閑話 相性がいい
国立学校の事件も無事に終了し、遅すぎる学生生活を過ごす理由も無くなった。
直ぐにでも自主退学をしたいので、手続きを済まそうとしたが……学校長が依願退職をした今、新たな学校長が就任するまでは退学処理が出来ないそうだ。悲しい事に、私はしばらく学生として過ごす事になる。……まぁ、退学処理が終わるまでは学生をしてやるさ、暇だし。ローガンの授業を聞くのも楽しそうだ。
夕食を食べ終え、風呂も入り終えた私は寝巻き姿で屋敷の廊下を歩く。向かう先は食堂近くにあるレヴィスの部屋だ。
灯りの蝋燭を持ちながら、薄暗い廊下を照らしていく。行きたくない思いからなのか、無意識にゆっくりと足は進んでいく。
毎朝食堂へ向かう時よりも大分時間をかけて、そしてようやくレヴィスの部屋についた。意を決して扉をノックしようとしたが、その前に扉は内側から開いた。
「なんだ、もう少ししたら迎えに行こうとしたのに」
タイミングよく扉を開けたレヴィスは、上半身裸の状態で笑顔で出迎えた。首にはタオルが掛けられている所からして、どうやら風呂上がりらしい。普段服を着ている姿でも危ねぇ色気を撒き散らしているが、肌が見えると色気が大爆発している。最近やけにコイツらの裸を見るので見慣れたが……イカン、見過ぎると平静を保てない。やや筋肉質な体は、最高に好……いやなんでも。表情筋よ落ち着くんだ。
私の表情に何かを察したのか、レヴィスさんは目を細め妖艶に笑う。軽率に色気を増すな。
「何だよ主、今更すぎないか?散々俺の体見てる癖に」
「……そ、そんな見てない」
「はいはい、そういう事にしてやるさ。廊下寒いだろ?早く入れよ」
扉を全開で開けて、レヴィスは私を手招きする。……正直、非常に入りたくないが致し方ない。わざとらしくため息を吐いて、私は奴の部屋に入った。
《 閑話 相性がいい 》
レヴィスの部屋には植物が沢山ある。花など見た目が美しいものから、バジルやアロエ、サボテンなど……大小、種類も様々な植物達だ。どれもしっかり手入れがされており、季節がバラバラだが逞しく成長している。このレヴィスが育てた植物達は、たまに食事に出る事もある。この前は食用花のサラダだった。味付けもあるだろうが、とても美味い。あとおしゃれ。
レヴィスは首のタオルを適当に投げ捨て、ベッドに置かれていた群青色のガウンを羽織る。そのガウンには見覚えがあった。
「それ、まだ持ってたの?」
「そりゃあ持つさ、アンタに貰ったものなんだから」
レヴィスが着ているガウンは、私がこの世界にやって来てすぐの頃に贈ったものだ。
ここに来るまで海で暮らしていたレヴィスは、服を着る事に息苦しさを感じていた。そういえばこの悪魔、同じ海の悪魔であるフォルと違い、私が初めての契約者らしい。全く光栄ではない。
それまでは何処かの世界で竜の姿のまま、悪魔の癖に神として崇められ生贄を貰っていただの、違う世界では他の悪魔達から人間を献上されていただの……まぁ兎に角、海から出なかったのだ。故にこんな長期間、化けて服を着る機会がなかったらしい。なのでボタンやらチャックやら、取り敢えず詰まる衣装を相当嫌がった。
その時の私は、可憐で純粋な少女の心を持っていたので、今なら微塵も思わないが可哀想だと感じてしまった。だからあのガウンを贈ったのだ。あれならボタンもないし首元も広い。苦しい時には着ればいい、屋敷の中なら許すと教えた。あの時のレヴィスの表情は忘れられない、めちゃくちゃ吃驚して固まっていた。
私をベッドに座らせて、レヴィスは部屋に置かれている植物に霧吹きで水を与え始めた。
「あの時は驚いたな。まさか人間が、見返りなしで悪魔に施しを与えるなんて、ってさ。しかも俺に」
「今ならあり得ないけどね、あの時の私は純粋だった」
昔の純粋すぎる自分へ向けて、吐き出す様に答える。だがそんな態度にレヴィスは、私に振り向いて穏やかに微笑んだ。
「いいや、アンタは今も昔も変わらないよ」
あんまりにも優しく言ってくるものだから、返答に困り無言になってしまう。灰色の美しい瞳が私を見つめている。流石にもうこの悪魔の顔は見慣れてしまったが……それでも、美しいと思う。ずっとそれは変わらない。
「……いや、もう三十年も経ったし、変わったよ」
「じゃあ益々魅力的になった」
「…………」
本当に軽率に口説いてくる様になった。前もそうだったが、気持ち有りだと知ると気恥ずかしくなる。
