125 女性の趣味は変わらない【中】
朝。ベッドボードに腰掛けながら、部屋の窓から中央区の街並みを見る。相乗り馬車から降りる男達、朝刊を見ながらキセルを吸う老人。学生服を着た子供達。見ているだけでも忙しない、私には関係ない人生だ。
そのまま眺め続けていると、横から男の掠れた声が聞こえた。次には横からシーツが動く音と、褐色が目端にチラつく。
「……イヴリン?」
私の名を呼ぶ方を見れば、普段の自信に満ちた表情ではない、眠たそうに目を擦るエドガーの姿があった。華やかな男のあどけない表情ってのは、中々惹かれるものがある。
「おはようございます、エドガー様」
「ふぁ……おはよう。……そんな薄着で何してるんだい、寒いだろう」
黄金色の瞳から、欠伸と共に涙がこぼれていく。そのまま彼はゆっくりとベッドの中で動いて、座っていた私の腰に手を回した。避ける理由もなかったので受け入れる。
「そこまで寒くはありません」
「それでも、まだ起きるのには早いよ。ほら、おいで」
腰に回されていた手が、力強く寝具の中へ引き込んで来る。それには慌ててヘッドボードを掴み対抗した。私の行動に不満なのか、エドガーは不機嫌そうに眉を寄せてくる。
「いえ、私はもう帰りますので」
「まだいいじゃないか、朝食もご馳走するよ」
「いえ結構です」
これ以上面倒になる前に、ベッドから去ろうと体を動かすが、エドガーは阻止する様に再び寝具の中へ引き込もうとする。此方も再びヘッドボードを掴み対抗するが……何だよ、今までだったらあっさり引いてくれるのに。やけに我儘じゃないか。しかも力強い。爪割れそう。
「こ、これ以上、ご迷惑をお掛けする訳にはいきませんので……んぐぐぐ…!!!」
「つれないなぁ、昨夜はあんなに情熱的だったのに。君なら全然迷惑じゃないし、ずっとここにいてくれても構わないよ?」
「そんっ、そんな事……うぐぐぐ!!!」
うるせー!家に帰らせろ!!これ以上、留守番してる馬鹿悪魔三人を放っておいたら面倒なんだよ!!
昨夜のエドガーは、まるで発情した犬の様な態度だったのに……今はやけにスッキリした顔だ。攻防戦を繰り広げていたが、ベッドボードにしがみつく力が無くなれば、見越したかの様にエドガーに腰を引き寄せられるものだから…………もう諦めた。
メインの食事を食べた後、エドガーは今まで消していた全ての記憶を戻した。昨日の話だけではない、狩猟大会での時や、少年エドガーに出会った時の記憶も全てだ。
何故そんな事になったのかは不明だが、記憶を戻したエドガーは興奮し、長年の鬱憤を晴らすかの様に唇に噛みついてきた。急な出来事すぎて驚く私達だったが、そのまま唇を貪られて数秒後……状況を理解したステラが、手から歪な音を鳴らしながら此方へ向かって来ていた。何もしなければ、エドガーはステラによって殺されるだろう。
だが殺させる訳にはいかない。エドガーは天才的な商才能力、そして情報を持っているのだ。術が効かないパトリックの叔父だし、私が聖女候補のままなのもエドガーのお陰だ。殺す事は簡単だが、そこから得られる恩恵は殆どない。
そんな彼をブチギレ悪魔から助ける為には「真実を知っていても公表しない」事が必須になる。前のパトリックの様に脅しが通用すればいいが、この男にそれは効かなそうだ。……となれば、もうやる事はひとつだ。非常にほぼない良心が疼くが、見殺しにするよりはマシだろう。
私はステラが手に掛ける前に、エドガーの腹を思いっきり蹴り飛ばした。
苦しみながら床に転がるエドガー、驚き立ち止まるステラ。そして金髪美女の首根っこを掴みながら扉を蹴破ってきたフォル。
彼らの前で、私は見上げるエドガーの前に足を出す。そして挑発的に、残酷に言ってやったのだ。……彼が大好きな言葉を。
寒いからと体を引き寄せられたのに、寝具は掛からず体が覆いかぶさってくる。そんなエドガーから受ける、愛おしい人を見るような目線。……多分やりすぎた、そう昨夜の自分の行動に後悔した。途中から楽しくなってしまったのが駄目だった。薄手の寝間着から見える、珍しい褐色肌の魅力から目を逸らす。
