136 仲裁と、来訪
気絶して、全ての責任の放棄を目論んでいたが…………不幸な事に、肝心な時に意識は飛ばなかった。ふざけんな、しょっちゅう泡吹いて気絶してるだろ私!何で肝心な時に気絶してくれないんだ!ケチ!!
……まぁいい。そうとなれば怖がっている場合ではない。責任を放棄させてくれないなら、例え吐こうとも主人として使用人を宥めるだけだ。
となれば、この今にも殺戮をしそうな二人に、ご主人様である私は何て言えばいい?「私の為に喧嘩しないでぇ!」とか言えばいいのか?……悪いが、私はそんな可愛い性格ではないし、そんな事を放つ自分を想像するだけで胃が痛くなる。しかしこのままでは、歴史あるランドバーク邸も、豊かな領土もアホ二人によって消え去ってしまう。賠償金とかありそうじゃん?ムリムリ。
ならば次の策。二人の想いに応えるつもりはないので、ここでキッパリ振るか?……いやそれは最悪の結果になる気がする。おっと、これは詰んだ。
そんな私の思考は知らぬのか、アホ共は此方へ目を向けた。
「ご主人様、何自分の世界にいるんですか?さっさと僕を受け入れないから、こんな事になってるんですよ?」
「いや理不尽すぎん?」
「主はこんな蛇野郎よりも、俺の方が好きだもんな?今回も、ちょっと浮気したくなっただけだろ?本当にアンタは阿婆擦れ尻軽で可愛いなぁ」
「何がどうしてそうなる?」
ご主人様の鋭いツッコミは無視して、レヴィスの言葉にサリエルが顔を歪め嘲笑った。ちなみに、両側から腕を鷲掴みされているので、ご主人様は非常に痛がっている。お前ら本当に私が好きなのか?
「お前みたいな生臭い魚が、ご主人様に好かれるとでも?哀れなクソ魚だな、番になるなんて夢物語は大概にしろ」
「ちょっと、サリエルやめ」
「卑怯な手を使って、下品に主にしゃぶりつくアンタよりは勝算あるだろ?夢物語って、もしかして自分に言ってるのか?嫌われる要素しかないもんなアンタ」
「話聞いてる?ねぇ話聞いてる?」
「嫌われる?その下品な口付けを「危害」と認識せず受け入れられているんだ。好かれる事はあれど嫌われるなんてあり得ないだろう。……嗚呼、自分が受け入れてもらえないから、嫉妬しているのか?可哀想な事だ」
「それって受け入れられているんじゃなくて、幼稚すぎて気付かれていないんじゃないか?アンタにも見せてやりたいな、俺に弄られてる主は、はしたない顔して好く鳴くんだ」
「お前ら好きって嘘だろ」
「愛していますが?」
「愛してるけど?」
「言葉の上位互換してくる」
えっ、こいつら喧嘩してるフリか?このままだと私の小っ恥ずかしい暴露大会が勃発してしまう。やめろ鳴くって言うな。
感情に悪魔の力が込められているのか、私達の周辺の床はヒビ割れていく。窓の外の景色はどんどん変わり、激しく打ち付ける雨が血の色になった。外では何が起こっているのか知りたくない。
暫く煽り合いを続けていた二人だったが、最後には同時に長く、大きく溜息を吐いた。ヒヤリと、背中を冷気が襲う。
再びお互いに目線を向けた、その目は獣の様に瞳孔が細い……あっ、これは死ぬ。領土の人間が、このアホの所為で皆死ぬ。そう本能が教えてくれた。嗚呼最悪だ、賠償金払いたくない。
その時、癖のある足捌きの音と、鴉の鳴き声が聞こえた。
《 136 仲裁と、来訪 》
早朝。床に座らされ、無数の蛇に体を拘束されたサマエ……否、サリエルとレヴィスは、目の前で仁王立ちしたステラに睨まれている。因みに、イヴリンはベッドの上で深く眠っており、そんな娘をフォルは心配そうに見つめ、ケリスは膝枕している。
ステラは一度、眉を下げてイヴリンを見てから、再びサリエル達へ睨んだ。
「記憶操作の術が効かなくなってるから、力を使う時は気付かれない様に注意しようねって、約束したよね?今見つかったら面倒なのに」
