118 勲章の責任
「お前が夢中の女、この前来たぞ」
孤児院の中庭のベンチ、そこで子供が走り回る様子を見ていた俺は、隣で帳簿の確認をしているエドガーに伝えた。
ここまで俺の会話へ適当に相槌をうっていた癖に、あの女の話になった途端顔を上げる。表情は少し驚いていた。
「イヴリンが?」
「そう、イヴリン。教会墓地の、孤児の墓に花を置きに来たんだよ。何でも迷惑を掛けたとかなんかで」
エドガーは何か知っている様で、俺へ愛想良く微笑んだ。
「国立学校の調査で、かな?」
「そこまでは知らないけどよ……ってか、何でそんな事知ってるんだ、聞いたのか?」
「パトリックが嬉しそうに話してたんだ。イヴリンと一緒に調査してるって」
パトリック、確かこいつの甥っ子だ。国立学校に通う優秀な青年で、卒業と同時に公爵になる予定だったか?まさか、そんなお坊っちゃんとあの少女が友人関係だとでも?生粋の貴族と平民が?
俺の表情で察したのか、奴は首を横に振る。
「いや?パトリックは彼女の事が好きなんじゃないかな?本人は隠してるつもりみたいだけど」
「……レントラー家の人間は、趣味が悪いのか?」
「酷いな、彼女は魅力的な子だよ」
やや不満げな声で言ってくれるが、俺にはあの女の魅力が全く分からなかった。
確かに珍しい顔立ちだったが、それだけで美しいという訳でもない。髪も目もありきたりな色だし、目つきなんて野良猫の様に鋭いものだった。そして極めつけには、性格も可愛げがない。
「まぁ?あのお嬢ちゃん、尻は良さそうだったが」
「神父様、子供に聞こえてしまうよ」
「あいつらはしゃいでるから聞こえねーよ」
軽くあしらう様に声を出せば、エドガーは困った様に笑う。俺の方が年上なのに、商人として長い事苦労していたからなのか、精神年齢は随分上だ。酒を飲み過ぎると窘めてくるし、どっちが年上か分からなくなる。
再び帳簿に目線を落としたエドガーだったが、暫くすると何かを思い出した様に手が止まる。
「でも、君とイヴリンは似てるよ」
「はぁ?」
あのお嬢ちゃんと俺が?どこが?
小馬鹿にした様に顔を歪めたが、エドガーは作業を続けたまま告げた。
「雰囲気、とでもいうのかな?纏っている独特なものが、彼女と同じなんだ」
「何だそれ?」
「私もうまく言えない、でも似てる気がするよ。顔とか、そんなありきたりなものじゃない何かが」
「はぁ〜?」
キザな台詞らしく言うな、もっと分かるように説明しろ。そう詰め寄ろうと立ち上がった直後、正午の鐘の音が鳴った。子供達は昼食の時間だと、嬉しそうに外で遊ぶのをやめて孤児院へ戻っていく。……俺も戻って、昼食前の祈りをしなくては。
「お前も飯食べてくか?」
一応、上司なので社交辞令で誘えば、エドガーは帳簿を閉じて此方を見る。
「いや、遠慮するよ。これからアビゲイルに向かう予定なんだ。あそこは今大忙しだからね、人員が足りているかどうか確認しないと」
「服屋が何で忙しいんだ?何か祭りでもあったか?」
「何言ってるんだい、もうすぐ国王陛下の誕生日だろう?」
呆れた様にため息を吐かれて、ようやく思い出す。あとひと月で賢王と名高い、アレキサンダー国王の誕生日だった。
聖人アダリムの血を持つ唯一の血族であり、それまで国を広げる為に戦争を行い植民地を増やした先代とは違い、頭を使い貿易を整え、血を出さずに国を磐石にさせた賢王。国民には絶大な人気を誇っているからか、毎年王の誕生日は盛大に祝われている。王侯貴族達は城の舞踏会に参加し、平民もそこかしこで行われる祭りを楽しむ。その日限りの上等な記念ワインも出されるらしいので、相当な力の入れようだ。
「貴族は舞踏会のドレスを、平民はパーティーの為のドレスを求めるからね。毎年王様には、良く儲けさせて貰ってるよ」
「そんな事言うなよ商人様、ガキ共に聞こえちまうよ?」
「私があの子達位の時には、世の中は金でどうとでもなると知っていたよ」
好ましい返答に声を出して笑えば、俺は麗しの商人様を見据えて、礼儀正しく頭を下げた。
