146 閑話にもならない
神父様が教えてくれた内容で、ある可能性が浮上した。だが私が考えた事が正しいか否かは、ベルフェゴールの調べた内容で変わってくる。
教会本部からベルフェゴールと共に戻ってきた私は、城の使用人達に気づかれない様にバルコニーから部屋に入った。横抱きの状態から丁寧に下されれば、奴は乱れた服装を整える。
「先程の調べ物ですが、朝にはお答えできると思います」
「うん、今日はありがとう。気をつけてね」
素直にお礼を伝えれば、ベルフェゴールは一瞬固まる。
が、すぐに戻ってじっとりと此方を見た。なんだその態度は?失礼な事言ったか?一応ご機嫌でも取っておこうかと、首を傾げながら奴へ問いかけた。
「ベルフェゴール、そんな顔してどうしたの?」
「……いえ、悪魔相手にあまりにも素直に感謝を述べられるので……本当に、脳内が花畑だと感心したんです」
「喧嘩売ってる??」
ちょっと心配した私が馬鹿だった。あまりの失礼な感想に睨みつけ、私はそのまま部屋の中へ戻ろうとした。
だがそれは叶わない。理由はドレスの後ろをベルフェゴールが掴んでいるからだろう。今度は何だと苛立ち振り返れば、目の前に黄緑の目があった。ついでに唇に痺れる痛み。
痺れる痛みの正体は、唇を噛まれた感触だ。上下の唇を丸ごと、ガブリと音が鳴りそうな程に噛まれる。突然の痛みで逃げようとしても、気づけば後頭部を掴まれていた。
噛んでは離して、また噛んで。偶に上唇だけ噛んで。気品ある美しい青年が、それを何度も行っている。まるでどこかの野生動物の、いじらしい求愛行動にも見てとれる。……いやこれは違うな、捕食行動か。
意外だ。てっきり悪魔らしいベルフェゴールの事だから、今回の「ご褒美」も血だと思ったのだが。もしかして、この可憐な唇をチューインガムだと思っている?
逃げる事も出来ないので淡々と受け入れていれば、漸く後頭部の手が離れた。何故か黄緑の目が険しい。
「嫌がりも逃げもしないという事は、こんな行為はもう慣れている?」
「いや、流石にここまでガブガブされた事は無いけど」
「つまりはされた事はあるんですね……なんて汚らわしい」
「さっきからベルくん喧嘩売ってる??」
なんて煽り属性の高い悪魔だ。まだ文句を言い足りないのか煽り悪魔は口を開くが、声を出す前に何かに反応し、盛大に舌打ち。怪訝にその姿を見ていると、後ろに気配を感じる。
気配へ振り向こうとしたが、それよりも先に後ろから強烈な強さで頭を掴まれた。私の頭蓋骨がミシミシと泣き叫んでいる。
「イダダダダダダダ!!??」
「浮気は楽しかったですか?」
よく知っている、けれど普段とは違う地を這う様な声。ベルくんは颯爽と消えた。なんて薄情な。掴まれた頭はそのまま後ろへ引き摺られ、物の様に移動させられる。実に悩ましい。私の頭皮を犠牲にして逃げるか否か。
しかし時すでに遅い。悩んでいる間に、叩きつけられる様にベッドの上に転がされてしまった。やっと解放された頭皮を震える手で労わる。近い将来、禿げになる事が確定された。スカルプケアしなきゃ。
顔を上げればやはりサリエルがいた。神々しい顔面を険しくさせて、自身もベッドの上によじ上ってくる。顔を引き攣らせながら離れても、それ以上に近づいてきた。
ベッドの面積などたかが知れている。最終的にはベッドボートに体が当たり、それ以上は進めない。サリエルはこれ好機と一気に顔を近づけた。毛穴ない事自慢してる?
