた試練だったのかもしれない。それに耐えた結果、聖女様は僕に尊敬すべき師を与えてくれたんだ。
その師が、僕に期待してくれている。答えない理由など、どこにもない。
パトリック弟、132話でチラッと出ています。
〜ちまちま自己紹介〜
ルディ・レントラー 年齢17歳//身長170前半
⇨レントラー家子息。かつてはルークの付き人だったが、イヴリンに出会い地獄を見た。色香にやられて情緒不安定になり、自室を荒らしてストレス発散していた。勿論ルークやイヴリン、家族に知られない様に必死で取り繕う。
偶然知り合ったノーツ団長に拾われて「西区自警団に入団するから付き人降りる」と裏技を使って付き人から逃げた青年。夢魔としての力はないが、多分パトリックの分まで悪魔的本能を受け継いちゃった青年。兄を尊敬する心優しい青年。非童貞。