「愛おしい雇用主様、懺悔室はいつでも開けていますよ」
「生憎、何も懺悔する事はないよ。……嗚呼、いや……あるな、今度」
「今度?」
現在ではなく、未来。思わず下げた頭を起こした。
エドガーは、相変わらずの愛想のいい顔。……だが、目は熱を孕んでいた。それも下品なもの。優男の初めて見せる表情に驚いていると、彼は嬉しそうに声を溢す。
「自分の方が立場が上だと、そう思い込んでいる娘を近々飼い殺すんだ。その時、もしかしたら懺悔室に行くかもしれない」
「…………そっ……かぁ……?」
「従順になったら、ちゃんと君にも妻と会わせるよ」
「へ……へぇ………?」
俺は、何も聞かなかった事にした。
世の中には、知らなくていい事が山ほどあるんだ。
◆◆◆
ルドニア国中央区。ここは昔も今も変わらず華やかであり、それでいて移り変わりが早い。平民と商人、そして貴族が入り混じる混沌とした場所。ルドニアの栄光と欲望を混ぜ込んだ場所だ。
カフェの窓から、中央区の忙しない情景を見ていると、側で水の流れる音が聞こえた。窓から目線をそちらへ向ければ、ルークが私のカップに紅茶を注いでくれている。上質な茶葉の匂いが鼻をかすめた。
「どうぞ、イヴリン」
「有難うございます、殿下」
普段とは違い、藍色の正装ではなくグレーのジャケットを着こなすルークは、私の感謝に微笑み頷く。
彼と会うのは旧ハリス領以来だが、短い月日で背も伸び、深く被る帽子から見える顔つきも大人らしいものに変わっていた。……たった数ヶ月、その間にこうも変わってしまった。私は変わらないのに。
紅茶が注がれたカップを手に持ち、口元に近づけ一口飲む。……平民向けのカフェだが、中々いい茶葉を使っている様だ。
「美味しいです」
「本当?僕が淹れるのより?」
「それは返答に困ります」
そもそも茶葉の品質も城とここじゃあ大違いなので、どちらがいいかなんて分からない。ルークは笑いながら、自分もティーカップを持ち一口飲む。私とは違う茶葉を注文していたが、顔が綻んでいるので気に入ったのだろう。
私は今、お忍びで中央区の訪問をしているルークに付き添っている。旧ハリス領地で彼と約束をしていた事だ。朝早くからサリエルに叩き起こされたので何事かと思ったが……ねぇ王子様、事前に訪問するって伝えて?イヴリン吃驚しちゃうからさ?
朝から商店通りを興味深そうにくまなく見回っていたが……ルーク、めちゃくちゃ健脚だった。お供の私が根を上げてしまい、今は休憩中だ。
お忍びでの訪問ではあるが、流石に次期王に護衛なしはあり得ない。後ろにいる男二人は、商店通りでも良く見かけたので護衛だろう。ちなみに私のお供、ケリスも透明化して何処かに潜んでいる。
「イヴリン、次は市場に行ってもいいかな?」
「ええ、勿論です」
何も気づかないルークは、私へ可愛らしい笑顔を向けてくる。その笑顔一つだけで、先程まで考えた彼への文句も綺麗さっぱり消えてしまうものだから……やはり私は、アレクとルークが好きだ。勿論、友として。
だがルークの方はそんな想いで終わらなかった。私が行った治癒方法を公表し、私を聖女にしようとしている。この国での聖人聖女は、王と同格の立場を持つ。そんなものに私をさせようとしているのは、本当に私を妻として迎え入れたいが為なのだろう。今までのらりくらりと交わしていた私への天罰とも思っているので、彼への怒りはない。答えるつもりもないが。
私が能力を使ったのは、世間に知れ渡るものではアレクとルークへの治療のみ。前に劇団総支配人であるマーカス・ヒドラーを治癒したが、彼はもう灰になったので口はない。……故に、まだ言い逃れが出来る範囲なのだ。万が一教会に治癒能力を公開しろと言われても断ればいい。多少は反感を買ってしまうだろうが、能力を見せようとしない者をわざわざ聖女にはしないだろう。
そう、まだ逃げる事が出来るのだ。私の事を想う気持ちだって、病を癒した私への感謝から来るものだ。多感な時期に病に罹り、婚約を破棄され、近場にいる年頃の女が、私しかいなかったのだ。