「サ、サリエルくん?」
若干可愛さを出して名前を呼んでみれば、サリエルは長い長いため息を溢す。
で、息を大きく吸った。
「今日は、ご主人様がお疲れだろうと思って、ご主人様の好きな茶葉を屋敷まで取りに行っていたんです。ご主人様は夜中にいつも本を読まれるから、そのお供にと思って紅茶を淹れたんですよ?ご主人様が喜んでくれると思って。確かに、そのまま口付けでも出来たらいいなとか、甘えてくれたらいいなとか思っていましたよ?でもまさか居ないなんて思わないじゃ無いですか?慌てて探し回って、でも僕は探知や捜索が苦手なのでうまく出来なくて。やっとご主人様の気配がしたと思って、心配で心配でこの部屋に来たら?幻想的な月に照らされながらご主人様が浮気しているんですよ?僕の想い知ってますよね?愛してるって言いましたよね?他の四人の悪魔なら必死に耐えましたよ?クソ商人も得がある存在だから耐えました。でもあんなパッと出の悪魔とします普通?何してるんです?しかもあの悪魔この前まで敵だったじゃないですか。今の僕の気持ちわかります?血管という血管が切れましたよ?阿婆擦れ浮気淫乱女には分かりませんよね?僕がどれだけ心」
「長い長い長い」
いやぁ驚きだ。サリエルくん、こんな長々と喋れるんだね。君の新たな一面が知れて、ご主人様は嬉しいよ。若干、いや結構引いてるけどね。
唾が飛びながら恐ろしい速度で続く文句は、あまりにも長すぎて半分理解不明だったが……多分、ベルフェゴールに嫉妬したのだろう。いや知らんわ。そもそもお前と恋人じゃない。この前丁寧に振っただろうが。契約なのだから仕方がないではないか。無意識にため息を吐いてしまう。
「ベルフェゴールに契約の対価をあげてただけだから、お前だって同じ事してるでしょ?というか、お前だって対価以外でも散々手を出してくるく………ウッッッ!!??」
サリエルの尻尾が、私のか弱い腹部を絞め上げる。苦しさで呻く様な声を出せば、奴は不機嫌そうに眉を顰めながら、革手袋を付けたままで私の唇に触れる。
「そんな阿婆擦れた言葉を聞きたいんじゃありません。早く口を開けてください。上書きしますから」
「うぐッ、うぐぐぐぐ!!!」
奴はそう言いながら、無理矢理口をこじ開けようとしている。……いや、ベルくんは唇噛んでただけだし!?
「唇や口内に侵入した、クソの体液を全部僕に塗り替えます」
「心を読むな。説明するな」
おっとやっちまった、私の研ぎ澄まされたツッコミのお陰で、つい口が開いてしまった。すかさずサリエルの手が押し込む。今から歯の治療か?って位に口開かされてしまう。
うん、こりゃあ終わったな。私の口内環境は奴によって悪化するだろう。あーもう!この被害妄想、恋愛脳悪魔め!!
確実に訪れる悲劇を前に、私は絶望し目を瞑った。
しかし、待てと待てと蛇舌は触れてこない。なんならサリエルは体を動かさない。本当に何したいんだこの悪魔?
……その時、目の前から小さく笑い声が聞こえた。
目を開ければ、そこにはクシャリと笑うサリエルがいた。初めて見るあどけない表情。心臓には数ヶ月ぶりに、杭が五本くらいブッ刺さる。
どうしてそんな顔をする?今する場面だったか?……しかしサリエルは、それはそれは嬉しそうに笑った。
「僕がここまでやっても、ご主人様は「危害」と思わないんですね」
「…………」
言っている意味が一瞬分からなかったが……暫くして理解すれば、あまりの恥ずかしさで顔に熱が溜まる。サリエルの背後に薔薇園が見えた。
……そうか。確かにここまでの行動で、サリエルが止まらなかったという事は、私がその行動を「危害」と思わなかったから……思わなかった、らしい。
穏やかに、私の表情を愛おしそうに見つめているサリエルくんだが、両手はまだ私の口を開けている。顔は天使両手は悪魔だ。
奴は己の蛇舌を下品に見せびらかしながら、今度こそ舌を近づけた。
「ご主人様、愛しています。……だから、早く僕だけのものになって」
呟くような、熱の込められた声。ゆっくりと語られる口説き文句。
先程の早口罵倒は何だったのか、上機嫌になったサリエルは、蛇舌で私を堪能した。
嗚呼クソ、情緒不安定な悪魔め。
絶対にお前らの思い通りになるもんか。……嗚呼もう!おさまれ心臓!!
っていうか、私二人の事振ったよな!?無かった事になってないか!?