115 お茶は残る
「孤児院の玄関前に捨てられていた、赤子のジミーを見つけたのは私なの。あの日は、水が凍る程の寒い冬だったわ」
デボラは懐かしむ様に目を細め、ゆっくりと過去の話を呟いていく。私は苦いハーブティーを、丁寧に一口飲んだ。
話を聞く意味などない。私は違法悪魔を見つけれればいいだけだ。それ以外に耳を傾ける事もできるが、それをし続けるとすり減り、心がどれだけあっても足りない。
……頭では分かっていても、私はどうしても契約者達の懺悔を聞いてしまう。その度に後悔して、後悔できる程私は、まだ人間らしいのだと安心している。
デボラは目を瞑り、過去の思い出に浸る。
「まるで神から使命でも与えられたかの様に、私は私が見つけたジミーを愛した。あの子も私を姉と思って懐いてくれた。……だから、いつか私が大人になったら、ジミーと一緒に支えあって生きていこうと考えていたわ。その為に、唯一武器になると思った勉学を努力したり……まぁ、願いは叶わなかったけれど」
「確か……子宝に恵まれなかったフォルト夫妻が、ジミーを気に入り養子に迎え入れた、でしたっけ?」
「ええ、その通り。あの子は何処か、他の孤児とは違う気品があったしね」
ジミー・フォルトは孤児院出身だが、大人しい見た目ながら、何処か貴族らしい雰囲気があったのは感じていた。……もしや彼は、どこかの貴族と平民に間に生まれた不義の子かもしれない。
「孤児院を出たジミーから、毎週手紙が送られてきたけれど返事を書かなかった。あの子はもう貴族だから、私みたいな孤児と親しいなんて知られる訳にはいかないもの」
穏やかに、嬉しそうにそう告げる彼女の頬は赤い。立場上返事を書くのを戸惑ってはいたが、それでもジミーからの手紙は嬉しかったのだろう。
ここまでは穏やかに話していた彼女だったが、次には顔を曇らせ、カップをテーブルに置いて小さく息を吐いた。
「ある日、孤児院にフォルト家と親交があるアルバス家がやって来た。ロザリー・アルバスは「フォルト家の子息から、優秀な孤児がいると聞いた」と。私の事を知って、成績を見て是非とも国立学校入学の援助をさせて欲しいと言ってくれたわ」
先程とは全く違う声色に、それが彼女の運命を変えたきっかけだったのだと察した。窓から溢れる夕焼けが、どんどん沈んで彼女に影を落とす。
「私はその誘いを大喜びして受け入れた。国立学校を卒業できれば、成績によっては身分関係なしに城に召仕えられる可能性だってある。ジミーにもう一度、姉と呼ばれるのにふさわしい人間になれるかもしれない。そう胸が高鳴ったわ。国立学校に入ってから、私は必死に勉強した。その努力もあって成績も残せていたし、ロザリー先生も喜んでくれたの。先生は私を自分の研究所に入れて、自分の研究を丁寧に教えてくれた」
デボラは希望に溢れた言葉達を、嘲笑う様に語っていく。何が起きたのか?その答えは彼女の表情でおおよそ理解できる。私は小さくため息を吐けば、目の前の彼女を見据える。
「墓に入っていた論文のようなもの、あれは何ですか?」
私の問いに、影に目元を隠されたデボラは笑う。
「尊敬する先生に、少しでも近づこうと私も研究をした結果。従来の石油や石炭での燃料ではなく、太陽光でも電気は作れる事を発見したの。あれはそれを拙い文字でまとめた論文……いえ、メモみたいなものよ」
答えられた言葉に目を見開いた。……つまりは何だ?この目の前の少女は、今までのロザリー・アルバスの研究を見て、太陽光パネルを作ったという事か?そんなものが出来たら、今までの電気燃料の常識が覆るだろう。年若い少女がその境地に至るとは、相当賢いとは聞いていたがここまでとは。
「……ロザリー・アルバスに、その事を伝えたんですね?」
「ええ、褒めてもらえると思って。結果はこうなってしまったけれど」
デボラは自分の体に触れ、目線を下に落とす。
「資料を見せた次の日、私は屋上に呼ばれた。屋上は先生と私が話をする時に使っていたから、きっと資料を見た先生に褒められると思ったわ。今までもそうだったから。……でも、あの人は私の研究を自分の功績にする様命令した。それが孤児からここまで引き上げた自分への奉仕なのだと」
