131 喝采を
ウリエルの実験、その成れの果ての人間達。幸運にも、神の血で生きながらえた愚かな豚。血肉や魂は混ざり合い、とても食欲が唆る存在ではない。
それでも関わって得があるから、イヴリンに嫌われるから、だから今まで殺さなかっただけ。それだけの、ただの豚達。
そんな豚達を、何故イヴリンは尊ぶのか?……あとどれだけ耐えれば、彼女は僕を見てくれるんだろうか?
国王に連れて行かれるイヴリンを前に、流石に王子も天使も、娘を奪い返す事が出来ない様だ。王子の方は、後からやってきた老婆に話かけられている。確か王の親だ。
今日は一段と唆る彼女。その腰に手を添え、片手に触れ。そして体が触れるほど近づく光景。……彼女が誰と踊ろうと腹立たしいが、あのクソ王は最悪だ。
それは他の使用人達も同じ様で、姿は見えないケリスの雄々しい鼻息が、ここからでもよく聞こえている。面倒事は避けたい。鼻息で分かりやすくなった気配を辿り奴の元へ行けば、小声で言い聞かせる。
「ケリス、手出しはするなよ」
「……貴方に言われなくたって、分かってるわよ」
そう言っている割には、肝心の鼻息が治らないが。
流石に耳の良い天使には聞こえたのか、それとも気配を感じ取ったのか。ラファエルが赤い瞳を僕の方へ向けた。その瞳は僕を映さないが、それでも奴は声を出す。
「気配で悪魔がいる事は分かっていましたが……やっぱりサマエルでしたか。どうりでガブリエルが、変な場所に笑っていると思いました」
「…………」
ガブリエルを睨む。奴は全く気にせず欠伸をしていた。僕からの返事が返ってこない事に、ラファエルは目線を細め睨む。
「黙っていても無駄ですよ、出てきたらどうです?」
「…………はぁ」
側にあるカーテンで体を包み、その中で姿くらましを解く。靡くカーテンから出てきた僕に、ラファエルは満足げに笑った。……何処か近くで、レヴィスのため息が聞こえる。
「まさか、貴方が彼女と契約しているとは。堕天使となった今でも、主への愛は消えていませんね」
「五月蝿い、お前達と一緒にするな」
吐き出す罵倒に、ラファエルは表情を変えない。
「一緒ですよ。私もガブリエルも、貴方達も彼女が欲しいんですから」
その言葉にガブリエルも反応し、ラファエルを睨みつける。……だが当の本人は何かを思い出したのか、手を一度叩いてガブリエルへ顔を向けた。あまりにも大きな音で鳴らすものだから、周りの人間達が驚く。
「ウィンター公……いえガブリエル!イヴリン様が、主から授かった名があるでしょう、何というのですか?」
そう言えば、前にガブリエルは「イヴリンには天界での名前がある」と言っていた。僕がサマエルと神から授かった様に、神の子であるイヴリンにもあるらしい。……再び近くで、今度は乾いた笑い声が聞こえた。恐らくイヴリンの名付け親であるフォルだろう。
「何でお前なんかに言うと……」
「良いじゃないですか、別に隠すものじゃないでしょう?」
嫌がるガブリエルは、もう他人行儀をやめて砕けた言葉を並べる。まだ僕達にも、彼女本人にも伝えていない名を、敵かもしれない相手に伝えるのは渋るらしい。だがラファエルはお構いなしに顔を近づけて強要する。
暫く攻められると、ガブリエルは苛立つ表情を隠さず、わざとらしくため息を吐く。観念した様だ。
「何なんだよ本当に……さっきまで敵意しかなかった癖に。……いいよ、お前にも、この周辺にいる害虫達にも教えてあげる」
ガブリエルはそう言えば、王と拙く踊るイヴリンを見つめた。苛立ちは彼女を見た事で治ったのか、目線は柔らかいものへ変わる。
そうして、奴はゆっくりと口を開いた。
「……ルシファーだよ」
《 131 喝采を 》
何故、この可能性を考えなかったのだろう?由緒ある音楽隊が奏でる優雅なワルツ。麗しの国王が見つめるのは美しい貴婦人でも、何なら貴族でもない。酷く足取りが可笑しい、魔女だ。
「はい、ワンツーワンツー……イヴリン、また足を踏んだね?」
「申し訳ございません!!」
「これで何回目だい?私の靴を汚す気かな?」
「滅相もございません!!」
王が踊ると分かった途端、ダンスを踊っていた来賓達は中央から離れた。今踊っているのは私とアレクだけだ。……どうしよう、さっきから謝る事しかしていない。主役とのファーストダンス、まさかその相手が私とか、もう意味がわからない。
私の拙いステップに、アレクは一切遠慮せず上級者のステップを被せてくる。こ、この性悪国王!周りを見ろ、滅茶苦茶顔を引き攣らせてるじゃないか!もう見てないで誰か変わって!!私を会場の隅に連れて行って!!
