121 天使の戯言
ゲイブ・ウィンター。別の名は大天使ガブリエル。
彼とは一度話をしたいと思っていた。神に使える天使であり、悪魔とは相反する存在。今の所何をしたいのか分からない、扱いが厄介な相手だ。
悪魔達に睨みつけられながら、天使様は夕食のパスタを上品に口に運んだ。悪魔の作る料理は満足な出来栄えのようで、口が弧を描く。そして一言。
「へぇ。そこの魚が作ったにしては、中々美味しいじゃないか」
「ブッ殺すぞ鳩野郎」
「待て待て待てーい」
私の頭の中で、戦闘開始のゴングが鳴った。天使っつー生き物は、喧嘩腰でいなきゃいけないのか?レヴィスは青筋を立てながらゲイブに向かおうとするが、その長い足にフォルとステラがしがみ付いて止めている。奴なら二人を払いのける事も出来るだろうに……私の願いだから、必死に我慢してるんだねぇ、偉いねぇ〜。
「……ええっと、ではウィンター公。先程の話を詳しくお聞きしても?」
悲惨な事になる前に、早く天使から話を聞こう。美味しそうに食後のオレンジゼリーを食べているゲイブへ目線を向ければ、彼はスプーンを揺らしながら此方を一瞥した。
「王子様の側にいる天使、あいつの名前はラファエル。僕と同じ大天使の称号を持っている」
「ラファエル……」
当たり前だが、聞いた事がない名だ。だが後ろにいる悪魔達の空気がひりつくものとなったので、悪魔達には知れ渡っている天使なのだろう。
「ラファエルはこの世界で、教会の枢機卿の立場を得ている。そして何でか知らないけど、王子様に協力して君を聖女にしようとしている」
何故、天使がルークに協力する?彼が天使の血を持つ末裔だからか?私の考えている事が分かるのか、ゲイブはスプーンの先を私に向けた。
「天使は主の命しか聞かない。身内だから協力するなんてあり得ないよ」
「という事は……ルークに協力する事を、神に命令されていると?」
ゲイブは妖艶に笑いながら首を傾げる。
「もしくは自分の欲かも?」
「意外です。天使にも欲があるんですね」
「そりゃあるさ。君の後ろにいる元天使には負けるけど?」
後ろから盛大な舌打ちが聞こえた。
成程、サリエルくんは欲が出過ぎた結果って訳ね、納得だ。
「王子様が、ここまで早く君の聖女認定を進めれるのが可笑しいと思ってさ。公爵の立場を使ってつついてみたら、王子様の協力者に教会の枢機卿がいたんだよ」
「それがラファエルだったと」
「その通り。気づいてほしいのか、ご丁寧に偽名なしで活動してるんだよね。しかも僕の邪魔をしてくるし、あいつには本当に参っちゃうよ」
頬を膨らませながら此方を向けていたスプーンで、残ったゼリーを汚く掻き回す。子供か。おい、絶対食べろよそのゼリー。残したらレヴィスさんが火を吹くからな。
しかし、奴の言葉にはある疑問が浮かんだ。それは根本的な事だ。
「えっと……ウィンター公の邪魔とは?」
ここまで話を聞いて、特にその天使がゲイブの邪魔をしていると思えないのだが?疑問を口にすれば、奴は呆れた表情で無惨なゼリーを口に運ぶ。
「だから、君を守る事だよ」
「……いや、別に守って貰わなくてもいいのですが?」
「君がどう思おうと、僕は君の守護を命じられている」
誰に命じられているか?……流石に、そんな馬鹿な質問はしない。
私が答えを出す前に、後ろにいたサリエルが口を開く。
「神か」
「その通り。お前達悪魔のお陰で、下界までくる事になったんだよ。最低」
苛立ちを抑える為なのか、スプーンでガチガチと音を流しながらゼリーを食べていく。全く品のかけらもない食べ方だ。ここ最近、奴の所為で私の天使像が砕けている。
やがて最後の一口を食べ終われば、ゲイブは態度に似合わない、慈悲深い表情をしてみせた。
「僕が主に命じられているのは、イヴリンが天に還るまで守護天使として守る事。そして天に還ったイヴリンと番う事」
……なんか最後に、変な言葉が聞こえた気がする。
後ろの温度が下がった気もする。よし、最初の言葉だけ印象に残すぞ。
「成程、神様から私の守護天使を命じられていると!いやぁ天使様に守られるなんて!とても光栄です!」
「僕と番になる事もね」
頭の中で、再びゴングが鳴る。
レヴィスさんの両足が解放された。
サリエルくんが手袋を脱い、いや引き千切った。
そのままゲイブの元へ向かう奴らの前へ、私は慌てて立ちはだかる。
「どいてろ主。この鳩は羽毛寝具にする価値もない」
「クソ鳩はこの場で殺して、心臓を天界に送り付けます」
「待て待て待てーーーーい!!!」
なんて空気の読めない天使様だ!殴り飛ばしたい!それでも何としてても、この激重悪魔共を止めなくてはならない。
手をボキボキと鳴らしながら、今にも襲いかからんとする二人に向かって必死に叫ぶ。
「ちょっと抑えて!やめて!!」
「なんだ、抑えて羽毛寝具にしたいのか?」
「レヴィスさん寝具から思考を離して!!」
高位貴族だからってのもあるが、今回の聖女騒動は天使が絡んでいるのだ。もし殿下に危害を加える様な天使なら止めなくてはならないが……その前の確認として、問題の天使との接触を図る必要がある。そしてゲイブが唯一の突破口だ。
手っ取り早い存在を、こんな所で殺させる訳にはいかない。というか、そもそも私は奴と番にはならん!なんだ、神様ってのは娘の結婚相手にもちょっかい出してくるのか!?