エドガーが私に何かを伝えようとしたその時、部屋のドアをノックする音が聞こえる。はねる様に反応したエドガーは、一瞬で私に寝具を被せた。塞がれた視界と同時に、中からの返事もなしにドアが開けられる音が聞こえる。
「おはようございます!」
「ねぇねぇ、お腹すいたよぉ」
「お腹すいたー!」
可愛らしい幼児達の声と、朝から元気な女性の声が聞こえる。あの金髪美女と、フォルとステラだろう。……近くから、珍しくエドガーのため息が聞こえる。
「ダリ。中からの返事があるまでドアを開けるなと、何度も言っているだろう」
「申し訳ございません!しかし、お腹が空きましたので!」
「……居間に置いてる私のジャケット。内ポケットに財布があるから、フォル君達と一緒に好きなものを買って来なさい」
「やったー!!!」
すごいなこの美女、隠してはいるが、主人が女を寝室に連れ込んでるのに無視してる。とんでもなく図太い性格、もしくは空気が読めない。
この家に来た際も、リストランテから共に馬車に乗っていたし、エドガーの態度からして彼女が部下なのだろうか?初対面では素直そうないいお嬢さんだと思っていたが、すこし認識を変える。
しかし昨日も思ったが、とても美しい女性だ。……エドガー、何でこんな美女が近くにいるのに、私の事が好きなのかな?性癖歪めたから?今から戻せる性癖?
エドガーは三人に見えない事を言い事に、昨夜散々弄んでやった足に触れてくる。……困った、このままフォル達と引き離されれば、私はまた足をえらいこっちゃしなきゃいけなくなる気がする。疲れたんだが?
だが、そんな私の考えを察しているのか、もしくはもう触れるなと怒りを隠しているのか。二人分の深呼吸が聞こえる。
「ううん、ご主人さまとお家帰るよぉ」
「レヴィスが朝ご飯用意してるもんー」
「あっ!ま、待ってく」
その場で大喜びする美女と反して、フォルとステラは寝具に隠れた私の元へ向かってきた。
流石にエドガーでも、薄着の私が男の寝室にいるのは、子供に見せるものではないと思っているのだろう。慌てて静止しているが、彼の声を無視して二人は勢いよく寝具に手を突っこみ、的確に私の腕を掴む。
そのまま引っ張られ寝具から顔を出せば、腕を掴み、可愛らしい笑顔を向けるフォルとステラがいた。
「帰ろぉ、ご主人さまぁ」
「帰ろー!」
笑顔なのに、目が死んでる。
言いたい事は分かる、だが私は最善の策を実行したまでだし、お前たちだっていい思いしただろ?
《 125 女性の趣味は変わらない【中】 》
エドガーから離れる事に成功した私達は、何故か美女も連れて屋敷に戻った。どうやらエドガーが記憶を戻したのはこの美女ダリ、別の名を悪魔ダンタリオンの仕業らしい。
まさか、エドガーが私と同じ契約者なんて……と驚いていたが、契約関係ではないらしい。という事は番にしたいのか?という事でもなく、知識を求めるが故の結果なのだと言う。……意味が分からないが、悪魔ってのはそういうもんだ。
そして昨日ぶりに戻ってきた我が家、応接室。身体を縄で縛られ、まるでノミの様に床で飛び跳ねるダリは、背筋が凍る様な睨みを効かせるサリエル達へ大笑いしている。
「あははは!上級悪魔が寄ってたかって使用人の真似事なんて!契約者をご主人様呼ばわりなんて!とっても無様ですね!!」
「なぁどう殺す?水責めか?」
「つま先から切っていくのはどうかしら?」
「水責めしてから四肢を切って、南区の娼婦館に引き取らせて精神を汚染させた上で燃やそう」
「いいなそれで行こう」
「最高だわ」
「ねぇえ僕のともだち虐めないでよぉ」
「おなじ悪魔でしょーーなかよくしようよーーー!」
酷い殺し方を話し合う悪魔達に、フォルとステラは慌ててダリの前に立ち塞がる。ちなみに私は、ダリより更に縄で縛られサリエルくんの腕の中だ。やれやれ、もう縄で縛られるのは慣れちゃったね。
自分の拷問内容を話し合っているのに全く気にしていないダリは、そんな私達の光景を見て面白そうに飛び跳ねた。
「本当に凄いですねイヴリン様!三十年もこんな悪魔達に囲まれて!普通の人間なら狂っても可笑しくないのに!肉体と魂が関係してるんですかね!?もっと見せてー!!!」
この悪魔、奴らが言うには地獄で一番頭がいいらしいが………嘘だろ?どう見ても馬鹿っぽい。馬鹿と天才はなんとやらって事か?