私の慌て様が面白いのか、アレクは声を出して笑う。
「はい、回って」
「うわっ!」
アレクは機嫌良く一回転させてくる。こんな応用、アーサー塾で習ってない。もうされるまま、私は彼の人形だ。もう一度回転されられ、なんと次にはアレクの胸の中に閉じ込められた。当然叫んだ。
私を胸に収めたままでも、アレクはステップを止めないものだから、恥ずかしさと驚きで足がもつれ……また足を踏んだ。上から笑い声が聞こえる。
そろそろ不敬罪にでもなりそうな環境に、謝罪するための唇は震えた。
「もっもも申し訳ございま」
全てを言い終わる前に、小さく息が吐かれる。
「私は、君に対してずっと愚かな事をしていたと思う」
其れは意地悪な声はなく、ワルツの音で消えそうな程の静かな声だった。
突然の謝罪にも取れる言葉に驚き、アレクの顔を見ようとした。だが上げる頭は、彼の大きな手によって再び胸に閉じ込められる。その手は震えていた。
「君が世間に「魔女」と貶されているのに何もせず、むしろ君が孤立するのを喜んでいた。かつて私の事を想って身を引いてくれたのに、君と離れるのを恐れて、ずっと王室に縛り付けた」
「…………それは」
「全部君の為、君の所為と自分に言い聞かせてね。ただの縺れた、もう終わった恋にしがみ付いていた。……本当に、酷な事をしていたと思う」
穏やかに静かに、其れは懺悔の様にも取れる言葉だった。私よりも随分老いた男の言葉なのに、私の耳には少年の様に、若々しく聞こえた。
……彼と繋がれた手を強く握った。一度だけ大きく震えて、すぐに受け入れられた。
違う、私はアレクの為に身を引いたんじゃない。
私は、私の為にしか動かない。……今までもずっと、自分の事しか考えていないんだよ。
顔を見上げて、今度こそ大好きな紫の瞳を見ようとする。
けれど紫よりも、私達に近づく、シャンデリアの煌びやかな光が目を眩ませる。
その煌びやかな光は、やがて触れれる程にまで近づいた。
こんな出来事が、随分昔にあった事を思い出す。
それは、私の人生が一度終わった、事故で死んだ時。あの時もこんな感じで、只々死を受け入れるしかなかった。
私の名が呼ばれた気がする。
でも私の耳に入るのは、つん裂く落下音と硝子の割れる音だ。
目を開ければ、私の周りには砕けたシャンデリアの硝子と、何故か炎の消えた蝋燭が散らばっている。……会場に飾られた巨大なシャンデリアが、私達の頭上に落ちてきた。
普通なら無事で済まないだろうが、私の体にも、ドレスにも傷ひとつない。恐らく契約した悪魔達が助けてくれたのだろう。あまりの衝撃音だったからか、音がよく聞こえない。
ふと、目端に赤が見えた。
その場所を辿れば、其れは血溜まりだった。
「……え?」
その血は足元、後ろから流れている。
振り向けば、アレクの血だった。
………アレクの血だ。
「……アレク?」
耳に漸く聞こえる、人々の阿鼻叫喚。恐怖で倒れる淑女達。助けを呼ぶ声。サリエル達の声。私の声。
「ア……アレク……」
足に力が入らず、硝子の散らばる床に座り込む。身体中が震えながら、四つん這いになりながら必死に彼の元へ向かう。……血を、血を飲ませればいい。そうすれば助かる。アレクの元へ向かった時、私の手は、硝子で傷まみれになっていた。
震える手から滴る血を、目を開けない彼の唇へ落とす。
「お願い……お願い……いっ、嫌だ………」
……嗚呼面白い、何度も人間の死を、人間が悪魔に蘇らせられる光景を見ているのに……当事者になってしまうと、人間とはこんなに脆くなるのか。
お願いだ、起きてほしい。私に、貴方を蘇らせる契約をさせないでほしい。