後ろで守られているゲイブは、私達の光景に何を思ったのか、盛大にため息を吐いた。
「君は生まれた時から、僕の番になる事が決まっていたんだ。天命によって事故で亡くなるのは分かってたから、来る日まで天界で見守り、君が好みそうな住処をつくったり、将来の子供の名前とか考えてたんだけどさ。……あ、君の天界での名前もちゃんとあるんだよ?教えてほしい?」
「天使って脳みそにも羽が生えてるの?」
「気になるなら見てみましょうか?」
「サリエルくんやめて」
悪魔達の殺意が強すぎて、小洒落たジョークも言えやしねぇ。サリエルやレヴィスはいわずもがな、ケリスやフォルとステラも天使と間合いを詰めている。思わずカバディと言いそうだ。だがゲイブは全く気にせず話を続けた。心臓強いな。
「君が死んだ日に、胸を躍らせて天界で待っても来ないし。それで下界に降りたら、死んだ現場に悪魔の気配が残ってるし。……まさか天に還る筈だった彼女を、お前達みたいな高位の悪魔が群がって契約するとは思わなかった。迎えに行けばよかったと散々後悔したよ。天使は人間を喰わないし、神の子が最高の肉体だなんて知らなかったんだ。……お陰で、三十年も様々な世界を探す羽目になったよ」
当時を思い出しているのか、最後の方の声色は苛立っている様に聞こえた。……しかし、そうか。これで納得した。この天使が何故私を守り、誰かと添い遂げるのを邪魔をするのか。
この天使は、前の世界で私が死ぬのを待っていたのだ。なのに私が悪魔と契約し、一向に天界へやってこない。そうなれば神の命令に背く事になる。だからゲイブはわざわざ悪魔に統治されたこの世界へ来て、私を奪い去ろうとしているのだ。……危ない、あのままサリエル達と契約しなかったら、本当に輪廻から外される所だったのか。
「僕と君が番うのは、主がお望みになった事だ。……正直、今のラファエルの行動は理解できない。主が僕に試練を与えているのか、或いはラファエルの叛逆か。どっちにしろ、あの天使は王子様の望みを叶えるつもりは無いと思うけど」
「じゃあ、殿下はいい様に使われるだけと?」
またルークを、天使や悪魔のいざこざに巻き込もうとしているのか?
ゲイブへ振り向き、絞り出す声で質問をする。
奴は私の表情を見て、不機嫌そうに鼻で笑った。
「……ほら。絶対君ならそうなると思ったから、僕が舞踏会で守るって提案してるんだよ。君は無駄に賢いからこの真実に気づくだろうし。……それに、そこの悪魔達に縛られたって、監禁されたって。君は絶対に王子様を見捨てれない」
同じく私の表情を覗き見した悪魔達も、天使と同じく不機嫌な表情で顔を歪ませた。
◆◆◆
「ミカエル、ここにいましたか」
夕刻、祈りを捧げる俺の耳に、馴染みのある声が聞こえた。
後ろを振り向けば、鉄黒色の髪を持つ男がいる。此方に穏やかに微笑む男へ、俺は苦笑しながら立ち上がった。
「枢機卿。俺の名前はアダリムだって、何度も言ってるじゃないですか」
「いいえ、それは俗世の名前。本当の貴方はミカエルだと何度も言ってるでしょう?」
「また意味不明な事を……」
「意味不明ではありません。嗚呼、私の愛おしい子。もっと顔を見せてください」
「はいはい、仰せの通りに」
この掛け合いはいつもの事だ。出会った頃から、この男は俺の事をミカエルと呼ぶ。本名と擦りもしない名前なのに、何故か懐かしいものを感じてしまうから、いつも強く言えずに直してもらう事は叶わない。
教会枢機卿、ラファエル。彼は戦争孤児で死にかけていた俺を救った恩人だ。こんな俺が神父として過ごしているのも、彼が養父として支援してくれたおかげ。……よくもまぁ、あんな汚かった俺を支援し育てようと思ったものだ。
枢機卿は、懐かしい養父の顔で俺に笑いかけた。
「貴方の為にチョコタルトを作りました。一緒に食べましょう」
「そりゃ最高だ。俺は貴方の作るチョコタルトが大好物なんです」
「ええ知っていますよ。何せ貴方の事ですから」
旅に出ている間は手紙のやりとりをしていたが、こうして中央区の神父になってからは、近いからかよく会いに来てくれる。まるで昔の頃に戻ったかの様に、頻繁に大好物のチョコタルトを作ってくれるので嬉しい。
機嫌よく彼の元へ向かい、触れれる距離まで近づけば、養父は血の様な瞳を細めて俺を見て、頬に触れる。
まるで子供にするような優しい触れ方に、気持ちよさで目を瞑った。
目を瞑り暗い視界の中、養父の優しい声が耳に届く。
「私の愛おしいミカエル。貴方達の存在が、私の存在する意味ですよ」
「枢機卿、冗談が重すぎるからやめてくださいよ」
「おや、私が嘘を言った事がありますか?」
小さな笑い声に釣られて、俺は目を開けた。
目の前の養父は、まるで天使の様な神々しい微笑みを俺に向けた。
「私は貴方へ嘘はつきません。わたしは貴方を守るために生きているのです」
……毎度思うが、本当にうちの養父は気持ちが重い。
若干、昼間の雇い主と似ている気がする。