窘める声に、二人は顔を見合わせ睨み合った。
「僕は悪くない。最初に喧嘩を始めたのはレヴィスだ」
「サリエルが主に手を出してたからだろ?アンタが悪い」
「僕は契約違反をしていた訳じゃない。ただお前よりも賢かっただけだ」
「はぁー?茶を淹れる事しか出来ない奴が、何を言っ……痛っ!?」
蛇がサリエル達を強く絞めあげ、言い争いを止めさせる。相当力強いのか、二人とも険しい表情でステラを見た。そんな彼らへステラは、幼い姿に似合わない疲れた表情をしながら、わざとらしくため息を溢した。
「……坊や達が言いたい事は、よぉ〜〜く分かった………分かったから、今から目一杯絞めてやる」
ステラが指を鳴らせば、巻き付く蛇達は拘束を更に強くしていく。サリエル達は体を大きく揺らした。
「ま、待てステ……ッッッ!!??」
「はぁ!?こんなしょうもない理由で罰なんっ、いっ、痛い痛い痛い!!」
骨が軋む音が聞こえながら、痛みで体を捻らせている。哀れだ。
イヴリンと契約した五人の悪魔、その中でも特に恐れられる、圧倒的な畏怖の存在。まさか娘と契約してすぐに、そんな二人の情けない姿を見ることになるとは。かつて兄と警戒し監視していたのが、とても馬鹿らしく思えてしまう。
ステラは痛がる二人を見ながら、荒い鼻息を吹きかけた。
「反省しな!そんな性格が悪い坊やに、私は育てた記憶はない!!」
ステラは目を見開き、まるで人間の親の様な言葉を二人へ浴びせた。……だが、浴びせられた方は痛みで聞いていない様だが。
上級悪魔の中でも一際長く生きる存在、悪魔ステンノー。素も人の形をしている。姿は見るものを魅了し、女神と謳われた美しい女性だったらしい。だが彼女の世界にいた聖者により、醜い姿に変えられた悲劇の悪魔だ。
彼女は途方もない年月の中で母性が芽生えたのか、それとも元々持っていたのか。生まれたばかりの悪魔に世話を焼く事を好んでいる。欲深く己の事しか考えない悪魔の中で、極めて珍しい存在だ。
サリエルは堕天使となり地獄へ堕ちた頃、レヴィスは海で生まれた頃にステラに世話になっている。イヴリンを甲斐甲斐しく世話をするケリスも、ステラと行動を共にするフォルも同じだ。……故に彼らは、どれだけステラよりも力の差が出来ても、親の様な彼女に強く歯向かう事は出来ない。
そのままサリエル達がステラに苦しめられていると、眠っていたイヴリンから、掠れた声が微かに聞こえた。
「ん……うう……」
「ご主人様!お加減は如何ですか!?」
「ご主人さまぁ!!」
様子を見ていたケリスとフォルは、娘へ案じた様子で声を掛け、ベッドの一部に座りチェスをしていたダリとマルファス、そして私もイヴリンへ注目した。
朧げな表情で周りを見ていた娘も、次第に昨夜の出来事を思い出したのか、目を見開き勢いよく起き上がる。
「屋敷は無事!?むしろ領土は無事!?賠償金はいくら!?」
その姿にケリスとフォルは、憐れみの表情を浮かべながら娘を抱きしめた。
「嗚呼お可哀想に!起きて初めにそんな言葉が出るなんて、余程サリエル達が恐ろしかったんですね!」
「マルファスがとめて、ぜーんぶ直してくれたから、しんぱいないよぉ!」
イヴリンはその言葉に、足元でチェスを繰り広げるマルファス達を見た。
昨夜は全員、禍々しい圧力と外の雷雨と撒き散らされた毒で強制的に起こされた。息が詰まる程の殺意で呼吸が難しく、元を辿ればやはりサリエルとレヴィス、そして何故かその間で真っ青になっているイヴリンがいた。
普段ならステラの指示を聞くだろうが、激昂し正気を失っている二人を止める事は不可能だ。あの二人と同等に、もしくは優位に渡り合える悪魔はほぼいない。……このままでは、この周辺の土地は死に絶える。そんな窮地を救ったのがマルファスだった。
マルファスはチェスの駒を動かしながら、乾いた笑い声を出す。
