137 只の悪魔
4/27 19時頃、セリフ1個付け加えました。
先日、国立学校を無事に卒業したパトリック・レントラーは、かねての通り代理公爵から爵位を譲渡された。
建国当初から続く、代々国王を支えてきた歴史ある公爵家。その新たな当主が、田舎子爵へ何の用があるのか?……そんなの、彼女ぐらいしかない。
「卒業式以来ですね、レントラー公」
姉に代わって、俺が馬車から降りたレントラー公を迎える役割を任された。元教師である俺の方が適任だと判断したのだろう。嫌な役回りだ。
恭しく礼をする俺へ、レントラー公は頷いた。
「突然の訪問になってしまい、申し訳ございません」
「俺に敬語は要りません」
この国で、最も地位の高い貴族。片や爵位を持たない教員だ。狭い学舎では立場は関係ないが、外に出れば権力がものを言う。言葉の意味を察したのか、やがて公爵は静かに息を吐いた。
少し見ないうちに立派になった、背も伸びて大人らしくなった。……そう教師らしく褒めてやりたいが、今はそれは出来ない。随分と疲れた表情の公爵へ、俺はできる限りの笑顔を向ける。
「で。貴き貴方様が、こんな田舎街まで来られた理由は何でしょう?」
まだ幼い碧眼が、炎の様に小さく揺れる。
「イヴリンを知りませんか?」
「……いいえ、知りません」
やはり予想通りか。聞きすぎて、体が拒絶反応を起こす言葉だ。
舞踏会が終わってからというもの、昼も夜も関係なく新聞記者や熱狂的な信者、自警団までも同じ質問をしてきた。もしかしたら、レントラー公が来たのは王室からの指示かもしれない。舌打ちしそうな唇を必死で取り繕い、愛想のいい顔を崩さない。
「俺も友人として、イヴリン様の行方を探しております。ですが申し訳ない事に、手掛かりは何も知らないのです」
もう定型文となった言葉を並べる。元教え子に嘘を吐くなんて心が痛むが、イヴリンに嫌われるよりはマシだ。公爵を招く様に屋敷の玄関を開けた。
「長い馬車の移動でお疲れでしょう?どうぞお茶でも」
流石にすぐに帰れとは言えないので、出来る限りの接待を受けてもらおう。ついでに城や教会の状況を探るのも悪くない……否、流石にそれは大人気ないか。
だがレントラー公は下を向いたまま、無言でその場で固まっている。薄々感じていたが、余程疲れが溜まっているらしい。城で何かあったのか、もしくは公爵の重荷によるものなのか?固まる彼を助ける様に、肩に触れようと手を差し出した。
だが、それよりも先に。先程とは違う、鋭い碧眼が俺を止める。
余りの変わり様に驚き、触れる事を躊躇う手を掴まれる。突然、火に炙られた様な痛みが手に襲った。
「……っ」
「此処にいる事は分かっています。会わせてください」
鋭い眼光を孕んだ目なのに、声は優しく囁き欺ける。
どうして彼女がいる事を知っているのか?そう質問したくても、震える唇は役に立たない。
……恐怖や興味よりも先に、喰われる。何故かそう思ってしまった。
口呼吸しか出来ず、舌がどんどん乾いていく。手から肉の焼ける匂いがする癖に、見ても何もただ掴まれているだけだ。何か薬物でも吸わされた訳でもないのに、どうしてこうなっている?
痛みでぼやけていく視界でも、彼の顔が近づいている事は分かった。
「……ランドバークさん、俺の声が聞こえていますか?」
「レン、ト」
「イヴリンに会わせてください」
嗚呼分かった、これは支配だ。自分よりも一回り下の子供、その瞳に逆らえない。身体中から冷や汗が出てくる。こんな体験など生まれて初めてだ。
……目の前の青年は、本当に俺の知っているパトリック・レントラーなのか?
その時、後ろから小さなため息が聞こえた。吐息の持ち主を知っているのか、公爵は目を見開き、俺の手を離せば辿る様に声の方向を見る。今まで獰猛な牙を見せていた犬が、只の飼い犬に戻った様に。
「単独で一人で来るなんて。公爵の癖に、不用心すぎませんか?」
姿が見えないのは外を用心しての事だろう。
それでも公爵に話しかける声色は、とても穏やかなものだった。
◆◆◆
ローガンとの会話から推測するに、誰かから私の居場所を聞いたのだろうか?
