145 逸話を紐解け ①
夕焼けが過ぎ去り、美しい月夜がこの部屋を覗き込む。
ルークを見張っていたベルフェゴールが戻ってきた。疲れでベッドに寝転がる私の側に立てば、黄緑の目を此方へ向ける。
この悪魔、前に契約した時はもっと愛想良かった気がするのだが……なんかこう、サリエルに似てきた様な、若干小馬鹿にしている気がする。多分こっちが素だ。
「倒壊した旧ハリス邸の地下より、聖人アダリムの肖像画が見つかりました。鑑定の結果、建国当初の肖像画だと」
「……何でその肖像画に描かれていたのが、聖人アダリムだと分かったの?」
「その裏に、肖像画と同じ時代の画材で「我が子、アダリム・ルドニア」と書かれていた事。そして聖人アダリムについて残された文献と照らし合わせた結果、絵に描かれた外見が一致する箇所も多く記されていた事もあり、本人だと確定されました」
唸る声を出して、片手は自分の頭を支える。どうしようもない疲れに、一度大きなため息を吐いた。
「で?……その肖像画に描かれていた聖人アダリムが、神父様と瓜二つだって?」
「肖像画の方がやや若々しいですが……瓜二つ、というより本人ですね」
「六百年も前の絵なのに?」
「おまけにその神父が、教会本部で神業を披露したと」
「本当に?」
「本当です」
「本当の本当に?」
「本当の本当です」
「本当の本当の本当に?」
「本当の本当の本当です」
流石にしつこすぎたのか、ベルくんは眉間に皺を寄せた。
私は予想外の展開に項垂れ、寝具に突っ伏した。何しちゃってくれたよ神父様、神業とやらが使えるなら先に教えて欲しかった。もしくは突然発現したのか?……いや、それよりもルークだ。夜にこの部屋に来ると言っていたが、夜中になってもまだ来ない。
「殿下と、陛下はどうしてる?」
「国王は知りませんが、王子は酷く取り乱していますね。ですので、今夜は此方には来られないかと」
ルークは今日は来ない。となればこの部屋で待っている意味もない。ベッドに寝転んでも時は過ぎるだけなので、勢いよく起き上がれば思考を巡らせていく。先はマルファスとラファエルの関係だ。
まさかあの二人が通じていたとは。適当に端折った内容ばかりで、ラファエルやマルダの関係をはぐらかされてしまったが……奴はマルダと契約をした為に、ラファエルと協力関係になったらしい。一体どんな内容だったんだ。
次は新たな聖者の誕生の件だ。教会初の「生きた聖者」が二人も登場した。特に神父様は聖人アダリムと瓜二つ、先程から廊下の外で「聖人様の再来」と騒ぐ声が聞こえるので、完全に聖人アダリム本人だと思われている。まぁ、本人だろうが他人だろうがどうでもいい。……ルークが取り乱す理由、それは教会の信条に関係している。
教会はルドニア国の王家を聖者としているが、あくまで聖者のアダリム・ルドニアを信仰しているだけで、教会の頂点は聖者だ。ルドニア王の王命を使ったとしても、教会は従う必要はない。私が聖女となった際に、ルークと婚約なんて話が確実になったのは、ルークが望んだのもあるが、それよりも彼が聖人アダリムの血を受け継いでいたからだ。……万が一神父様が聖者となれば、より濃く神聖な血同士で添い遂げさせるだろう。つまりはルークはお払い箱だ。
「結局殿下は、私を聖女にする為の道具でしかなかった……か」
「ラファエルの目的は、あの神父とご主人様を番にさせる事でしょうね」
ベルフェゴールの言う通りだが、まさかそんな事の為にここまですると思えないだろう?何だったら神父様を辺境の屋敷に連れてきて、私へ直接交渉すれば終わるじゃないか。