照れを隠す為に顔を逸らせば目線の先、ベッド横のサイドテーブルに開かれたノートが置かれていた。よく見れば料理のレシピらしい。私とは天地の差もありそうな美しい字で、ご丁寧に絵付きでまとめられている。
描かれているのは先週食べたエビグラタンだ。赤文字で小麦粉のグラムが訂正されている。どうやら日々微調整をしているらしい。……この悪魔、プロの料理人みたいなことしてる。
「レヴィスって、悪魔の癖に几帳面だよね」
「んー?……ああ、開けたままだったか」
世話が終わったのか、レヴィスは霧吹きをテーブルに置きながら私へ近づき、目線の端でノートを見る。
「これだけ努力してれば、そりゃ美味いわけだ。最初からレヴィスの作る料理は美味しかったけど、今じゃあ城で食べるものと変わらないもんね」
「まぁ元々趣味だったのが、食べさせる相手が増えてやり甲斐が出たからなぁ」
レヴィスは少し恥ずかしそうにはにかんで見せた。これだけ見れば気のいい兄ちゃんだ。
植物の世話にしても、料理にしても。この悪魔は雑な仕事をしない。丁寧に大切に、まるで人間の様に努力して実力を得ている。じゃなきゃ、貴族のパトリックが褒める料理など作れないし、部屋の中の植物達もここまで美しく咲き誇っていない。
だが、そんな彼だって人を喰う悪魔なのだ。横に腰を下ろしたレヴィスへ、私は皮肉さを含めた笑みを向ける。
「ねぇ、ご馳走を世話するってどんな感じ?」
「……………」
レヴィスは一瞬、真顔になった。その一瞬で大体答えは察した。
私が契約を守り続ける限り、悪魔達はご馳走を好き勝手食べる事が出来ない。……食べれないご馳走を目の前に、この悪魔達は長年世話をし続けているのだ。人間よりも理性が弱い悪魔達にとって、それは拷問の様なものだろう。
けれど私は、自分の為にこれからも悪魔を使う。使って使って、多少は慈悲を与えて。そして最後には侮辱して、私は来世を謳歌するのだ。
レヴィスは無言のまま、目線を下に向けていた。……だが、暫くすれば此方に顔を向けて、妖艶で、何処か嬉しそうに笑って見せる。
その表情の意味が分からないまま、顔は近づき、何か耳元で囁かれた。それは悪魔の言葉で、私には理解できないものだ。
その言葉を聞いた途端、私の視界はぐにゃりと歪んだ。
「っ、!?」
「分かってないなぁ主は。アンタはご馳走の前に、可愛い女なんだよ」
耳に伝わる奴の声は、酷く官能的で、そして本能的に体が震えてしまう。力が入らずにベッドに倒れそうになる私の体を、群青が優しく抱きしめる。
私の姿を見てなのか、再び耳に届く音は興奮した吐息だ。それにも体は反応してしまうと、奴は小さく声を出して笑った。
「本当に、俺の術と相性がいいよな、アンタ」
「………レ……レヴィ……」
「ちょっとの術でこんなに効くんだから、強く掛けたらどうなっちまうんだろうな?……まぁ、それは流石に過剰対価になりそうだから、今回は無理だけどさ」
成程、私がこうなったのはレヴィスの術の所為か。ふざけんな馬鹿野郎。
……体に力は入らず、呼吸も上手くできない。歪む視界と、耳がやけに反応する。前もこんな術を、旧ハリス領地でサリエルに掛けられた気がする。だが今回の方が遥かに体を支配している。……やばい、これはやばいぞ。
「……ちょっ、ま、待っ」
なんとか離れそうとする私を抑え込んで、レヴィスは子供を宥めるように頭に口付けを落とす。
「待つ?何で?」
「いやっ………こ、これ……は」
これって過剰対価にならないかな!?という言葉は出なかった。
「対価で軽く術かけただけだろ?そんな可愛い事になってるのは、アンタが俺の術と相性が良すぎるからだよ。普通ならちょっと興奮するだけなのに」
えぇ〜?そうなの〜?主、今大興奮中なんだけどぉ〜?……いや、ふざけている場合ではない。このままでは狩猟大会と同じ事になる。喰われる。
国立学校での事件、私はレヴィスに第四の契約を二回使ってしまった。一回目の対価は馬車の中で……クッッッソ!色気のある声で耳を犯された。おかげで馬車の中での私は奇声しか出ない程に脳がやられ、お馬ちゃんには若干引かれた。……そして二回目、それが今だ。
墓を掘ってもらって、術の痕跡を見てもらっただけ。なので強い対価を求められる事はないだろうと軽く見ていた。……対価を与える場所が、奴の部屋でと指示された時点で警戒しておけば……いや、しても無理だな。結局術を掛けられてこうなっていただろう。やーってらんねぇぜ!
