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向かう馬車の中で


 母の生まれた家は、王族の親戚筋に当たる大貴族だったらしい。愛する婚約者と婚姻する日を待ち望み、豊かな国で幸せに暮らしていた。

 だが豊か故に、あの強国ルドニアを凌駕すると思い込んだ愚王のお陰で……今では、母の故郷の名は地図に存在しない。


 平民落ちとなる母を見初めた先々代レントラー公は、後妻として公爵家に無理矢理招き、そして子を孕まさせた。その子供が私だ。


 無理矢理孕まされ産んだ私を、母は決して恨まなかった。姿が母似で、父に全く似なかったからかもしれない。それなりに母親として接し、愛してくれていた。

 けれど敗北した異国の娘など、ルドニア国の社交界は歓迎しなかった。父と共に社交界へ出席する度に髪や肌の色を貶され、そして使用人の様に扱われた。……その場で、誰か一人でも助けがあれば良かったかもしれない。だが父も、腹違いの兄も助ける事はなかった。


 やがて母は心を病み、幼い私と共に公爵家の別宅で過ごす事になった。


 幼かった私は、年相応に勉学を嫌がり毎日の様に中央区へ向かった。そこで働く派手な服に身をつつむ商人達が、子供の私へキセルを咥えながら語る夢物語、そして金の流通や儲けの話の方が好きだった。




 あの日、私はつい街へ長居しすぎてしまい、急いで家に帰る為に裏地路を走っていた。薄暗い道は恐ろしい、だが夕食に間に合わなければ母に怒られる。手に拳を作りながら怯え進んでいると、横から突然大きな影が現れる。


 その影は人だった。小太りの中年男で、目は血走り滝の様な汗を流している。あまりの恐ろしさに悲鳴をあげれば、男は私の首を掴み引き寄せる。


『うぁッ!!』

『大人しくしてろ!!』


 唾を吐きながら叫ぶ声は、何かに怯えて震えている。呼吸が出来ずに踠けば、罵倒され顔を力強く殴られた。


『クソ!!暴れるな!!』

『……ッ!!」


 何度も殴られれば、捥がく力は段々と弱まっていく。人間ではあり得ない程の強い力に、私は只泣くのを堪える事しか出来なかった。



 嗚呼、これは死ぬんだろう。幼い私でも其れは理解できた。

 死ぬ前に、せめて母がこれ以上病まない様に、ありったけの愛を囁けばよかったと後悔した。




 だがその時、私の後ろから複数の足音が聞こえた。男の仲間かと思ったが、目の前でその足音の主を見た男は、その人物に顔を真っ青にさせていく。



『……お前、何してるの?』


 この男が表情を変えるのだ、余程の屈強な大男なのかと思えば……予想に反して、女性の声が聞こえる。だがその声は、まるで氷の様に冷たい。


 ベシャリ、濡れた何かが落ちる音がした。同時に私は呼吸が出来る様になった。唾ではなく、ムカデが顔に飛んでくる。

 腕がなくなった男は、激痛に耐えきれず、汚い声を出しながらその場で倒れた。切断された場所から、血ではなく生きたムカデが溢れる。


 倒れた男の側に、執事服を着た美しい青年がいた。無表情で泣き叫ぶ男を見つめながら、手についた汚れを振り払う。男は青年を睨みつけるが、彼は其方を見ずに女性の声の元へ顔を向けた。


 呼吸が出来る様になっても、目の前の出来事への恐怖で足が震える。座り込む事はなくとも、少しずつ虫まみれの男から離れた。……そうすれば背中に柔らかさと、女性の色香が香る。跳ねる様に後ろを見れば、そこにはまだ幼さを残した女性がいた。


 焦茶色の髪、夜色の目。この国では珍しい顔立ちの女性。彼女は私に目を向け、穏やかな表情で頭に触れた。


『怖かったね、もう大丈夫だからね』

『………ぼ、僕……は』

『目を瞑って、そうすれば何も見えないから』


 先程と違う、母に似た優しい声。

 その声に諭されて、私は目を固く瞑った。…………女性は小さく笑い、そして私から離れ男の元へ進んでいく。


『汚い体液垂れ流すな、ほら、出したの全部飲んでよ』


 女性の声は、酷く冷たいものに変わった。

 男の呻く声、何かを咀嚼する音。堪えきれずに吐き出す音。……目が見えなくとも、何をしているのかは理解できた。

 女性は苛立つため息を出しながら、その行為を止めず続ける。

 

『お前だって、同じ事を被害者にしたでしょ?苦しむ被害者に、止めずに続けたんでしょ?なのにどうしてそんな被害者顔する?』


 無慈悲な声が脳に響く。自分へ向けた声色と違う其れに戸惑い、再び震え出す。

 ……けれど、恐ろしい筈なのに、耳を塞ぐ事を本能が拒絶する。


『怯えてるの?怖いなら早くお迎え呼びなよ。ほら、言えって。「人間が怖いので、地獄に早く堕としてください」って、その汚い声でさ』


 訛りのない品の良い言葉達は、女性の言葉を狂気的に魅せていた。……あの女性は、一体何者なのだろう?体から虫を出す化け物と、一体どんな関係があるのだろう?次第に恐怖より興味が溢れていく。私が今まで接した女性とは違う。あんな女性は知らない。

 

 この声が私に向けられたら、どんな気持ちになるだろう?

