134 単純な解決方法
悪魔という生き物は、複雑そうに見えて案外単純だ。好き嫌いもはっきりしているし、人間を貶しているが人間よりも頭脳がない。己の欲に忠実で、本能的な生き物だ。
その証拠に、イヴリン様の吐息と匂い、そして一滴の血だけでベルフェゴールが陥落している。ダリと似て理性的な悪魔だと思っていたので、もう少し時間がかかると思っていたが……。
「ガッカリです……」
「えっ何が?」
賭博会場に向かいながら、イヴリン様は困惑した表情でダリに振り返った。オノスケリスとステンノーは気にせずに進んでいる。悪魔らしい態度だ。
「なんでもないですぅ」
「いや、なんでもないって顔じゃないんだけど?」
「阿婆擦れ処女豚に言っても、微塵も意味ないです……」
「めっちゃ悪口言うじゃん……」
更に困惑するイヴリン様を放って、彼女よりも前へ進む。
前に立ち塞がる、何枚も重なるベルベットのカーテン。それをめくって行けば、ルーレットの回る音、煙草と質の悪い血の匂いが香る。
賭博場は好きだが、ボスの下で働く様になってからは、自分から好んで来なくなった。だってここの人間、全部ボスに見えてくるのだ。ボスが他所の悪魔に縛られてる様に見えて、無性に苛立ってくるのだ。
良くわからない感情を隠すように、最後のカーテンを勢いよく掴みめくる。その音と、後ろのイヴリン様の色香に釣られて、賭博場にいる悪魔達が一斉に此方を見た。
イヴリン様の存在は、聖女云々関係なく上級悪魔の間では有名だ。美食家サマエルと海の支配者レヴィアタン。神もどきステンノーと曲者フォルネウス。悪魔殺しのオノスケリス。個性的であり最強の彼らを従える、最高の魂と穢れない肉体を持つ人間。……故に、彼女に注目するのは致し方ないのだが。
「昼間からお疲れ様です!ベルゼブブはいますか!?」
静かな会場、ダリの美声だけが響き渡った。だが悪魔達はダリの声など聞いていない。皆後ろに立つイヴリン様しか見ていない。……ここまで無視だと、不機嫌になりそうだ。
イヴリン様は化物の視線など慣れているのか、欠伸をしながらベルゼブブを探し首を動かしている。周りの悪魔達へ威嚇するオノスケリスとステンノーが可哀想に見えてきた。
暫く首を動かしていたイヴリン様は、ある方向に気づくと首を止めて、腕をあげ手を振り始めた。
「いた。ベルゼブブ!元気にしてた?」
ダリもその方向、賭博会場の一番奥へ目線を向ける。目線の先、豪華な革張りの長椅子に座ったベルゼブブが、此方へ鋭く睨みつけていた。派手なジャケットを翻し、足を組み替えため息を吐く。
「あんな事があったのに、よく平然とこの場所に来たわね。お嬢ちゃん」
冷静に声を出している様で、苛立ちが抑えきれていない。当たり前だ、ベルゼブブは悪魔が主導となる筈の契約でまんまと騙されて、海の支配者レヴィアタンに散々弄ばれたのだから。
今すぐイヴリン様を八つ裂きにしたくても、それをすればレヴィアタンや、サマエルだって黙っていない。あの二人をこれ以上刺激するのを恐れているのだろう。
だがイヴリン様は気にせずに、ベルゼブブへ挑発的に、片眉をあげて笑う。
「いい勉強になったでしょ?」
鈍い音が聞こえた。ベルゼブブが掛けていた肘掛けを破壊した音だ。怒りで姿を保てず、蠅の複眼が此方を睨む。
「……ダンタリオンとマルファスを手懐けたからって、食糧が調子に乗らないで。アンタはここに転がってる人間となんら変わりない。ただ捕食されるだけの豚でしかない!」
ベルゼブブは椅子下に転がる、首が捻じ曲がった人間の頭を踏みながら唾を吐く。普通の人間なら怯えそうな姿だが、イヴリン様は目を細めるだけだ。腕を組み、忙しなく指を動かした。
その指が、ピタリと止まる。
「お前が人間をどう思おうが、どうしようが関係ない。……まぁ、そんなだから負けたんだろうけど」
自分を否定され、嘲笑われ怒りが頂点に達したベルゼブブは、頭を踏み潰しながら勢いよく立ち上がる。奴の背中を破り、血と共に歪な蝿の羽が現れた。
「食糧が!!今すぐ!お前の腑を喰い散らか……ッッッッ!!??」
