123 飼われた悪魔
従業員の跡を追い、今通った廊下を戻って行く。先程は僅かな気配だったが、もう隠す必要がないと思っているのか、廊下を進む度に懐かしい気配が強くなっていく。近づく度に、自然と口元が緩んでしまう。
漸くたどり着いた先、誰もいない店内の客席。あの金髪の従業員が立っていた。
彼女は僕を見て、愛嬌のある笑顔を向ける。
「久しぶりですね!フォルネウス!」
「そうだね、ダンタリオン」
名前を呼べば、ダンタリオンは首を横に振った。あまりの勢いで首が取れそうだ。
「駄目です!この世界では「ダリ」って呼んでください!」
「分かった。じゃあ僕もこの世界では「フォル」と呼んでくれるかい?」
「無理です!フォルネウスはフォルネウスですから!」
相変わらずの性格だ。苦笑しながら近くの椅子に座れば、ダリは目の前のテーブルに座った。浮いた足を子供の様にバタつかせて、濃い碧眼を細くさせる。数十年、いや数百年ぶりの友との再会に喜んでいるのは、彼女も一緒の様だ。
ダンタリオン。僕の古い友人で、同じ世界で生まれた悪魔だ。知性や理性が多少ある上級悪魔の中で異質、神に創造された人間を凌駕する知能を持った、この世に二つとない悪魔だ。
レヴィス以上に化けるのが上手く、男女関係なく無数の顔を持ち、全ての世界の知識を貪欲にかき集める収集家で研究家。その知能と膨大な知識は「あの方」も高く評価している。
故に、彼女も僕達と同じく「あの方」にこの世界の管理の命令を受けている。主が居なかった時は、この世界の違法悪魔の取り締まりはダリが殆ど見つけていた。
誰かが彼女を「知識の悪魔」と呼んでいたが、その通りだと思う。……まぁ、美しい女性の見た目の割に性格に難がある。というか子供の様なのだが。
「ダリ、どうして君がここにいるんだい?」
僕の問いに、ダリは再び首を横に振った。
「実はダリ、数年前から悪魔なのを隠して就職したんです!雇用主はとても面白い人間です!」
「就職?契約したって事かい?」
違う様で、手も振りはじめた。
「いいえ就職です!契約書にはサインしてくれませんでした、何でも「信用できない書類にサインはしない」らしいです……ですので!ダリがサインしました、雇用契約書に!!」
「……雇用、契約書?」
「はい!初めて契約書にサインしました!」
とてもいい笑顔で応えてくれるが……つまりは、悪魔が契約も無しに人間に従っているという事だ。雇用契約というのなら、人間が働くのと同じで、金銭での対価は得ているだろうが……。
すごいだろう、と言わんばかりに自信満々の表情を向けるダリに、僕は呆れてため息が出てしまう。一応、確認の為に彼女に質問をした。
「つまり君は、人間に飼われていると?」
「そうとも言えますね!」
「……屈辱感とか、そういうのないのかい?」
ダリは勢いよく頷いた。
「屈辱です!本当にあの人間は悪魔使いが荒いです!この前なんて、片道三時間の田舎街に行って墓を掘らされました!」
その雇用主に命令された内容を思い出し口にしながら、ダリは頬を膨らませて不機嫌そうに眉を顰める。さっさと辞めてしまえ、と言いたいが……呆れて声が出ない。
だがすぐに不機嫌な表情は消え、再び機嫌のいい笑顔に戻った。本当に忙しない友だ。
「しかし、それでもあの人間は素晴らしい!あの人間の周りには、日々新しい情報が集まってくるんです!だから、どれだけ悪魔使いが荒くても飼われてあげています!勝手に情報は集まるし!ダリ自身が情報を仕入れる事もできる環境!最高!!」
「それはよかったね」
「ええよかったです!屈辱ですが次の雇用契約更新もしてほしいので、今は必死に仕事しています!」