「…………」
「そこでようやく理解した。私の考えた研究は、今までの常識を覆すものであり、それ以上に先生の今までの功績に影を落とすものなのだと」
従来の電気燃料である石炭により、この国は大気汚染の問題を抱えている。ロザリー・アルバスが白百合勲章を得ていない理由は、結果による代償が大きすぎるからだ。
だが、デボラが考えた太陽光での燃料であれば、これ以上汚染せずに電気を作り出す事ができる。世紀の発明、間違いなく白百合勲章を得る事が出来るだろう。
その発見を、自分が拾い上げた孤児が見つけたのだ。うまく丸め込めば自分の手柄に出来る。そうロザリーは考えたのだろう。……だが、デボラがそれを拒否した。
「私はジミーと並んでも相応しい存在になる為に努力していたの。この研究もその足掛かりになるかもしれない。そう思って明け渡す事を拒否したら……先生は私を罵った。私を孤児院から連れてきたのは間違いだったとか、研究の結果を孤児が公表しても誰も相手にしないとか。……私が、社会ではどれ程替えの効く存在であるか、唾を吐くように丁寧に教えてくれたわ」
あの日を思い出しているのか、手は怒りで震え、唇を噛み締める。その姿に、後ろでずっと無言だったレヴィスが乾いた笑い声を上げた。どうやら奴にも全てが理解できた様だ。
デボラ・シュナイザーという存在は、この社会では替えの効く存在。……なら、替えの効かない存在になればいい。孤児の若い少女が、年老いた地位のある女性に変わればいいのだ。
「怒りで視界が滲みかけた時に、耳元で誰かが囁いた。美しい声で提案された誘惑に縋って、私は契約をした」
「……対価は、ロザリー・アルバスの魂ですか?」
二度目の私の問いには、すっかり影にのまれた彼女は歪に笑う。
「突然、地位のある貴族から孤児になった先生は大層驚いていたわ。そんなあの人を、私は屋上から落として殺した。手摺に捕まって必死に生き延びようとするデボラの手を、何度も靴底で蹴ってやった。……私の声で、私に泣きながら慈悲を求めてきたけど無視した。……やがて力尽きて、地面に落ちていくあの人を見て……」
「嬉しかった?」
声を詰まらせる彼女の代わりに答えれば、老いた目線が此方を見る。
その表情は、後悔しかなかった。
「……いいえ、全く」
……飲みかけのカップをテーブルに置けば、私は立ち上がる。もういい、これ以上はいい。
虚ろな少女の目線は、私をずっと離さないけれど、その求めに応えるつもりはない。
「貴女はとても賢い。連続傷害事件がジミーの仕業だと気づいたのでしょう。愛する家族が人を殺める前に止めたいけれど、貴女が止めるわけにはいかない。何せ、今の貴女は真犯人なのだから」
「…………」
「だから私を雇った。彼がこれ以上罪を増やさないように。そして真実を知って、ロザリーに憎しみを向ける彼を見ないために。……そして今、貴女はデボラとしての罪を、ロザリー・アルバスに全て押し付けようとしている。貴女の罪を、貴女で解放しようとしている」
哀れな少女は薄く笑う。それが真実であると教える様に。
もう少女なのか、女性なのか分からない。自ら捻じ曲がった存在へ堕ちた、哀れな存在。
私は扉へ歩みを進めた。レヴィスは先に向かい、私の為に扉を開けている。そのまま進んで、扉の前で立ち止まった。……少女を見ずに、私は重い重い口を開く。
「私はデボラ・シュナイザー殺しの犯人を、自警団に伝えるつもりはありません。時が経てば、貴女は容疑者候補に上がるかもしれませんが……それでも、私からは言わない」
後ろから、音が消えた。
けれど後ろは見ない。見るべきではない。
「偽りの姿の貴女が、本当の意味で罪から解放される事は一生ない」
後ろから聞こえる声に、私は耳を傾けずに部屋から立ち去った。
哀れな孤児の話は……もう終わったのだ。ここにはもう、少女はいない。
色々落ち着いたので、これからの更新はもう少し安定します。よ、ようやく書けるう!(泣)