私の居場所は、悪魔達以外では屋敷の主のヴィルとローガン。ヴィルに忠実で誓約書を書いた屋敷の使用人数名。それにダリの上司であるエドガーしか知らない。……叔父のエドガーが漏らしたのか?あの男が私の機嫌を損ねるような事、しないと思ったが。
屋敷の廊下を進んでいるが、後ろから付いてくるパトリックは一言も話さない。
パトリックはルークの付き人だ。何処までルークに忠誠を誓っているか分からないが、脅すでも何でもして口外をやめさせる必要がある。そもそも、何故一人で来たのかも理由が不明だが。
後ろにいる彼は見ずに、歩みながら口を開く。
「私の居場所は、エドガー様から聞きましたか?」
「……いや、昨夜この近辺で起きた異常気象だ」
「あ……あぁ〜〜……?」
最悪だ。マルファスに直して貰い、問題なく終わったと思っていたが……例え、人目の少ない深夜でも、あれ程の大荒れの天候だったんだ。そりゃあ見ていた人はいただろうし、赤い雨が降っていたのに朝には跡形もないなんて、誰かに話したくなってしまうだろう。
旧ハリス領地でレヴィアタンが天候を操る場面を見ていたパトリックなら、此処に私がいると推測してしまう。
だが昨夜の事なのに、中央区にいるパトリックがこんなにも早く知る事が出来たのか?情報に疎い男だと思っていたが。
「昨日の今日って、噂が回るの早すぎませんか?」
「噂?……嗚呼、そうだな。あれ程の衝突だったんだ、噂が回るのも早いだろう」
驚き後ろを振り向けば、パトリックは立ち止まり、腕を組んで考え事をしていた。暫くすれば、彼は此方に目を向ける。
「大嵐と毒の雨の天変地異。もしかしたら、お前の使用人達の仕業だと思ったんだ。だから確認しに………イヴリン?」
奴は、固まる私を不思議そうに見た。
同時に廊下からさしこむ太陽の光が、雲に覆われる。
私は、目の前の男を見据える。
「何故「毒の雨」だと言い切れるんですか?」
ソレは目を見開いて、口元に手を添える。
「昨夜の惨事は悪魔によって修復されています。大嵐で荒れた田畑も、毒によって腐り落ちた作物や家畜も全て無かった事になっている。例え目撃者がいたとして、窓に張り付く血の様な雨は分かれど、街灯もない夜中に、作物がその所為で死に絶えているまでは見えない。……もしも貴方が言っている通り、人伝の噂で此処に来たのであれば「大嵐と血の様な赤い雨」だと伝わるのでは?」
「…………」
「しかも貴方は今「衝突」と言った。旧ハリス邸ではレヴィスが天候を変える所しか見ていないでしょう?他の悪魔も天候が変えられる者がいるなんて、私は昨夜初めて知りました。貴方が知る筈がない。……ましてや「争いの結果」だと何故分かる?」
まだ黒い雲は、太陽を覆っている。
薄暗い廊下で、目の前の男が口元に添える手を震えさせている。その所為で、ソレの歪んだ口元が見え隠れしていた。私の吐く呼吸が、ソレへの恐怖で浅くなっていく。
「……お前、誰だ?」
ソレが恍惚としたため息を溢す。その碧眼は、炎の様に揺らめいていた。
「素晴らしい。暫く遊んでやろうと思ったのに、なんて賢い子だ……はぁ……本当に素晴らしい……忌々しい神の愛娘が、此処まで賢く、卑しく熟れた女なんて……」
彼の姿で、彼の声で語りかけているのは変わらない。だが、この「存在」は別人だと分かる。穏やかな声なのに、ノイズがならないのに。……それだけで、吐きそうな程の敵意を隠しているつもりか?
悍ましい敵意に後ろに一歩下がれば、ソレは二歩近づく。歩く床は黒く焦げていた。
「……お前、パトリック様に化けているのか?彼は無事?」
「化けている?……へぇ、化けている?そう見えしまうのか?これは申し訳ない。何処が歪んでいるのか、愚かな私に教えて頂いても?」
何処も歪んでなんていない。……まさか、この「存在」にパトリックは喰われたのか?思わず引き攣る表情に、ソレは顔を破顔させた。
「嗚呼そんな顔をしないで?……大丈夫、まだ喰べていないし、「今は」喰べるつもりもないよ」
ソレは己の心臓部分に触れ、慈しむ様に撫でる。
「彼は取引材料だよ。それに此処にはこっそり来ていてね。鴉に気づかれない様に、体を借りているんだ。……まぁ、返すかは君次第だけど?」
「……取引?」
「そう!君と私との「平等な取引」だよ」
笑いかけるソレは、私の手を掴んだ。
「初めまして、憎き存在の愛娘。私は名も無き、只の悪魔。……私は理想郷を守る為に、君は新たな来世の為に。どうぞ手を取り合って天使を欺こうじゃないか」