悪魔によって蘇る貴方は、きっと私の知る貴方ではないのだから。
◆◆◆
騒がしい鴉の鳴き声で目を開ければ、見えるものは大男の体、そして整備された道。賢いダリはそんな少ない情報で、誰なのか理解した。
「マルファス!!」
「おー、やっと意識戻ったかァ?」
不気味に笑う男、呪いの入れ墨を身体中に刻まれた、目がない悪魔。彼の名前はマルファス。誇り高い鴉の悪魔で、思考がダリ寄りで面白い。イヴリン様に何度か地獄に落とされ、そしてその度に「あの方」と取引をして這い上がっている。そんな芸当が出来るのはこの悪魔だけだろう。
どうやら、マルファスの小脇に抱え込まれているらしい。状況からして、教会から連れ出して来たのだろう。揺れる足と手を忙しなく動かしながら、ダリは先ほどの衝撃的な出来事を語ってやる。
「マルファス!聞いてください!!ボスが持ってる教会!そこの教会に面白い存在がいたんです!!」
「知ってる」
「本当ですか!?いやぁ可笑しいなと思っていたんです!この永遠の年月で、神の子がイヴリン様だけなんて!」
イヴリン様が神の子である。その事実はボスに頼まれて彼女を調査している時、ガブリエルとサマエルの会話を盗み聞いて知った。イヴリン様に襲い掛かり、体をくまなく調べ上げたかった渇望を必死に耐えたダリはえらい。
でもそれと同時に疑問に思った。イヴリン様が存在するのであれば、神は創造した粘土と情を交わす欲がある。長い年月の中で、その対象がイヴリン様の親だけ、の筈はないのでは?
それにイヴリン様の存在も不思議だ。純潔な肉体と魂。そこから得る癒しの力しか引き継いでいない。神が持つ浄化の力の一切を持っていないのだ。サマエル達はそこまで引き継げなかったと考えているようだが……まるで「分けられた」様だ。
その疑問が今、あっさりと答えが見つかったのだ。
「あの教会の神父!彼はイヴリン様と同じ神の子ですね!?もしかして人間の親も同じ!?イヴリン様が引き継げなかった、浄化の力!そして圧倒的な畏怖の存在!!あああ〜〜〜〜ゲロ吐きそうな位に不味そうな匂いだった〜〜〜クソ不味かった〜〜〜〜〜!!!」
「流石に顔似てねェし、半分血が繋がってるだけじゃねェか?……ってか、アレの味見するとか、本当に気狂いすぎンだろ腹壊すぞ」
マルファスは呆れた様にため息を吐く。でも放つ言葉は褒め言葉だから許す。
「褒めていただいて有難うございます!」
「何でそうなるんだよ……鴉から、オメーが教会に向かってるって聞いたから、ぜってぇアホな事すると思ったけどよォ……」
「マルファスはあの神父知っていたんですか!?何で教えてくれなかったんですか!?」
「そうなると思ったから」
「流石マルファス!!」
手を叩き褒め称えれば、道端に唾を吐いていた。
……そう言えばダリ、今どこに連れて行かれているんだろうか?道を歩いているので地獄ではないだろうが、ダリは一刻も早く教会に戻り、あの神父の体をくまなく調べる必要がある。賢いマルファスはダリの考えが分かるのか、鼻で笑ってきた。
「逃すかよ。オメーは今から、俺と賭博場で一儲けすンだよ。最近負けっぱなしだし……んで、終わったらオメーを従わせれる豚ヤローの元に行く。暫くアホは騒がしいから、躾けろって教える」
「豚ヤローじゃないです!ボスです!何でですか!?あの神父を守る意味とは!?」
「うるせェ、こっちにも色々あンだよ」
マルファスは歩みを止めず、鴉は盲目の彼の為に目となり、鳴き声で道を教える。
「ダンタリオン。オメーの大好きな戦争がはじまるぞ」
そう放つ悪魔の声は、少し虚無感があった。
◆◆◆