レヴィスは私の顔を覗き見て、そしてだらしなく顔を歪めた。穏やかさはもうない。
「あー……可愛い。そんな可愛い顔、アンタが好きな男の前でしていいの?」
「ぐ、ぐっ………!」
「そんな顔しても、俺はもう対価を受け取ったからなんもしてやれないよ。……ま、アンタが望むならするけどさ」
小癪な!なんて小癪な真似を!!今回の対価はレヴィスが言う通り「軽い術を掛ける」事だろう。しかしレヴィスの術と相性がいい私にとっては地獄、最低の内容だ。
かつて、半年間もレヴィスとの契約を拒んだのもこれがあったからだ。他の悪魔に眠りの術を掛けられれば一晩眠りにつく所を、この野郎の場合は一週間眠る。ここまで相性が良いのは珍しいと、サリエルがペッペと唾を吐きながら教えてくれた。
嫉妬深いレヴィスさんは、事件でちょっとでも私が自分以外と仲良くすれば、対価を得る際に軽い術を掛けて発散していた。私の精神を猫にしてペットのように接したり、血を摂取する感触を快感に変えたり、普通ならそう掛からない適当に作った術でも、私には完璧にかかってしまう。……そしてある日、奴は魅了の術を私に掛けた。あの記憶は消したい。本当に今でも処女な事が奇跡だ。レヴィスに抱きつき、口付けをせがむ私など私ではない。意識が戻った時、恥ずかしさで暫く引きこもったし、レヴィスは反省させるためにお供担当から暫く外した。
半年間もお供から外されたのだ。再び再開してからはちゃんと節度を守り、軽率に術は掛けず対価を受け取っていたのに……どうしたん?どうしたんレヴィスさん?反抗期か?思春期か?ストライキか?
声に出さずとも言いたいことは分かった様で。レヴィスは目を細め、笑顔で答えてくれた。
「この前の対価で散々煽ってきただろ?「愛してるって言わせてみせろ」って」
「あっ……あぁ〜……い、言った?」
「言った言った。……って事はさ、俺の事愛したら、番になってくれるって事だよな?なら主は、俺の顔と体が大好きだから、最大限蕩けさせて惚れてもらおうかと」
あーそう考えたのね?そう考えちゃったのね?流石悪魔だねポジティブ〜!
術でぐらつく視界でも、レヴィスの色気がとんでもない事になっているのは分かる。鼻血出してないよね私?
「そっ、そん…な事したら……ま、またお供から暫く外っ……っぅ」
お供から暫く外すぞ!と言ってやろうとしたが、喋っている間に背中を一撫でされた。やめろよ、今敏感肌なんだよふざけんな。
私はそのまま、抱きしめた状態でベッドに寝かされる。
ほのかに甘い香りのシーツと、歪む視界の先には、とびっきりの甘い匂いがする、極上の男。そんな男が、私の足を撫でながら答える。その手つきは、獣の様な顔に似合わず優しい。
「しないさ。アンタは狡猾で無鉄砲で、尻軽の酷いご主人様だが、自分の発言にはちゃんと責任持ってるんだから」
「……そっ……」
「自分で俺に挑発してきたんだ。なら正々堂々受け止めて、俺の虜にならない様に頑張れよ、ご主人様」
……お前、それは反則だろ。そう伝えようとした唇は、震えて使い物にならない。
思いっきり睨みつければ、レヴィスは恍惚な表情でため息を吐く。
「……ほら、早くおねだりしろって。今なら優しくしてやるから」
……くそ、なんて腹の立つ、それでいて私をよく知っている悪魔だ。
こんなのを相手に挑発してしまったのか?過去の私は馬鹿か?……くそう!絶対に求めないんだから!
……っ、くぅ……ぐぅぅ……。
も、もとめ…………くそーーー!!!
この続きも書いてましたが、書き終わって「こりゃあかん」となって消しました。こりゃあかん。