127 酒は全てを喜劇にする
連絡もなく、エドガーは突然教会にやってきた。そろそろ寝ようかと風呂も入った後で、こんな夜中になんの用だと顔を顰めたが……手に持っている酒の銘柄を見て、快く部屋に迎え入れた。
やってきた時からやけにご機嫌だったが、酒が入った今は最高潮だ。余程いい事でもあったのか?グラスに入った酒を一気に仰げば、酒臭い息を奴に吹きかけた。
「っはー!……で、お嬢ちゃんを無事、嫁にしたのか?」
「うん?出来なかったよ」
まるで少年の様に笑いながら、予想外な言葉を返してきた。じゃあなんで機嫌がいいんだ?そう再び質問しようとしたが、エドガーから色気のあるため息が吐かれた。
「イヴリンは夫は持たないと決めているらしい。……それに彼女と一晩過ごして分かったんだけど、私は夫婦の繋がりでは満足出来ないみたいだ」
「しれっと爆弾発言するな」
「私は彼女に可愛がって欲しいし、反対に無慈悲に扱ってもほしい。彼女の靴を口で脱がせるのは、永遠に私だけがいい」
「爆弾に爆弾をぶつけるな」
惚気の様に語ってくる爆弾発言に、引くのを通り越して哀れに見えてきた。まさか雇用主がそんな癖を持っているとは。しかも話を聞く限り、あのお嬢ちゃんに大層躾けられた様だ。……ほら見ろ、やっぱり趣味が悪いじゃないか。
これ以上話を聞いて、美味い酒が不味くなる前に呑もう。俺は空になった自分のグラスに急いで注ぐ。酔いがまわっているのか、エドガーは頬を赤めらせながらその光景を見つめていた。
左で持つグラスは、まだ半分酒が入っている。彼は其れを一度揺らして見せる。
「ずっと、ずっと何かが足りないと思っていた。十三歳で商売の道を歩んで、どれだけ成功してもその溝は埋まらなかったんだ。それはずっと、幼い頃に母を亡くした故の、愛情の物足りなさだと思っていたんだ」
無言で彼を見た。ここは懺悔室ではないし、彼も神父の言葉を求めてはいないだろう。ただの気の知れた友として、黙って話を聞くのが正解だ。
エドガーは揺れた酒を一口含めば、再び話を続けた。……その表情は悲しさや憎しみではない、欲情した男の顔だった。
「でも違ったんだ。……イヴリンだったんだ。彼女が私の足りないものだった」
グラスの縁を指で愛撫して。熱が籠った、酒臭い息を吐く。
「アダリム。私はイヴリンと夫婦になりたいんじゃなかった。……彼女の犬になりたい。躾けられて、いい事をすればご褒美をくれて、それで彼女を番犬の様に守りたい。彼女の夫になろうなんて烏滸がましかったんだ」
エドガーは俺に、まるで愛の告白の様に教えてくれる。その表情と言葉に、俺は目を伏せた。
……まるで恋や愛の様に話してくれる。だがそれは執着だ。彼は、本当は犬になりたいんじゃない。想い人が犬にしかさせてくれなかったのだ。
彼を突き離さず、恋人にする事もしない。ただの使える犬としての役割、その選択しか与えなかったのだろう。……そしてエドガーはその立場を受け入れた。女との関係を続ける為にも、受け入れなければならなかったのだ。
実に腹が立つが、悲しい事に恋というものは、どんな優秀な人間でも簡単に堕としてしまう。
「安っぽい、喜劇みたいな最後だ」
「何か言ったかい?」
「いいや独り言だよ」
なぁ友よ、お前は男としては振られたんだよ。負けたんだ。……まぁでも、お前がお前である限り、癪だが女はお前を見捨てないだろうよ。
少し不味く感じる酒を飲みながら、俺は哀れな友に笑う。
「俺も、あのお嬢ちゃんに興味もってきたよ」
「へぇ?神父様も犬になるのかい?」
「俺の飼い主は地上にはいないっての。お前、終生誓願って知ってるか?」
「なんだ、ちゃんと神父様は神父様だったのかい。てっきりまだ修道士かと」