逃げるように殿下とイヴリンから離れ、会場の端で陛下と想い人が踊る姿を眺める。ぎこちなく踊る彼女と、その姿を愛おしく見る陛下。二人には、誰にも入り込めない「何か」があった。
……今の俺には毒でしかない、胸が締め付けられる光景だ。せめて少しでも離れてしまいたい。俺はバルコニーに向かう為に彼らに背を向けた。
だがその時、小さく金属の砕ける音が聞こえた。
それと同時に体は勝手に動き、俺は気付けばイヴリンへ手を翳していた。
鼓膜が破れそうな程の衝撃音と、身体の力が抜ける感触。さまざまな場所から聞こえる悲鳴。
気付けば、シャンデリアが直下したにも関わらず無傷のイヴリンと、血まみれで倒れる陛下がいた。
「陛下!イヴリン!!」
叫び、体は勝手に彼女の元へ向かう。混乱し逃げ惑う貴族達に道を閉ざされ、思う様に前に進む事が出来ない。
途切れ途切れに見えるイヴリンの姿、泣きじゃくりながら陛下の元へ向かう彼女は、自分の手から滴る血を、陛下の口に垂らした。
垂らし口に入れた途端、陛下の胸元が大きく動いた。
陛下の咳き込む声で人々はピタリと足を止め、その光景を只見つめる。
床に流れる血が、不規則に動き始める。まるで生き物の様にうねり、時間が逆戻ししている様に陛下の体へ戻っていく。血はやがて皮膚に戻り、裂けた皮膚は己が傷ついた事を忘れた。
何処かで、誰かが唾を飲む音が聞こえた。何度も目を擦り、その光景が幻ではないと確認する者もいた。
皆、彼女が起こす奇跡を静かに見ていた。
「………イヴ……リ……」
掠れた陛下の声に、彼女は涙を溢しながら倒れる彼を抱きしめる。
「アレク!ああ、ああよかった!本当によかった……!」
叫びに近い安堵の声は、静寂なこの場所でよく響く。陛下は唖然と胸の中にいる彼女を見ていたが、やがて彼女が何をしたのか理解した途端、その紫の瞳は大きく開いた。
「……聖女様だ」
誰かが、小さくこの名を口にした。
また誰かが声を出す。
「あの方は、聖なる血で陛下を癒したわ!黒魔術じゃない、魔女じゃないわ!!」
貴婦人がはしたなく叫ぶ、それが皮切りになり、所々で声が聞こえる。
「聖人アダリムと同じ!彼女は神業を使ったんだ!なんて神々しいんだろう!?」
「癒しの力を持つ聖女様!嗚呼今まで俺達は、聖女様になんて扱いをしていたんだ!?」
「聖女様!どうか我々をお導きください!!」
神業を見た者達は、新たな「崇拝する存在」に興奮し、歓喜する。
その人々の中に、怒り狂う黒髪の執事が居た。執事は興奮する人間の頭を掴んだまま発狂する。
「どうして記憶が消えない!?何故術が効かないんだ!?」
どうやらこの会場の人間に、悪魔の術が効かなくなっている様だ。悪魔の術が効かないのは、悪魔の血を持つもの。……ここの来賓全員が、俺と同じ悪魔の血を引き継ぐ人間だとは思えない。
その時、足元にワイングラスが落ちた。興奮した誰かが、手を滑らせ落としたのだろう。真紅のワインは、床に血の様に広がる。
「聖女様万歳!聖女様万歳!聖女様万歳!!」
陛下だけを見ていた彼女が、人々が合唱する声で漸く目を向けた。
そして、漸く自分がした行為に気付いた。
「……違う、私は聖女じゃない……」
大勢の声の中でも、彼女のその懺悔はよく聞こえる。
「違う、違う……」
彼女は首を横に何度も振り、絶望した表情で人々を見る。……彼女は、己に笑いかける枢機卿を見た。
「違う、私は聖女じゃない………」
「聖女様!私達をお導きください!!」
「聖女様!祝福をお授けください!!」
「お許しください聖女様!愚かな信者をお許しください!!」
其れでも止まらない聖歌に、歓喜の声に。
彼女は、絶叫した。
「私は聖女じゃない!!!!!」
二部終了です。
次は最終章の三部となります。