僕が人間と契約、その生き様を見る事で「快楽」を得るように、ダリは知識や情報を得る事で「快楽」を得る事が出来る。
故に、日々新たな情報が集まる人間に飼われる事も、ダリにとっては最高の環境だ。その証拠に、声高らかに語る彼女の口元には涎が垂れている。
しかし、ダリを飼う事が出来る人間が存在するとは。性格は素直で無邪気、まるで子供の様だが知能が非常に高い。彼女を従えるには、彼女以上の知能と飽きさせない言葉選びが必要になるだろう。
長年の友である僕でも手に余るダリを、瞬く間に寿命が終わる人間が命令し、それを彼女が苛立ちながらも従うなんて、そんな人間……
…………嗚呼、待て……いる。
「そういえば!フォルネウス知っていましたか!?雇い主の人間、フォルネウス達が契約している、あの見るだけで涎出そうな人間と番になりたいそうですよ!」
「…………知ってるよ」
「全然お似合いじゃないですね!って言ったら解雇されそうになりました!人間って悪魔みたいに短気ですよね!」
「……そうだね」
最悪だ。まさかダリの飼い主が商人だったとは。確かにあの商人の元であれば情報で溢れかえっているだろうし、得る事が出来る情報も質が高い。我が主が、体を弄ばれてでも求める情報なわけだ。何せ、達人と達人が手を組んで得た情報なのだから。
僕の心情を気にせず、ダリはテーブルから離れ、その場で空気を相手にダンスを踊る。演奏はハミングのみだ。
「今頃、雇用主にその人間は言い寄られているでしょうね!雇用主は人を責めるの大好きですから、本当は責められたい癖に!」
「あの商人がねぇ……まぁでも、僕のご主人様はそう簡単にやられる相手じゃないよ?それに彼女の側にはステラがいる。万が一の事があっても、ステラが君の雇用主から記憶を消すよ」
過去の事件で、サリエルが商人に記憶操作の術を掛けた様に、今回も万が一の事があれば記憶を消せばいいだけだ。どれだけ真実に近づこうとも、あの商人は甥の悪魔もどきと違い止める事が出来る。
だが僕の答えを聞いて、ダリは乾いた笑い声をあげながら、挑発的に眉を上げる。
「記憶は消せませんよ!何せ雇用主の料理に、このダリの血を入れましたから!」
「君の、血……?」
復唱するように告げる言葉に、ダリは髪を靡かせ華麗に一回転をする。
「はい!ダリは雇用主から「イヴリンを飼い殺したいので、手伝いなさい」と言われています!しかし相手は五人の悪魔と契約した人間ですから、少しでも有利にさせる為に、優しいダリが施しを与えました!いい悪魔でしょう!?」
一回転、二回転と楽しそうに回る彼女の言葉が木霊する。
……悪魔が血を与える。つまりは悪魔の血が体に入る。悪魔の術は、悪魔の血を持つ者には効かない。それは言葉通りの意味だ。
立ち上がった僕へ、踊るのをやめたダリは笑う。
「ダリの血を体内に持つ雇用主は、悪魔の術は効かなくなります!物理攻撃なら兎も角、精神を犯す術は効きにくくなりますし、今まで掛けられていた術も解けますよ!」
「……自分が、何をしたのか分かっているのかい?」
「ええ分かっています!フォルネウスも、そして残りの四人の悪魔の契約者を陥れる。立派な宣戦布告でしょうね。……でも、解雇される可能性を無くすにはこれしかなくて……悲しいですね!許してください!」
廊下の奥から、食器が割れる大きな音が聞こえる。同時に聞こえる主の声と、興奮した豚の声。
怒りが堪え切れずに、姿を取り繕えず瞳孔が歪な動きをし始める。そんな僕を見て、ダンタリオンは僕を見据え、美しい微笑みを向けた。
「フォルネウス、ごめんなさい……《ダリの幸せの為に、貴方達の主を雇用主にあげてください》」
ダリ、君から雑音が聞こえる日が来るとはね。