きっと聖女認定を遅らせている内に、高貴な血を持つ、魅力的な令嬢に出逢うだろう。……一瞬の気の迷いだったと、そう分かってくれるだろう。
そう考えていると、テーブルに置いていた右手にルークの手が添えられた。驚いて向かいを見れば、彼は美しい紫の瞳を細めていた。つい魅入ってしまう。
「イヴリン。父上から、城の舞踏会の招待状が届いただろう?」
「……届きましたが、それが何か?」
「今年も不参加のつもり?」
予想外の言葉に驚きつつも、私は肯定する様に頷く。
一月後、現国王であるアレクの誕生日を祝い舞踏会が行われる。彼が国王になってから毎年行われているもので、先日の私の勲章式よりも多くの貴族が参加する。
友人だからか、私も毎年招待状を送られているが……流石に平民が行っても不相応なので断っている。今年の招待状も既に、断りの手紙を送った。
「既に断りの連絡を送っていますが」
「やっぱりか。……残念だけど、今年は無理だよ。白百合勲章を取った君は強制参加だから。断りの手紙も拒否されてる。その内、今度は「王印」が付いたものが届くよ」
「えっ」
予想外の返答に、間抜けな声が出てしまった。それに反応してか、ルークの表情は柔らかいものに変わり、添えられていた手が握られる。
「当たり前だろう、国王から授けられる最高勲章だよ?貰ってはい終わりじゃないし、これからも様々な式典に強制参加されるよ?」
「……そんっ」
そんな呪いのアイテムだったのか!あの勲章は!?なんて王子様に叫ぶ事は出来ないので、必死で出そうになった言葉を抑えた。
……そうか、今まで貴族しか白百合勲章を得ていないから、舞踏会の参加は当たり前だったのか?私にとっては呪いのアイテムだが、貴族社会では大いに役に立つ代物だろう。王族が後ろにいると分からせるには素晴らしいアイテムだ。
王印が付けられた招待状なんて、この国で誰も拒否できない代物だ。届いてない事にして、破いて捨ててしまおうか?……いや、そうしたらアレクの立場がないかもしれない。
「くぅ……長年培った王族への恩義が、邪魔をする……」
「イヴリン?」
「何でもございません。……そうですね、陛下の顔に泥を塗る事はしたくありませんので……はい、行きます」
必死に取り繕った笑顔をルークに見せれば、彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。添えられた手は繋がれ、第三者から見れば恋人同士が愛を囁いている様に見えるだろう。死刑宣告されているけど。
「よかった。当日は僕も参加しているから、エスコートするよ」
「いいえ!殿下にエスコートをして頂くわけには行きません!」
そんな事してみろ、ただでさえ聖女云々で面倒なのに益々悲惨な事になるし、馬鹿悪魔共が何をしでかすか分からない。……うわっ!なんか左頬に凄い鼻息みたいなのが当たる!馬鹿メイドか!?落ち着け!
私の勢いのいい拒否にルークは目を見開くが、すぐにそれは不貞腐れたものに変わる。
「じゃあ、一体誰と行くんだい?まさか一人で参加なんてないよね?」
「そ、それは……」
確かに、貴族ばかりの舞踏会で平民が一人で参加など、攻撃してくれと言っている様なものだ。……しかし、ルークにエスコートされる事だけは避けたい。
私が戸惑い考えていると、ルークは小さくため息を吐いた。
「……明後日までに相手を見つけて。それが出来なかったら僕がエスコートする」
「明後日!?」
あまりの時間のなさに驚き叫べば、握られる手が引っ張られる。
そのままルークの口元へ運ばれて、手の甲に唇が当たった。
「僕の事振っておいて、まさかアテがないなんて言わないだろう?」
「………………」
ルークらしくもない、優しさがない人を誑かすような言葉選びだ。
だがその言葉選びも、美しい顔で意地悪に笑う彼の表情も……父親とそっくりだった。
耳元に、ありとあらゆる罵倒が囁く様に聞こえてくる。……許せ、ケリス。