「感謝しろよォ?俺があの場にいなかったら、今寝てるベッドも、この領土も全部地図から消えてたんだゼ?」
イヴリンは慌てて窓の外の変わりない風景を見て、そして感激のあまりマルファスに向かって突進した。ベッドの上に置かれたチェス盤が弾みでひっくり返り、もう少しで勝利の予定だったダリが叫んでいる。
マルファスは腰に抱きつくイヴリンへ笑い、頭を乱暴に撫でた。
「おーおー、随分と積極的だなァ」
「マルファス有難う〜〜〜〜!!!」
「可愛いイヴリンちゃんに、優しい俺から特別大サービスなァ」
「惚れる〜〜〜〜〜〜〜!!!」
そうイヴリンへ笑いかけて、些細な事で終わらせようとしているが……もしあの場にマルファスが居なければ、こうして私達が五体満足で過ごす事は出来なかっただろう。てっきり目が無い今は、鴉の手を借りねば生きていけない様な悪魔だと思ったが、やはり「あの方」の右腕だっただけはある。
散らかったチェスの駒へ嘆いていたダリは、急に気になる事が出来たのだろう。直ぐに涙を引っ込めて、マルファスに抱きつくイヴリンへ目を向けた。
「そういえば!どうしてサマエルとレヴィアタンがこんな事に?この数十年、相当我慢して喧嘩しない様にしてましたよね?」
「それは……」
その質問は、私も疑問に思っていた事だ。
サリエルとレヴィスが最悪な相性である事は知っていたが、契約者であるイヴリンの為に争う事を耐えていた筈だ。なのに今回は、耐える事が出来なかった事情があるのだろう。
イヴリンはダリの言葉に顔を一気に引き攣らせ、目を左右に動かしている。明らかに動揺した様子だ。全員が娘の言葉に注目する中、娘の頭を撫でていたマルファスが笑う。
「その何十年の鬱憤が溜まっての結果だろ?まァ、二人の性格からして、今までよくお利口チャンしてたモンだ」
マルファスの言葉に目を見開いたイヴリンは、首を激しく縦にふりながら肯定した。
「そ……そう!常日頃の鬱憤が溜まった結果、迷惑行為をしたって訳!」
「成程!確かにこの二人にしては、よく耐えた方ですね!」
「呆れた。こんな大変な時になんて迷惑なの」
「すっごくめいわくぅ!」
「チョーめいわくー!」
ダリに続いて、ケリスやフォル、そしてイヴリンが起きた事で口調を戻したステラが、呆れた表情でサリエルとレヴィスを見た。二人は何か言い返したいのだろうが、激痛で声を出す事が難しい様だ。本当に哀れだ。
その時、この部屋に向かってくる足音が聞こえた。急を要するのか足取りは早い。他の悪魔も気づいたのか、ステラはサリエル達の拘束を解き、マルファスとダリは姿を消す。
時間が掛からぬ内にドアの向こうで立ち止まった足音は、ノックもなしに勢いよく開かれた。ドアの向こうにはランドバーク子爵が険しい表情で立っている。突然の子爵の登場に、イヴリンは慌ててベッドから立ち上がった。
「こ、こんな朝からど」
「全員、暫くこの部屋から出ないで。レントラー公爵が来たわ」
イヴリンの言葉を遮り、子爵は早口で言い放つ。レントラー家は、娘が懇意にしていた青年達がいる公爵家だ。
近くの窓から外を見れば、門の前にレントラー家の家紋の入った馬車が停まっていた。馬車の扉が開こうとしているので、今着いたばかりだろうか?……だが、レントラー公爵はダリの主人だ。この屋敷に隠れている事はダリから知らされているだろうし、今回もイヴリンに用があったのだろう。
イヴリンもうそう思っているのか、子爵の言葉に首を傾げている。
「嗚呼、もしかしてエドガー様の事ですか?あの方なら、私がここにいる事は知っていますが」
娘の言葉に、子爵は呆れた様に顔を歪める。
「貴女知らないの?レントラー公爵は代理者から、正式な後継者に家督を引き継がれているわ」
「……え?」
馬車の中から出てきた人物の、長い灰色髪が風で靡く。
……美しい碧眼は、真っ直ぐ此方を見た。