114 お茶を飲み終わるまで
昨日は散々な目にあった。今までイヴリンへ態度で示しても、はっきりと好意を伝えた事はなかったのに……気づいた時には遅く、彼女は呆れて教室から出てしまった。あの時の教室の空気は酷いものだった。
ギルバート達は申し訳なさそうに謝罪をしてきたが、それよりも彼女に拒絶された事が相当に堪えた。自分の好意を受け入れてもらえない事は分かってはいたが、態度で示されれば何度でも傷つくものだ。
今日は学校を休もうとも思ったが、契約で限られた猶予しかないイヴリンを助けたい。俺は悪魔と違って、純粋に彼女を助けたいのだから。
教室へ入れば、すぐにギルバートが気づいて慌てて駆け寄ってくる。再び謝罪をされると思い身構えたがそうではなく、どうやら連続傷害事件の犯人が捕まったそうだ。
「どうやらフォルト家の子息様らしいぜ?」
「……ジミー・フォルトか?」
「そうそう!あんな気が弱そうな奴がまさかな」
ジミー・フォルト。つい昨日イヴリンと共に聞き込みをした後輩だ。……犯人を捕まえたのはイヴリンだろう。彼女はその為にこの学校に来たのだから。まさか昨日の今日で見つけてしまうとは、本当に彼女は洞察力が優れている。
周りから聞こえる言葉は、皆ジミー・フォルトの話ばかりだ。実はああだった、隠していたがそうだった。そんな囁き声が聞こえる。……幽霊の仕業だと思われていた「デボラの呪い」に真犯人がいた。その事実に周りの生徒は夢中だ。その囁かれる言葉の中で、果たして真実はどの位あるのだろうか?
いつもなら一番に噂話に興味を持つギルバートは前の席に座り、後ろを向きながらこちらへ頬杖を付いて笑いかけてくる。普段とは全く違う、やけに落ち着いた雰囲気だ。
「イヴリンちゃんって探偵なんだろ?今回この学校に編入して来たのも、もしかして「デボラの呪い」の調査の為?お前それを手伝ってたの?」
「そうだ。……だから、お前が言ってたみたいな関係じゃない」
「はいはい、片想いって事ね。そりゃ残念だったな」
頬杖を付いたまま、ギルバートは揶揄う様な表情を近づける。言い返してやりたいが戸惑う。何処か、あの悪魔達の様な雰囲気を纏っている気がしたからだ。
「なぁパトリック。あの子はやめておけ」
昨日の様には言い返さず、だが眉間に皺が寄ってしまう。そんな俺を見てもギルバートは話を続けた。その声はとても小さいもので、周りに聞こえない様なものだった。
「王太子殿下はお人が変わった。愛おしい「辺境の聖女」様を自分のものにする為なら何でもするぞ。……お前を付き人から外させたのも、それが原因だろ?」
「…………それは」
「まぁ、お前とイヴリンちゃんが愛し合っているなら、俺も親父に掛けあってやろうと思ったけどさ。片思いってんなら諦めろ。絶対に面倒に巻き込まれる」
「…………」
静かに囁く声は、それが真実だと嫌でも理解させるものだった。どんどん険しくなっていく俺の表情に、ギルバートは見ないように目線を逸らしている。
分かっている。どれだけ俺がイヴリンを想っても、彼女は俺を愛さない。彼女は来世の幸福の為に今を生きている。自分の事以外には興味がない。
それに次期当主なだけでただの学生の俺には権力はないから、殿下を差し置いて無理矢理彼女を妻にする事なんて出来ない。仮にあったとしても、彼女にそんな事はしない。
……でも、ほんの少しだけ。
あの悪魔達の様に、俺も本能のままに彼女を求めたいと考えてしまう。
もうすっかり見なくなった、夢の様に。
いつもそこまで考えて、そしてまた想いは報われないと思い知らされる。それの繰り返しだ。何が、純粋に助けたいだって?