「お、言ったなワンちゃんめ!」
酔い潰れそうなエドガーの肩を叩き、彼のグラスにも目一杯の酒を注ぐ。当初の彼の目的は、俺にこの惚気の様な呪縛を聞かせたかったからだろう。この国じゃ有名な商人様だが、何でも信頼出来る友達は俺しかいないらしいし。本当、恋も友情も趣味が悪いのを選ぶ男だ。
◆◆◆
この世界に生きて三十年余り、何度か悪魔達に襲われそうになっても、私は今まで持ち前の巧みな話術で逃げてきた。流石に手足の拘束はやり過ぎなので、今回も説得を試みる事にした。その結果、取り敢えず夜は拘束を外してくれる事になった。
ちなみに何を言ったのか?「夜にトイレ行きたくなったら漏らすぞ!」と言ったさ。エドガーにあんな公開処刑されたんだ。もう私に羞恥心なんてない。まぁ予想外だったのは?使用人達が全員「見たいのでどうぞ」と言ってきた事かな?最後にははしたなく懇願してやったさ。巧みな話術はいらなかったね。
ラファエルの情報、殆どが彼の素晴らしさを讃えるものだった。強いて言うなら、彼が息子の様に可愛がっているらしい、アダリム神父の存在だろうか?
天使は神の命令しか聞かない。ならばラファエルがあの神父を慈しむ理由は、神がラファエルに命令したからだろうか?何にせよ、エドガーがその神父と交流があるのは有難い。今度また詳しく聞きに行こう。……まぁ、それをするには?
「この公言夜這いを抜け出せたらだけどね」
「何ブツブツ言ってるんですか」
私の独り言に、私に覆いかぶさる美しい執事は首を傾げた。
どうしてこうなっているのか?少々長いが聞いて貰おうか。
つい先ほどの事だ。両手足が自由となった私は、二日前にローガンから贈られた新刊を読んでいた。毎度の事ながら素晴らしい文才に夢中で読み進めていると、部屋のドアがノックされる音が聞こえた。
まさか、公言夜這いをしにケリスが来たか?それとも再びフォルか?やや警戒心を持ちながらドアに近づき、恐る恐るドアノブを回す。だが回した途端にドアは勢いよく開き、何者だと格好良く叫ぶ前に、力強くベッドに投げ飛ばされた。ここまで三秒ね。
反射で閉じてしまった目を開けば、目の前にはサリエルがいた。お気に入りのシルクの寝巻きを着た奴は、真っ直ぐ私を見据えている。その表情は意変わらずの無表情だ。
怒りが込み上げたが、私は理性的なご主人様だ。こんな目に遭っていながら「何しに来たの?」と出来る限り優しく言った。そしたら顔はそのまま「手を出しに来ました」って言われた。全力で逃げた。捕まった。ここまで十秒ね。
……そして最初に戻り、現在私はサリエルにベッドの上で覆いかぶされている。契約で強く手は出されないとしても、非常に貞操の危機を感じる。なんせこの悪魔、趣味が悪い事に私に好意を持っているのだ。取り敢えず威嚇してみる。
「お、お前達と結んでる契約で、私に危害は加えられないでしょ?」
「ええそうです。ご主人様が「危害」だと認識したものは、全て契約違反となります」
よかった話は通じるらしい。貞操が守れると確信した私はほっとため息を吐く。
「ですので今回は、第四の契約なしで、かつご主人様の意識がある場合に、どの程度まで手を出すのは可能なのか確認しに来ました」
駄目だ話が通じねぇ。サリエルの胴体を足で狙う。勢いよく蹴り上げた足は、胴体に行く前に手で止められる。エドガーの時は倒せたのに。
それでもなんとか逃げようと、手足をバタバタと暴れさせる。
「これは危害!これは危害です!!」
「流石にこれは正当防衛です」
「そっ、そもそも!何でそんな事する必要がある!?いらないだろそんな情報!!」
暴れる私の手足を捌きながら、サリエルは眉間に皺を寄せる。