汚い怒声が止まった。声を発する為の喉を、首を後ろから勢いよく掴まれているからだ。そのまま捩じ切る様に手が動き、後ろから現れたもう片方の手が、ベルゼブブの頭を掴む。
何が起きているのか分からず、口から血を流すベルゼブブだったが……手の持ち主が、奴の耳元に吐息を漏らす。
「申し訳ございません、兄さん。……私の契約者に、手を出される訳にはいきませんので」
ベルゼブブは、よく知る声の主に目を見開く。
だが声を出す前に、頭と胴体は二つに引き千切られた。
ベルゼブブから吹き出す血を浴びた、鎖に繋がれた人間達は怯え鳴き叫ぶ。客の悪魔達は自身にかかった血を舐め取りながら、その余興に笑い出す。確かに面白いが、蝿の血なんて舐めるもんじゃない。
「最悪だわ!ご主人様が穢れてしまう!!」
「ご主人さまー!ここ入ってー!!」
「うわっ馬鹿!!ケリスのスカートの中に私を入れるな!!」
この惨劇の中なのに、蝿の血に穢されまいと悪魔二人がイヴリン様をスカートの中に隠そうとしている。その姿にダリは呆れた表情を向けていたが、後ろから此方に近づく革靴が鳴り響く。
振り向けば、案の定血まみれのベルフェゴールだ。奴は清々しい表情でイヴリン様を見た。
「契約した通り、一時的に貴女の力になりましょう。対価は血……それと」
「良い子にしてたらご褒美でしょ?分かってるって」
苦笑するイヴリン様の言葉に満足なのか、ベルフェゴールは血塗れのまま、猟奇的な笑みを彼女へ向けた。
ベルフェゴールが用意した馬車に乗り、ダリ達はランドバーク領へ帰る事にした。奴の使い魔は言葉は話せないが、人間に化ける事が出来るので御者をしてもらっている。
ベルフェゴールと協力関係となった今、奴の力でラファエルのいる教会内部を「覗き見」する事が出来る。向こうからの探知もあるので短時間ではあるが、それでも最高の人材だ。
イヴリン様の今置かれている状況、そして悪魔の管轄である「この世界」での天使達の行動。天使が「この世界」で好き勝手に過ごし、その所為で突然人間に悪魔の術が効かなくなったのだ。
普通なら「あの方」が天使共へ制裁を下す筈なのに、何も音沙汰がない。マルファスは何かを知っている様だが話さないし、ボスに会ったと思ったら、ダリを暫くイヴリン様の手助けに行かせて欲しいと頼んだり。……あの鴉、一体何を隠している?
が、ダリが思考の海へ沈む事は、少なくとも今は出来ないだろう。
「イダダダダ!!痛い!痛すぎる!!ベルくん痛いよ!?もう少し優しく出来ない!?」
向かいの席で、ベルフェゴールに後ろから羽交締めされたイヴリン様は、首筋を思いっきり噛みつかれている。対価が血なので当たり前なのだが…………長い。すごく長い。
「もーー!!どれだけすうのー!ご主人さまが干からびちゃうよーー!!」
「牢屋ではご主人様の事嫌ってたじゃない!何よこの変わり様は!?」
両側からオノスケリスとステンノーが怒声を上げながら止めているが、引っ張られようが何されようが、荒々しい息継ぎと喉を鳴らす音は止まらない。
イヴリン様は意識が遠くなっているのか、ベルフェゴールの腕の中でぐったりとしている。流石にこれで死なれるとサマエル達が煩いので、優しいダリはぐったりイヴリン様を掴んで、ダリの元へ引っ張った。
「ベルフェゴール!過剰対価になりますよ!」
ダリの言葉に、ベルフェゴールは口元に垂れた血を舌で嬲りながら、恍惚とした表情でため息を吐いた。
「何なんだ、この血は……今まで飲んでいたものと、全く比べ物にならない……止まらない、最高に美味しい……!!」
それはそうだろう、何せ神の子なのだ。どれだけ堕としても、純粋とは程遠いイヴリン様の性格でも、神の体は真っ白のまま穢れない。悪魔にとって最高の贄だ。
……だが、本当にイヴリン様の体は恐ろしい。自尊心が馬鹿みたいに高いあのベルフェゴールが、こんな酔狂な姿を見せるとは。目がトんでる。
まぁいい、今回はイヴリン様のお陰でベルフェゴールを陥落出来たのだ。ダリの腕の中で意識を失った彼女を、ダリの柔らかな膝の上で寝かせてあげよう。………オノスケリスが此方を睨んでいるが、ダリは気にしない。
テレレレーン ! ベルフェゴール ガ 新タナ仲間ニ 加ワッタ !