 あの行為を私が受けたら、体がどう反応してしまうだろう?


『っ……さ……い……』

『聞こえない、もっと声出して』

『……て……ください……』

『小さい声だね。仕方がないから、地獄に聞こえる様に頭向けてあげる』


 地面に擦り付ける音と、声を押し殺す男の呼吸音。

 とうとう私は自分の欲に負けて、目を開けてしまった。



 あの女性は、男の後頭部に足を置いていた。そのまま地面へ押し付けられていき、虫まみれの地面に額を擦り付けている。

 足を置いている女性は、怒りや恐怖で震える男の後頭部へ、それは妖艶に笑いかけた。




『ほら、命乞いしなよ』




 腐った匂い、男が漏らした硫黄の匂い。そしてはしたない男を足で踏む女性。


 衝撃的な光景に、今自分が感じる其れが……興味ではなく、興奮なのだと理解した。



 私はその時、生まれて初めて欲情を経験した。











「ボス!話聞いていますか!?」


 気づけば、目の前に美しい女性が顔を近づけている。

 意識を戻した私は、声の主である部下に顔を引き攣らせた。


「……なんだい、その「ボス」って」


 この部下は、今まで私を「雇用主」やら「すごい人間」と呼んでいた筈だ。指摘すれば部下は嬉しそうに鼻息を荒くして、自慢げに胸を叩きながら告げた。


「イヴリン様が教えてくれたんです!「上司を「雇用主」と呼ぶ部下はあり得ないので、せめてボスとかにしとけ」って!今までで一番短くて覚えやすい名前なので、ダリは気に入っています!」


 ダリの声は元々煩いが、狭い馬車の中では耳が痛くなりそうだ。……どうやら、あの日馬車で連れられてから、随分とイヴリンと仲良くなったらしい。数日後水浸しで帰ってきたと思えば、興奮げに「イヴリン様が呼んでいる」と告げてきた時には驚いたし引いた。



 数年前、ダンタリオンと名乗る彼女は、突然羊皮紙を差し出して「契約してほしい」と言ってきた。余りにも汚い字で読めないし、目を引く程の美女だが話す言葉は子供の様。……署名しろと言われても、当然お断りだ。

 すると彼女は、せめて側において欲しいと涙ながらに願い出た。恋人にでもなりたいのかと思ったが、そういう訳ではない。彼女が求めていたのは「知識」だった。只々自分の知らない事を知りたい、そして調べたい。それだけの事だったのだ。


 ……その時の表情が、商人に教えを乞う幼い頃の私と似ていた。そう思ってしまえば、警戒心など簡単に崩れるもので……よくわからない契約も、恋人もいらないが下働きなら欲しい。そう思い彼女を雇う事にした。


 ダンタリオンなんて仰々しい名前ではなく、ダリと名乗る様に命令した。彼女は非常に優秀な部下で、指示すればどんな情報でも短期間で仕入れてきた。事業で悩む事があっても、その資料を見るだけで的確な提案を提示してくる。つくづく、いい拾い物をしたと思う。……だが。


「まさか、人間じゃないなんて思わないだろう」

「ちょっと!聞いてますかボス!」

「聞いてるよ。イヴリンの周りにいる使用人は、全員彼女と契約した悪魔で、彼女はずっと罪を犯した悪魔を見つけ続けているんだろう?」


 答えた言葉に、ダリは恍惚とした表情で何度も頷いた。


「その通りです!三十年ほど前まではダリしか見つけれなかったのに、今ではダリの倍、それ以上なんですよ!ただの人間が悪魔相手に凄いと思いませんかぁ!?」

「そりゃ凄いね」

「でしょう!?あああんんん〜〜〜!あの美味しそうな身体を調べ尽くしたい〜〜〜でもサマエル達が邪魔だなあああ〜〜!!!」


 イヴリンを思い、喘ぐ様に声を出すダリは狂気的だ。前から頭が可笑しい娘だと思っていたが、この数日間彼女の屋敷で過ごしたダリは、更に狂い始めている気がする。仕事に差し支えない事を祈るばかりだ。



 馬車に乗って数時間。森や草原を越えて、やがて見えたのは小さな山だ。丘とも呼べる低い山の上には、立派な壁で覆われた屋敷がある。向かう途中で見えた領主の屋敷よりも大きく、もはや城と言っても良い程の大きな屋敷。


 イヴリンに屋敷に招かれる、それは光栄な事だ。だが彼女の真実を、過去を全て知った今では恐怖でもある。

 誰が予想できた?悪魔なんて存在がいるなんて。狩猟大会でハリス夫人を殺害した、その罪で揺すり縛り付けようとした結果、まさか立つ土俵から違うなんて。


 今から向かう屋敷を眺めながら、私は興奮で喘ぐダリを一瞥した。



「ダリ、私は殺されるのだろうか?」



 小さく告げた声に、ダリは喘ぐのを止め、深青色の目で私を凝視した。……数秒後、彼女は子供の様に無邪気に、純粋に笑った。



「ダリが守りますよ!だってボスは、ダリのお気に入りの人間なんですから!」





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― 新着の感想 ―
イヴリンさんてば複雑な家庭環境でも自我を確立せんともがいてた少年の性癖開花させちゃったのね。ぎるてぃーっ どこぞの解剖医とどこぞの王子と童貞と……あぁ被害者が続々……(笑)
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