「よくそんな事が言えますね?僕の気持ちを知っている癖に、あろう事に豚と一晩を共にしたんです。僕だってご主人様に手を出したいのを必死で耐えているのに……あんな豚に……」
おっっとぉ?どうしましょう、サリエルが若干恋愛脳になっている。ちょっと嫉妬してる。もう嫉妬キャラなんて、もうお腹いっぱいなんだが。
私の心を読んだのだろう、奴は更に眉間に皺を寄せながら、大きな音で舌打ちをした。
「そうおっしゃると分かっていたから、僕も出来る範囲で好き勝手に手を出すと決めたんです。そうしなければご主人様は、僕の番になる前にクソ商人みたいなのにまた誑かされるでしょう。後、何回か手を出していれば、ついつい口が滑って「番になります」とか言うかもしれませんし」
「言う訳ないだろ馬鹿か!そっ、そもそも契約違反かどうか確認なんて、そんな事前確認出来ないだろ!やっちゃってからノイズ鳴って違反になるだろ!?」
「僕達悪魔は、過剰対価や契約違反をしかけると分かります。そこで止めれば違反になりません」
べ、便利〜〜!悪魔に優しい設定〜〜!!
予想外の回答に一瞬暴れるのを止めれば、今が好機とサリエルの顔が一気に近づき、頬にヒヤリと冷たい感触がした。……多分これ、ほっぺにチューされたな。
「流石に、頬に口付けは大丈夫でしたか。次は首に失礼しますね」
「ちょっ!」
休む暇もなく、今度は首筋に冷たい感触が襲った。静止する声は出ても、サリエルの行動を簡単に受け入れてしまう。段々と顔と首が、自分でも分かる位に熱を持ち始めた。
私の表情を見て、サリエルは二度目の舌打ちをする。
「……またですかその顔、本当に犯されたいんですか?」
「お前は本当に!もうアホ!脳筋執事!!」
恥ずかしさで手で顔を隠そうとすれば、急に伸びたサリエルの手によって両手は抑えつけられた。私の前で、血の様な赤い目が細く揺れる。
「隠さないでください。僕がこの表情をさせたと思うと気分がいいです」
「私はずっと最悪だよチクショウ!!」
「知りませんご主人様が悪いんです。僕の気持ちを無視しておきながら、他の男の元に行ったり、かと思えば僕の元に戻ってきたり……本当に尻軽すぎませんか?何なんです?」
余程鬱憤を溜めに溜めているらしい。サリエルは自分で言った言葉に更に苛立ち、表情を崩して不機嫌を露わにした。
再び私が声を荒げようとしたが、それは唇に触れる蛇舌によって抑えつけられる。……そのまま弄ぶ舌が離れれば、サリエルは顔を逸らした。
「僕は君を絶対に離したくない。本当は閉じ込めたい。誰にも見せないで、僕だけしか見て欲しくない。そう思うのは……思うのは……」
ポツポツと、呟く声が耳に届く。
久しぶりに見る、サリエルの恥ずかしそうな顔。
サリエルは赤い目を拙く動かしながら、唇を震わせた。
「……僕は、君を愛しているから」
穏やかに、優しく愛を私に伝えた。
ちょっとキュンとした。ちょっとだけ。
……どうしよう、サリエルといいレヴィスといい、此奴ら番にしたい女の趣味が悪すぎる!くそう、此奴らの答えに返事したら、私の今までの三十一年が無駄になる!トキメクな心臓!無視!!
と、考えたのも読まれたらしい。
可愛い顔は恐ろしいものに変わった。
「…………………………あ?レヴィス?」
「あっ」
「どういう事です?レヴィスがご主人様を番にしたい?は?」
「やっ、あの、は、話せば分か」
言い訳を伝える前に、思いっきり口に蛇舌突っ込まれた。が、流石にそれ以上は危害らしい。
まるで安っぽい悲劇の様な、そんな一日が終わる。
エドガー編は終了です〜。
次回は生誕祭編です〜。
3/27 ちょっとだけ修正してます。