この部屋にいるのは、私とベルフェゴールだけ。他の悪魔は屋敷の管理をしていたり、城の周りを監視している。……横目で、側に立つベルフェゴールを見た。奴は黄緑目を細めながら、心底嫌そうな目線を向けた。
だが、契約は契約だ。存分に私の手足になって貰おうじゃないか。
私はそんなベルフェゴールへ、愛想のいい笑顔を向けた。
「ベルくん、デートしよ?」
「代わりにご褒美を要求します」
ちゃっかりしてんなぁ。
《 145 逸話を紐解け 【上】 》
かつてノア・ハシリスが建てた屋敷から、聖人アダリムの肖像画が発見されたらしい。その肖像画は王族と、ごく限られた一部のみが知る紋章の布で覆われており、六百年も経っているのに関わらず色彩を残していた。
そこに描かれていた聖人アダリムは、焦茶色の髪、紫の瞳。表情の硬い男。そして俺と全く同じ顔をしていた。……本当に、俺が描かれているのではないかと錯覚する程に。
かつて、聖人アダリムは特別な力を持っていた。枯れた大地を嘆き一粒の涙を流せば、その涙は森を生み出す。耳をすませば何処からでも己を求める声が聞こえ、諭す声は獣を鎮めた。まるでおどき話の様な存在で、それでいて何処か恐ろしくも思えた存在。
そう、本当に恐ろしかった。己の感情をうつす様に、足元に緑が生い茂る光景は。それを見た仲間達の表情は。
「……俺は、聖人じゃない」
誰もいない部屋の中。もう何度めか分からない言葉を、震える唇で呟く。
姿を見られたくない。壁にもたれ、体を縮こませる。開かれた窓から見える月だけが、己の表情を覗き込む。
俺が聖人アダリム?馬鹿馬鹿しい、顔が似てるだけだ。草花だって、きっと科学で解明出来る事柄な筈だ。お嬢ちゃんみたく瀕死の王を癒してないし、俺が神業を持つはずがない。
俺は親の顔を知らない孤児で、高明な養父に助けられたから生きているだけの、底辺の人間だ。それ以下でも以上でもない。
………でも、可笑しいんだ。
さっきから、脳裏に知らない情景が浮かび上がってしまう。
何度も何度も、思い出せと言う様に。
「今晩は、神父様」
「っ!?」
突然の声に体が飛び跳ね、勢いよく前を見る。
夜に溶け込む瞳が、俺を見据えている。暫くすればため息が聞こえた。
「私、言いましたよね?「これ以上私達の邪魔をするならば、私達は枢機卿を始末します」って。……なのに、どうしてこんな事になっているんです?」
目の前の椅子に座っていたのは、城にいる筈のイヴリンだった。内側から鍵を閉めていたのに、どうやって入ってきた?娘は俺の表情に鼻で笑い、部屋の周りを首を動かして観察している。
「まぁいいや……それにしても、教会本部にいらっしゃる所も意外でしたが、扉の向こうには護衛と……軟禁ですか?一体、何があったんです?」
驚き固まる俺に、娘は疑問を問いかける。暫く呆然と娘を見ていたが、此方への視線が鋭いものになってくれば、慌てて答えを伝えた。
「……ラファエル枢機卿に、聖堂に呼ばれて……頭痛がして、そうしたら足元に草花が現れて。それで今は、体調が心配だから部屋を用意されて……」
「成程、体調にこじ付けて、逃さない様に軟禁かな?私の時で随分と勉強した様だ……神父様、そういえば聖人アダリムだった頃の記憶あります?」
「ある訳ないだろう!?」
「やっぱりそうですか」
叫んだ嘆きは部屋に木霊する。つい感情的になってしまったが、廊下の外の護衛は部屋に入ってこない。イヴリンはそれがさも当たり前かの様で、険しい表情を向けながら足を組み替える。
「ラファエル枢機卿の目的は、私達を聖者にする事。元々聖人アダリムの肖像画は持っていたのでしょう。王太子殿下を操り私を聖女候補にし、舞踏会の大勢の前で陛下を癒させる。信仰が厚いルドニア国民でも皆が皆、聖者の伝説を信じる者ばかりではありません。だが目の前で瀕死の人間が癒やされる光景を見れば、その常識は興奮と共に覆される。……その後は貴方です」