本当に、恋愛となんと滑稽なものだろうか。
「多分……この想いを諦めるには、あと二十年は必要だな」
苦笑しながら呟いた声に、ギルバートは目を細めて不貞腐れた。
「何だよ、その具体的な数字は」
「あの娘がこの世界にいるまでは、難しいと思った」
「はぁー?」
間抜けな友の声に、俺はつい笑ってしまう。
◆◆◆
娘は、俺に二度目の第四の契約を求めた。それも酷く歪んだ表情で言うものだから、あまりの可愛らしさに顔がにやけてしまった。俺は笑顔よりも、この娘のそういう顔が堪らなく好きだ。
将来の愛おしい番の為なら、別に対価なんてなくても願いは叶えてやりたいが……嗚呼、駄目だな。そういう可愛がり方は俺のものにしてからにしよう。今はまだ、対価に涎を垂らす従順な下僕でいい。
娘、イヴリンに真実の名前を告げられた学校長は、驚いた顔を此方に向ける。だが次第にそれは落ち着いたものに代わり、再び茶の用意を始めた。
イヴリンはその様子を眺めながら、足を組んで高圧的に学校長を見る。まだ仮定であり、真実か確定できない時、いつもこの娘はその迷いを隠す様にあえてそういう態度を取る。それも滑稽で愛おしいと思ってしまうあたり、俺も大分骨抜きになっている様だ。
「ユベール先生の話を聞いて驚きました。もしも先生のおっしゃっている事が正しいのであれば、私に連続傷害事件を依頼した理由が分かりませんでしたから。……ですが、よくよく考えてみれば、調査を依頼した探偵に学生をフリをしろなんて可笑しい。いくら私が聞き取りや被害者の環境を知りたいと言っても、もっと他の方法があるでしょう?」
広い部屋で、淡々と語られるイヴリンの声は響く。学校長は無言で茶を用意し続けているが、背を向けているので表情は分からない。
「ユベール先生の態度も、私をただの編入生と思っている態度だった。ランドバーク先生には相談しているのに、何故実の弟には相談しない?……例えば、貴女はユベール先生にだけ、探偵を雇った事を話していない。そう仮定した時……それを話さなかった理由は、私の調査の妨げになると考えたから?おや、何故そんな事を?もしかして貴女は、真実を見つけて欲しかったのか?自分が危険になる真実を?何故?誰が得をする?……なんて、貴女の行動の意味も考えました」
まるで演者の様に、つらつらと物語を語っていく。娘にとって今この場は、自分の命を懸けた舞台なのだ。
小さく肩を揺らし反応した学校長は、背を向けたまま声を出す。
「……その末、何を仮定しましたか?」
脇役が台詞を告げる。イヴリンは皮肉を交えて、悪役のように笑う。
「私の契約した悪魔に、デボラの死体を確認させました。……その結果、魂が入れ替わった跡が確認できたそうです。……貴女は二年前、悪魔と契約して魂を入れ替えた。あの事件で死んだのはデボラ・シュナイザー……ではあるが、中身はロザリー・アルバスだった」
「…………」
手振りをつけて、高慢な娘は女を指さした。
「さて真実が出た!では何故二年後の今更、真実を明らかにするのか?……それは分かりやすかった。貴女はかつての友が、自分の為に落ちていくのを、この傷害事件の最悪の結果を望んでいなかった故の行動だった」
ようやく茶を用意した学校長は、イヴリンの前のテーブルにカップを置く。香りからしてハーブティーか何かだと思うが、煮出しすぎて色が濃い。向かいのソファに座った学校長は、自分のカップを手に取り香りを楽しんでいる。
暫くして変わった表情は、やや幼さを秘めた微笑みだった。まるで見つかってしまった様な、そんな無邪気なものだ。目を細め、女は再び問いかける。その目線は俺を見ていた。
「墓の中の「私」は、どうだった?」
静かな声、その意味は仮定を真実と受け止めるものだ。俺は答えずに、かわりにイヴリンが小さく息を吐く。
「屋上から落ちたんですから、そりゃもう粉々だったみたいですよ。……あとはそうですね、貴女が墓に入れた大量の論文らしきものは、もう腐っていましたよ」
「そう、それはよかったわ。学校長が私を殺す程に欲しがったものだもの。あの人も、きっとあの世で喜んでいるわ」
カップをテーブルに静かに置けば、デボラは真っ直ぐ此方を見た。見た目が老いた女なのに、妙に若々しさが滲み出ている。イヴリンは笑うのをやめて、無表情で女を見据える。まるで、言葉の続きを急かすように。
静まり返った部屋の中に、かすかに聞こえる外の生徒達の声。デボラはその声を懐かしむ様に穏やかに微笑み、口を開く。
「探偵さん、哀れな孤児の話を聞いてくれる?」
イヴリンはデボラの表情を見て、テーブルのハーブティーを見て。……わざとらしくため息を吐いた。
「このお茶を飲み終わるまで、でしたら」