私へ向けて涎を垂らしながら熱い視線を向けてくる姿に、サリエルくんは舌打ちしながら腕の力を強め私を隠す。苦しい。床の上の絨毯にダリの涎が滲みていく様に、ケリスが美しい顔を引き攣らせた。
「最低、同じ上級悪魔だと思われたくないわ」
「フォルって女の趣味悪いよな」
ケリス、お前も私を夜這いしてる時こんな感じだが。
レヴィス、お前も私を番にしたい時点で趣味が悪いと思うが。
そっくりそのまま返せる言葉に呆れていると、サリエルは眉間に手を当てて、疲れた様にため息を吐く。次には眼光鋭く私を見るものだから、あまりの殺気に震えが止まらない。
「で?……ダリの血を体内に入れたクソ商人は、記憶操作の術が効かなくなったと。その所為で二十年前も含む全ての記憶を思い出して、ご主人様に襲い掛かったと?」
「う、うんー……で、でも、未遂だったというか……別に、まだ処女だしー……」
「未遂でなければフォルとステラを殺しています。……で?先程ご主人様は「エドガーは一切口外しないと契約を結んだ」とおっしゃりましたが、どうやってです?身体中から匂う、この腹立たしい匂いはなんですか?」
「え、えぇっとー……」
しどろもどろしていると、最悪な合いの手が入る。
「ダリの雇用主が記憶を取り戻した際!イヴリン様は足を使ったんです!」
「……足?」
「ちょ、ちょっと待、ぐぇぇ!!」
止めようと声を出せば、その口にサリエルの指が突っ込まれた。勢いよすぎて吐きそう。
空気読めないダリさんは、サリエル達へ話を続ける。
「フォルネウスとステンノーは殺そうとしていましたが、イヴリン様は雇用主から得られる情報提供がなくなるのを良しとしませんでしたので!フォルネウス達には賄賂で血を与え、雇用主は体を使って黙らせてました!」
「…………体?」
「あっ!ダ、ダリぃ!」
「うわー!!」
二次被害を被ったフォルとステラは慌ててダリを止めようとした。が、それはレヴィスに首根っこを捕まれ阻止される。
暴れる二人を懐に担いで、レヴィスは険しい表情でダリに声をかけた。
「……つまり、主はクソガキに体を弄ばせたのか?」
「ええ!しかもイヴリン様、雇用主を従わせる為に「黙って足舐めてろ犬」とか「契約書にサインしてくれるなら一晩足で相手してやる」とか暴言を浴びせて面白かったです!特に面白かったのは、大興奮した雇用主に足を近づけて「靴紐もガーターベルトも全部口で脱がせろ犬」とかイヴリン様自身もちょっと興奮しながら言ってウヒャヒャヒャヒャ!!!」
ダリが全てを叫ぶ前に、青筋を立てたケリスが頭を鷲掴みした。頭蓋骨の泣き叫ぶ声が聞こえる。激痛だろうに、ダリは大興奮で高笑いしている。
口に突っ込まれていた手はそのままに、もう片方の手が怒りで震えている。留守番組の悪魔達から、呼吸が出来ない程の禍々しいオーラが出ている。
「ご主人様、足で何をしたんです?」
サリエルがオーラに反して、穏やかな声で質問されたものだから……つい頭の中で昨夜の出来事を思い出してしまった。
……うん、多分、心を読んだな。目つきが変わった。怖くて失禁しそう。
弁解やら言い訳やら、とにかく言いたい事は沢山ある。しかし口に手突っ込まれてちゃぁね、何も言えないんだよ。