「俺……?」
「聖女誕生で興奮冷め切れぬ所に、聖人アダリムの肖像画が発見された。しかも瓜二つの人間が聖職者におり、その者は根の張らない聖堂の床に草花を生やしてみせた。聖人アダリムの再来、最高のタイミングです。このルドニアでは過去に、聖者候補は少なかず存在しています。だが全員認定が下りなかった。……過去に王族を二人癒した私でさえ、支援者からの邪魔はあれど聖女認定には相当の時間がかかったんです。通常なら厳しい精査を行い聖者か否か確認しますが、今のルドニアなら早急に貴方が聖人だと認められるでしょう」
確かに、六百年以上続くルドニアの歴史の中でも、枢機卿達による厳しい精査のお陰もあってか、聖者が現れた事など一度もなかった。肖像画に似て、草木を生やした場面を見た者は養父のみ。再び俺が全枢機卿の前で神業を出したとしても、認定には相当な時間がかかるだろう。……だが史上二人目の聖者、イヴリンの登場。高位貴族達の前で、国王を癒した英雄。……今この国は、信者も一般人も関係なく興奮が冷めきっていない。
イヴリンは背もたれに体重を掛けて、長くて大きなため息を一つ吐いた。
「このままですと、神父様は晴れて聖人の仲間入りですし、となれば私との婚姻も確実になるでしょうね。……枢機卿は、一体何をしたいのやら」
小さな声で、イヴリンは自身の疑問を打ち明けた。その時、聖堂で養父が言っていた言葉を思い出した。つい溢れる。
「愛を、再び向ければいい」
「……愛?」
「聖堂で、そう枢機卿が言っていたんだよ。確か、神はもう愛を向けていないとか、だから向ければいいって……」
「…………神の愛を」
声に出し、考える様に目線を下に向ける。……だが、何かを理解したのだろう。再び此方へ向ける目線は、普段通りの高慢な表情だった。イヴリンは勢いよく立ち上がり、部屋の隅へ顔を向ける。
「ベルフェゴール。ちょっと調べものを頼んでもいい?」
声に反応する様に、何もない部屋の隅が蜃気楼の様に揺れる。その歪みは人の形へ変わり、やがて薄紫髪の美しい青年が現れた。娘の屋敷にいた使用人の中にはいなかった青年だが、突然現れたところからして、あの者達と同じく人間ではないだろう。
青年は此方を一度睨みつけたが、やや疲れているのか汗ばんでいる。イヴリンは気にせずに青年に何かを頼んでいる。
青年との話が終われば、イヴリンは足取り軽く俺の元へ歩みを進めた。
「神父様、いつまで芋虫みたいになってるんです?」
「……え?」
「貴方は枢機卿を守りたいんでしょう?ならそんな縮こまっていないで、さっさと働いてください」
表情と同じく、高慢な口ぶり。俺の目の前にきたイヴリンは、腕を掴んで無理矢理起き上がらせた。慌てて腕を離れさせようと踠いても、どうにも娘に触れられれば力が出てこない。
「っ、離せ!」
「嫌ですよ。神父様がどう足掻こうとも、私は私の為に神父様を働かせます」
「はぁ!?なんだそれ、横暴すぎるだろ!?」
「横暴でも高慢でも、どうとでも言ってください。もっと酷い言葉を投げかけられた事もありますから、全く気にしません。……何を犠牲にしてでも、己の得だけを考える。私はそうやって、何十年も悪魔から逃げてきたんですから」
窓から覗き込んでいた月が、俺ではなくイヴリンを照らす。
闇の様な瞳から、まるで囚われた様に逸らす事が出来ない。
悪魔を従えた聖女は、妖艶に笑った。
「さぁ神父様、そんなお行儀よくしてないで、無様に反抗しましょう?」